第二章 壱
月のない夜だった。惣闇の中、何一つ確かなものなど見えない。
……けれど。
自分は見ていた。
奥深く抉られた土。横倒しになった木々と、足元に流れこむ鮮血を……。
――どれくらい永い時間だろう。
瞬きすらも惜しむくらいに、悲惨な風景を、瞳と心に焼き付けた。
いっそ、自分も彼らと同じ躯になってしまおうか……。
もう生きていても仕方ない。
どうやって生きていけば良いのか分からない。
そもそも、結果的に彼らを盾にしてしまった自分に生きていく価値などあるのか?
しかし、少年の負の思考はそこであっけなく打ち破られた。
「――おい、坊主!」
男だった。背後に立っていた男がきつく肩をつかんでいる。
「悪いが、そろそろ、ちゃんとご両親を葬ってやりたいんだがな?」
「葬る?」
「ご両親は亡くなっているのだから、墓を建ててやらなければならんだろう」
……分からないのか?
とは問われなかった。
自分は、彼らの死を分かっているのに、受け入れることが出来なかったのだ。
男はそれに気付いていた。
「それほどまでに、憎いか?」
「――はい」
「しかし、俺はお前の仇を討ったぞ」
「分かっています」
少年は苛ついた気持ちを吐き出すように、短い言葉に乗せた。
ややしてから、男は小さく溜息をついて、少年の両肩に手を置いた。
「それも、良いだろう」
それは否定に近い肯定だった。
「行くあてがないのなら、ついて来れば良い。お前が望むのなら、今の気持ちを力に変える術を……、知っている御方を紹介してやっても良い」
「……どうして?」
少年は暗闇の中に、知らない着物を発見する。
普通の人間は着ない、厚手の生地に刺繍入りのゆったりとした衣。……法衣だった。
「お前なら真実を知るに足ると思ったのだ。それだけのことだよ」
その時になって、少年は男の顔に浮かんでいるのが、自嘲であることに気がついた。
「――貴方は?」
興味を抱いて、すぐ近くにいる男を見る。
男は、細い瞳を見開いて、少年の両親の遺骸を凝視していた。そんなに大柄というわけではない。
しかし、体から漲る殺気は、さきほど少年の一家を襲った妖異と同じような恐怖感を少年に与えた。
「俺の名は延凌という。紅涯師、唯慧様のもとで修行中の僧侶だよ」
「――僧侶?」
「俺と来るか。坊主?」
少年は延凌を見上げてから、両親に視線を移し、諦念と闘志が入り混じる心のまま、力強く頷いた。
「お前の名前はなんていう?」
「り……さい」
「りさい……か」
男は暫時、黙考してから言った。
「お前はこれから僧侶になる。せっかくだから、俺がお前に坊主らしい名前をくれてやろう」
「名前?」
「俺の名を一字やる。「凌」の字だ」
「りょう?」
森の奥から冷涼な風が吹いた。
延凌は、微風に髪をなびかせながら、虚空に名前を書いて少年に教えた。
「――これより、お前は「彩凌」と名乗るがいい」
「――さい……りょう……?」
――それが、自分の名前?
僧侶となり、妖異と戦う。
それより他に生きる道はないのだと、男が暗に言っているような気がした。