妖の精霊:四辻
閑話休題。
笑いばかりだと、本人が飽きるので。
少しばかり、ファンタジーよりの怖いお話を短く書いてみました。
夜道一人フラリ下駄の音がカランコロン。
畔の傍ら一本道の山道小道。
田には水が張られ、水面に輪ヵ月、蛙がゲコゲコと鳴いている。
あの畔を蹴散らせばぬかるんで面白かろう。
童心がムクリと鎌首を擡げてくるのは夜の所為か、酒の所為か?
小生の少し不埒な楽しみは、ほろ酔い気分で月光浴びて漫ろに歩く深夜の散歩。
ガス灯などと云う洒落たものはこの辺りには来るはずもなく。蛙と鶏糞、田舎の香り。
花の都罵詈では、電燈なる科学の力が街を照らして不夜城だと、村のインテリゲンジャが言っていた。
小生など無学の愚か者は思うのだ。
一晩中煌々たる光が夜を追いやれば、化け物どもが哀れで仕方がない。
草むらで、怯える幽霊を思い描いて思わず。
ふふふふふふ。と。
夜道、不惑を過ぎた髭面の男寡が思い出し笑いをしながら散歩をしているのはさぞ不気味であろう。
誰ぞに見つかってしまえば罰も悪いが、怖がらせてしまった詫びを入れねばなるまいなぁと、冗談交じりに思い振り返る。
ババアが居た。
誰も居らぬはずだった。
独り歩きのはずだった。
なのに、小汚い老婆が、だらしのない半幅帯、赤い鼻緒の雪駄をシズリシズリと引きずりながら、締まらぬ口を半開き、吾先に行く影をジッと見つめてついてくる。
いつの間に?
この世のものか? あの世のものか?
呆けた老人はどこの村にもどこの都市にも居るもので、科学万能のこのご時世。
如何な山中田舎道と謂えど、狐狸の類ではなかろうに。
ブツブツと言っている。
「外山の連中は若い嫁ばかりを娶って、姑を捨ているのじゃ。人非人めらが、口惜しい口惜しい、
ワがどれだけ可愛がってやったのか、ワがどれ程身を粉にしてきたのか」
「口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい」
ああ、この世のものではないないのである。
捨てられた老婆であったか。
その証拠に。
水面に映える輪ヵ月。
影を追えるほどに傾いてなどいないではないか。
「ジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキ」
小生の背後から。
口三味線が聞こえてくる。
ジャキジャキジャキと。
眼前の老婆から目を離すのは拙かろうと思うのだが、如何せん。
首の産毛がチリチリと騒ぎ出し、背筋を嫌な汗が一筋流れた。
恐る恐る振り返ると、トンビを着た書生風の丸眼鏡。
両手に大きな錆びた裁ちバサミ。
ピクリとも動かさずに口三味線。
ジャキジャキジャキジャキ。
あぁ、これはしくじった。
夜を愉しみすぎたのだ。
夜に与えた賛美に応えてくれたのだ。
ほら、愉しかろう?
月がそう言っている。
慌てて、老婆のほうへ小走りに。
「口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい」
近づくにつれ、声が大きくなってくる。
ぴょんと、畔に飛びのいて。
スマヌと心で詫びて えい!! と、畔を山道の一本道に蹴りだして道を繋ぐのである。
反対側の畔も同じく。
えい!!
田んぼの水がドッと流れて、交差する。
泥だらけの下駄にかまっている暇はない。
必死に道に戻り、今度は反対側へと。
「ジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキ」
同じく近づくにつれ、大きくなる口三味線。
またもや、畔に飛び移り。
えい!
えい!
時間を取られすぎたのだ。
ほんの六尺、七尺前に、虚ろな瞳の丸眼鏡。
慌てて、飛ぶように距離を置く。
西から。
「口惜しい」と老婆が。
東から。
「ジャキジャキ」トンビの書生。
壊された畔と結んだ小道。
この世ならざる者どもは、角に差しかかかった途端。
直角に曲がる。
月夜に照らされた、夜の田を。
ブツクサと独り言ちる怪人たちは、道を見失いウロツキ廻る。
「口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい口惜しい」
「ジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキ」
それは、妖かしい。
これは、妖かしい。
ソロリ、ソロリと距離をとり、一駆け息の上がるまで。
十二分に遠ざかり、振り返ると遠くに影二つ。
アレは、何時まで徘徊するのだろうか?
アレは、何処へ向かうのだろうか?
以上はワタシが蒐集した奥睦での怪異譚である。
辻の魔除けである。
洋の東西を問わず辻には魔力が宿る。
卜占は四辻で客を呼び込み、怪異は直進することを禁じられる。
十字路と云えば今風か?
スラブ民族の間ではストリゴイなる歩く死体が、十字路を直進できずに永遠と道を巡回するのだという。
出会ったものは声をかけてはならない。
彼ら夜の生き物は、振り返る事を禁じられているのである。
黄泉平坂。
ロトの家族。
オルフェイス。
皆、振り返る事により、悲惨な事になってしまう『見るなのタブー」である。
総じて、振り返るのは人間であり、怪異たちは決して振り返らない。
何故に四辻を曲がるのだろうか?
それは、彼らにとって唯一と言っていい背後を見る方法なのかもしれない。
ぐるりと回って後ろ見るのだ。
誰の後ろを見たいのか?
それが、この妖しい精霊達の本質的な問いである。