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天妖の姫君  作者: 森戸玲有
第三章 師弟関係と本音
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第三章 壱

 

 遥かなる昔。

 始王・翔禅(しょうぜん)が天陽国を建国する以前の話である。

 一介の武人であった翔禅は、狩りの途中、一人の美女と出会い、恋に落ちた。

女の名を志妃(しひ)という。


 翔禅は志妃に熱烈に求婚した。しかし、志妃は頑なに否と言い続けた。とうとう、思いつめた翔禅は、理由を言わぬのなら、自らの命を絶つと志妃に迫った。

 志妃(しひ)はやっと本音を明かした。


 ――自分は人間ではないのだと……。


 翔禅を想う気持ちは持っているが、自分には同じ種族の仲間がいる。

 その仲間を見捨てることは出来ない。


『どうか……日の目を見ることも出来ずに、人間から隠れてひっそりと暮らす我らが種族に居場所を与えてやって下さい。もしも、この言葉を翔禅が実行出来たのなら、喜んで貴方様の妻になります』


 翔禅は、志妃(しひ)の願い通りに、国を平定し、志妃の仲間に居場所を与えた。

 志妃は約束通り、翔禅のもとに嫁ぎ、娘を生んだ。

 それが天陽国の起源とされている。

 

 ……だが、話はここで終わらない。安住の地を手に入れたとはいえ、志妃の種族は、人間たちに差別され、虐げられた。人間は異種族を恐れたのだ。


 最初は彼らに味方していた翔禅も、庇いきれなくなり、ついに挙兵した。

 志妃は怒り狂った。身体的には彼らの方が、人よりも、優れているのだ。


 それを……。


 今まで攻撃しなかったのは、人間と共存したいと、願っていたからこそだった。とうとう、場所を追われるものかと、志妃の一族は、人間に抵抗した。


 そして、志妃は王宮から姿を消す。次期王位継承者である娘に、呪いをかけて……。



「――ねえ? ありきたりなお伽話でしょう……」


 彩凌は自嘲気味に言った。


 ――それは、高位の僧侶だけが知ることの出来る、歴史の一部だ。


 矛盾を孕んだ話だと彩凌は思っている。


 しかし、この話とそれに付随する真実を耳にした時、彩凌にとってのすべての価値観が一度崩壊したのは、事実だった。


 妖異と戦うために「天来教(てんらいきょう)」を信じ、彩凌は僧になったのだ。「妖異(ようい)」は絶対的な悪でなければならなかった。

 少なくとも、親の敵をとるために、僧侶になった彩凌にとっては、滅ぼさなければならない相手だった。


(……それが。何故?)


 妖異の子孫である透花を、育てなければならなくなったのか……。

 どうして、こんなにも自分は必死になって、透花を守ろうとしているのか。


「で、でも、祥仕(しょうし)。あくまでも十六歳までの話なのです。それを過ぎたら、次第に妖異の力は、王女の体から消えていき、普通の人間として生を全うすることが出来るのですよ」


 彩凌は透花に、いつもと変わらない調子で話している……つもりでいた。

 けれども、透花は瞬き一つしない。

 いつもは煩わしいくらい、彩凌の周りに、まとわりついてくる透花が黙っている。

 差し向かいになって、座る二人の真ん中にある黒塗りの丸机を、透花はじっと睨み続けるだけだった。


 ――宿屋の二階。彩凌の部屋。


 涼雅と延凌には、控えてもらって、彩凌は透花を自室に呼んだのだ。

 いつもとは違い、まったくもって、反応を返さない透花に、彩凌は心の奥底で、慌てふためいていた。何を言えば、いつもどおりの透花に戻ってくれるのか、彩凌にはさっぱり分からなかった。


「……何故、第一王女なんですか?」


 透花は囁くように声を落とす。


「私、指輪(これ)を取ったら、人間じゃなくなって……、しまうんですよね」


 感情の乾いた独り言だった。

 特に、彩凌に答えを求めているわけではない。それが分かってしまうから、尚更彩凌は子供のように熱くなっていた。


「化け物になどなりません。今までだって、普通に人として生きてきたでしょう。紅令には私の張った妖異避けの結界があります。今回お前は、その壁を越えてきたのです。それはお前が人間だということを、証明しているじゃないですか。お前はお前です。私はお前を実の娘のように可愛いと思っているのですよ」


 机の上に組んだ両手を見つめている透花は彩凌の言葉に無反応だった。

 真白い壁の部屋には、今まで明るい陽光が差し込んでいたが、流れてきた分厚い雲が太陽を遮って、一気に、暗い部屋になってしまった。


「……祥仕」


 そっと呼びかけると、一度深くうつむいてから、ゆるゆると透花は顔を上げた。


「でも、私、化け物になったんです。あの景蘭っていう妖異に乗っ取られて。自分が自分でなくなったんです。お師匠様……、もしかしたら、私はあのまま延凌様を?」

「何を言い出すのです? あれはお前のせいじゃないでしょう。あの妖異の……」

「――じゃあ、あの妖異を。景蘭(けいらん)を殺すんですか?」


(どうして……?)


 彩凌は、声を詰まらせた。昔の自分だったら、透花のその問いにきっぱりと頷いたはずだ。

 何の躊躇いも持っていないと思っていたのに、透花に今それを言うことが出来ない。


「お師匠様。……私を引き取ったことを後悔されているのですよね?」

「……聞いていたのですか?」


 彩凌は猛省したものの、今更どうにもならない。

 せめて、ちゃんと否定しようと、机に身を乗り出すと、口をつけていない冷めた茶が湯呑みの中で、小さく震えた。


「――誤解です。祥仕」


 感情的に口走ると、大声になっていた。そんな自分に驚きつつも、彩凌は必死に言い訳を考えていた。

 『別に好かれたいわけではない……』そんなふうに、延凌には強がってみせていたが、もしも透花に嫌われてしまったら、彩凌は自分がどうなってしまうのか、考えるのすら恐ろしかった。


「あれは、言葉のあやで、私は別に……」

「でも」


 いつも一つに結っている髪を解いているため、透花が横を向くと彩凌にその表情は見えない。長い髪が透花の顔を隠してしまう。彩凌が覗き込もうとすると、至近距離で目が合った。


「お師匠様は、私が憎かったでしょう?」

「そんなことありません」

「でも……」


 言葉が通じない。透花は悪い考えにとりつかれている。しかし、彩凌にはそれを救うための言葉がなかった。


 憎かった……のだろうか。それすら、自分には分からない。  


 窮していると、扉を叩く音があった。

 僥倖とばかり、彩凌が引き戸を開けると、そこには席を外してもらったはずの延凌がいた。


「事情説明は終わったか?」

「……ええ。あらかたは」


 彩凌が曖昧に微笑むと、延凌は屈強な体を屈めて、左足を庇いながら、部屋の中に入ってきた。先ほどの攻撃で、延凌は体中に怪我をしている。


(もう、起き上がって大丈夫なんでしょうか?)


 純粋に心配もしているが、彩凌は、今、延凌と透花を会わせたくなかった。

 延凌の行為は「僧侶」としては、正しい。

 妖異を退治することに全霊を傾けるのなら、透花を狙うことも仕方ないのだ。


 しかし……。

 彩凌は何度も自らにそう言い聞かせたが、簡単に割り切ることは出来なかった。

 いくら激昂していたとはいえ、延凌が透花を危険に巻き込んだことには変わりはない。

 それに、延凌との会話が透花に聞かれていたことも、八つ当たりだと分かっていながらも、憤りを覚えていた。


「延凌様……」


 透花は立ち上がって、今まで自分が腰かけていた椅子に延凌を(いざな)った。

 延凌は風呂にでも入ったのだろうか、こざっぱりした白い法衣を身につけている。

 ついでに、昨日までの無精ひげも綺麗に剃られていて、、四十代とは思えない若々しい顔つきが明らかになっていた。


「大丈夫ですか? 私のせいで……」

「覚えていないんだろう? それに、俺だってついカッとして、透花殿を危険な目に遭わせてしまった。どうも、妖異のこととなると、駄目なんだ。透花殿には、すまないことをした」


 延凌は今まで閉め切っていた部屋の丸窓を開けると、すとんと落ちるように、椅子に座った。


「……で、透花殿は出生のことについてコイツから聞かされたんだな」


 延凌のきびきびとした質問に、透花は促されるようにはっきりと言った。


「はい。第一王女は妖異になるという話を聞きました」


 延凌は深刻とは言えない面持ちで、顎を擦った。


「確かに。透花殿は妖異だ。そして、俺たちの師匠を……」

「延凌様!」


(――何を言うのか?)


 これ以上透花を苦しめるなと、彩凌は延凌ににじり寄ったが、そんな彩凌を片手で押さえた延凌は、懐から漆黒の数珠を取り出して、透花の鼻先に突き出した。


「透花殿。この数珠の石を念石(ねんせき)というんだ。僧侶が法力を込めて作った代物だ。勿論、彩凌も赤の石を持っているはずだ。知っているだろう?」

 

 彩凌は取り出すことはなかったが、懐に収めている真紅の数珠の存在は、透花もよく知っている代物だった。


「大法胤は、妖異に変化し兼ねない第一王女を抑えるために、自分の法力をこめた指輪をはめさせる。この時、一度、大法胤は王女の力を解放し屈服させなければならない。透花殿、貴方はその解放時に、俺たちの師を死に至らしめたんだ」

「延凌さまっ!」

「……そんな」


 これ以上はないというほど衝撃を受けて、そのまま倒れてしまいそうな透花の細い肩を、彩凌は支えた。


「何てことを……」


 苛立ちで震える彩凌の様子には、目もくれずに延凌は続けた。


「仕方ない。事故だったと、皆思ってる。彩凌の悩みはそれさ。師匠を亡くした彩凌は貴方を引き取ることに、最初戸惑っていたんだ」

「お師……匠さま。私が人を……? 唯慧(ゆいけい)さまを……?」


 追い込まれて、透花は激しく揺れる視線を彩凌に向けた。

 彩凌は透花を見ていられなくて、頭を振った。


「透花、私はその場を見たわけではありません。大体、お師匠様が拵えた念石がそう簡単に壊れるわけがないのですから……」

「でも、私なんですね」

「透花…………」


 透花は大丈夫だと、気丈にも、笑ってみせた。透花は透花なりに、延凌の告げた真実と向き合おうとしている。


(どうして?)


 そんなに冷静なのだろう?

 透花は、彩凌よりはるかに落ち着いて見えた。


 …………だからだろう。彩凌の方が途方に暮れていた。


 むしろ、彩凌としては、透花が泣いて、喚いて、叱責してくれた方が良かったのだ。そうしたら、いつまでも彩凌は透花の保護者でいることができたはずだ。


(私の手から離れてしまった……) 


 透花は彩凌を師匠として、尊敬しているのだろう。しかし、彩凌はそんな関係を築きたいと思ったわけではない。

 彩凌は、自分の内の怒りも、憎しみもすべて透花に語るべきだった。

 大人ぶって、透花に説教し、言うことを聞かなければ、念石を締め付ける。

 そのやり方でしか、彩凌は透花と向き合えなかった。法術や、天来教の教義に関しては、彩凌も自信を持っている。――けれども、ただそれだけのことなのだ。


(他に、私に何が出来たというのか?)


 透花に偉そうなことを言っても、結局のところ彩凌は教院の世界しか知らず、口から吐かれるのは、教義に則った倫理観だけだ。彩凌の言葉ではない。


(……だから、透花には届かない)


 ……離れていく。


 彼女はこんなにも苦い真実に直面しながら、彩凌を頼ろうとはしない。

 暗澹たる気持ちで、彩凌はうつむいた。

 そして、それを知ってか知らずか、延凌は口元に皺をこさえ、渋い笑顔を作った。


「俺が言いにきたのは、今後のことについてだ。過去のことではないんだよ。透花殿」

「けれどっ!」


 延凌の視線は、彩凌に向かっていた。


「どうするつもりなのかな? 大法胤・彩凌?」

「はい……」


 一応は、彩凌を立ててくれるらしい。

 そんな延凌の毒のような優しさに、彩凌は赤面しつつ、控え目に答えた。


「とりあえず、あの妖異の狙いが透花だと分かった以上、一刻も早くここから立ち去るべきです。これから涼雅に祥仕を頼もうと、思っていた矢先だったのですよ」

「涼雅に透花殿を紅令に届けさせると?」

「出来れば、延凌様にも、涼雅と一度、本拠である黒武院(こくぶいん)に戻って頂きたいと思っています。私はあの妖異を放ってはおけませんから」

「彩凌、お前?」

「そういうことですから、お前は紅令に戻りなさい。祥仕」


 大法胤としての決断だった。かたわらの透花に、きっぱりとした口調で告げる。

 ……だが。


「何故?」


 またしても透花は物怖じせずに、聞き返してきた。以前の透花だったら、考えられない言動だった。

 彩凌は困却しつつも、何とか言葉を紡ぐ。


「分かっているでしょう。あの妖異はただの妖異じゃない。人間の意識を乗っ取る妖異なんて、聞いたことがない。私にも延凌様にも、予測不可能なものなのです。お前を、これ以上、危険に巻き込むわけにはいきません」

「あの妖異の女性なんかより、私が一番危険なのではないですか?」

「祥仕!」

「まあ待て。彩凌。とにかく、お前が透花殿を連れて帰るべきだろう」

「延凌様!?」

「覚えていないのか!? 彩凌」


 彩凌の意見を封じ込めるように、延凌の声が轟いた。


唯慧(ゆいけい)師匠は、いまわの際に、何とお前に言った?」


 蒼白になる彩凌を、隣に立つ透花が見上げていた。


 ――透花殿を頼む。


 そう言ったのだ。死の直前、枕元に駆けつけた彩凌に、唯慧はそう言い遺して、息を引き取った。だからこそ、国王は息子ほども年の離れた若い彩凌に娘の透花を託すことを決めたのだ。


「お前はそれを果たさなければならない。……そうだろう?」

「……延……凌様」

「それに、今の俺は透花殿を守りきれる自信がない。傷を治したいんだ。あの妖異と再戦しなければならないしな。元々あの女と戦っていたのは、俺の方だ」


 延凌は外に目を向けた。細い目が見つめているのは、百蓮の市井ではないだろう。遠くに聳える薄霧に覆われた遠山。東海山の麓に築かれた町・蒼郡の蒼提(そうてい)だ。


「あの女も、体力を消耗しているようだった。もしかしたら、古巣の蒼郡の方へ一時退却しているのかもしれん。妖異には帰巣本能があると聞いたことがあるしな」


 そんな単純なものだろうか。それに……。


「そもそも、あの妖異の目的は何なのでしょうか?」

「透花殿は聞いたのか?」


 ぶんぶんと透花は首を振る。延凌は厳しい顔つきで、一言した。


「彩凌、妖異に思考なんてものはないんだぞ。惑わされるな」

「ええ……」


 頷きながらも、彩凌は悩んでいた。今まで彩凌はそれを信じ続けてきた。

 ……なのに、どうしようもなく、今、自分は揺らいでる。

 

 ――落ち着け。


 一息ついてから、彩凌は首肯した。


「分かりました。一度、私も紅令に戻ります」


 延凌は彩凌の心根を見抜いているのだろう。

 自分が混乱しているようでは、妖異など退治できるはずもない。

 しかし、彩凌は自信がなかった。

 今まで信じてきたものを取り戻す自信も、透花を王宮に見送るための心構えも……。

 透花が自分のもとから去って行く様を目の当たりにして、平生でいられるはずがない。

 だから、彩凌は逃げるように朱伊に預けたのだ。


「とりあえず、涼雅を置いていきます。あの人も引退はしていますが、法力は使えます。祥仕を送り次第、私も急ぎ蒼提に行きましょう。無理をしないで下さいね。延凌様」

「ああ」


 延凌は首肯すると、左足の傷を撫でながら何気ない口振りで、言った。


「――紅涯経典が必要になるかもしれんぞ。彩凌」


 ……覚悟しておけという意味らしい。


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