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天妖の姫君  作者: 森戸玲有
第一章 教院の姫君
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第一章 弐

 少しでも彩凌と長くいたいから、透花は早々に掃除を済ませて、彩凌がいるだろう本堂に走ってきたのだ。なのに、途中の庭園で待っていたのは彩凌ではなく、朱伊(しゅい)だった。


「ど……して?」


 透花はサボった分の掃除をこなしながら、決意を固めたばかりだった。


 ――まだ王女には戻りたくない。

 彩凌と一緒にいたい。


 諦めないつもりだった。

 もしかしたら、透花が精一杯頑張れば、彩凌だって透花を認めてくれて、手放したくないと、国主に進言してくれるかもしれない……と。

 しかし、その彩凌が姿を消してしまうのでは、元も子もないではないか。


「本当に? お師匠様出て行っちゃうの?」

「家出じゃねえよ。たまにあっただろ。……散歩。涼雅との馬鹿げた散歩さ!」

「涼雅さんと?」


 彩凌のもとを、時折尋ねて来る人物は、二人いる。

 三師の一人、黒涯師(こくがいし)延凌(えんりょう)と、薬の行商人・(りょう)()だった。

 二人共、彩凌とは同門で、延凌は彩凌が紅涯師になった後、北の黒武院(こくぶいん)に出向き、黒涯師を継いだ「法胤」であり、涼雅は年上ではあるが、彩凌と同じ時に得度(とくど)した仲間である。

 彩凌は、延凌のことを年の離れた兄に対するように、敬愛と緊張を持って接していて、涼雅とは、長年続く悪友のような気楽な付き合いをしていた。

 延凌と彩凌が出掛ける時は、大法胤としての表向きの仕事が多い。

 だから、直ぐに教院に戻って来るのだが、涼雅と彩凌が連れ立って出て行った時は、なかなか戻って来ない。透花はそれを、経験からよく知っていた。


(……そんな)


 朱伊(しゅい)はそんな透花の動揺など、知りもせずに、いつも通りの仏頂面で、柄杓の水を庭にぶちまけた。自分にも水が掛けられるのではないかと予想して、大きく後退りした透花は、赤面した。


「何、ビビッてるんだよ」


 ……腹が立つ。

 首筋まで伸びた橙色の髪に、切れ長の琥珀色の瞳、すっきりした体形にぴったりと合った白い僧衣。美しすぎて近寄りがたい彩凌よりも、人間味があって、そこそこ顔が良い朱伊の方に、女性信者の人気が集まっていることを、透花は知っている。


(何処が良いんだろう。こんな奴……)


 透花には嫌味な男だとしか思えない。外見も中身も、いつまで経っても少年のようだ。少なくとも、透花がやって来てから少しも成長したようには見えない。


(やっぱり、お師匠様から、不老の術でも盗んで実践しているんじゃ……?)


 内心、透花は強く疑っていた。


「そんな顔するなよな。師匠から強く口止めされてたのを、後でピーピー喚かれるのが面倒だから、秘密裏に教えてやったんだぞ。……ったく、師匠が行っちまったら、俺がお前のお守りをしなきゃいけないんだぞ。感謝して敬われても良いくらいなんだぜ」

「何で今なわけ!?」

「ああ?」

「私、もうすぐ帰らなきゃいけないのに……」


 悲しさよりも怒りのような感情がこみ上げてきて、上目遣いに、朱伊を睨みつけるが、無表情の朱伊は涼しい顔でさらりと言った。


「仕方ないだろう」


 感情など微塵も見えない言葉だった。


「だいたい、お前が十六歳までって条件で、ここで預かってやったんだ。考えてもみろ。年頃の女が教院でうろうろしているわけにもいかないだろ?」


 教院は僧侶の修行場。

 透花だって、それは知っていた。本来、教院に女性が住むことは固く禁じられている。透花は子供で、王女であったからこそ、特例として、ここでの暮らしを認められていただけなのだ。町の人は当然透花を少年だと思っていたし、まさか透花がこの国の王女だとは思ってもいない。


「それに、お前だってようやく年季が晴れて、姫さんに戻れるんじゃないか。良かったな」

「良くない!」


 叫ぶやいなや、透花はおもいっきり、朱伊の足を踏みつけた。。朱伊は足を押さえて上下に飛んだ。


祥仕(しょうし)、お前なあ!」


(――殴られる!?)


 そう感じた透花は、瞬時に防御姿勢を取った。

 だが、怒りの拳はいつまで経っても、飛んで来ることはなかった。透花はおそるおそる瞳を見開く。

 目前に、色鮮やかな庭の木々と、呆れ顔の朱伊がいた。


「あのな、祥仕」

「何よ?」

「師匠はな、物見遊山でどっかに行ってるんじゃないんだぞ。仕事をしてるんだ。少しは堪えろ。師匠がお前の帰る日に間に合わなかったとしても、一生会えないってわけじゃないだろ」


 急に穏やかな声音になった朱伊の落ち着いた様子に、彼に悪意はないのだと透花は気付いた。

 ……そうだと。朱伊の言う通りだと、透花だって思いたい。

 でも、そんな保証、何処にあるというのだろう。あからさまに沈んだ面持ちでうなだれると、頭上から盛大な溜息が降って来た。


「……ああ、もう。分かっているよ。お前の考えることなんざ。まっ、確かにあの朴念仁じゃ、この先、わざとお前と会わないかもしれねえよな。それじゃ、まあ、お前も居た堪れんだろうさ」

「分かっているなら、教えてよ」


 きつく睨みつけると、朱伊は透花から視線を逸らしてぽつりと言った。


「…………師匠は、蒼郡(そうぐん)だ」

「蒼郡……?」

「ああ、涼雅と蒼群に行くらしい」


 南総院に預けられてから、一度もこの紅令(こうれい)という街を出たことがない透花には、東の方角にある「蒼郡」という地域を想像することすら、難しかった。

 しかし、唯一透花に分かることは、彩凌にちゃんと別れを言う時間もないということだ。

 遠方の地に行く彩凌と、国主の使者がここと王宮を往復する時間を考えたら、明らかに使者の方が早い。透花が王宮に戻る日は、これから占いをして吉日が選ばれるらしく、まだちゃんと決まっているわけではないが、それでも……。


「私、もう、二度とお師匠様に会えないかも……」

「そんなことはないだろ。……ともかくだ。とりあえず、師匠にくっついて行っちまえばいい。師匠は明朝ここを発つらしいからな」

「……お師匠様が私について来てもいいなんて、許可なんかしてくれるはずないじゃない?」


 彩凌は、仕事の話を絶対に透花にしない。好奇心で聞いた日には、半日説教が続いたくらいだ。仕事に同行したいなどと言ったら、本気で監禁されかねないだろう。


「ついて行きたいって言ったら、当然、拒否されるだろうよ。でも、ついて来てしまったのなら、仕方ないって思えるかもしれないだろう?」

「どういう意味よ?」


 朱伊が何を言いたいのか、透花にはさっぱり分からない。朱伊もまた透花がまったく理解していないことに気付いているようだった。おもむろに咳払いをすると、透花の耳を引っ張って、口を寄せた。


「荷物に紛れてしまえば良い。紅令を抜けるまで馬車の荷物の中で隠れてろ。そうすれば、師匠もおいそれとお前をここに返しにくくなる」

「朱伊……?」


(そんなことをして、いいの?)


 聞き返そうとして、透花は迷いを吹っ切った。

 朱伊の意図が掴めないものの、光明には違いない。

 透花は大きく頷き、顔を上げた。その満面の笑みを見た朱伊は、頭を抱えた。


「何だ。その間抜けな笑顔は?」

「朱伊がやけに優しいから、なんか不思議な感じなのよ」


 今までの認識を改めよう。

 朱伊は、いけ好かない奴だが、悪い奴ではないようだ。


(お師匠さまと一緒に行こう)


 怒られるのは仕方ない。だけど、このままあっけなく離れてしまうのだけは絶対に嫌なのだ。

 それに、一度でいい。


(お師匠様の仕事も見てみたい……)


 もしかしたら、旅の途中で彩凌が透花を手放したくないと、王宮に直談判してくれるかもしれない。


 ――その時の透花は、子供らしい単純な発想で、ただそれだけを楽観的に考えていたのだった。


◆◆◆


 手を貸してやることを条件に、水遣りの仕事を透花に押し付けた朱伊は、自室で床の上に、寝転び、寛いでいた。

 本当は朱伊も、大法胤の弟子として、やらなければいけないことが山ほどある。

 しかし、形式的に彩凌の弟子を名乗っている朱伊にとっては、修行など、どうでも良いことだった。


(バカな師弟だ)


 心中でそう吐き捨てる。

 透花もまた僧ではないのだから、朱伊と同じで、彩凌とは師弟でも何でもないのだ。

 それなのに、本人たちは真面目に師弟のつもりなのだから、笑えてしまう。


「ああ、本当疲れるな。あいつらの子守りは……」


 文机の上には、一通の封筒。


『これを、透花に渡してやってくれますか?』


 先ほど、悲愴感たっぷりの顔で、彩凌が朱伊に託したものだった。


 ――国王の使者が近日中に、透花を王宮へ連れ戻しにやって来る。


 もしも間に合わなかったら、この文を渡して欲しいと託されていたが、間に合わないことは、すでに前提だった。

 彩凌ははなっから、透花と二人で別れを惜しむ気などないのだ。

 忠実な弟子なら、それを大切に保管して、師匠の言いつけを守るところなのだろう。

 だが、朱伊は違う。

 彩凌は、渡した手紙が読まれないと、本気で思っているのだろうか。それとも、朱伊は字が読めないのだと見下しているのか……。

 当然、朱伊は封を開けて、しっかりと読んだ。


 ――そして、後悔した。


(可愛いだの……、愛しいだの……)


 気色の悪い単語が並ぶ手紙は、もはや別れの手紙ではなかった。変態の恋文に近い。


(あの馬鹿も、ちゃんと透花を育てれば良かったんだ)


 大法胤としての仕事は忙しく、透花の面倒はほとんど朱伊が見てきた気がする。

 留守がちで教院にいない期間も長かったので、彩凌にしてみれば、透花はいつまでも子供の時のままだ。要するに、子供に接する方法でしか、彼女とまともに向き合うこともできないのだ。

 

 ――だけど、もう透花だって年頃の娘なのだ。


 透花の年で結婚している女性だって多いのだから、いつまでも子供扱いは出来ない。

 それが分かっているのか分かっていないのか、自覚してしまえば、引き返せなくなるのは、彩凌の方だ。

 仕事ならば、そつなくこなす男だが、しかし、それ以外はてんで駄目なヤツなのである。人並み以上の欲望を抱いているくせに、本人が自覚していないようでは埒があかない。


「――あの、愚か者が」


 朱伊は呟いて、一人静かに笑った。 

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