4.殲滅するからね
――《世界災厄》は仲間の魔族と共に、人類を脅かし続けていた。
ぼくの背後で眠そうに目を擦りながら。
うとうとしながら命を絡め取られるかと思うほどの魔法を発動させた者がいる。
――返り血でどす黒く染まった長い髪の毛に、魔力を帯びた紫色の瞳。そして冷酷無比な気性。
ぼくの背後にいた少女の髪色はふわりと変わっていた。
黒が混じったような紅の髪の毛に、魔力が漏れた紫色の瞳。
ゾクリと全身を悪寒が走った。
ぼくの脳裏にグリエルの言葉が何度も何度も駆け巡る。
そうだ。この王立学院が急遽作られた理由も、《世界災厄》が再び現れるという予言のもとだ。
まさか、まさか――。
「ごしゅじんさま、たすけた。ん」
少女は目を瞑って頭をぼくに差し出してきた。
な、撫でろっていうことなのか……?
「え、偉い。すっごく偉い。おかげで助かったよ」
「……るーしー、できる子?」
「あ、あぁ。出来る子だよ。よ~しよしよし」
紅に色を戻した髪の毛を梳くように丁寧に撫でてあげると、少女は嬉しそうに目を瞑ってぼくに頭を委ねてきた。
――まさか、ぼくのちっぽけなこの手に収まっている小さな少女が、大きな世界をいとも容易く破壊できるほどの《世界災厄》……大魔王、本人であるとしたならば……!?
「ふみゅ~……ふへへ」
まるで飼い慣れた猫のようにごろんと全体重をぼくに預けて眠そうな空気を漂わせるその少女。
《世界災厄》を倒す勇者を召喚するための召喚術師養成を目的に作られたこの学園で、ぼく達は「助成金」の餌の元に集結した。
「ごしゅじんさまの手、あったか~い」
だけど、まだ確定では無いもののぼくは恐らく《世界災厄》そのものを手中に抱え込んだのかもしれない。
少女をお姫様抱っこしながら、ぼくはグラウンドをゆっくり後にする。
ぼくの脳裏に凄まじい速度で悪知恵が積み重ねられていく。
この子の正体が公になればもうこんな学園なんて必要ない。
《世界災厄》以外ならば、異世界人の勇者がいなくても何とかなるのだから。
ということは。
「……もしかしてぼくは世界を救ったのか? こんな簡単に?? うっそマジで???」
半信半疑だった。
ぼくは腕の中で眠たそうに体を委ねる少女、ルーシーに問う。
「ルーシー。手を出してくれないかい?」
ぼくは片腕に魔法力を込める。
「はーい」
ルーシーは何も抵抗することがなかった。
試してみるだけ、試してみよう。
《信託の印章》。
「おぉぉ、金色のぴんぴか」
ルーシーの右手甲に、「ラクトロード・カルマ《信託スロット》」が印字されたミニマム召喚術式が浮かび上がる。
召喚術師が人生でたった3つしか付与できないとされる特異術の内の一つだ。
《召喚術師スキル》の《空きスロット》と言うらしい。
これにより、主従の関係ががっちりと固まっていつどこであっても召喚獣は主の元に召喚されることになる。
召喚獣が心の底から術師を信頼していることが条件とされているはずだったんだけど……びっくりするほど素通りした。
次に行こう。
《隷属の印章》。
「おぉぉぉぉ、真っ赤っかの、ぼぅぼぅ」
ルーシーの右手甲に、「ラクトロード・カルマ《隷属スロット》」が印字された召喚術式が浮かび上がる。
これも《空きスロット》の1つで、召喚獣が心の底から術師に力を預けていいと判断した場合にのみ適用される。
……これも素通りした。
「るーしー、ごしゅじんさま、しっかりまもる」
ぐっと可愛らしく両手を握った少女、ルーシー。
あぁ、何て無邪気な笑顔だろう。
だが、これで世界は救われた。
自分本位で大変勝手なことなど重々承知しているが、もうこの少女を手放すことは出来ない。
この子の正体を公にすれば、デフェドラード学園の在る意味そのものがなくなってしまう。
ぼく達は召喚術師という立場だから、冒険者になっても特に役には立たないのだ。
歴史上本人の身体能力の低さから不遇とされてきた召喚術師が唯一輝ける場所が、デフェドラード学園なのだ。
「こうなったら、ルーシーの正体を隠しきってぼくは学園生活をのんびり送れば良いんだろう。幸い、どこも召喚術師なんて必要としないんだから、ここくらいがちょうど良いところだ」
ぼくはのんきに空を見上げていた。
そんなぼくを見てルーシーは笑う。
「ずーっとずっと、暗いところでごしゅじんさま待ってたの。みんなでごしゅじんさま守るぞーって。それができて、るーしーうれしい」
それはルーシーが初めて笑顔になった瞬間だった。
だが、その笑顔を継続したままこの大魔王少女は唐突に、無邪気に呟いた。
「だから、ごしゅじんさまに逆らう人たちは全員殲滅するの。へへへ」
にこーっと。
それはそれはにこーっと。
屈託のない笑顔でぼくに褒められようとするこの少女に、ぼくはゾワリと再び悪寒が走るのを感じた。
「そ、そっかぁ……。ははは、ルーシーは偉いなぁ。ははは」
「だからごしゅじんさま、何でも言うこときくね。るーしーが全部、殲滅するからね」
これがぼくと召喚少女、《世界災厄》の大魔王・ルーシーとの初めての出会いだった。
この時、何故ぼくはこう思わなかったんだろう。
身体能力の低さで足手まといになる召喚術師なんて、世界最強の相棒がいれば何の問題にもならないじゃないかという、当たり前すぎることを――。