第四章 星の谷
深い森を抜けると、辺りの景色が一変しました。マム、グリム、そしてピコの目の前には、今まで見たこともないような光景が広がっていました。
星の谷―そこは夜空の星が地上に舞い降りたかのように、無数の幻想的な花々が咲き乱れ、まばゆい光で満ち溢れていました。花は青や紫、金色に輝き、そのひとつひとつが夜空の星のようにきらきらと光を放っています。風が吹くと、花々の光がゆらめき、谷全体がまるで星の海のように見えました。
「わあ…ここが、星の谷なんだね」
マムは目を丸くし、うっとりと周りを見渡しました。ピコも、
「こんな場所、本当にあったなんて!」と感嘆の声を上げ、グリムも静かにその光景に見入っていました。
谷の中央には、ひときわ大きな銀色の花が咲いており、その花びらには青白く光る雫がたまっていました。その光は柔らかく、温かい輝きで、マムたちを優しく包み込むようです。
グリムが低い声で言いました。
「あれが『星のしずく』だ。大地の精霊が守る、願いを叶える力を秘めた神聖な雫だと言われている」
マムはその言葉に息を飲み、じっと星のしずくを見つめました。その時です。
「星のしずくに近づく者よ、そのまま立ち止まるがいい」
どこからともなく低く、威厳ある声が響き渡りました。
マムたちが驚いてあたりを見回すと、谷の奥から巨大な影がゆっくりと姿を現しました。光に照らされ、シルエットが浮かび上がったのは、青白い毛並みを持つ大きな狼の姿をした精霊でした。
その瞳は夜空のように深い青色を湛え、見る者を射すくめるような気高さが漂っています。彼こそが、星のしずくを守る大いなる精霊、シリウスでした。
「私の名はシリウス。この星の谷を守り、星のしずくに触れる者の心を見定める者だ」
シリウスはゆっくりと口を開き、マムたちをじっと見つめました。
マムはシリウスのまっすぐな眼差しに少し怯みながらも、勇気を振り絞って言いました。
「ぼくはマム。どうしてもこの星のしずくに願いを込めたいんです」
シリウスは少し首を傾げ、その透き通った青い瞳をマムに向けました。
「その願いのために、ここまで長い道を旅してきたというのか?」
「はい!」マムは強く頷きました。
「たくさんのことがあったけど、仲間のおかげでここまで来られました。だから、どうしても願いを叶えたいんです」
シリウスは静かに目を閉じ、しばしの間を置いてから、再びマムを見つめました。
「ならば、最後の試練を与えよう。その覚悟が真のものかを、ここで示してもらおう」
シリウスは穏やかながらもどこか厳しい表情で、静かに語り始めました。
「星のしずくの力は、人の心が純粋であればあるほど強く応える。だが、願いのためには代償が必要だ。その代償は、自らの最も大切なものだ」
「最も大切なもの・・・?」
マムはその言葉に戸惑い、ふとグリムとピコの顔を見つめました。ピコが小さく呟きます。
「マム、それって・・・」
シリウスは頷き、
「そうだ。君がもしこの願いを叶えたいのなら、君の旅を支えてきたその絆を、ここに置いていかなければならない。それがこの谷での試練だ」
「絆を、置いていく?」
マムの胸にざわめくような不安が広がりました。旅の途中、グリムとピコと過ごした日々、共に笑い、共に助け合い、共に危険を乗り越えてきた思い出が、マムの心に浮かび上がります。それを手放すことは、マムにとって大きな試練でした。
「どうだ、マム。願いを叶えるために、君は一人で歩むことを選べるか?」
シリウスの問いかけに、マムは強く心を揺さぶられます。
しばらくの間、マムは言葉を失って立ち尽くしました。グリムとピコがそばにいなければ、マムは星の谷にたどり着くことはできなかったでしょう。それほど大切な存在を、自分の願いのために手放すことができるのだろうか?
やがて、マムは小さくうなずき、シリウスに向かって言いました。
「僕は・・・」
マムの決断を告げるその声は、星の谷に静かに響き渡りました。
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