夕食に誘われる
王都に戻って来て五日。
最初の頃の喧騒が嘘のような静かな食堂で朝食を摂る。
「おはよう、リットさん」
「おはようございます、ヒノマさん」
「これどうぞ。ちょっとまだ酸っぱいですけど、瑞々しくて美味いです」
「ありがとうございます」
食堂の厨房にいるヒノマさんは、四十代後半ぐらいだと思う。とっても優しそうな人で、忙しい時でも笑みを絶やさず食事を出してくれる人だ。いつもおまけで果物を出してくれる所が素敵。
朝の訓練が終わる前に食べ終えて食堂を出ないと、色々面倒なのだ。
討伐にくっ付いて行く前は、薬草園の傍に建てられた小屋で寝泊まりし、そこで食事を作っていたのだけれど、義父の意向とやらでその小屋が建て直される事になってしまったのだ。
お蔭で、改築中は王城の隅の部屋を頂いていて、食事は騎士達と同じ食堂を使うよう言われている。
いくらヴァミエールの名を貰おうとも、城内の食堂は利用させてくれないらしい。
「ああ、やはりここにいたか」
「おはようございます、レンデル隊長」
「ああ、おはよう」
突然食堂に現れたレンデルさんに挨拶をし、座ってもいいかと聞いて来るレンデルさんに頷いた。
「食事中にすまんな」
「いえ、大丈夫です」
「君は、確か昼間はあまり時間が取れないと言っていたな?」
「はい。薬草達の世話がありますので」
「ふむ。ならば夕食時であれば問題ないだろうか?」
「えっと、はい、大丈夫ですけど……」
特に義父から、夕食時の制限を伝えられていない事を頭の中で確認しながら返事をした。第五騎士隊と言えばあの、何とか男爵子息の事だろうかと首を捻る。
「頼まれていた理由だ。何故荒らしたか」
「ああ。そう言えばあの人は無事だったのですか?」
「うむ、無事王都に戻っている」
「そうですか。良かったです」
薬草達に対する酷い行いのせいで、物凄く怒ってはいたけれど、過ぎてしまえばやり過ぎたと反省した出来事の一つだ。やっぱり、あの頃は精神が疲弊していたんだなあと今なら思える。
「ヴァミエール公立ち合いの元、きちんと書類を作成したからな。今回の件は上層部も把握している事だろう」
「わあ……」
そこまで大仰な事になっているとは知らなかった。
「どうしよう、見せしめにしちゃいましたけど」
「ヴァミエール公の名を軽んじたのだ、それで済んで良かっただろう」
レンデルさんの言葉にドン引きだ。
貴族って怖い。
「……貴族階級って、物凄く重い物ですね」
「当然だ。その名で何人もの命を預かるのだからな」
「ああ……、なるほど」
レンデルさんの言葉がすんなりと落ちて来る。
そうか、名を貰うと言う事はそう言う事なのかと、それで初めて知った。
「では、夕食は我が家に招待しよう」
「え、え?ちょっと待って下さいね?」
レンデルさんの言葉に焦って待ったをかけ、頭の中を整理する。
レンデルさんは第五騎士隊の隊長で、隊員達はレンデルさんに命を預けている。で、貴族はその名で何人もの命を預かる……。
「あの、レンデル隊長の爵位は」
「ああ、正式に名乗っていなかったな。レンデル・グリアーデと言う。私は恐れ多くも陛下より伯爵位を頂いた」
「大変失礼しました、グリアーデ伯」
「む、そう呼ぶならヴァミエール嬢と呼ぶが」
「いや、でもですね」
「構わない。それに、隊長職に就く為に継いだだけの、名ばかりの爵位でもあるからな」
そう言ってくれるのはとってもありがたい。
ありがたいけれど。
どうしよう、伯爵家の夕食とか、どうすればいいのか判らないんですけど。
「サノエにも声を掛けたから、共に来て貰えると嬉しい」
「……解りました」
「では、夕食で」
「はい」
そう言って去っていくレンデルさんを見送り、冷めてしまった朝食を残さず食べてから薬草園へと歩いて行く。
キャンプ地から持って来た薬草達は既に種を採って、腐葉土用の畑に埋めてあった。一緒に世話をする人がまだいなくて、一人で世話をしているんだけど、さすがに広すぎて全部は手入れが出来ていない状態だ。
「いつになったらお手伝いの人が来てくれるんだろうね?まあ、変な人が来たら即追い出すからね」
今はまだ芽も出ていない状態の薬草達に話し掛けつつ、魔水を与えて行くのが日課だ。種の内から話し掛ければ、とっても元気に育ってくれるのだ。
薬草園の傍に作られている、私の住まい兼作業場は、今までの小屋とは違って随分頑丈そうだ。それに、何故か大きな建物になるらしい。
王城に戻って来ると、色んな声が聞こえて来る。
最初の頃は、特級ランク指定の魔物を第二隊と第五隊が仕留めたって事で、他の騎士達も盛り上がってた。けど、その内囁かれ始めたのは、第二隊と第五隊への嫉妬の嵐。
褒章で随分なお金を貰ったようだとか、どこそこのお嬢様と結婚するようだとか、そんな噂から始まったそれは、その内、実は魔物が大した事無い奴だったとか、特級ってのは嘘で、精々が一級程度だったんだろうとか。
本当は弱い癖に何て事まで言われてるから、何度言い返してやろうと思った事か。
けどそれは、私が言っても意味がない事ぐらい良く理解してた。
ついでに言えば、私が口を出す事でさらに第二隊と第五隊の人達が悪く言われてしまう事も理解出来た。こんな時は、ヴァミエールの名が邪魔だと思う。
「お久し振りです、リットさん」
「サノエさん。ホント、久し振りだね」
昼食を貰いに食堂へ歩いていたら、やって来たサノエさんとバッタリ会った。治癒隊が利用する食堂はこっちじゃないので、わざわざ会いに来てくれたんだろう。
「レンデル隊長から話は聞きましたか?」
「あ、今朝聞いたよ。けど私、服持ってないんだよね」
「それなら、ヴァミエール公が用意するとおっしゃっていましたよ?」
「え……」
初耳だ。
「食事に誘うのに、ヴァミエール公の許可を頂かないといけませんからね」
「……貴族って、一々大袈裟なんだね」
「仕方がありません。あなたも慣れた方が良いでしょうね」
「はあ……」
サノエさんの言葉に盛大に溜息を吐き出し、ニコニコ笑うヒノマさんから食事を受け取って席に着く。
ざわめいていた食堂が静かになったのは、サノエさんも嫉妬の標的になっているからか。食事を始めれば、あちこちから視線がチラチラと飛んで来る。
「……直接モノ申してくれば、まだ可愛げもあるのに」
「サノエさんて、見た目と違って好戦的だよね」
「当然です。隊長職に就いたぐらいですから」
「なんか、意外でビックリだよ。そっか、そうだよね」
「それに、これぐらいならどうって事もありませんよ」
麗しいご尊顔に冷笑を浮かべて周囲を見渡したサノエさんに、騎士達の方がコソコソと逃げ出して行った。格好悪い。
「ふふ、サノエさんのお蔭でスッキリしたよ。ありがとう」
「どういたしまして。ここで食事をしなければならないなら、随分と嫌な思いをしたでしょうね」
「そうなんだよね。ずっと堪えてたから悶々としてた」
「まあ、リットさんが直接矢面に立つ事はありませんよ」
「うん、ありがとう」
そう言ってくれたけど、私は折角仲良くなれた人達を守りたかった。
何も出来ない自分に、情けない思いをしてたから。
「ありがとう、サノエさん」
もう一度お礼を言うと、サノエさんは綺麗な顔で笑ってくれた。
薬草園に送ってもらった後、早めに仕事を終わらせて迎えに来てくれると言うサノエさんに頷き、薬草園に入って行くと義父が笑顔で出迎えてくれた。
「ご、ごめんなさい、お待たせしてしまいましたね」
「構わないよ」
突然来た人に、それでもお詫びを言えばどうやら許して貰えたようだ。
貴族ってのはこれだからと思いながらも、休憩所の椅子に腰かけている義父の傍へ行く。
「無事に戻って良かった」
「はい、ありがとうございます」
見た目年齢なら、食堂にいるヒノマさんとそれほど変わらない義父は、ヒノマさんより十歳も年上なのだと聞いている。若々しい見た目に驚いたけど、貴族ってのは凄いなと思ったものだ。
「あちらで、ヴァミエールの名を出したと聞いたよ」
「あ、勝手に名乗ってしまって申しわ」
「構わない。詫びを聞きたかったのではないし、何故名乗ったのか、理由も把握している」
「……はい」
片手を上げる事で私の言葉を遮った義父は、そう言って座るよう命じた。
たぶん、本人に命令しているつもりは無いのだろうけど、何故か従わなきゃいけない気になるのが不思議だ。
大人しく義父の正面の椅子に腰を下ろすと、五歩程離れた所で気配を消していた男の人が動き出し、義父と私の間にある粗末なテーブルの上に綺麗なクロスを掛けた後、お茶を出してくれた。お菓子まで用意されていた事に驚きつつも、ありがとうございますとお礼を言う。
「そう言えば、グリアーデ侯のご子息から晩餐に誘われたそうだね」
義父の言葉に頭の中にいくつかの疑問符が浮かんだけど、グリアーデの名前と、晩餐を理解して、その通りですと返事をする。
侯と呼んだと言う事は、レンデル隊長は侯爵のご子息なんだろう。
出立前に言われた通り、確かに騎士は貴族なのだなと一人納得してた。
「晩餐に誘われたなら、相応の準備が必要だ」
「はい」
「失礼だが、君にはその用意が出来るとは思えなくてね」
「はい、その通りです」
ああ、これはサノエさんから聞いた通りに、用意をしてくれたと言う事なのだろうと、やっと理解出来た。何て回りくどいんだ。
「君にヴァミエールの名を与えた者の責任として、晩餐に必要な物はこちらで用意した」
「ありがとうございます」
「うん。侍女も手配したから、今日はもう上がりなさい」
そう言われて戸惑えば、義父がクツリと笑った。
「治癒隊のカルガとシダがここへ来る。君の代わりに世話ができると聞いているよ」
「あ、えっと、過分なお心遣い、痛み入ります」
自分がもう何を言っているのか、何を言いたいのか判らなくなって来た。
大体、小さな頃から田舎町で育ち、外から来る人と言えば冒険者だ。上品なんて言葉と縁遠い生活をしてきた私に、いきなり公爵の義娘として振る舞えと言われても困る。
それに、自分が頼んで義娘にして貰った訳じゃないと、どうしても反発心が沸き起こるのだ。
「ああ、来たようだね」
義父の言葉に顔を上げれば、カルガさんとシダさんが真面目な顔をして入って来た。挨拶をする二人をぼうっと眺め、そうか、二人も貴族子息だったのかとここで初めて気付く辺り、自分が如何に間抜けかを思い知る。
「リットさん?」
「あ、はい」
シダさんに声を掛けられて慌てて返事をし、二人に薬草達の世話をお願いする事になった。義父は休憩所で終るのを待ってくれるそうで、カルガさんとシダさんと一緒に薬草園へと出て来た。
「はー……」
「お疲れ様です」
「ありがとう……」
肩が落ちている私に、カルガさんとシダさんが笑いを漏らしつつ、既に薬草達の種は植えてあるから、土に向かって話し掛けをしてくれるようお願いする。
「種の時から話し掛けるのですか」
「そうだよ。本の読み聞かせ、喜んでるみたいだし」
「え、そうなんですか?」
「葉の艶が良かったでしょ?」
「えっと、スミマセン、あそこで見たのが初めてでして」
「ああ、そっか。カルガさんとシダさんの声、好きみたいだよ」
私が一人で話し掛けていた時より、カルガさんとシダさんが話し掛けてくれた薬草達の方が、葉の艶が良かったんだよね。悔しかったけど薬草にとってその方が良かったって事だろうから、それはそれで良い事発見したとちゃんと記録してある。
「ではリットさん、夕食、楽しんで来て下さいね」
「う……、食べた気がしなさそうだけど楽しんで来る」
そして、義父と一緒に王城へと入った私は、あちらこちらから飛んでくる視線にさらされながら、機嫌が良さそうな義父にくっ付いて行ったのであった。




