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担任との面談
トイレから戻った私は母にこう告げた。『明日から学校にいくから』と。母は無理しなくてもいいんだよと心配してくれたが、素直に良かったと微笑んでくれた。これから棘の道が待っている。進まなければ何も変わらない、変えられないことを自覚したのだ。私は自分のなかの殻が少しずつ割れていくように感じた。
葬儀が終わり、私は担任に話があると喫茶店に呼びつけた。なぜY子が亡くなったのか理由を聞きたかったからだ。死因は自殺であるが、遺書など無く真の理由はわからないようだった。私はN子軍団からされたすべてのことを話した。
しかしながら、担任は面倒くさそうにこう吐き出したのだ。『でも、あなたにも問題があるよね。あまり私を困らせないでくれ』と。生徒から自殺者を出した担任も教育委員会、校長から突き上げをくらっていたのだ。その日から私は担任に二度と心を開くまいと決意した。
翌日の登校日、N子が私のところにやって来た。その手には、なんと学校裏サイトで私が実名で誹謗中傷したコメントをプリントアウトしたものを持っていたのだ。激しい動悸が止まらない。