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天妖の姫君  作者: 森戸玲有
第二章 それぞれの思惑
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第二章 参

 天来教が信仰する唯一神「天尊(てんそん)」は、始王・翔禅(しょうぜん)を模った像として、教院に安置されているが、天尊の正体とは、頭上に広がる「空」なのだという。


『これは、教徒の人はほとんど知らないんですけどね』


 彩凌は、そう言って苦笑した。


 天尊(てんそん)が自然物ならば、信仰も神もないような気もする。


 そう、透花が心のままに告げると、

「本当、その通りですよね」

 ――と、大法胤とは思えないような台詞を口にした。


(何を知っているんだろう?)


 何がそんなにお師匠様を苦しめるんだろう?

 透花はそんな彩凌の横顔がとても寂しそうに見えて、その時、一抹の不安を抱いたものだった。

 大人になったら、彩凌の気持ちが分かるだろうか?


 しかし、透花は彩凌が「紅涯師(こうがいし)」と「大法胤(だいほういん)」を同時に受け継いだ年になったのに、透花は何一つ彩凌のことが分からなかった。 

 もう、透花は子供ではない。

 だから、何でも話して欲しい。そう思っていたのに……。


 ――透花は聞いてしまった。


 眠ることが出来ずに、朝と同時に起き出した。宿屋の食堂。

 手前の細い廊下に差し掛かったときに、聞こえてきたのは彩凌と延凌の声だった。

 薄い壁で、仕切られている安宿は、路上の声と室内の声が同じように、よく響いた。

 最初は、彩凌に会うのが気まずくて、歩みを止めただけだった。


 ――昨夜。


 彩凌は透花の必死の願いも聞かずに、「帰れ」の一点張りだった。

 しかも、透花が女物の着物を着ていることにも気付いてないようだった。

 本当は彩凌にすぐにでも気付いて欲しかったのだ。

 気が付いて修行中だと叱られるのなら、まだ良かった。

 透花は腹が立った。感情が昂ぶったために、彩凌に酷い言葉をぶつけてしまったのだ。

 反省はしている。だからこそ、彩凌に会うための心構えを必要としていた。


 なのに……。


 透花は完全に身動きがとれなくなってしまった。

 彩凌と延凌の間で繰り広げられる話に、足が硬直してしまった。  


 ……意味が分からなかった。


 どうして、彩凌の菫色の瞳が悲しそうに揺れているのか?  

 特に彩凌の最後の言葉。


 ――何故、透花を引き取ったのか……?


 そんなふうに、透花の存在は、彩凌の心の底で長い間、自問されていたらしい。

 今まで、彩凌だけは無条件に自分を受け入れてくれると思っていた。

 でも、実際はそうではなかったのだ。


(私のことが邪魔だった……?)


 どういうことかと、その場で彩凌に詰め寄ろうともした。

 でも、透花にそれは出来なかった。

 ふらふらと、食堂とは反対方面の入口から、外に出た。

 紅令よりも乾いた風が、透花の小さな体を冷たくする。

 朝早くから賑やかで、煩雑な大路。

 通り沿いに生鮮野菜を売る露店が軒を連ね、その奥には、食堂や雑貨店が続いていた。やはり、違う土地だ。紅令の街は華やかさに満ちているが、活気という点では百蓮(びゃくれん)が勝っている。建造物も朱色の瓦屋根が主流の紅令とは違い、圧倒的に緑色の屋根が占めている。透花の知らない黒色の果物や、見慣れない格好の人がいたる所にいる。

 そんなに紅令と離れているわけではないのに、世界とはこんなにも違うらしい。

 知らないことが沢山あるようだ。

 昨日までは、それを知りたくて仕方なかったのに、今は知ってはいけないような気もしている。 

 彩凌にすべてを聞いた方が良いのだろうか。

 それとも、何も聞かなかったふりをするのが良いのだろうか……。


(ああ……)


 だから、彩凌は透花に別れの言葉も言いたくなかったのか。

 暗い思考を巡らせながら、透花は人の流れと、逆方向に進んだ。

 呆然と表通りをさまよっていると、勢いよく人にぶつかった。ひっくり返りそうになりつつも、透花は謝ろうとしたが、矢先に手を取られた。


「あっ、あの……?」


 相手はしばらく無言だった。痛むのだろうか……。

 そんなことを丁寧に思っている透花は、まだまだ自分が甘い考えでいることに、気がついていなかった。


「――……つけた」

「は?」


 声の主は女性だった。艶やかな銀灰色の髪が、頭を覆った外套の隙間から垣間見えた。

 真っ赤な口紅が鮮やかに透花の瞳の中に焼きつけられた。女の口角が俄かに上がる。


「見つけた」


 透花はようやく気がついた。その女性は、昨日の「妖異」ではないのか?


「どうして?」

「ここの結果壁は緩んでいる。入り込むことなど造作もないさ」


 女は透花の腕を軽く引っ張った。


「丁度いい。つきあってもらうぞ」


 優しい口調だったが、それは限りなく脅迫に近い一言だった。


◆◆◆


「――そんな怒り顔はよせ。せっかくの甘味がまずくなる」


(そうは言われても……)


 透花は、緊張感を解くことは出来なかった。


 開店したばかりの甘味処。

 餡を薄めた汁が名物だという店は、紅令に一軒だけしかない饅頭屋と同じくらいに繁盛していた。

 赤い絨毯の敷かれた長椅子に、透花と妖異は腰をかけている。小さすぎて、微妙に地面まで足が届かない透花は、落ち着かずに足をばたつかせていた。

 早速、運ばれてきた甘味に、(けい)(らん)と名乗った妖異は、上機嫌に箸を割り、口をつけた。


(……何で、こんなことに?)


 女に会った時、大声を出して、暴れようとしたのだ。

 ……しかし、力が湧いて来なかった。

 何よりも、妖異が律儀に名前を告げ、甘味まで奢ってくれると言うのだ。


(信じられない……)


 本当に昨日空を飛んでいた妖異なのだろうか?

 「妖異」は化け物の総称である。

 当然、透花も天来教の教えを信じてきた。

 しかし、この女性はどう見ても、人間にしか見えない。

 長い睫毛に、厚みのある色っぽい唇と銀色の瞳。昼間なのに、月明かりのように煌く銀灰色の髪。体に沿って作られた黒い着物は、裾の部分が赤い。……妖艶だ。

 通行人の目がすべて景蘭に注がれている。


 ーーこの人、妖異なんだけど……。などとは、口が裂けても言えなかった。


 その美しさは、人間を凌駕しているようだったが、あくまでも人間の姿だ。

 透花は、今までこんなに美しい女性を見たことはない。こういう美しさなら透花だって、いっそ欲しいくらいだった。


「言っておくがな。私は人の血なんか飲まないぞ。気色悪い」

「……聞こえてたの?」


 昨日、馬車の中で彩凌が透花に諭した言葉を知っている。

 ……となると、やはり、妖異に間違いないのだろう。


「早く食べないと、まずくなるぞ」


 見た目とは違い、ぞんざいな口調で命令する妖異は、とっくに汁粉を完食していた。


「どういうつもりなの?」


 透花は、視線を通行人に合わせたまま、問うた。

 景蘭は、透花の視線を追っているらしい。二人で前を向いている。


「どうも、こうも幸運だと思ってな。一軒一軒この町の宿を探そうとしていたんだ。そしたら、お前が出て来たものだから、これはシメたと思ってな。ここから去られでもしたら、厄介極まりないからな。さすがに私も王都や、紅令の結界壁を入るのは辛い」

「妖異だから?」

「おい、小娘。私を蔑むような顔やめろよな。無知な証拠だぞ」


 ぐっと、言い返したいのを透花は耐えた。

 ……図星である。

 誰もいない土地に行くのだからと、おもいきって着てきた女物の青い着物を、透花は両手で握り締めた。

 妖異は人に害を為すものだと信じてきた。それが単に透花の勝手な先入観だとしたら、最悪だ。さっき、悟ったばかりだ。透花は、自分が何を知らないのか、分からないほどに無知だったということに……。

 景蘭は満足したらしく、くっくと喉を鳴らした。


「素直だな。いいぞ。小娘」

「私は小娘じゃありません。透花って名前がちゃんとあるんだから……」


 ここは紅令ではない。名前を名乗っても大丈夫だろうと思った透花はおそるおそる名乗った。景蘭は悠然と微笑んでいる。


「そうか、じゃあ透花。お前が抱いている疑問を私が答えてやろう。試しに聞いてみろ」


(何だろ。この人の態度は?) 


 威圧的だが、決して透花のことを蔑ろにしているわけではない。

 むしろ、親しみを抱いているようだった。


「な、何故、貴方は私を捜してたの?」


 景蘭の勢いに、つられるように、透花が口走ったのはそんな質問だった。

 この質問で打ち切られたら、どうしようかと一瞬、思ったが、景蘭はもったいぶらずに、さらっと答えた。


「ああ、簡単なことだ。私はお前が国王の娘だと知っていたからな」

「………………う、嘘?」


 透花は耳を疑った。そして、その時になって、初めて景蘭と目を合わせた。


「どうして私が王女だって、貴方が知ってるわけ?」

「紅い指輪をしている」

「……えっ」


 景蘭は紅い指輪を軽く小突いた。透花はとっさに指を引っ込めた。


「駄目よ。これは、お師匠さまが……」

「別に盗りはしないさ。安心しろ」


 両手を挙げて、降参の姿勢を取った景蘭は、楽しそうに笑っていた。


「それは、大法胤が第一王女に与えるものだと決まっている。その時の大法胤によって色は違うけどな。紅ってことは、今回は紅涯師が大法胤で、姫を預かったてことだ。昨日、紅涯師を見た時に、指輪をしているお前を見て、すぐに王女だと分かった」

「だって、こんな紅い指輪、何処にだってあるものでしょ。指輪にお師匠様が念を込めてるから、貴重なんだって聞いたわ」


 子供の頃から、彩凌が大きさを調整しながらはめていた指輪だ。

 綺麗な紅玉だが、見た目はただの硝子玉のようだった。


(……どうして?)


「当然だ。その指輪には歴代の大法胤の力が込もっている。自分の命を脅かす法力に、敏感になるのは、当然だろう」


 もっともな解説ではあるのだが、透花にはやはり納得がいかなかった。

 そもそも、どうしてこんなにも景蘭が王族と天来教について、知識があるのか分からない。


(私だけが何も知らないのだろうか?)


 考えを整理するために、汁粉を口に含むと、ほどよい甘さが透花の口中に広がった。

 ほっと一息ついていると、鋭い突っ込みが頭上から降ってくる。


「確か……、十六歳で、王女は王宮に戻るんだったよな?」

「……ぐっ」


 せっかくの旨みが逃げてしまった。

 餡を喉に詰まらせて咽る透花を、冷めた青灰色の瞳が見つめていた。


「……ふーん。もしかして、お前十六歳なのか。体はちっこいけど……」

「ど、どうして、そんなに詳しいの? 貴方、ただの妖異じゃないんでしょ?」

「妖異……と、一口に言うのは、正しくはない。それをいうのなら、人智を超えた法術を使う法胤だって、妖異の一種だろう。考えてもみろ、自分を人間だと強く認識しながら生きているヤツなんていないだろう。それと一緒だ。妖異だって、自分が妖異だと自覚しながら、生きているヤツはいないはずだ」


 乱暴な言葉だったが、彩凌と似た筋の通った説き方だった。

 透花はこの妖異が自分に対して、悪意を抱いていないことを強く感じていた。


「――知りたいか?」


 景蘭は足を組んで、こちらに身を寄せる。

 透花の小さな顎を片手で掴み、謎めいた微笑を浮かべた。


「私は、この世界で長い年月をずっと一人で生きてきた。知らないだろう? 妖異の寿命はな、人間のよりもずっと長いんだ。……だから、私はお前のことを直接は知らないが、お前を取り巻く事情はよく知っている」


 不思議なもので、その時には瞳に映る景蘭の顔しか、透花には見えなくなっていた。

 雑踏のざわめきも、衆目も分からない。

 世界にたった二人残されたような、途方もない静けさを感じていた。

 景蘭はもう片方の手で、透花の左手を取った。細くて、白い指がそっと触れると、紅玉がきらりと光って、瞬いた。透花は、景蘭が何をしようとしているのか分からない。

 ただ、近くで囁かれる甘い声が、怖いだけだった。


「お前は、何も知らされてなかった。その点は悲劇かもしれないが、何も知らずにぬくぬくと生きてきたのは事実だ。違うか?」

「それは……」


 ……その通りだった。

 透花は何も知らなかった。いや、知らなくても良いと思っていた。

 何があっても、彩凌が守ってくれると、勝手にそう信じていた。

 でも、十六歳になり王宮に戻る日が近づいてきて、今更ながら、焦っているのだ。


(そうだ。私は……)


 当たり前のように、受けていた彩凌から受けていた庇護を、手放したくなかったのだ。

 よくも、まあ。子供じゃないなんて主張していたことだ。

 いつまでも子供でいたいと望んでいたのは、透花の方なのに……。


「まあ、いいさ。私の知る範囲で教えてやろうじゃないか。天陽国の王女」


 そして、景蘭は、透花の挫けた心に止めを刺した。


「お前が指輪を与えられたのはな、力を抑えるためだよ。お前が成人するまで、大法胤のもとで過ごさないといけないのも、力が暴走した時に、すぐに対処できるようにするためだ。分かるか? 透花」

「……ちょっと、待って!」


 早口なのに、景蘭の言わんとしていることが分かってしまうのが、嫌だった。


「つまり、お前は危険だからこそ、法力の強い大法胤のもとで暮らしているんだ。何故そんなことが必要なのか?」


 今まで、顎を押さえていた手が、そっと透花の頭を撫でた。


「……お前は妖異なんだよ。透花」


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