3日目-2
昼食後、私は基本お手伝いに来ているのだからと、特別な意識があまり無く、館内を一人ブラブラしていた。すると後ろから、「ちょっと、あなた、聡子さん。」と。多分私だろう。
振り向くと、婦長さんだ。
「あなた、勝手にブラブラしないでくださいね。ここは病院ですから。奥様、どちらに?」
???奥様?
その時後ろからおばちゃんが駆けて来た。
「ほら、文書整理に行くよ。」
振り返ったら婦長さんは、くるりと背を向けていた。
午後からは、文書整理に変えてもらった。おばちゃんが、文書整理の係りの所まで連れて行ってくれた。
行きながら、さっき婦長さんに言われた事をおばちゃんに聞いてみた。
「ああ、精神病棟だからね。鉛筆で刺されるよ。だとか、そんなことだよ。」おばちゃんはサラッと言った。
えんぴつ?
私を見て笑う。「そんな事する子は一人もいないから。」
病室に挟まれた廊下を歩きながら、話す。
精神、病棟。そんな事する子?
歩きながら、視線を感じた。時々見かける患者さんは、そういえば、子供ばかり?
突然すぐ側の病室から、一人の女の子が飛び出して来た。正直、一瞬ビクッとする。
女の子は、自分の顔を隠そうとする様に、おばちゃんに抱き着いて来た。背丈がおばちゃんくらいある。
「おおほほ。元気。元気。」おばちゃんが笑う。
女の子は半分おばちゃんに隠れて、私を見て言った。
「聡子ちゃん、は?」
「今日は来ないんだよ。」と、おばちゃん。
「なぜ?」
女の子は、私を見ている。
「用事があるから。」と、おばちゃん。
ふと、スカートを引かれた。
もっと小さな女の子だった。ひまわり。
その小さな女の子の、向日葵の様な笑顔に、知らず知らず掛かっていた心のガードの様なものが、解けてゆく。
女の子は私の腰の背で、私に、おいでおいでする。私に耳打ちしたいのだ。
「夜、来る?」こっそり、そう言う。
意味は分からなかったが、私は耳元で重なる小さな手に、何も言えなかった。私は微笑んでいたが、その微笑みは、その子がくれたものだった。その手を、握り返したかった。頭を横に振る。分からない。熱いものが胸元に上がり、頬で血が蒸気するのを感じた。私はどうにかその繋がらない返答をこらえた。
どこかの病室から、男の子が泣いていた。その泣き声を、私は文字で表現する事が出来ない。うわーんでも無く、ええーんでも無く。心の底から、何かを訴えようとする。力の限り泣くその声は、文字を形取らない、生きるものの、と、言ってはダメだろうか・・・男の子の泣き顔が目に映った。とても切なく、やるせないもの。悲しい事に、気付いてほしがっている。
もしも私が母親だったならば、理解してあげれただろうか。多分、出来ないだろうと、思う。その子の母親ならば、おそらく、一番理解に近付けたとしても。自分が例えば誰かの母親だったとしても、その男の子が自分の子供で無ければ。いつも傍に居て、いつもその子の事を思い、自分もその子に沿って変わってゆくから、きっと、一番近く、理解出来る。その子達は皆、それぞれだ。多分、自分の子供だから、出来る。
「男の子が、泣いてるわ。」私はおばちゃんに言った。
「泣ける子は、まだいいのよ。」おばちゃんが、言った。自分と同じ位の背丈の、飛び出して来た女の子を抱きしめながら、凛とした目が、印象的だった。
文書整理は、比較的楽な作業だった。私は何とかそれらを熟し、茂希さんを待たずに帰宅させてもらった。




