不便な生き物
竜と総力戦になって丸三日。
途中途中で重傷者が運ばれては来たけれど、ガルグさんが再び出て行ってから次の日の、夜も大分更けてからの事だった。
しんとした夜の気配の中、随分と賑やかな声が聞こえ始めたと思ったら、ボロボロになった第二騎士隊と第五騎士隊が戻って来た。
「リットさん、テントから出ては駄目です。カルガ、シダ、絶対にここからリットさんを出さないように」
「なんでっ」
「気持ちは解ります。ですが、死を覚悟した後の戦いの昂ぶりを、あなたは知らないでしょう?」
「昂ぶり?」
「そうです。種の保存ですよ、本能ですから抑えきれない場合が多いんです」
「本能……」
「はい。絶対に外に出てはいけません」
サノエさんは真剣な顔でそう言うと、テントから出て行った。
カルガさんとシダさんは、困った顔をして私を見てたけど、あれだけ真剣に言われれば私だって莫迦じゃないから理解出来た。
テントの外から賑やかで楽しそうな声が聞こえ始めて、どうやら竜の討伐に成功したようだとは理解出来たけど。
「……怪我、しなかったのかな」
「リットさん、眠れないでしょうけど寝た方が良いですよ。明日は朝から忙しいでしょうから」
「そうなの?」
「はい。大抵の者達は二日酔いでしょうから、小回復剤が役に立ちます」
「そう言えば、あれ、すごく増えちゃったもんね」
「丁度良いです、全部飲ませてしまいましょう」
ニヤリと笑ったシダさんは、何だかサノエさんとよく似てた。
「うん、解った。とりあえず寝そべっておく」
「はい、おやすみなさい」
いつものように寝転がったのはいいけど、テントの外から聞こえて来る陽気な声や歌声に、クスクスと笑ってしまう。あの人達は本当は、こんなに陽気な人達だったんだなあ。
「……そう言えばさ、女性騎士っていないの?」
「第三騎士隊と近衛隊にいます」
「第二と第五にいないのはどうして?」
「第二騎士隊は常に討伐任務ですから、女性は入れないと聞いています。第五騎士隊は、今回初めて会ったので分かりません」
「そっか。ありがと」
教えてくれたカルガさんにお礼を言って、ぼうっとしながらテントの屋根を見てた。テントの外の笑い声を聞きながら、ガルグさんの顔を思い浮かべる。
初めて会った時は、すっごく大きな人だと思った。
父より大きい男の人を見たのは初めてで、莫迦みたいに口を開けて見上げた事を思い出す。そう言えばあの時はまだ若かったからか、ガルグさんはとっても爽やかに見えていた気がする。
と言うか、思い出の中のガルグさんは、優しそうな顔でニコニコしてた。
リリムの森に入る前に色んな物資を調達する為、随分前から依頼を請けてて、それを受け取りに来たのがガルグさんだった。
父がその日の為に回復剤をたくさん作っていたから覚えてる。
大きなガルグさんは、優しかったからか子供達から大人気になって、皆が抱っこをせがんだ。
抱き上げてぽんと上に投げられるのが凄く楽しくて、順番で投げて貰ってたんだけど、ズルした子がいて喧嘩した。負けて盛大に泣いた私を、ガルグさんがひょいっと抱き上げてくれたんだよね。
泣き顔を覚えられてたなんて、恥ずかしい。
再会したガルグさんはやっぱり大きな人だったけど、何て言うか、纏う雰囲気がすっかり変わってしまっていた。優し気な雰囲気何て微塵もなくなってたし、目付きが鋭くなってて怖かった。
けど、話してみれば根本的な所は変わってなくてホッとしたんだ。
魔物より怖い見た目のガルグさんは、見た目が怖い分凄く優しい。
「起きてるか?」
被っていた毛布を投げ捨て、テントの入り口から飛び出した。
「お帰りなさい、ガルグさん」
「お前、俺じゃなかったらどうすんだバカが」
「声で解りますよ、この酔っ払い」
「そこまでまだ飲んでねえよ」
飛び付いたガルグさんは、軽々と私を抱き留める。
「怪我は?」
「ちょびっとあったがまあ、大丈夫だ」
「良かった」
「あの、僕達戻りますので」
「待て、行くな。顔、見に来ただけだから」
シダさんの声にガルグさんがそう言う。
まあ、私も今のガルグさんと二人きりはちょっと遠慮したい。
「私の夢を見る為に来たんですね?」
「ああ、お前のアホ面見てささくれた心を癒そうと思ってな」
「ガルグさんは照れ屋ですね」
「紳士と呼んでくれ」
「ぶはっ、紳士、ガルグさんがっ」
「そこまで笑う事ねえだろうがよ」
ガルグさんが無事だった事にほっとして、笑いながら涙を拭いた。
「猛獣紳士です」
「猛獣はいらねえだろ」
お酒のせいなのかそれとも、特級ランクの竜に勝利したからなのか、目元が赤いガルグさんは、じっと私を見下ろしてた。
「……抱っこしてやろうか?」
にやっと笑ってそう言うので、迷いなく両手を上げれば思い切り笑われた。
「自分で言っておいて笑うのは酷いと思う」
「悪かった悪かった」
そして、ひょいっと抱き上げられてそのまま空へと飛ばされる。
ガルグさんの腕の中に落ちた私は、ガルグさんと同じ高さの視界を共有した。
「やっぱり視点が高いと面白いですね」
「そうか?」
地面に降ろされ、温かい腕が離れて行く。
「おやすみ、リット」
「おやすみなさい、ガルグさん」
頭を撫でられ、テントの中へ追い払われたけど大人しく従う。
サノエさんが言った『本能』って意味が、目の前のガルグさんから良く解ったから。
笑いながら手を振ってテントに入れば、カルガさんとシダさんは寝たふりをしてくれるのか、横になったまま声を掛けて来る事はなかった。
ガルグさんが無事だったことに安心したからか、横になってすぐにやって来た睡魔に身を委ね、賑やかで楽しそうな声に包まれながら眠りに落ちた。
「……おはようございます」
既に体に染みついた習慣だからなのか、朝日が昇る頃に目が覚めた私達三人は、寝起きでぼうっとした顔をしながら挨拶を交わし、薬草畑へと行く。
いつもと同じように魔水を与えてから、今日の分を収穫し、調剤用テントへと入る。こんな朝早くから片付けを始めていたらしく、随分バタバタと慌ただしい。
「おはようございます」
「おはようございます、リットさん」
ここにいる間に麗しいご尊顔に隈を常駐させてしまったサノエさんが、振り返って挨拶をしてくれた。
「片付けてるとこ悪いんだけど、収穫した分だけ調剤させて貰える?」
「勿論大丈夫ですよ。良ければ調剤は私がやりますよ」
「じゃあ、お願い」
細かい物が多いから、早々に準備に入らないと置いて行かれるなんて、治癒隊の人達が笑いながら言っていた。やっと戻れるから皆嬉しいんだろうなあ。
「リットさん、薬草達はまだ袋に入れなくても大丈夫ですか?」
「んー……、出発の時間が決まってからでもいいかなと思ってる。私達って、後続組でしょ?」
「恐らくは」
「だよねえ。竜がいなくなったから騎獣が使えるだろうし、帰りは楽かなあって」
「ああ、そうですね。来た時は途中で徒歩だと言われて、大荷物抱えてどうしようかと思いましたねえ」
「最初に教えて欲しかったよねえ。まあ、ガルグさんにそんな気遣いが出来るとは思えないけど」
「そりゃ悪かったな」
「わ、また突然現れる。ガルグさんて実は死霊なのでは?」
「そうかもな。で、今のお前らの会話だが、確かに帰りは騎獣が使えるから楽になるぞ」
「良かったー。来る時は半分くらい歩きましたもんね」
「そうでしたね」
「仕方ねえだろ、騎獣が竜の気配に怯えてたし、無理に進ませると襲われるからな」
「それは、洒落にならない事態になりますね」
「だろ?あれでも限界まで進ませたんだ、感謝して欲しいぐらいだぜ」
「あれで?」
私とカルガさんとシダさんの言葉が重なると、ガルグさんがぷっと笑い出す。
「飼い馴らしたとはいえ、元は五級ランクの魔物だ。あれだけ近付けた事を褒めてやりてえぐらいだ」
治癒隊の人達は、調剤用のテントや治癒所として使用するテント、自分達が使用する薬剤や調剤用の道具が凄く多くて、ここへ来るまでは本当に大変だった。勿論、騎士達も手伝ってはくれたけど、魔物が襲って来た時の為に、あんまり人手を割けないと言われて、人数は少なかった。
だから、治癒隊の人達と一緒にえっちらおっちら息を切らしながら、色々運び込んだのも良い思い出になってる。
王都の北西に当たるこの原生林は、偶に冒険者が入るぐらいの森で、未開の地になっていた。
今回、三つ頭の竜が現れた事によって、森の入り口だけは伐採されたけど。今後どうなるかは、偉い人達次第だろう。
「リット、聞きたい事がある」
「はい、なんでしょう?」
「……お前、戻ったら王宮薬草園に入るのか?」
「そうだと思います。義父はそのつもりで私に名前を名乗るのを許してくれたので」
ヴァミエール公爵がどれだけ偉いかとか、凄い人なのか何て説明されても、庶民の私にはさっぱりわからないし、理解出来ない。ただ、偉い人なんだって事と、王様の弟さんだって事を理解出来ただけだ。
それがどういう意味を持つのかなんてのも理解していない。
ただ、この遠征に来る前に義父がニコニコしながら言った事がある。
『この国の騎士は皆、貴族の血縁者だからね』と。
そして、胸を張って言われたのが、自分がその貴族のトップであると言う事だった。さっぱり理解出来なかったら、困った事が起きたらヴァミエールの名を出しなさいと、解りやすく教えてくれた。
「なるほどな。まあ、確かにお前の作ったもんはヤベエもんだからな」
「えー、毒じゃないのに」
「そう言う意味でヤベエんじゃねえよ」
ガルグさんの言いたい事は理解してたけどはぐらかす。
自分でも良く理解出来たことだったから。
「王都に戻ったらまた、薬草に愛を語るのか?」
「当然です!」
ガルグさんに向かって、義父のように胸を張ってそう答えた。
クツクツと笑いながら頭を撫でられる。
ガルグさんの手は、私の頭を片手で包み込めるぐらい大きい。子供の頃、この手が頭を撫でてくれたのがすごく嬉しかった。
「ふふ、ガルグさんの手は大きいですね」
「身体に見合った大きさだと思うが」
「ですね。随分むさ苦しくなりましたけど」
「お前は生意気になったな。小さい時は素直で可愛かったのになあ」
「わ、照れるう」
呆れた視線を貰いながら、ガルグさんは私達に手を上げて去って行った。
「ガルグ隊長とお会いした事があったんですか?」
「十歳の頃に、住んでた町に来た事があったんです」
「そうだったんですか。なるほど、それで親しげだったんですねえ」
「求婚したんですけど振られたんですよね、私」
優しかったガルグさんに『お嫁さんにして』って言ったけど、もっと大きくなったらなって笑って言われて終わった。まあ、本気にするような人なら全力で逃げの一手だけども。
「若い時は爽やかな猛獣だったのに」
「あくまでも猛獣なんですね」
そんな風に笑いながら、私達は今日も薬草達に語り掛けるのであった。
「……えっと、やっぱり皆で一緒に寝るのは変わらないんだね?」
「ガルグ隊長でも無理なようですからね。男と言うのは不便な生き物なんですよ」
「そんな、爽やかな笑みで言われても」
その日の夜も、サノエさん、カルガさん、シダさんと一緒に寝た。
特殊な環境下だから仕方が無いとは言え、いいんだろうかと今更思う。
とは言え、私だって嫌な思いはしたくないので、この状況は甘んじて受け入れよう。