4日目-4
家に帰りながら、少し歩いた。20KM歩くつもりは流石にない。1区間歩いてバス停に立った。
バスを待ちながら、私はこの4日間で大量に来ていた店や母からの着信やメールを初めて開いた。
健太郎に、電話を掛けた。
健太郎は席を外しているという。
私は自分がマスターの所に居る事を伝えてほしいと話した。
「インフルエンザはもういいんですか?大丈夫なんですか?」
インフルエンザが嘘である事にピンと来ない。
「インフルエンザは嘘です。マスターのご実家にいると伝えて。」
18日に会議が有ると言う。
「それまでに帰るから、そう伝えてくれる?」
私は約束した。
「川越さんから、お電話がありました。」
川越さんと言うのは、私の友人で、今癌と闘っている。
「分かりました。有り難う。」電話を切った。
川越さんは、癌の治療薬の副作用で頭が禿げた。女性だ。私も女だから分かるが、女と言うのは口紅1本上手く引けただけで、その日の気分が違う。私も少しは分かる。それが禿げとなると、辛い。だが美しい人と言うのは不思議と、禿げても美しかった。禿げた川越さんは、お寺に立つ精悍な僧侶を思わせた。その禿げは薬によるものだったので、髪の毛は次期生えて来た。川越さんは嬉しそうに
「ここまで生えたらあとはもうこっちのものよ。後はこの髪を大事に育てるだけ。」と言った。強くて、美しい。
川越さんの問題は禿げなどでは無い。癌である。沢山の人達が、心から川越さんを見守っていたが、真の闘いは一人で成さなければならない。私には到底想像もつかない闘いを、毎日、繰り返す。3時間だけなら、或いは3日だけなら・・・。しかし毎日、闘いが続く。
そんな生活を、川越さんは受け入れていた。受け入れた中で、闘っていた。そしてやがて髪の毛は生えて来た。美しく、強く、心から笑う事を知っている人だった。
「心が晴れていれば、それで良い。」
先を急いでも、伸びるはずの髪の毛は目に見えない。生やすためにワカメでも食べていた方がまだいい。
バスが来た。
バスの中、スマホをいじる若者。
巷ではポケモンGO!人々の心を掴んだようだ。私はゲームをしない人なので、何が楽しいのか分からないのだ。あまり興味は無いのだが、人々が熱狂する様は、楽しそうでもある。現代の芸術と言えるのかもしれない。ある1本のすり切れそうな音楽が、ふと頭に過る。
人々の心を掴むには、普通のラインを超えて行かなければならない。心を動かす、芸術というものの価値はそこにある。名のある評論家が1度その作品を認めれば、それが保証となって形としての価値が付く。その保証に、人は弱い。評論家なんかが出てくるのは、画だとか料理だとかとして、話が纏まらなくなるので一先ず脇に置いておくとして。
苦心惨憺の上出来たものを、人は当たり前に見る。例えば、映画のバックミュージック。完璧でありながら、完璧である事が当たり前の存在。街で流れるプロのヒット曲も、ある意味それで当たり前にならなければいけない。そこに行くには、生の人間の苦悩がある。普通では理解を超えるのもがあるであろう。無から何かを作るのは、容易な事では無い。
しかしながら、情報時代の現代、その情報は、ただの知識としてだけでは無く、得た知識によりそれについて考える事を人々に与えた。そうしてすべての意味で全体のレベルは上がってゆく。色々な角度から物事を見る人々が増えていると思う。それでも、心が揺れなければ、それらはただのウンチクになる。浅い知識、耳から得ただけの情報は、飽きたら捨てるを繰り返し、無いのも同じの理念が、あたかも在るかのごとくに見せられる。真の意味で人々の心を掴む。それは簡単な事では無いし、使い捨てに慣れた人々は、それを求めていない振りをする。だけど本当は必要なのだ。「心に花の咲く方へ」みな誰しも希望が欲しい。心から楽しみたい。感じたい。だから芸術には価値がある。
時代によって流行はあれど、頑なな心をこじ開けれれば、人は昔と変わらない。好きな物は好きと、言うだろう。
「鈍感な頭に、石を投げて振り返らせる。」昔も今も、同じ事。
気が付くと、下車すべきバス停を通り過ぎていた。
ああ、誕生日から4日。あまり変わっていないのではないか。そう思いつつ降車ボタンを押す。1区間、歩いた。
歩くというのは良いものだ、スティーブジョブスを読むと良い。
歩いていながら、それでも少しだけましになってきている、そんな気がした。20KM走るより、歩いた方が休まるのかもしれない。走っている時は、考える余裕が無い。
町田家に、帰り着いた。




