終章 肆
『教院に戻るように』と、宋寧から勅命が出た。信じられない面持ちで、透花は直接、父・宋寧に確かめると、彩凌からの進言だと明かされた。
「お師匠さまが?」
訳が分からなかった。
透花が王女に戻ることは、定められていたことで、仕方のないことだった。
あの時、妖異になった透花を抱き締めた彩凌は、本当に心配していた。
自分は彩凌に大切にされている。
実感しているからこそ、透花は王宮に戻ることが出来たのだ。
辛いのは自分だけではないのだと思って、透花は、育ててくれた彩凌に恥じないような、立派な王女として、生きていこうと決意したのだ。
(……なのに、何故今更?)
妖異の血が一度念石をはずしたくらいで、活性化するのなら、百蓮の町で透花が妖異と化した時に、彩凌は宮殿に戻ることを止めたのではないだろうか
景蘭が王宮に出向いて、後押ししたということは分かったが、疑問はつきない。
そんな中で、透花は早々に王宮を後にすることになった。恐らく、宋寧が急がないと、更に辛くなるだろうという配慮のためだろう。
かわいそうだと、今は透花も両親を気遣っている。透花は、両親の愛情に触れて、自分が成長したと感じていた。
教院で過ごしていた時の透花は、周囲に彩凌と朱伊しか知らなかった。二人の気持ちが最優先で、他のことを見ようともしなかった。しかし、遠く離れていても、透花を思ってくれている人はいるのだと、王宮に来てから認識した。
昔の償いのため、命を落としても仕方ないと、腹を括っていた透花だったが、さすがにこれ以上、両親は裏切れそうもない。それは、王宮で過ごせば過ごすほど強くなる思いだった。
しかし、それでも、帰っても良いと許可が出たなら、どうしようもなく、浮き足立ってしまうのも正直な気持ちだった。
「ちゃんと、お別れをしてきましたか?」
「……はい。父様は落ち込んでいるみたいでしたけど、母様は笑って見送ってくれました。ああ、そういえば、王宮を出る前に、母様が私に言ったんですよ。今度こそ、覚悟は決まったのかって?」
「覚悟ですか?」
揺れる馬車の中で、彩凌は唸った。
「何のことでしょうかね?」
「以前にも、私、母様から言われたことがあって、でもその時は勝手に解釈して、納得してたんです。でも、また言われたっていうことは、意味を間違えてたってことですよね?」
「さあ、どうでしょう。まあ、お前がもっと大人になったら、分かるかもしれませんね」
「バカ師弟……」
「朱伊!」
「へいへい」
ぶっきらぼうな声が返って来ても、上機嫌の透花は、意に介さない。朱伊が妖異で、経典の中身だと知ったところで、どうでも良かった。延長期間とはいえ、みんなと一緒にいられるのが嬉しかったのだ。
「そろそろ着くぞ」
白い法衣を太陽の色に染めて、朱伊が振り返る。延凌が騒動を起こした夜から、そんなに経っているわけではないのだが、透花には紅令の街でみんなと生活していたことが夢の中の出来事のように思えてならなかったのだ。
「……延凌様は、大丈夫ですよね?」
「涼雅が見舞いに行っているはずです。今はまだ無理かもしれませんが、いつか、また会えるでしょう」
「……はい」
延凌は透花に辛いことを思い出させたが、それだけの人物ではなかった。今まで可愛がってくれたことは、偽りではないと信じたかったのだ。
景色が見たくて、ぐっと身を乗り出していると、重い衣装が邪魔して、態勢が崩れた。
(――落ちる!)
狼狽していると、背後から首根っこを掴まれて引き込まれ、力強く抱きしめられた。
「そんな姿勢でいると、落ちてしまいますよ。まったく……」
当然のごとく、彩凌だった。
「……今度やったら、お仕置きですか?」
長い説教の後、それでも言うことを聞かない場合、お仕置きをする。それは、彩凌が透花にずっと行なってきた教育方針だった。
透花はそれを、茶化したつもりだった。
しかし、彩凌は急に黙りこみ、猛烈に考え始めてしまった。しかも、なかなか透花を放してくれない。
透花の胸の下の辺りをしっかり抱きとめている彩凌の両腕はしっかりと回されていて、透花の激しく脈打つ鼓動が、ばれてしまいそうで怖かった。
「お、お師匠様、あの?」
「私は……、お前になんていうことをしていたんでしょうね」
「はあ?」
「もう、やめにしましょう。お仕置きは。透花はもう子供ではないんですから」
当たり前のように「透花」と名前で呼ぶ。
……絶対、彩凌はおかしい。
「お師匠さま、変です」
「それなら、お前だって変じゃないですか。最近ずっと女物の着物を着ています」
「えっ」
遠回しな嫌味だろうか?
「これは、その……、教院に着いたら、すぐに着替えますから。すいません。私がこんな格好してたら、お師匠さまがみんなに変な目で見られてしまいますものね」
慌てて透花は謝った。
ーーしかし……。
「何故? 別に良いじゃないですか。言いたい人には言わせておけば。とてもよく似合っているんですから、勿体無いですよ」
あっさりと告げられた一言に、透花は我が耳を疑った。
「あの、お師匠さま……?」
(本当に同一人物だろうか?)
唖然とする透花を更に追い詰めるように、朱伊が言い放った。
「師匠が蒼郡に行く時にお前に残していった恋文を読んでやろうか? 笑えるぜ」
「こ、恋?」
動揺の余り、彩凌と距離を取ろうとした透花は、またしても、よろけた拍子に、馬車の木枠に頭をぶつけそうになって、彩凌に助けられた。
「まったく、お前は朱伊の冗談を真に受けて。本当そそっかしいんですから」
彩凌は菫色の眩しいものでも見るように、細めた。
そっと、透花の髪に手をやり、優しく撫でる。
普段と同じことをされているはずなのに、何だか、微妙な空気の違いを感じる。
体の底がかあっと熱くなるような感覚がして、彩凌から逃れたいような、もっと近づいたような、おかしな気分になった。
(きっと、久しぶりにお師匠さまに会ったせいだ……)
そうに違いないと、透花は見慣れた風景を目で追いながら、懸命に自分に言い聞かせた。
深い山の奥に入ると、南総院の山門が姿を現わす。
焼かれたり、吹き飛ばされたりして、結構な数の木々が犠牲になったが、その境内で片々として舞っているのは、裏山よりだいぶ遅れて満開になった皇樹の花だ。
薄紅の花弁が山裾を覆うように、吹き荒れる。
……色々なことがあった。
しかし、こうして彩凌と一緒に見ることが出来た。
「……ただいま。お師匠さま」
二人で景色を分かち合える喜びを伝えたくて、透花は傍らの彩凌に満面の笑みを送った。
【了】
今回最初から見返してみたところ、突っ込みどころがいっぱいで、でもどこをどう直すかも分からなくなったので、直しは最低限に。
これはこれでいいんだな……と思いました。
以前もそう開き直っていたような気がします。最低です。
陛下が儂って。
…………本当に、申し訳ありません。
でも、この話が私の怪獣大決戦好きの原点だったんだな……と思い知ることができたので少し良かったです。
元ネタはお約束の西遊記です。
この話も、例によってどんどん危険な方向に進んでいく、師匠の暴走ぶりを短編とかで書きたいな……と思いつつ、ついに書けずじまいでした。
ここまで目を通して下さった方がもしいらっしゃったら、お詫びを。
長時間に渡るお目汚しを失礼いたしました。




