透ける着物の襦袢袖
雑誌のグラビア撮影は、発行日の何ヶ月も前に行われる。
数年前の着物雑誌七緒の浴衣と下駄の特集は、下駄で走ってみて、動きやすい下駄を検証する内容だった。写真の背景は浅草だったが、なんと隅田川は桜満開、屋台が出ている風景だった。
浴衣に裸足で下駄の撮影を、3月にやったのだ。
モデルさん達はさぞかし寒かった事だろう。
さて。
このように我々が読む雑誌の浴衣や夏着物のページは、冬や春に撮影されたものが使われている。
ほんとの夏が写っている写真ではないのだ。
夏に撮影されたわけではないからこその、着物から透けて見える襦袢の涼やかさや、蝉の羽のような薄羽織の優雅さである。あれをほんとの夏にやるとなるとそれは余程の事だ。スタンダードを示しているグラビアとは言い難い。
数年前、権威ある着物雑誌に、絽の着物から筒袖レースが透けて見える着付けが紹介されて、私は本当に嬉しく思った。
ネットなどでは批判する声もあったが、涼しい地域の人が書いているんだろうと気にならなかった。
私は、夏着物の襦袢の袖が筒袖やレースならばたとえ町着でも許さないような人からは、なるべく距離を取りたいと思っている。
そんなものはTPOで決まるのであって、夏に着物を着る場合絶対に守らなければならない決まりではないと思う。
たとえ結婚式に出る場合であってもだ。
勿論、前泊できてずっと冷房完備の会場に居られてタクシーで帰宅できるなら長襦袢を着ればよい。ひょっとしたら袷の留袖や訪問着でも耐えられるかもしれない。
しかし冷房などない神社で昇殿する式をする人もいるのだ。
そこに家から駅まで歩いて電車に乗って出席する友人が、夏着物の袖から筒袖襦袢が透けていても誰が責められよう。
着物の襦袢の袖の形を粗探しの対象にするのは人の道に反していると私は思う。気温や立場を考えて、実行可能なものにすれば良いのだ。暑さは命にかかわる。本来和装は風を通す健康的な衣服だ。その機能をマナーや格にかこつけて阻害してはならないと思う。