リットと猛獣
「リットさん、急患です!」
「今度は何!?」
「右腕食われたそうです」
「浄化剤二本と完全回復剤一本!」
「はい!」
治癒隊に指示を出しながら、治療用のベッドを空ける。
「悪いな、頼むわ」
入って来たのは第二騎士隊の隊長、ガルグさんだ。
ガルグさんも怪我をしているようで、服に血が付いているけれどそれ程深い傷では無さそうだった。
「ここは大丈夫ですからご自分の治療に行って下さい。ここへお願いします!」
「はい」
ガルグ隊長にそう言ってから、右腕が無い騎士を抱えた人達に声を張り上げる。唸り声、呻き声、ぼうっとこちらを眺める視線。治癒所は今、治療が終わったばかりの人から寝込んでいる人まで大勢の騎士がいた。
「薬で意識奪います」
「意識奪ったらすぐ縛り付けといて。完全回復薬ってどれぐらい残ってる?」
「後十三本です!」
「後十作っといて。あれ、浄化剤一瓶しかないっ!?」
「こっちに三十あります!」
今回の魔物討伐に治癒隊が着いて来たのは、討伐対象が特級ランク指定の魔物だからだ。三つの頭を持つ竜は、それぞれの頭から炎、氷、闇のブレスを吐き出す強敵だ。
「縛った?抑え付けててね。意識戻ったらすぐ薬で意識奪って」
「はい」
意識を奪ってすぐベッドに縛り付けて身体を固定し、口の中に布を突っ込んで舌を噛まないようにしてある。それでも、失った右腕の所に浄化剤を掛けた瞬間、意識を取り戻し、その痛みにのたうち回るのだ。
「魔物の唾液で既に腐ってる所はもう駄目ね。このまま切り落として」
魔物に食われた所から浸食していく毒は、肉を腐らせ、骨を溶かして行く。急いで処置しなければ、己が身が死んでいくのを感じながらその痛みにのたうち回り、最期まで意識を失う事をさせてくれないのだ。
傍にいた騎士の一人に剣を差しながら切り落とすよう言うと、顔を青褪めさせながらもこくりと頷いた。剣を抜き、何処を切れば良いのか聞いて来るので、傷口から人差し指一本分の所に印をつけた。
「ここ」
「解りました」
皆が抑え付けながらも下がった時、振り下ろされた剣は印をつけた所から寸分違わず、腐った腕を切り落としていた。さすが騎士である。
目覚めてしまった怪我人の意識を奪いながら、けれど魔物の毒のせいですぐに意識を取り戻すこの騎士に、憐れみを持ちながらも早く処置すべく切り落とした所に毒が残っていないか確認してから、もう一度浄化剤を掛けまくった。
「よし、完全回復剤飲ませて」
口の中の布を取り去り、完全回復剤を飲み込ませるべく頭を軽く持ち上げた。口の中に瓶を突っ込み、喉の奥へ流し込めば上手く飲み込んでくれたようで、失われていた右腕の所が虹色に光り出し、失われた腕が生え出した。
同時に激痛をもたらし、再び暴れる身体を抑え付けている間に、何とか元の通りに生えた右腕に、他の隊員達が涙していた。
「高回復剤を一本飲ませておいて。あ、縛り付けた縄は必要ないから解いていいです」
「はい。ありがとうございました!」
肘の上からの腕を生やしたのだ、体力何て残ってないだろう。
けど、日頃から鍛えている騎士だからこそ耐えられる処置である。
「ありがとう、リット。感謝する」
どうやら回復剤を飲んだらしいガルグ隊長がやって来て礼を言われた。
「ガルグ隊長、この任務が終わったら美味しいお酒が飲みたいですね」
「とっておきの店に連れてってやる」
「残念、家で静かに飲みたい派なんですよねえ」
「寂しい事言うなよ。酒ってのは共に飲む奴がいてこそだろう?」
「相手によりますよね?」
「俺じゃ不服だとでも?」
「いやいや、王都のお嬢様方全員敵に回したくないんで、出来ればガルグ隊長と二人では出掛けたくないなあなんて」
「はは、そうかそうか、何、お前も可愛いから気にするな」
そう言う問題じゃないんですがねと呟いた声は、バンバンと叩かれた背中の音で掻き消された。
「今回の魔物討伐、どうなんです?」
「……我々だけでは追い払うだけで精一杯だ。既に王都へ増援を求めてはいるんだが」
「怪我人は治せますけど、精神的な物まで治る訳ではありません。傷ついたり食われたりすれば、立ち向かう事さえままならなくなるでしょう」
「その通りだ。だが、のんびりと回復を待ってやる事さえ出来ない状況でな」
三つ頭の竜を討伐する為に、王都から第二騎士隊が派遣されるのは通常通りと言えば通常通りで。魔物討伐と言えば第二騎士隊と言われる程、魔物討伐に慣れた隊でもあった。
けれど、さすがに特級ランク指定の魔物に第二騎士隊だけでは心許なく、冒険者ギルドにも討伐依頼が出ていて、ギルドからも冒険者達が派遣されて来てはいた。
それでも、近付く事さえままならなく、逃げ遅れれば今回のように身体を欠損してしまう戦いでは、その内兵が使い物にならなくなるだろう。
「王都は何してるんでしょうねえ」
「お話し合いだろ。いつもの事だ」
「まあまあ。あちらさんも決まりごとに縛られているのでしょうからね」
けっと吐き捨てたガルグ隊長は、どすどすと足音を立てながら治療所を去って行った。今ここに寝ている者達には外傷は一つも無い。ただ、心が折れてしまって立ち上がれないだけなのだ。
どれだけ回復剤を飲もうとも、衰弱していく身体は処置のしようもない。
「困ったもんだねえ……」
第二騎士隊に同行して既に一月半が過ぎている。
騎士たちの疲労も蓄積され過ぎて、せめて交代要員がいればと思うのは仕方のない事だろう。騎士達には言えないけれど、治癒隊だって休みが欲しい。
ああ、王都の薬草園は無事だろうか。
「あああああ、こんな事になるのなら拒否してみれば良かったあああ」
薬草の品種改良に勤しんで、それが成功して。
高回復薬草だけじゃなく、完全回復薬草を栽培出来るまでに育て上げたまでは良かった。田舎町の薬草師が、ウハウハできたのはたったの二ヵ月弱。
王都から騎士達がやって来て、有無を言わさず連れて行かれた。
拒否権を発動したかったけど、そんな事をすれば栽培方法を吐かされて殺される未来しか見えなかったからしなかったけども。
王宮に作られた薬草園で、そこから出る事も出来ずに軟禁され、薬草を育て続ける事だけが私に認められた生存権だった。
今回の討伐遠征に治癒隊がくっ付き、その治癒隊のご指名で薬草園から連れ出され、いつの間にやら治癒隊を指一つで使っている自分に驚きだ。
まあ、高回復と完全回復の薬剤を作るのに、ちゃんとした生成方法を理解していて、尚且つ、魔物に負わされた怪我の処置の仕方を知っているのが私だけというのが理由だったんだけれども。
ああ、薬草に囲まれて寝転ぶあの至福の時が恋しい。
「リットさん、少し宜しいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
治癒隊隊長、サノエさんは麗しいお顔をお持ちの期待の星である。
「完全回復剤を十作るには、薬草が足りません。王都に向けて薬草を送るよう再三要望を出していますが、いまだ叶えられない状況です」
「うわ……」
クラッと目眩がしてよろけてしまうと、サノエさんが大丈夫ですかと言いながら支えてくれた。麗しいご尊顔に、くっきりと隈を作ったその顔は、それでも麗しいのだから羨ましいを通り越して恐ろしい。
「もしかしてもしかしたら、高薬草も完全回復草も駄目にしたかも」
「はっ!?」
「ほら、あれってちょっと育て方にコツがいるんだよね」
「……話し掛けると言う過程ですか」
「そう。あれ、恥ずかしがってあんまり話し掛けないと、ちゃんと育たないんだよ」
「…………あの、他の方法は無いのですか?」
「無い」
きっぱりと断言すれば、サノエさんはがっくりと肩を落とした。
仕方が無いじゃないか。
「歌を聞かせるよりマシでしょう?」
「そんな物まであるのですか?」
「あるよ?言わなかったっけ、魔力回復用の薬草は皆歌が好きって」
「……聞きました」
「特にね、私が作ったおならの歌が好きみたい」
「お、おなら?」
「そう。おならをしようって歌なんだけど……。聞く?」
「いえ、後で伺いますので」
「そう?まあ、今それどころじゃないもんね」
呑気におならの歌を歌っていたら、ガルグさんに叱られそうだし。
「どうしようかな、薬草が無きゃ完全回復剤が作れないよ」
「……討伐にはまだ時間が掛かりそうなのですか?」
「ガルグ隊長に聞いてみたら、王都に増援要請はしてるって」
「という事は、今は膠着状態と言う事ですね」
「だねえ。よし、耕すか」
「え?」
「王都から物資が届かないんだから、こっちで育てるしかないでしょう?」
「し、しかし、」
「明日ガルグ隊長が出る前に、竜の糞を持ってくるよう伝えるよ」
そう伝えたらサノエさんは盛大に眉間に皺を寄せ、有り得ない事聞いたって顔で私を凝視して来た。
「あー、えっとね、竜の糞は高魔力だから耕した土に混ぜると植物の成長速度を高める事が出来るんだよ」
「……しかし、そうは言っても」
「ほら、良くあるじゃない?美味しいお肉の原型は見ない方が良いって」
「いえ、まあ、確かにその通りなのですが」
「大丈夫、見られない所で頑張るから」
じゃあお休みと片手を上げてサノエさんと別れた後、自分のテントに入った。
一応女性だからと、テントの前で見張りをしてくれる騎士がいてくれるのは心強いんだけれども。
「なんでガルグさんがここに?」
「俺のテント、治療中の奴に明け渡す事になってな」
「……猛獣がテントに入り込んでますけどーっ!」
「誰が猛獣だ。大体他の奴らならお前何て入って来て直ぐ犯されてるぞ」
「えー、でも猛獣がテントに入り込んでたら見張りの意味ないですよねえ」
「お前、俺に外で寝ろって言うのか?」
「…………仕方ありません、そうして下さい」
「おい」
元々、三人用のテントを一人で使わせて貰っているのだから、緊急時では仕方のない事とは言え、これは無いと思う。
「薬草が届かないんだって?」
潜められた声に、渋々ガルグさんの傍に座り込んでからこくりと頷いた。
こんな事、第二隊の騎士達に知られてしまったら大変だ。
「たぶん、話し掛けるのを恥ずかしがってやらなかったんだと思うんです。なので、明日竜の糞を少しで良いので集めて来て下さい」
「は?」
「竜の糞です。あれがあれば、かなり短期間で薬草が育つんです」
「……おい、もしかしてお前が作る回復剤は竜の糞から作られてんのか?」
「偶に」
「俺、ありがたく飲んでたぞ!」
「大丈夫です、毒ではありませんからね」
「そう言う問題じゃねえだろ。うげ、知らない方が良かったぜ」
「そうでしょうね。だから製法を大っぴらにしていなかったのに」
「お前……、まあいい、お前の回復剤のお蔭で助かってるのも事実だ」
「はい」
「絶対他の奴に言うなよ?」
「あ、サノエさんに言っちゃいました」
「…………まあ、アイツは治癒隊隊長だからな。知っておくべきなんだろう」
「サノエさんにも言いましたけど、美味しいお肉の原型を見ちゃいけない、みたいな感じですよ。気にする必要はありません」
「ああ、あれだろ、サイガロ」
「止めて下さい!原型を見なきゃ良かったと死ぬほど後悔したんですから!」
「ははは、俺は今その気持ちだバカ野郎」
「む。私は女です、野郎ではありません」
「わかってるわボケ。まあいい明日も早いからもう寝る」
「え、本当にここで寝るんですか?」
「寝る。話し掛けんな」
「おーぼー」
「はいはい」
「らんぼー」
「……」
「たんしょー」
がすっと思い切り頭に手刀を振り下ろされ、「痛いっ」と抗議の声を上げる。
「ぼー付かねのかよ!」
「え、そこ拘るんですか」
「黙れひんにゅー」
「成長期です」
「お前いくつだよ」
「二十六です」
「終わったな。諦めろ」
「まだ成長するんですー。枯れたオッサンと一緒にしないで下さーい」
「誰がオッサンだ!」
「ガルグ隊長、三十六じゃないですか」
「男盛りだっつうの」
「自分で言うと虚しい言葉ですよね」
「……いいから寝ろ!」
今度はバシッと音を立てて頭を叩かれ、頭を擦りながらゴロリと転がったガルグ隊長を見下ろした。どうやら本気でここで寝るらしいと理解し、溜息を吐き出した。