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生きる価値のない私は恋人のフリをする

作者: 響ぴあの

 私には生きる意味がない。絶望という言葉しか浮かばない。根暗でも何とでも言われても構わない。陰口を言われていることくらいわかっている。楽しくもなんともない毎日。ただ、息をしているだけの毎日。これって生きている意味はあるの? 生きている価値はあるの? 正直生きることに疲れてしまった。いつから一人のほうが楽だと思えるようになったのだろう。今日も真夜中に旧校舎のグランドピアノの元へ行く。そこだけが深呼吸できる場所だ。でも、ほんの一時間程度。ばれないように今日も再び学校へ向かう。田舎に住んでいていいと思う瞬間がある。見上げると幾千もの星空の輝きが降り注ぐ。


 自宅は古くて汚いアパート。そこにピアノを置くスペースはない。私は音楽から隔離された生活を余儀なくされた。悪い噂はすぐに広まる。幼少期から、大きなきれいな家に住んでいるだけで、なんとなく人とは違うんだと思って生きていた。でも、違う意味で今は人とは違うということに気づく。父の会社が倒産して自宅を売らなければいけなくなった。つまりお金持ちのお嬢様から貧乏人となったわけだ。周囲は私がお金を持っていて色々な物をプレゼントしてくれるから優しくしてくれていただけだった。父の会社の従業員だった人も町にはたくさんいる。その人たちを無職へと追いやったのは社長である父親だ。つまり、私は恨まれる対象となってしまった。本当の友達ではなかったのかもしれない。失って初めて気づく。虚構の友達だったということを。困った時に傍にいて力になってくれない。それは本当の友達ではない。全てを失った。地位も友達も家も音楽も――。義務教育は平等だ。なんとか学校でピアノに触れることはできる。でも、大人になればそれすらも許されないだろう。今後仕事で音楽に関わることなんて無理だ。でも、触れていたい。今だけでも。


 中学校の旧校舎の音楽室には古いグランドピアノが放置されている。新校舎ができた時に、新しいグランドピアノが届いたにも関わらず、処分されずにただ置かれている。ここはなぜか防犯対策をしていない。盗まれてもいいものしかないということもあるし、近々取り壊しになるらしく、防犯カメラや防犯会社のセキュリティーシステムがない。田舎の中学校ということもあり、ピアノを弾いても誰にもばれない山の中だ。旧校舎は校門の外にあり、防犯の対象になっていないのが幸いした。真夜中に不法侵入することが不謹慎だということは重々承知の上だ。でも、分かった上で、毎晩自分の部屋からこっそり抜け出してここに来る。窓から降り注ぐ月明かりが心地いい。自分の居場所だと思う。誰にも邪魔されない空間が確かに存在する。空気が昼間よりも澄んでいて深呼吸したくなる時間。


 森が近くにたたずむだけの場所。時折、ふくろうの鳴き声が聞こえる。音を奏でても問題なし。幼少期からピアノを習っていたけれど、父親の経営する会社が倒産して今は習うお金がない。基礎は身についているので、今は独学でも問題はない。習い事や遊びに使うお金もない私は旧校舎のグランドピアノを弾きに行く。音の状態は良く、音色も悪くない。処分するにはもったいないと思われて、旧校舎に保存されたのかもしれない。もしかして、私がピアノを弾けるように神様が用意してくれたのかもしれない。でも、神様なんていないことは知っている。生きるより死んだ方がマシなんて発想になりつつある自分が悲しい。


 どうして、人は人をいじめ、疎外しようとするのだろう。

 どうして人は群れていないと不安になるのだろう。

 学校という檻の中でクラスという枠組みの中にいなければいけない。

 それはとてもとても息苦しい。

 人と違うことをしたら疎まれる。

 多様性なんて表向きだ。学校は制服で統一され、時間割に拘束される。

 自由って何だろう。最近、わからなくなる。

 知らなくてもいいことだけれど、わからないことは不安だ。


 いつも通り不安に囲まれた私の耳に聞きなれない男子の声が届く。

「こんなところで、勝手に弾いていいのかよ? 死にたいなら俺にその命をくれないか」

 なぜか旧校舎の真夜中の音楽室にいるどこか世間に反抗的な見た目をした男子。

 一瞬おばけじゃないかと目を疑う。でも、足もあるし、体も透けてはいない。よくみると同じクラスの話題になっている転校生だ。おばけがいるわけがないけれど、こんな真夜中のせいか、恐怖心が芽生えるものなのかもしれない。


 同じクラスであり、最近転校してきた彼の名前は、流我奏(りゅうがかなで)。たしか、ピアニストの両親を持つ元天才ピアニストと言われていたという転校生だ。見た目がかっこいいし、元天才ピアニストという響きも女子からの人気がある一因だった。みんなが噂しているため、顔と経歴は何となく知っていた。あちらは私のことなんて知っていることもないと思うけれど。私は特に目立つ人間ではないから。でも、彼は何かのアクシデントがあってピアノを辞めたと聞いた。ケンカでケガをしたとかそんな理由だったように思うけれど、顔がいいだけの男には興味がないのであまり覚えていないし、真相を知る者はこの学校にはいない。どこか陰があると思っていたけれど、真夜中に見ると痩せた体は、尚更不気味に見える。


「あなたはこんなところで何をしているの? 死にたいって言うのはどこから得た情報なの? それに簡単に命をあげることは不可能だと思うけど」

 不可解なことを言う人だ。心が疲れているのだろうか。とはいっても、私のほうがずっと疲れている。

 ピアノが恋しくなってここに来たのだろうか。もしかして、私の音色に魅了されたとか? 私が言うのも何だけれど、今は夜中だ。夜の十時半を過ぎたところだ。こんな夜中に不法侵入とはやはり噂通りの不良だからなのだろうか。

 見た目は中学生にしては、陰があってやさぐれた雰囲気。ミステリアスだと称賛する女子もいるが、わかりやすく言えば、とっつきにくいタイプの男子だ。

 色々と心の中で考えていると、微笑みながら風のようにふわりと態勢を整えてソファーに座る。

「ここ、夜の時間つぶしにちょうどいいんだよ。校門の外だから侵入しやすい場所だし、ちょうどいいソファーもあるし、死にたいと願う少女もいる」

 たしかに、古いソファーが置いてある。きっと校長室などで使われていたものだろう。

 電気は普通に使える。電気を勝手に使っても今のところ誰からも苦情も来ていないし、快適極まりない。

 エアコンはさすがにないから、春や秋の季節にはちょうどいい。

 漆黒の瞳の流我奏をじっと見つめて問い詰める。

「死にたいっていうのはたしかだけれど、どうしてあなたが知ってるのよ? あなた、噂に聞いたけど、ピアノが上手なんでしょ? 弾いてみてよ」

「実は、死を入れ代わってもらうと俺の寿命が延びるっていう情報を得たんだ。だから、死にたい奴を探していた。旧校舎に置いてあった日記を読んで、旧校舎に出入りしているおまえに辿り着いた。ちなみにピアノは、おまえよりかは上手だと思うけど」

 日記は誰も来ないと思って書いて旧校舎に置いていた。ちょっとポエム風だったり、悲しい自分の本音の気持ちを書いていたけれど、まさか、こんな奴に読まれてしまうなんて不覚だ。そして、パワーワードが出現する。死を入れ代わると寿命が延びる。一体何を言っているのだろう。

「日記、勝手に読んだんだ? かなりのマイナス思考なのばれちゃったね。ちなみに子犬のワルツは今、練習中だけど、花の歌は得意なんだから」

 恥ずかしくなり、よくわからないマウントを取る。

「ランゲの花の歌か。子犬のワルツは指の運動力が必要になるからな。ショパンの曲は指の小回りが利かないと弾くことが難しいよな。たしかに、弾きやすいのは花の歌のほうだろうな。おまえ、ピアノ習っているのか?」

「小学生の時まで習っていたけど、家の事情で今は独学なの。花の歌、弾いてみて」

「この天才に頼むなんて贅沢だぞ。おまえ、死にたいんだろ。ならば、俺の代わりに死んでくれないか?」

 変な提案に体が凍り付く。よく知らない男子に代わりに死んでほしいなんて言われる事実。変な感触だ。

「あなたの代わりに死ぬ? そうすれば、あなたはピアノを弾いてくれるの? 間近できれいな音色を聞いてみたいのは確かだけど……」

 あなたの目的は何? あなたは見た目こそ悪そうだけど、ピアノの腕はたしかなら、彼が奏でる音色を聴いてみたい。あなたの発する言葉は気になる言葉ばかりだ。彼の言う死の入れ替わり――どういう意味だろう。

「俺は、こう見えて近々死ぬらしい」

「なんで、そんなことがわかるの?」

 古びたノートを鞄から取り出す。

「俺、不思議な予知ノートを持っているんだ。俺は事故に遭う運命で、長生きはできないって書かれていた。予知ノートは、俺の家に代々受け継がれているんだ。これに毎日生きる意味を書き込むと自分の寿命が延びるって書かれているんだ。自分が生きるためには、誰かに死を交換してもらわなければいけないらしい」

「そんな話、信じられないよ」

「実際、俺の祖父は死を免れたいう話を聞いたんだ。まぁ、そんなの嘘だろうって思ったんだけど、わらにもすがりたい気持ちだろ。生きる意味がある者は、この世界で生きる価値があるということなのかもしれない」

 真剣なまなざしだ。冗談を言ってからかっているわけでもなさそうだ。

「死を交換するってことは、誰かが犠牲になるの?」

「ノートの最初にこのノートの効力が書かれているんだ。見てみるか?」

 彼がノートを開くと、文字が書かれていた。


【あなたは近々事故で死にます。生きる意味を書き続ければ、生きる価値があると判断されて、少しは長く生きられます。死を回避するには、誰かに死を代わってもらってください。】


「あなたが書いたわけじゃないの?」

「ノートの内容は日々変化するんだ。これは未来を予知してくれるアイテムってことだ」

 不思議なノートを見つめる。こんな紙の塊に何ができるのだろう? こんなもので、人を死に追いやることができるのだろうか? その人が生きる意味を書き込むことで、この世界に生き続けられるなんておかしな話だ。


「噂になってるみたいだけどさ。この中学に転校してきたのは、ケンカに巻き込まれて指をケガしてしまったからだ。プロとして続けるにも音大付属中学にいるのも厳しい状態になってしまったんだ。人を守るためにケンカしたことが一生を変えちまうんだな」

 指を愛おしそうに見つめる。きっとまだもっと弾いていたかったのだろう。

 音を奏でていたかったのだろう。

 人を守るためだと言ったけど、そんないい人には見えないのが本音だ。でも、何か事情があったのかもしれない。

「人を守るためのケンカ?」

「小学生の頃に学習塾に通っていたんだ。同じ塾にチビデブというあだ名をつけられていた他の小学校の男子がいたんだ。最初は傍観していたけど、ある日チビデブと話す機会があってさ。スゲーいい奴なんだよ。そいつが暴力的ないじめを受けてるのを見て、無意識に体が動いていた。足蹴りしたんだけど、相手は複数人。拳を使わざるおえなくなった。案の定怪我をした」

「無意識に体が動くなんて無意識な親切な人なんだね。今、チビデブくんは?」

「今は、背が伸びて俺より高くなっちまった。しかも、痩せてイケメンになったよ。中学受験に成功して彼女もいるらしい。彼にはたくさん謝られたけど、塾を辞めた今も友情は続いてる」

「名誉の負傷だね。私は、誇りに思ってもいいと思うけど。あなたの両親は有名なピアニストだよね。やっぱり家族としては、音楽大学に行くのが普通だったりするの?」

「当然だ。俺は当初私立の音楽大学付属小学校から系列の中学校に入学した。でも、ケガのことがあって地元の公立中学に転校したからここにいるってわけだ。我が家では俺はお荷物になっちまった。ただ息をしているだけ。存在価値がない」

 クールで目つきが鋭い流我奏はこちらを見つめる。

「私でよかったら、あなたの生きるための犠牲に応じてもいいよ。ちょうど死んでもいいと思っていたから」

「っていうかお前、なんで死にたいんだ? 俺はくだらない毎日でもとりあえず生きる選択を望む選択をするけどな」

「色々嫌になったんだよね。父の会社が倒産して、貧乏になったの。親も機嫌が悪くてさ。好きなピアノもこんな夜中に旧校舎でこっそり弾くことしかできない。本当は音楽の仕事に就きたかった。大学も音楽科に行きたかった。でも、お金がないと厳しいよ」

「奨学金とかは?」

「大学の学費以外に、レッスン代がかかるし、今、ピアノを習うことも難しいのが事実。うちの親は音楽なんかにお金をかけなければよかったと思ってるみたい。音楽を毛嫌いしてる感じだよ」

「俺は、ピアニストにはなれないけど、生きていられるだけで幸せだって思うようにしてる」

 視線が泳いでいることに気づく。私の目はごまかせない。本音じゃないんだろう。

「嘘でしょ。私立に行っていた頃のあなたは見た目も真面目な学生だったと噂で聞いてるから。辛い思いをして、死にたいってずっと思ってたんじゃない? 今のあなたは生きる価値がないって思ってイメチェンしたとか?」

「俺の過去を知っているのか?」

 警戒した視線をぶつけられる。

「イケメン転校生が来たってクラスチャットで話題になってたよ。写真付きでね」

 ピアノコンクールに優勝した時の少し幼い顔立ちの流我奏の新聞記事をスマホで見せる。

「今とは違って髪の色は黒くて、落ち着いた髪型だし、目つきも今よりもずっと優しいよね。いかにも育ちのいいおぼっちゃんっていう感じだよね」

 写真を見て、客観的に述べる。

 ため息をつき、げんなりとした顔をされる。

 人の過去を勝手に調べることが喜ばしいことではないことはわかってる。

 あきらめた表情をしてゆっくりと話し始めた。

「人生の栄光はこの時だったのかもしれないな。全盛期はとっくに過ぎた。俺から音楽を取ったら、何も残らないよな」

 すごくマイナス思考!! なんとか救ってあげないといけないような気がする。

 私の中のおせっかいな精神が無意識に飛び出てしまう。

「人生の栄光ってまだ中学生だよ。ピアニストになれなくても、音楽療法士とか、ボランティアで老人ホームや児童館で弾くのもありだと思うよ。音楽はプロになるだけが全てじゃないし、学校の先生として音楽に関わることができると思うし」

「少し、調べてみるよ。小学校の先生って大学でピアノ必須らしいよな。でも、公立の小学校を見てると、体育会系の男性教師とかいるだろ。正直全員がピアノ弾けるわけじゃなさそうだけどな」

「生きる意味、見つけたんじゃない? 将来何者かになって音楽に関わること。その手段を探すこと」

 初めて話しているにも関わらず、心の奥底に秘めた悩みを打ち明け合っているような感じになる。

 自分には消極的なのに、流我奏には前向きな発言をしている自分に驚く。

「おまえこそ、旧校舎で自分のノートに辛いってことばっかり書いてるだろ。自分自身の生きる意味を探してみてもいいと思う。俺らはいつか大人になって独立するんだ。ずっと今が続くわけじゃない」

「生きる意味ね。そんな難しいこと考えると疲れちゃう。あなたは生きたい。私は死にたい。私が死を入れ代わってあげるよ。簡単なことでしょ」

「おまえのこと何も知らないけど、そんなに簡単に死を代わってもらうなんてできねーよ。そこまで人情は腐ってない。おまえのことをちゃんと知りたい。その上で決める」

 茶色いストレートの髪の毛が月夜に映える。

 漆黒の瞳。肌の色は白い。

 きれいな人だ。一瞬見惚れてしまう。

 やはり世の中は平等ではないと思う。

 美しい人とそうではない私。


「じゃあ、私にピアノを教えてくれる? 接していれば、私の人柄が分かるでしょ」

「別にかまわねーけど、最近ちゃんと弾いてないからな」

 流我奏は自身の指を見つめる。

「完璧なプロに習いたいわけじゃないの。私はただ、上手になりたいだけだから。交渉成立だね」

 じっとこちらを見られる。視線が痛い。

「ただ上手になりたいだけか……。いつからそんな気持ちを忘れてしまったんだろうな。俺はコンクールで優勝するために、将来はプロになるためにピアノを弾いてきたような気がする」

「あなたは生きる価値があると思うよ。とりあえず顔だけはいいしね。安心して、私、顔だけで人を好きにならないから」

 ムッとした顔をする。褒めているようで、けなしている言葉だからだろうか。

「今まで外見だけで好きだと言われることは多々あったけど、俺の何が好きなのか正直気持ち悪いなって思ってた。だから、好きにならないって言われたほうがずっと安心だ」

「好きにならないってことは保証するよ。あなたに比べて、私は顔がいいわけでもないし、ピアノも下手。この世界に生きる意味がないから」

「生きる意味がない人間っているのかな? たとえ犯罪者でも生きる意味はあると思うんだけどな。俺は死刑制度は反対派だな」

 生きる意味――深くて難しい問題だ。

 生きる意味がない人、価値がない人なんているのだろうか?

 死刑制度は人から生きることを奪う極刑だ。

 それがあるから、思いとどまる人間がいると想定している制度。

 合法的に人を殺めることができる制度が事実、存在する。

 生きる意味があるとかないとかより、私の場合、生きたくないと思ってるだけなのかもしれない。

 意味を探すことから逃げているだけなのかもしれない。

 毎日の辛さから逃げ出す自分が嫌い。基本的に自分自身が大嫌い。


「俺たちって、今日はじめてちゃんと話すよな? 近くにいても関わらずにすれ違う人間なんてたくさんいるよな。でも、俺がここにいることで話すことができた。実は大きなものを失った過去もある。俺たちって似た者同士じゃね?」

「私が流我くんと似た者同士なんてありえないよ。あなたは今でもスターみたいな存在じゃない? アイドルをやったら普通にこなせそうだし」

「いわれてみれば、おまえみたいなアイドルなんてそうそういないかもな」

 苦い顔をして、こちらを見て笑われる。本当に失礼にもほどがある。

 でも、外見だけ見れば、流我奏のような美しい容姿の人間に言われても諦めがつく。

「俺たちは、もっと生きる意味があると思うんだよな。例えば、花火で考えてみようか。単なる炎色反応なわけだけど、花火の一瞬の鮮やかさや輝きに心を躍らせる人がいる。だから、あえて花火大会を開催してたくさんの人が訪れる。形に残らなくても、心に残るってことが価値ってことなんじゃないか?」

「でもさ、私は美しくないよ。花火みたいに誰かを楽しませたり心に残るようなことはできない。生きる価値があるかって言われたら正直疑問形だよ」

「今、おまえは俺と話をしている。俺の心に記憶が残る。充分だと思うぞ」

「なるほど。価値なんて考え方次第なのかもしれないね」

 よくわからないけど、何となく認められたような気がする。

 旧校舎が残っていてよかった。流我奏と会話ができたことで、新しい扉が開けたような気がする。

 人生なんてそんなものなのかもしれない。小さなことが大きなことにつながる。小さな傷が大きな傷になるというたとえが分かりやすいかもしれない。小さな幸せが人生を大きく変えることもある。

「ちょっと弾かせろ」

 ピアノの椅子に座ると、ただの問題児のような風貌の男子が別人のように輝く。

 姿勢はぴんとしていて、弾く姿勢がきちんと身についている。

 指は細くて長い。細かい音色を指をくぐらせながら奏でる。

 よくもまぁこんなに指が動くものだ。

 子犬のワルツを弾いてくれた。本当に目の前で子犬が駆けているかのようだ。

 どうやったらこんなにも繊細でリズムが整った軽快な音になるのだろうか。

 子犬のワルツは可愛らしく繊細で美しい。

 私が弾くたどたどしい子犬のワルツとは大違い。

 本当にケガをしているのだろうか?

 弾き終わると右指をかばうような動作をする。ケガをした場所なのだろうか。

「どんなもんだ?」

 鍵盤から離れると、いつも通りのドヤ顔。横柄な態度に変化する。

 ピアノマジック? ピアノを弾いている時はまるで王子様の如く優しく丁寧な印象だ。

「本当にケガしてるの? こんなに弾けるなら、音楽大学行けると思うよ」

「長時間、このテンポで弾くことが難しいんだ。元々指の練習はしてるから、細かい音もリズムも何でも弾けるんだけどな。プロの壁は甘くない」

「先生って呼んでいい? こんなにピアノが上手ならピアノ教室の先生になればいいと思う!!」

 目の当たりにして思う。才能がある人だということを。才能は平等ではない。容姿同様に。

「先生呼びは苦手だ。奏と呼んでくれ」

「呼び捨てで呼んでいいの?」

「かまわない。だって、俺の代わりに死のうと申し出てくれた人だしな」

 やっぱり近くで見ると一段と美形だと感じる。薄暗い電気の下でピアノを奏でる美形男子。天才肌なのも人気がある一因だろう。彼には華がある。

「俺の代わりに死ぬ価値があるか見極めたい。いい場所を見つけた。これから夜中にここで落ち合うぞ」

「うん」

 一人ぼっちの夜は二人きりの夜に変わった。

 薄暗くなる夜は人を不安に掻き立てる。いつも一人でいることに耐えきれなくなって外に飛び出した。

 田舎町では繁華街なんてないし、若い人が集える場所もない。

 でも、自分が好きな楽器にこっそり触れられる場所は孤独から救ってくれた。

 人と触れ合うことができないから対象が楽器だったのかもしれない。

 孤独と不安に押しつぶされそうになる夜を救ってくれたピアノ。

 こんな形で誰かと関わるなんて思わなかった。どうせ孤立していることは自覚していた。

 でも、私がこれだけで幸せになれるとは思っていない。どうせ家での時間がある。それは、とても苦痛な時間だから。

「なぁ。死ぬのを代わってくれるのなら、死ぬまで仮の恋人になってくれないか?」

「は?」

「転校してきてから、何人にも告白されて、正直困っている。断った理由を聞かれても相手を悪く言うのも気が引ける。既に付き合っている人がいると言えば簡単に断れるからな」

「死ぬ権利を渡してくれる代わりに恋人になってほしいということかぁ。私もあなたみたいな人は好みじゃないし、どっちでもいいけど。ピアノを教えてくれるならいいかな」

「どっちでもいいのか。じゃあ、付き合うしかないな。とは言っても交際は表向きだけだからな」

「当たり前だよ。本当に付き合うのは私も嫌だし」

「あえて一緒にいるのはみんなにわかる場所でな。付き合ってるっていうのをアピールするんだ」

「なんか嫌かも」

 一瞬がっかりした顔をする。結構顔に出るタイプらしい。

「地味に傷つくな。ちなみに、おまえの死にたい理由をきいていいか?」

「それ、話してもあなたにメリットがあるとは思えない」

「おまえはメリットがあるとかないとかで決めがちだよな。生きることにメリットがないとかそういう話か?」

「元々私は持病があって、そんなに長く生きられない。だから、長生きできるあなたに生を譲った。これなら、納得?」

「そっか」

「反応薄いのね。たいていの人は可哀そうだとか行き場のない同情をぶつけてくるんだけどね」

「そういう理由ならば、代わってもらうのも致し方ないかもしれないな。でも、おまえの価値を分かった上で死んでほしいな」

「何それ。とんだおせっかいだなぁ。でも、持病があるって言うのは嘘だよ」

「そりゃあよかった。まぁ、嘘だろうなとは思ってた。おまえ、顔に出るから嘘はすぐわかるんだよな。価値があるからこそ、死んだら人は惜しい人を亡くしたと思うんだ。クラスメイトなんだから、それくらいのおせっかいはさせてくれ」

「無価値で無気力な私に価値を見出したいという神々しい理由をつけるなんて、あなた、見た目よりもずっと人としてちゃんとしてるのね」

「無価値なんて自分でいう人間に生きていてよかったって言わせてみたいっていう天邪鬼な性格が災いしているらしい」

「あなたは価値がある側の人間だもの。全ての人に価値があるって思ってるタイプ。でも、私みたいに不幸が重なってしまう人間もいる」

「気に入った。俺の彼女として合格だ」

 頭にぽんと手を乗せる。ピアノのオクターブが余裕で届く大きな手。男子なんだなと納得する。

 大きな手に憧れる。私の手は小さいからオクターブを弾くときにぎりぎり届くかどうかという感じだから。

「なりゆきだから、愛情は持ってないけど」

 一応確認しておく。

「お互い様だ。おまえ、面白いな」

 変な奴だ。会社が倒産して家は貧乏でいじめられているという私に面白い?

 かわいそうの間違いじゃないのだろうか? 冷静に突っ込みたくなる。というかこの人ツッコミどころ満載じゃない?   

 なんで私なんかと一緒にいるのだろうか。

「俺様に死に際に音楽を習うことができるなんて、実におまえは幸せだと思う」

「はぁ?」

「その冷めた瞳も悪くない。変に恋した瞳を向けられるよりずっと快感だ」

「快感だなんて感じてること自体、変な奴」

 私のテンションは低空飛行だが、この人は、冷静の中でどこかハイテンションな気がする。

 冷めているのに楽しそう。不思議な雰囲気を纏う人間がいたものだ。

「俺の名誉の負傷に同情してもらいたかったんだけどなぁ。おまえは全然同情のカケラもないな」

「命に別状はないわけだし、私よりピアノも上手だし、人気もある。同情の余地はない。プロになれないから不幸だなんて不幸のレベルが低すぎるのよ」

 つい、腕組みして話してしまう。

「不幸自慢する気はない。でも、たしかに挫折して生きるのはきつい時期はあった。転校する前の時期はマジで苦しかった。だから、告白されても恋愛してる気分じゃないってのが本音だ」

「その気持ち、理解した。極力あなたが生きやすいように協力するよ。私はあなたを好きにならないから安心して」

「俺は今まで、音楽が恋人だった。それに、おまえみたいな冷めた瞳の根暗女子に同情でも愛を捧げることはないから安心しろ」

 何気に毒気のある言葉を次々放つ。思った通り、結構、口は悪いようだ。

「早めに死ねるほうがいい。いつ死ぬかわからないなんて、その方がずっと嫌だから」

「そちらの事情も理解した。これから、よろしくな。織川美音(おりかわみおと)。美しい音と俺の奏でるという名前は合わせるといい感じになるな」

「美しい音を奏でるってことね。まぁ、私は美しい音とはかけ離れたタイプだけどね」

「充分美しいよ。皆、美しいと思うよ」

「……そうかな」

 なんだか照れる。皆の中に私がいる。

「生きる意味、ノートに書かないとな。織川美音にピアノを教える」

 ノートにペンで書いている。

「ハノンの楽譜持ってきた。お前は基本はできているから、このあたりから練習しておけ」


 ハノンは指の練習の基本となる伝統ある楽譜だ。たしかに、私は後半部分をやっていない。だから、応用レベルの子犬のワルツは指が追い付かない。

「そろそろ、帰らなきゃ。親にバレると困るから」

「俺は見放されてるから、夜出かけても文句すらいわれないな」

「自由でいいけど、ちょっと寂しいかもね」

 夜風がきもちいい。背伸びをする。

「送ってくよ。女子一人でこんな真夜中に歩いてたら危ないだろ」

「ありがと。案外優しいんだね。案外でもないか。名誉の負傷を負うくらいだしね」

 つい笑顔になる。ずっと誰かと話がしたかったんだ。正直、誰もいない夜道はずっと心細かった。

「また明日」

 同時に言葉が出る。自宅の前で奏と別れる。

 見た目に反して案外優しくて話しやすい人だ。


 翌日、彼と中学校の教室で視線が合った。

 夜中とは別人みたいな感じがする。

 もしかして、昨日の出来事は夢ではなかったのだろうか?

 奏は、相変わらずやる気のない様子であくびをしてワイシャツのボタンは第二ボタンまで開けている。

 秘密の時間を共有する仲間がクラスにいるということは、どこか今までとは違った。

 女子の陰口はしょっちゅうだ。そんな時、さりげなく奏は話題に入り、話題を逸らしていた。

 案外気遣いができる人なのかもしれない。

 クラスで授業中にグループを作る時、私にとって悪魔の時間となる。

 先生も少しは考えてほしい。仲良しな人がいない人がどんなにみじめになるか。

 同じグループになる人がいない私を奏は積極的に誘ってくれる。

 本当は他の女子たちが奏と一緒になりたい様子だ。

 二人では人数が足りない。そんな時、

「俺らのグループに入りたい奴いる?」

「織川さんがいないなら、私たち、流我くんと一緒に活動したいな」

 あからさますぎる嫌がらせの言葉を投げつけられた。地味に傷つくな。

「俺ら付き合ってるから、それは無理」

 さりげなく、昨日の偽交際宣言をする。突然のことに、こっちは心の準備ができてないんですけど。

 唐突すぎて、私の心臓が破裂しそうになる。嘘だけど、一応昨日契約しているからやっぱり夢ではないのかな。

「付き合ってるの?」

 奏を本気で狙っているクラスで一番かわいい芽咲(めざき)さんが驚いた様子で声を荒げる。

 他のクラスメイトも「マジか」などとヒソヒソ話をする。

「付き合ってる宣言をしたってノートに書いとかないとな。寿命が延びるらしいから」

 耳打ちする奏。

 私はそれどころではなかったけれど、彼にとって私と付き合うという偽の恋人宣言するメリットが本当にあるのだろうかは疑問だった。でも、私にとってはメリットとなった。怖い雰囲気の流我奏が恋人だから、いじめたら何をされるかわからないという噂になっていた。前の学校でケンカが原因で転校して来たらしいということは、暴力沙汰もありうると思い、男子も女子も下手に私の話題に触れなくなった。


「俺の彼女になってよかっただろ」

 その日の夜も旧校舎で落ち合う。

「ありがとう。奏のおかげで今日はいじめられなかった」

「俺がバックにいれば、ずっといじめられないって。まぁ、何かあったら俺が黙ってないけどな」

「用心棒みたいなセリフだね」

「みんな俺のことが怖いんだよ。悪い噂もあるからな。俺は転校生だろ。知らないことが多い人間のことは怖いんだと思う」

「田舎の小さな町だから、みんな小学校から知ってる人ばかりだから、閉鎖的なところはあると思う。この前借りたハノンの練習してみたよ。やぱりテンポを決めて早く弾くと指がもつれるんだよね」

「じゃあ、今日は出だしのところをレッスンしてやる」

「相変わらず俺様な態度だなぁ。ピアノを奏でている時は王子様みたいに見えたのに」

「王子様に見えたかぁ。惚れるなよ」

「惚れませんけど」

 つい頬がピンク色に染まってしまう。この人は、恥ずかしくなるセリフを簡単に言う。

 アイドルみたいな童顔で整った顔立ちだから、外見だけで好きになるという女子がいることは納得だ。

「満天の星空の下にいると、何か思い出さないか?」

 練習後、一緒に帰っていると質問された。

「毎日一人でここに来ていた時のことは思い出すけどね」

 一瞬残念な顔をされる。何か期待されていたのだろうか? 何て答えればよかったのだろうか。

 奏は実はとても繊細な性格なのだろうと一緒にいて感じることが多々あった。


「星空の下を一緒に歩いている。星空を美しいと感じ、想いを馳せる。これ、生きる意味になるよな。ノートに書いておくよ。これで俺の寿命は延びるってことだ」

 いつも楽しそうにしている。ピアノを以前のように弾けないにもかかわらず、なぜそんなに楽しそうにしているのだろう?

 次の日も、また次の日も。晴れの日も雨の日も。私たちは旧校舎でピアノを奏でた。空は漆黒の真夜中。

 本当は不気味なことが起きそうな時間帯だったけれど、私たちにとってはとても自由で、その時間だけは生きていることを実感する。どこまでも美しい時間帯だったと思う。私のピアノの腕前はあがったし、二人の距離は近くなっていた。

「これならば、俺の代わりに死んでもらってもいいかもしれないな」

 最初の約束を十日後には快諾してくれた。

「奏の代わりにならば、私は死んでも構わないよ。もし、大人に見つかってしまって、この時間を取り上げられてしまったら、私は生きている意味を感じないから」

「大丈夫だよ。スマホがあるだろ。俺たちは、いつでもメッセージでつながることができる。形が変わってもこの時間は永遠だ」


 この言葉を交わしたその日――。虫のしらせだったのかもしれない。

 見通しが悪い細い道路を歩いていた私たち。歩道がきっちり整備されていない田舎道で想定できるような事態が起きた。歩行者と運転者の信頼関係で成り立っているような細い道路。でも、こんなことを想像してもいなかった。人は最悪な事態を想像できないものなのかもしれない。

 自動車が私たちめがけて走ってきた。このあたりは高齢者が多い。

 紅葉マークがついた自動車はブレーキとアクセルを間違ったのか急発進して私たちの目の前に飛び込んできた。

 車が道のない森に向かって飛び込んでくる。

 もしかして、予知ノートの効果は本物なのかもしれない。

 本当に事故を予知していて、入れ替わった私は死ぬのかもしれない。

 死ぬのはやっぱり怖い。私たちはどうなってしまうの?

 もっと一緒にこの時間を過ごしたかった。思わず体が固まって動けない。目をつぶってしまう。

 人は逃げなければいけない事態に陥った時に、体が動かないものらしい。

 私の目の前に奏が現れて、私を森のほうへ押した。

 つまり、彼は犠牲になった。

 目の前で倒れている彼のことがとても心配になる。

 どうしたらいいのかわからない。腰がぬけてしまったらしい。うまく体が動かない。

 車から高齢の男性が出てきた。

「大丈夫か? 救急車呼ぶから。あとは、警察に電話する」

 男性は持っていた携帯電話を使い、手を震わせながら番号を押していた。

 通報すらできない自分がどうしようもなく嫌になる。

 あぁ、自分なんかのせいで奏が事故に遭う。

 私なんかが無傷で生きてる。

 私は生きる価値なんてないのに――。

 ごめんね、奏――。

 無力な自分に対して、涙が流れた。

 その後、救急車で奏は運ばれた。思ったほど出血はない様子だ。

 警察が来て事情聴取が始まる。ケガを負った奏の両親はもちろんだが、未成年が深夜に出歩いていることに対して指導ということで、保護者が呼ばれた。

 私たちの至福の時間は終わってしまった。


 奏は大丈夫だろうか。

 警察の人からの一報を待つ。

「流我奏くんは、命に別状はないとのことだ。念のため検査入院することになった」

 その言葉に温かな涙が頬を伝う。

「ケガのこともあるし、流我くんの保護者には病院に向かってもらった。加害者の男性は高齢ドライバーで、暗がりに人がいるとは思わず、ぶつかりそうになり、驚いた拍子にブレーキではなくアクセルを踏んだらしい。でも、流我くんは君をかばって、自分自身も横に逸れて受け身を取ったから一大事を防ぐことができた」

 警察の人の言葉をなんとか呑み込み、理解を促す。

 普通の日本語が入ってこないくらいパニック状態に陥っていた。

 頭は真っ白で、かろうじて言葉が入ってくるというところだろうか。

 私は案の定、警察官にも親にも教師にもこっぴどく怒られることとなった。

 勝手に深夜に家を抜け出していたことも、親と学校にばれてしまい、深夜に抜け出すことは無理となった。

 そして、旧校舎に勝手に出入りできないように鍵を掛けられてしまい、セキュリティー会社と契約をされてしまった。半年もしないうちにあの校舎は取り壊されるらしい。そして、グランドピアノは駅に寄付されることとなったらしい。前々から寄付の話があり、旧校舎にとりあえず置いていたとのことだ。古いけれど、大切に使われていたせいか傷も少なく破損もない。状態が良くまだまだ使えると判断されたらしい。


 誰でも弾くことができる駅校内のピアノを時々弾きに行くことができる。

 大人になっても、触れていることができる場所が田舎町にできた。

 私のことを察した音楽教師は放課後に教室が空いている時はピアノを使ってもいいと提案してくれた。


 しばらくは謹慎処分となり、学校は自宅学習という名の停学となった。

 男子と二人でいたことは、まじめな娘だと思い込んでいた親に衝撃を与え、私のことをもう一度よく考えるきっかけになったようだ。

 音楽をやりたいなら、協力するという姿勢を見せてくれることとなった。

 以前は興味もなさそうだったのに、過保護になった。

 親も愛情の伝え方が苦手な人間だったのかもしれない。

 想像以上に親である義務感はきっちり持ち合わせていた。

 会社が倒産して後ろめたい気持ちが父は大きかったようだ。

 母は新しく仕事を始めて忙しくなり、私と接する時間が減ったせいだと嘆いていた。


 奏はたいしたケガはなく主に打撲や擦り傷だったらしい。

 私の命を助けてくれたということもあって、親も命の恩人だと奏のことは良く思っているようだった。


 ほとぼりが冷めた頃、退院した奏と放課後、音楽室で落ち合った。

 この中学校は合唱部も吹奏楽部もない。元はあったらしいけれど、少子化で生徒の数が減ったので、廃部となった。

 部活の数も少ないし、入部は強制ではないので入らないという生徒も割といる。

「助けてくれてありがとう」

「目の前の人間を助けるのに価値や理由なんていらないからな」

 本当にイケメンなセリフを言う人だ。親切で優しい命の恩人。


「実は、音楽制作をするのに同好会として、音楽室を使いたいと音楽の先生に言ったんだ。若い先生だし、音楽室で楽曲を制作することに快諾してくれたんだ」

 真夜中の旧校舎ではなく、私と奏は放課後の音楽室で音楽活動を始めた。

 歌ってほしいと言われ、声を出したり、ピアノを弾いたり、配信の内容は多岐にわたる。

 奏がしばらく学校を休んでいる間にハノンで指の練習はばっちりで、指の小回りが利くようになった。

 子犬のワルツを奏に聴いてもらう。

 髪の毛をわしづかみにされて、すごく褒めてくれた。なんだか嬉しい。


 そんな時、奏は想い出を話し始めた。

「美音は覚えていないかもしれないけどさ。俺がこの地域で投身自殺で有名な岬に行った時、美音に会ったんだ。まだ、美音の親の会社が倒産する前で、家族で旅行に来ていたよな」

「そんな時もあったね」

 小学生最後の夏休みの家族旅行を思い出す。あれから、あっという間に人生が変わった。

 毎年近場にキャンプに行っていた。美しい空はお金では買えないと良く聞かされた記憶がある。

「星がきれいな夜で、親が別な場所にいたらしく、美音は一人で散歩してたよな」

「もしかして、あの時の男子?」

 まだ小学六年生だった時に、出会った美しい男の子。印象深い暗闇での出会い。

 でも、ロマンチックな出会いじゃなかった。

 なぜならば満天の星空の下で彼は絶望していた。

 あの時、奏は既にケガをしていたのだろうか。

 中学に入る前に進路に悩んでいたのだろうか。

「音楽大学付属中学に入るか、地元の公立に入るかすごく悩んだ。公立中学に行ったら今までやってきたことが無駄になるかもしれない。それが怖かった。親は楽器じゃなくて作曲の方面も勧めてきた。だから、一旦音楽大学付属中に進学した。でも、ケンカした過去のことで、評判はガタ落ち。元々真面目な生徒が多いからな。先生にも腫れ物扱いされてた。俺が崖から身を投げ出そうとしたとき、価値がない人間なんていないから、とりあえず飛び降りないでほしい。ここで出会ったのも何かの縁だから、生きていたらまた会えるかもっていわれてさ」

 そんなこと、言ったかもしれない。正直あの時は目の前で死にそうになっている人間を助けるために、パニックになりながら、とりあえず言葉を並べた。

 おせっかいな性格が発動して、目の前の人が生きられるような言葉を探した。

 知らない人だけれど、死んでほしくないと幸せの中にいた私は願った。

 自らが死にたいなんて思うことはないとその時は確信していた。

 だからきれいなセリフを並べて優等生面していたように思う。

 いつの間にか、今の奏と私は当時とは逆の立場になっていて、彼なりに私を助けようと模索してくれたのだろうか。

「ずっと命の恩人を探していた。あの時は、美音の全身からオーラが溢れていた。光を纏ったすごい女子がいるもんだと感心したんだよ。歳は同じくらいだったから、地元の中学にいないか毎日通って顔をひとりひとりじっと見て、織川美音を見つけた。でも、今度は美音のほうが、光を放ってなかった。だから、おまえの行動を観察して、夜中に旧校舎にいることを突き止めた」

「つまりストーカーってこと?」

「身も蓋もないことを言うな。俺はお礼を言いたかっただけだよ。結果的に嘘を並べて近づくことになったけれど」

「じゃあ、付き合おうって言うのも計算の上?」

「そうなるな。もちろん、予知ノートなんていうのも俺が作った嘘だ。もう一度、美音に輝いてほしかったからさ。まさか本当に交通事故に遭うなんて思いもしなかったけどな」

「たしかに。一瞬本物の未来予知ノートなのかと思ったよ。でも、あの時は、本当にありがとう。一生命の恩人だと思って感謝するよ」

「未来予知ノートならば、願望を書いてみたらかなうよな?」

【流我奏と織川美音は両思いになって共に音楽を通してずっと愛し合う】

 ものすごく恥ずかしい。この願望は私のことを好きだという証なんだよね?

 半信半疑な気持ちになる。

 しっかり私の目を見つめる奏。

「俺が今生きる目的は、あの時の少女に会って、気持ちをちゃんと伝えることに変わった。だから、この中学校に転校することを決めたんだ。おまえの内面を知ってもっと好きだと思った。だから、恋人のフリじゃなくて本物の恋人になってほしい」

 いきなりの告白に頭の中はパニック状態になる。

「少し考えさせてよ。最初は恋人のフリでいいって言ってたのに、あれは本心じゃなかったってこと?」

「いきなり付き合ってなんて言ったら警戒されるだろうし、実際話したこともない人だったから、もっと良く知ってから本心を話したいと思ったのもある。一緒にいないと気が合うかどうかなんてわからないしな」

 赤面が止まらない。嬉しいし、びっくりする。

 自分とは不釣り合いだと思えるような人から告白されている。

 本当にこんなことってあり得るの?

 無意識に行った親切がこんなにも人の人生を変えるものなの?

 パニックになる。

「今すぐ付き合うって言ってくれなかったら、この告白無効ってことにしようかな」

「え? だめだよ、私も好きなのに!!」

 しまった。つい、無意識に言葉が出る。

「人は思ってることを今すぐ決めないとダメになると即決断できるものなんだよな。無意識な親切ってのは本来の人柄が出るものだ。だから、知らない人に一生懸命生きるように説得した美音は絶対性格いい奴だって思った」

 優しげな瞳は嘘偽りがない。

「私でよければ、よろしくおねがいします」

 お辞儀をする。

「美音じゃないとダメなんだよ。俺は、指をケガしたおかげで美音に出会えた。これは代償なのかもしれない。人は全てほしいものが手に入るわけじゃないから、俺は美音と付き合えるならこれ以上の幸福はない」

 これ以上の幸福はないのは私の方だ。

 今まで男子に告白されたこともないし、告白したこともない。

 いじめられて、嫌われて、家は貧乏。

 いいことなしの私。

「私なんかでいいのかな?」

「美音しかダメなんだよ。私なんか、なんて自己肯定感の低いことを言うなよ」


 この人の声は落ち着く。はじめは鋭い目つきだと思っていたけど、気づけばいつも優しいまなざしを向けてくれる。

 そばにいると心が温まる人だ。何より、私を想ってくれるのは最高に嬉しい。

 大きな手に包まれる。ケガをしたという細くて長い指は私の髪の毛をそっと撫でてくれる。

 この人は自分の身を挺して人を助けられる人なんだな。

 私のことを無意識の親切心から助けられる勇気ある行動ができる人。


「俺、今すぐにできることから始めるよ。退院してから音楽の動画配信を始めたんだよ。クラシックじゃなくて、十代の普通の人がすぐに馴染める音楽を創作してる。パソコン使うの元々好きなんだよな。イラスト書くのも好きだし、今まで描いたものを動画に使うことにした。作曲は大学に入らなくても今からできるからさ。それに、みんながすぐ手に取れる音楽のほうが、親しみやすいだろ。音楽は生活の中のふとした瞬間に自然とあるべきだと思うんだ。本当に作曲を大学で学ぶかどうかはこれから考える。普通高校から作曲科のある大学を受験することも可能だからな。今はネット発の小説家とかミュージシャンとか、ネットでお金を稼いでる人間もいる。自宅からプロになることは充分可能な時代だ。人に聞いてもらえるチャンスは自分で作ることができる。世界に発信できる今の環境は平等の時代だと思ってる」

 もうすでに奏は行動している。理想的な生き方だ。

「私は、趣味でずっとピアノを奏でられたらいいな。それが夢。お金を稼ぐための仕事はまだ決まってない。でも、趣味は持ち続けたいから」

「音楽という目標を持ち、一緒に生きていこう。もし、死にたくなったら俺がいるから立ち止まれ」

「奏がいたら、死ぬ選択肢はないよ」

「ずっと俺たちは一緒だ」

 私たちはまだまだ未熟で青いのかもしれない。考え方が甘いのかもしれない。

 でも、一緒にいれるだけで私たちは幸せなんだ。音楽で私達は繋がった。

 

【ずっと一緒にいられますように】

 願望をペンでノートに書く。

 私たちはこれからやりたいことをノートに書くのが習慣となった。

 書くと願望が本当になるような気がしたからだ。

 絶望して、死にたかった奏に生きるように説得した私。

 絶望して、死にたくなった私に生きる勇気をくれた奏。

 実はお互いがおせっかいな性格で、無意識に親切なことをしてしまう。

 本当に笑えるくらい似た者同士だということにも気づいた。

 その過程には音楽があった。

 私達は音楽を奏でるために生きていく。

 プロにならなくとも音楽は平等に存在する。奏でるピアノの美しい音色に今日も生きている幸せを感じる。

 私のかたわらには笑顔がまぶしい奏がいるのだから。


 お互いがいなければ、今、欠けていたかもしれない命。

 生きる価値も意味もなんとなくしかわからない。

 でも、死ぬかと思った瞬間はとてもこわかった。

 奏を失うかもしれないと思った瞬間のほうがずっとこわかった。

 きっと無意識に私は生きていたいと思っていたんだ。

 生死を自分で選択するなんて贅沢な話だと思う。

 いつか必ず人は死ぬ。

 そんなことはわかりきってるのに、人はどうして生き急ごうとするのだろうか。

 人という字は支え合って成り立つという話を小学生の時の授業で習った。

 その話はあながち間違ってはいないと思う。

 実際、一人の人間に助けられて今がある。


 もし、本当に予知ノートがあっても、内容を知らないほうが幸せなのかもしれない。

 なぜならば、必ずしも幸せな結末とは限らないから。

 知らないからこそ、人は希望を持って明日を迎えることができるのかもしれないと思う。


 今日も奏と音楽活動をする。

 ずっと一緒に音を奏でる。

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