モテたい。
泣き止んだアズマ君は、真剣な面持ちで語り始めた。
「すまない、取り乱してしまって」
「いや、いいんだ。それで、君は俺に何を言おうとしていたんだい」
彼は俺が渡したビールをグッと飲むと、やや落ち着きを取り戻し、冷静な口調で語り始めた。
「いいかい、シン君。俺達は今こうしてパートナーの居ない状況に随分と長い時間立たされている。早々に解決しなければならない深刻な問題だ。では、こうなったのは一体どうしてだと思う」
「どうしてって、そりゃあ俺達がモテないからじゃないの。まずツラが人並み以下だし、金だって人並み以下だし、ついでに何か突出した才覚が有るわけでもない。おまけに積極性で押し切る度胸も技量も無いわけで、何を取ってもあかんたれの粗悪品というか」
「それがダメなんですっ!」
「うわっ!」
アズマ君が突然、指をこちらに突き出し、めちゃくちゃに高い声で叫ぶものだから、思わず手に持っていたウイスキーのロックを溢してしまった。
「いきなりでかい声を出すなよ」
「ああ、ごめんごめん」
「まあ、君の言いたい事は分かるよ。自信を持てとか言うんだろう。でも、それは無理ってモンだ。いや、無いわけじゃないんだけどさ、なんていうかそのタイミングというかキッカケというか」
「違うんだなそれが」
「え、違うの」
「シン君、君のお父さんはどんな人だったっけ?」
「俺の父親かい?飲んだくれのアル中で、睡眠薬中毒で、俺が子どもの時に家を出て行って、大人になって再会した時には廃人同然で、そのまま気が狂って死…」
「やめろやめろ、俺が悪かった。そうだったね。いや本当にごめんな」
「どうして謝るんだい、別にいいよ、本当の事だしさ」
「違うんだよ、君の家庭はレアケース過ぎて例に挙げるのは向いてない事を忘れていた」
「そうかな。最近では大して珍しくもないと思うけどね、そういう親も」
「なら言おう。そんなお父さんでも、君のお母さんと出会って君が出来ているわけだ」
「うん」
「俺の父親だってそうだ。ツラは人並み以下だし、稼ぎも大したこたあない。でも、俺のおふくろを落として、見事にこの俺を産ませているわけだ」
アズマ君はなぜか誇らしげに胸を張り、そう言った。
「要するに何が言いたいの」
「要するにだ」
アズマ君は残ったビールを一気に飲み干し、缶を握り潰すと、その手を天井に向けて、英雄然とした面持で言った。
「俺達だって、やればできるんだよ」
赤い顔をして誰でも言えるようなセリフを大層に言うアズマ君を見て、何だか悲しいような恐ろしいような気持ちになったが、言っている事は本当にそうだという気もした。
「なるほど、要するに君はこう言いたいんだね。こうして家に籠って、負ってもいない傷の舐め合いは止めにして、とっとと行動しろと。行動しなければできる物もできないぞ、と。この地球上のどこかで俺達を待っているパートナーとなりうる女性の為に、俺達は立ち上がるべきだ、と」
アズマ君はウイスキーを生のままドクリと飲み、霞がかかったような目で俺を見据えると、こう言った。
「その通りだよ、シン君。もう俺達は、傷付く事を恐れてはいられない領域まで来ているんだよ。戦わなきゃ。寂しさとコンプレックスに心を焼かれる前に、いやもう既に焼かれてはいるんだけどね」
「アズマ君、君の言う事は正しいよ。不覚にも君の言葉にグッと来てるんだ。そうしなきゃいけないって事は、めちゃくちゃ分かっているんだ。でもさ」
「でもさ、じゃない!」
またアズマ君がすっとんきょうな声で叫んだ。酒臭い息が炎のように俺を包んだ。
「シン君、君は怖くないのか?俺達はこのままだと、本当に、ずっと一人ぼっちなんだぞ。何とかしたいとは思わないのか」
大きな間違いを犯し危険な場所に向かおうとしている友人を引き留める顔をしたアズマ君がそこに居た。話を聞いてあげようとしていた俺が、なぜか助けようとされている感じになっているのは不思議だった。
「いや、まあ、そうだね。何とかしたいと思う!」
半分、やけくそ気味にそう言った。そう言うしかこのやりとりを終わらせる方法は無いような気がしたからだ。
「さすがシン君だ。分かってくれると思っていた」
「え、何が?」
俺は何か分かったのだろうか。
「じゃあさ、俺と一緒にやってくれるね?マッチングアプリを」
「マ、マッチングアプリ?」
マッチングアプリとは、何か。俺はスマホの広告で嫌になるほど見ているので知っているのだが、アズマ君は俺が知らない体で解説を始めてしまった。これも彼の悪いクセだ、知識をひけらかして優越感に浸る悪癖である。こちらが知らない事ならともかく、彼は誰でも知っているような内容でも、有無を言わさずひけらかすので、そういう所は俺は嫌いだった。
要するに、恋人が居ないので欲しい、けど出会いが無い。そんな男女が出会いを求めて利用するアプリの事である。もちろん、出会いは有るけど、今以上の出会いが欲しい人や、出会いは求めておらずセックスがしたいだけの存在もいるし、他にも金が欲しい人や、何も求めていない冷やかしみたいなのも居る。こういった、一見目的が一致しているかのように見えて、実際は様々な思惑が交錯する環境が死ぬほど苦手な俺は、マッチングアプリのような出会い方は意図的に避けていた。
「アズマ君、悪いけど俺はパスするよ。知っているだろう、苦手なんだよ、ああいうのは」
「苦手な事に挑戦せず切り開ける道が有るのかい」
アズマ君の得意げな顔のせいで、悪くないセリフが台無しだ。何なら、言うの分かってた。
「何でもいいよ。それに、別に俺はやらなくたって良いじゃない。一人でやれば?そもそもゲームじゃないんだから、一緒にもクソも無いよ。友達同士で始めたからって、俺達はアプリ内で協力したりはできないだろう」
「協力できるさ、この子はシン君に合うと思うとか、この子はこういう風に攻めたら良いとか。相談し合えばモノにできる確率は絶対上がるに違いないよ」
「バカだなあ、そんな事したって無駄だよ。確かに根拠の無い安心感を得た事によって、上がったような気分にはなるかもしれないよ、けど俺達だぜ。そもそも確率を持ってない男が掛け合わさった所で、実際は何も変わって無いんだよ。一人でやるのと同じだよ」
「シン君こそバカ野郎だよ、何も分かっちゃいない。その根拠の無い安心感を、人は勇気と呼ぶんじゃないか。僕らに欠けている物、決定的に必要なのは勇気なんだよ。その勇気が女の子にメッセージを送り、デートの約束を取り付けるんじゃないか。こんな簡単な事がどうして分からないんだ」
うぬぬ、悔しい。心の中で納得してしまっている自分が居る。悔しいからもう少し反論しよう
。
「勇気っていうのはさ、その、なんていうか、一人で出すモンなんだよ。弱者が寄り集まって、意気地なく、両生類の脂汗みたいに滲みだしたヌルヌルを勇気と呼ぶなんて男としてあるまじき思想だよ」
「じゃあ君は、一人で振り絞った真実の勇気も、ヌルヌルしたまがい物の勇気すら出さずに生きていくのかい。この先、ずっと。それこそ男としてあるまじき生き方だとは思わないか。本物だろうと偽物だろうと勇気は勇気だ。よくできた偽物は本物より価値が有るんだよ。今、俺達に必要なのは真偽じゃない、彼女だ」
くっ、こいつなかなかやるな。くそう、何を言っても言い負かされる気がする。この顔がムカつくんだよな。仕方がない。不本意だが、ここは俺の男としてのメンツを保つ為に、共鳴した感じを出しておかなければ。この話の流れでイモを引くのは、あまりにも情けない気がする。
「な、なるほど。アズマ君、確かに君の言う通りかもしれない。俺は今、目が醒めたよ」
「えっ、本当かい。えらく急に目が醒めるんだね。もう少しあーだこーだ言うのかと思ったのに」
「ああ、俺ももう少し言おうかなと思ったんだけど、もうやめておくよ。なにしろ俺は男だからね。友の熱意を感じておきながら、それを見て見ぬフリはできないのさ」
「す、すると」
「やろう、アズマ君。一緒にマッチングアプリを。そして掴むんだ、寂しさなんて探しても見つからない、パートナーとの素晴らしい日々を」
「シン君!」
「アズマ君!」
思わず抱き合ってしまった俺達。上手く行く予感なんてちっともしなかった。ところが、不吉ながら俺の心の奥には、信じられないが、勇気という感情が静かに脈打っていた。