兎にも角にも、サイズが大切
私は縦にも横にもでっかい人間だ。古着屋さんでサイズが合う着物に出合うことは滅多にない。
なので着物生活を始めたころはリサイクルは帯を中心に探し、着物は浴衣やウールの反物を買って自分で縫っていた。
男物の細かい柄の浴衣の反物で女物の着物を縫うと、襦袢を着て半襟を出せばシックな単衣になることはうれしい発見だった。染めやざっくりした素材や博多の名古屋帯を男反物浴衣に合わせると結構ちゃんとした着物に見える。自分で縫えばサイズ調整もできるので、だんだん自分に合った身幅や抱き幅や繰り越しや身八つ口の長さがわかってくる。そうして自分に合った着物を着ていれば襟も裾も決まるし、踊ろうが働こうが着崩れることはないのだった。
そうして自作の着物を着れば着るほど、結婚したときに当時の行きつけの呉服店が作ってくれた着物の凄さが身に染みてよくわかった。
プロが作った私だけの着物は、今より体重が10キロ軽いときのものだというのに、襟は決まるしおはしょりは一発できれいに処理できる。
これらは式典服なので滅多に着ることはないが、私の一生を考えて作られているのだ。
私が結婚後どんな席に出てどのような集まりに呼ばれてどのような式典が待っているか。そのさい体形はどう変化してしまっているか、それらすべてが考え抜かれて仕立てられている。
和裁士の腕前って、なんと素晴らしいのだろうか。
結婚の際の着物の中に綿コーマの浴衣が一枚あったが、経年劣化してある日いきなり破れたから処分した。だが絹の着物はびくともせずに、依然として出番が来たら役割を果たしてくれている。
なんと素晴らしい技術が、なんと長生きしてくれていることだろう。これらのおかげで今後私は何があろうと、たとえ皇居に行くことになったとしても、衣類に不自由することはないようにと作られている。
もうその呉服店は二十年も前に廃業し、店主も鬼籍に入ってしまった。
もちろんこんな時代だから今後これらの着物が災害や戦争で失われることはありうる。だが私はあの小さな呉服店の素晴らしい仕事を、決して忘れることはないだろう。