1日目-7
あーでもないこーである。であるからしてなど、その後2時間ほどグダグダさせてもらった後、マスターが言った。
「何なら家に来てもらっても良いけどね。一応僕は心は男だから、保証しないよ。」
「マスターが本当の男だったら、結婚申し込むんだけど。人生はうまい具合に噛み合わないね。」
「噛み合う所はうまい具合に噛み合うから。大丈夫だって。」
そうかもしれないね、とマスターを見ながら思ったが何となく悔しいから言わなかった。代わりにこう言った。
「年の功には勝てない。」
「加奈ちゃんは若くて羨ましいよ。」マスターも弾を飛ばして来た。
そして笑いながら言った。
「嘘じゃないよ。加奈ちゃんはまだ若い。僕もだよ。加奈ちゃんも僕もまだまだひよっこ。」
「悟る頃には寿命が尽きるわ。」
「う~ん。だから悟れるのかも知れないしね。分かんないね。何かを悟るには人生は短いのかな。」
そうかもしれないね。時間の流れが人を変えてゆく。経験や、自分の立ち位置の変化。寿命があるという事。否が応にも乗せられているレールの上で、やっと人は何かを学ぶのかもしれない。人生がもっと長ければ、その長いレールに乗ってしまう気がしなくもない。そしてやっぱり人生は短いと呟くかも知れない。
「壁を出るにはどうしたら良いの?」
「そうだなぁ~」
マスターは私を覗き込んで言った。「足掻きたいの?」
目が笑っていた。足掻いているのだ。今まで、足掻きが足らなかったのかも知れない。
「加奈ちゃんは世間知らずのところがあるからね。」
そうだなあ。とマスターは再び考えた後、「ちょっと待ってて。」と奥に引っ込んだ。
「一人でいるのがいやなら、これ、行っておいで。」
マスターが私に手渡したのは航空券の予約番号のメモだった。
「明日?」
「そう。インフルエンザなんだし。良い具合に噛み合ったね。」
「マスターの名義だけど」
「まだ購入してないから、変更出来るよ。」
「マスターはどうするのかって意味なんだけど。」
「用事があってね。どの道行けない。早く帰って準備しないと間に合わないよ。お金は払ってあげる。それプレゼントしよう。」
マスターは、私が喜び勇んで飛んで帰るとでも思ったのだろうか、カウンターの上では、朝から何も食べていなかった私が2時間ダラダラしている間にケーキの皿やら、オムレツの皿やら、パンケーキの皿やら、出したり引いたりが繰り返され、最終的にさっきビーフシチューとパン、サラダ、クリームブリュレのセットを平らげて今正に飲み掛けだったコーヒーがあったが、それを下げようとした。
「待ってよ。」
「?」
「これではい分かりましたって具合にいかないのは、私だけではないと思う。」
「良い席だよ。タダで行くチャンス。」
「言ったら悪いけど、行きたきゃ自分で出すお金くらいあるわ。」
「無いのは度胸だけか。」
くっ。
「それを求めているんじゃないの?どうしようと加奈ちゃんの自由。もう、あげてしまったからね。」
「泊まる所は?」
「そういうのはお金があればどうにでもなるよ。航空券はタダだし。好きにして良いよ。」
むっ。
「1泊5000円から上見れば切りが無い位高いのよ、宿賃というのは。着いてから探せって言うの?」
マスターがズイと顔を近づけた。
「なあ、小金持ちよ。準備万端で行きたいのなら、日を改めて計画を立てて行け。」
私は航空券の予約番号のメモを手に、店を出た。
「海外じゃないな。」日本語が通じるなら、大丈夫だろうか。
これが別の誰かから貰った物なら、勿論行く気は更々なかった。でもくれたのはマスターで、マスターがそうする以上、何とかなる様な気がした。
マスターは心は男だと自分では言うが、私も伊達に長い付き合いはしていない。マスターと話していて、マスターを男の人みたいだと感じた事は今まで一度もない。でも女でも無かった。見た目はイケメン、立派な男性。一目見て彼女を女だと思う人はまずいないだろう。見た目男の彼女だったが、話をすると彼女は男では無かった。若い頃から背も高く、ガッシリしていて声もバリトン。本人もそれに悩んだ事はないらしい。お洒落好きで、男物の靴や服装、時計などの装飾具を好み、バレンタインにはチョコを貰ったという。女では無いと言う。不思議だ。男と女は、ハッキリ分かれる気がするのに、マスターは男でも女でも無く、私から見ておかまでもおかめでも無い。マスターはマスターだった。他にもマスターみたいな人がいるのかなと思うと、違う気がする。きっとその人はまたその人で、男女の概念を崩すのだろう。そういう人が世の中にはいるのだ。
家に帰ると、もういい時間だった。
私はダラダラと明日出掛ける用意をした。
そうしてやっと、空では、長かった今日一日が終わろうとしていた。




