スマホを触る事を行動と言って良いのだろうか。
早速、俺とアズマ君はアプリを取得し、登録の手続きを行うことにした。
「シン君、君はどんな女の子とお付き合いしたいと考えているんだい」
アズマ君が言った。まるで、故郷を旅立ち遥か地平を見つめる冒険者のような眼差しでスマホを眺めている。
「そうだな、俺はやっぱり年上がいいかな。しっかりしてて、落ち着いててさ」
「えっ、シン君って年上が好きだったの」
「いや、好きってわけでもないんだけど、なんとなくね。年下でも年上でもどちらでも良いかな。可愛くて優しければ」
「それもそうだね。可愛くて優しくて、スタイルが良ければ言うこと無しだね」
「そうそう」
「胸とお尻はどっちが重要かな」
「そりゃあ、胸だろう」
「そうなの、お尻も捨て難いと思うけどな」
「ううむ、言われてみれば捨て難い」
「捨て難いよね」
結局、俺もアズマ君も乳かケツかについて話し合うばかりで、登録の手続きは一向に進まなかった。俺にはなぜこんな状態に陥っているのか分かる。それは、このマッチングアプリという物、登録すること自体にまあまあ勇気がいるのだ。
何が難しいわけでもない、登録自体に多額のお金が必要なわけでもない。ただ、これを始めるのに踏み切らなければならない一線が有るというか、気軽にポンと登録できない恥ずかしさみたいな物が確かに有るのだ。
「でもさ、シン君」
アズマ君もきっと同じ気持ちに違いない。何か言いたそうにしている。
「どうしたの」
「いや、誘っておいてこんな事を言うのは変なのかもしれないんだけどさ、俺は今こんな気持ちなんだ。登録してしまったら、俺は自分で『私はモテない男です』って宣言してしまうようなモノなんだろうな、って」
「ああ、アズマ君、その気持ちすごく分かる」
「分かるよね。さっきから個人情報入力画面から先に進めないんだ。今まで、見ないように見ないように努力してきた現実を直視しなければならない局面ってやつだよ」
「アズマ君、今やっと君の意図が掴めたよ。君は過去に一人でこの局面に立って、とうとう一歩を踏み出せなかったんだね」
「ぎく」
「それで俺に声をかけた、そうだろう」
「そ、そんな事は」
「いや、良いんだ。俺も同じ気持ちだし、俺が君だったら同じようにしたと思う」
「そうか、それなら良かった。じゃあ、こういう時はお酒を激しく飲んで、気が大きくなった自分達にどうにかしてもらおう。もちろん俺一人の時でも、何度もこの方法を試したんだけど、一人ではどうもお祭り感というか、正気を失ってしまえる程には至らなかったもんだから」
「そうしようそうしよう。今日は俺と君のマッチング祭だね」
「そりゃあ良い。今日はお祭りだね、二人でアホになって、バシバシマッチングしていこうじゃないか」
俺とアズマ君は一刻も早く気が大きくなろうと、ウイスキーとジンをグラスに生のままぶち込んで激しく飲んだ。それでも、勇気は出なかったので、同じ飲み物をもう一度飲んだ。幾らか頭が変になる感じはしたものの、個人情報を入力するには至らず、お互いの煮え切らなさにイライラし、これでもかと互いのグラスにジンを注ぎ合うだけの混沌とした状況になってしまった。部屋の風景とアズマ君の顔とアプリの画面がぐるぐる回りだし、いつしか俺の記憶は途切れ途切れになっていった。
俺はこれからどうなるのだろう、アズマ君は、俺の彼女は、一体どこへ行こうとしているのだろう。夜は更けていく。幸い明日は休みだ、何がどうなろうと知った事じゃない。最後の記憶は、アズマ君が世界最後の夕焼けみたいに赤い目をして、ありとあらゆる卑猥な言葉を吐きながら、俺のスマホで何か文章を入力しているというおぞましい光景だった。
全ては終わった、始まりもせずに。
計算が外れたのを知ったのは、朝になって便器の中で目が醒めた後、嫌な予感を辿ってスマホを見つけた時だった。
アズマ君はベランダで倒れている。どうやら二人とも飲み過ぎて酔いつぶれたらしい。あんな飲み方をすれば当たり前だ。思い出すだけで背筋が冷たくなり胃酸がせり上がる、自殺に等しい飲み方だった。
冷蔵庫からお茶を取り出して一気に飲む。酒の瘴気が漂う胃と食道をお茶が洗ってくれる、少しだけ気分が良くなる。
アズマ君はベランダで死体のように横たわっている、生きているのか死んでいるのか、本当にどうでも良かった。
そういえば俺は昨日からマッチングアプリを始めたはずなので、スマホを手に取り、何がどうなっているのかチェックすることにした。
「ん?!」
自分自身のプロフィール欄を見て、俺は思わず言葉を失った。そこには信じられない文章が記載されていたのだ。
「スッポポーン!観測不能の銀河より時空ののトンネル、ワームホールを潜ってやって来た愛のインベーダー・シンです☆よろしく!彼女が欲しくて地球まできちゃいました!うひょひょ。寂しく孤独で卑屈な僕の太陽になって下さい。一緒にアツい宇宙旅行に出かけませんか?気軽にお声かけ、お願いシマス!ストライクゾーンは無限大、アウトコース低めのボール球すら余裕で捉えます!」
冷や汗が止まらなかったのは、二日酔いのせいじゃない。
俺はベランダに飛び出し、アズマ君の胸倉を掴んで叩き起こした。
「く、苦しいよシン君。何をするんだ」
俺はスマホのスッポポーンを見せながら、アズマ君に言った。
「こ、これは一体何なんだよ。君だろう、この腐ったような文章は」
「げほっ、げほっ。おええ。何、何だって?」
「俺のアカウントのプロフィール欄に、めちゃくちゃな自己紹介文を書いたのは君だろうと言ったんだ」
「え?ああ、それは僕が書いたよ。覚えてないのかい、君が僕に書いてくれと頼んだんじゃないか」
「ああ、言われてみればそんな気もするけど」
「それで何て書いてあったの」
俺は何も言わずにもう一度プロフィールを見せた。
「なんだこれ。あはは、こりゃ酷いや。これ僕が書いたのか」
「笑いごとじゃないよ。どうしてくれるんだよ、こんな無茶苦茶な自己紹介をして。私は変態ですって言ってるようなもんじゃないか。誰が俺と会って話してみたいなんて思うのさ」
「まあまあ、酔ってた時のことだしさ。もう一度書き直せば良いじゃない」
俺はその言葉を聞いて、二度とアズマ君に何か重要な用を頼むのはよそうと思った。呆れた男だ、こいつは。ごめんの一言も無ければ、申し訳なさそうな顔すらしない。まあ、確かに元はと言えば酒の勢いで彼に心臓を握らせた俺が悪いのかもしれないけど。いや、そんな事はないな。俺とアズマ君は、二人で協力して彼女を作るという、分かり易く言うなら同盟を結んでいる状態なのだから、これは重大な裏切り行為になる。俺はもう少し彼を非難する事にした。
「書き直せば良いってモンじゃないよ、アズマ君。もう何人もの人に俺のアカウントを見られてしまっているじゃないか」
「何かまずいのかい、良いじゃない別に」
「まずいに決まってる」
「どうしてさ」
「仮にだよ、昨日の夜から今までの間、俺のアカウントを覗いた女性の中に俺のタイプどんぴしゃで、しかも俺の人間性や容姿がその人にとってどんぴしゃで、おまけに住んでる場所も近所でお金持ちで処女だという人が居たとしたらどうしてくれるのさ。俺は君という同志を信用してプロフィール作成という大任をお願いしたんだよ、それをこんな風にぶち壊しにするのはいくらなんでも酷すぎると思うんだけどね」
俺はなるべく本気感を出すように努めながらアズマ君に迫ってみた。俺だってそんな都合の良い夢は見ていないが、このまま「はいそうですね」とプロフィールを書き直すのは、やられ損のような気がして嫌だったのだ。もちろん、俺が言ったような現象も絶対に無いという訳ではないから嘘ってわけでもない。なので、このくらいの事は言っておかないと彼との今後の関係性も腐敗してしまう可能性があるしね。というか、自分で咄嗟に思い付きで述べた仮説だけど、あながち有り得る話というか、自分で言って気が付いたのだけれど、アズマ君のせいで出会いの機会を失う、つまり少なからず損をしている気分になってきたので、俺は徐々に本気で怒っていたのだった。
「わ、悪かったよシン君。そんなに怒る事ないじゃないか」
「いいや、怒って然るべき所業だよ。それに、プロフィールは書き換えれば済むかもしてないけど、アカウント名は変更不可能なんだ。だから、逃した魚達はもう二度と俺のテリトリーにやってこない。大損害だよ、名誉棄損もいいとこだ」
その後もしばらく俺が怒ってアズマ君が謝るという無意味なやりとりが続いたが、俺も飽きてきたし、アズマ君も逆ギレしそうな様子を見せるようになってきたので、気を取り直してマッチングアプリに取り組むことにした。
「アズマ君、君はどんなプロフィールにしたの」
「ええと、読み上げるね。『始めまして。兵庫県に住む三十歳の男です。仕事は建設関係に携わっています。趣味はキャンプと料理です。温和でアクティブな女性と仲良くなりたいと思っています、よろしくお願い致します』と、これでおしまい。どうかな、無難に仕上げたつもりなんだけど」
なんて当たり障りの無い文章なんだろう。攻める気が少しも感じられない。俺にマッチングアプリに誘う時の血に飢えた獣のような気迫は何処に行ってしまったのか。俺はそれをアズマ君に言おうと思った。
「アズマ君、これじゃダメだよ」
「え?どうして?」
「考えてみたまえ、君は俺に「守ってばかりいてはダメだ。攻撃こそが未来を切り開く」と言ったじゃないか。この文章がその理念に沿っているとは思えないんだがね」
「僕、そんな事言ったかな」
「その通りの文言じゃなくても、そういう意味の事は言ったはずだよ」
「そうかなあ。どっちにしても、俺はこれで良いよ。あまり変な文章を掲載していても逆効果だと思うし。君にこう言うのは失礼かもしれないけど」
「それに、嘘は良くないと思うよ」
「嘘?何が嘘なのさ」
「ここだよ、趣味は料理って。俺は君が料理をするなんて見た事も聞いた事も無いんだけど」
「でも、本当に料理はできるようになりたいと思っているから、嘘ではないよ」
「嘘だよ、だってこの感じだと今現在もう既に趣味として料理の技量に磨きをかけているかのように読めてしまうよ」
「どっちだって良いじゃないそんなの」
「何より疑問に思ったのがだね、温和でアクティブな女性って、そんな相反する要素を兼ね備えた人間がこの世に居ると思うのかい。平和を愛する戦闘狂みたいなモンだよ」
「君はどうしてそう極端な考え方なんだろうね。穏やかな人が遊園地ではしゃがないとでも思っているのかい。温和でもソフトボールでバリバリのエースだったり、バレー部のキャプテンで後輩に激を飛ばしたりするのは全然に有り得る事じゃないか。温和かつアクティブっていうのは、言い換えれば平和を愛して行動する人のことさ」
「そんな完璧な人間性を備えた人が、マッチングアプリなんて物を使わなければパートナーに出会えないほどこの世は理不尽な代物なのかい」
「その通りさ。世の中は不公平だよ、だからこそ僕達にもチャンスが有るんだ」
ええい、一々上手く言いやがるからむかつくんだよな。
何はともあれ、俺もアズマ君もヤバくないプロフィールを掲載する事が出来たので、いよいよ彼女を探す段階へと進もうとしていた。
「ところでアズマ君、俺は今一つこのアプリで彼女をゲットするやり方が分からないんだけど、具体的に解説してくれないか」
「いいとも。いいかい、まずこの『探す』の項目を押すんだよ」
「押忍」
「すると、ほら、居住地が近しい女性がリストに表示されるだろう」
「本当だ、されたね」
「いくら容姿や趣味嗜好が共通しようとも、居住地がかけ離れていては会う事すら困難になってしまうからね。検索する時は必ず気軽に会える距離の相手に留めておくのが肝心だ」
「ただでさえ基本情報で不利な我々だというのに、会うという行為そのものが困難だと、死んだも同然だからね」
「遠距離恋愛にハッピーエンドは無いとも言うしね」
俺達は初めてチームワークみたいなモノを発揮し、居住地が近しい相手に対し「あなたいい感じですね」という意思のみを伝える機能を使って、手当たり次第にスマホの画面をポチポチした。
この時の胸の高鳴りを俺は忘れない。まるで大海原に漕ぎだす冒険者のような気持ちで、俺とアズマ君は一心不乱にポチポチした。これから何かが始まるという予感、そしてその共有感が俺達をかつて無いほど興奮させたのだ。いや、正確に言うなら俺達はこんな気持ちを過去のどこかに置き忘れてきてしまっていて、今日それを探し出す事ができたといえるのだろう。とにかく、俺達は文字通りスマホに釘付けになって、時も追い越す勢いで数えきれない女にあなたいいですねした。その数がそっくりそのまま俺達の何かになると思い込み、やればやるほど儲かるという気持ちでやった。実際、俺とアズマ君は儲かったと思っていた。有料プランに加入しないと大部分の機能が制限されてしまうので、俺達はそれをし、金銭的には既に損をしているにも関わらず、大儲けをしているかのように喜んでポチポチしていた。
「シン君、俺達、今まさに行動をしているね」
「しているね。これは凄まじいことだよ」
「俺達にこんなパワーが有ったなんて、信じられないよね」
「人間やろうと思えば驚異的な勇気が出るモノなんだね」
「驚異的だね」
「凄まじいね」
俺達はやった。とうとうリストに表示された全ての女をいいねということにした。その数はもう数えきれない。やるだけやってから、俺とアズマ君が同時にそんな事をしたら同じ女を奪い合うことになりかねないのではと俺が言うと、アズマ君は、検索の際に好みの容姿や趣味等、微妙に入力したデータが違うから、良い感じに違う人が表示されてその可能性は低い、と言った。抜かりない男だなと思った。
俺達は達成感に満たされ、試合を終えた球児のように座って、お茶を飲んだ。美味かった、お茶を美味いと思って飲んだのなんて久しぶりだ。何かを成した後に口にする物は美味い。燃やした魂が求めているのだろう。俺達は魂に麦茶を飲ませてやり、これから始まるラブストーリーについて語り明かした。俺は彼女と夜の船上パーティーに出かける話をした。アズマ君は、それは素晴らしい考えだから、彼女はさぞ喜ぶだろうと言ってくれた。アズマ君はアズマ君でちゃんとデートプランを計画していた。彼はキャンプに出掛けて、自慢の料理を振る舞い、星空を眺めながら子どもの将来について語るのだそうだ。意外にもロマンチストな所が有るんだなと思った。俺達はお互いの計画を認め合い、そしてお互いの彼女を連れて海へダブルデートをしようなんて約束した。もちろんさ、アズマ君。きっと彼女も喜ぶと思うよと言うと、彼も、
「僕の彼女は恥ずかしがりやだけど、きっとシン君とシン君の彼女とはすぐ仲良くなれると思うんだ」
と、言った。