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天妖の姫君  作者: 森戸玲有
第一章 教院の姫君
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第一章 壱

 天陽国では建国以来、人外の魔物「妖異(ようい)」の襲来に悩まされている。

 妖異は街を襲い、人を殺す。国民は妖異を恐れ、国王は唯一妖異に対抗できる法力を持っている「天来(てんらい)(きょう)」の僧侶を庇護し、国教に定めた。


 その「天来教」には三師(さんし)がいる。

 もっとも法力に長けた三人の僧侶のことをそう呼び、国王は各々に結界を張らせて、国を守護させている。

 三師には「(ほう)(いん)」という位が授けられ、その三人の中から更に僧侶の最高位「大法(だいほう)(いん)」が選出されるのだ。

 十年前、偉大な大法胤・唯慧(ゆいけい)が急逝したため、急遽、弟子の彩凌が跡を継ぐことになった。遺言とはいえ、まだ得度して数年、半人前の若者が「法胤」の位に就くこともなく、僧侶の最高位「大法胤」に任じられたのは、史上初といっても良い。

 しかし、その彩凌と古馴染みのこの男には、実像と、肩書きが伴っていないことを熟知していた。

 名を(りょう)()という。

 紺色の髪を高く頭上でまとめ、華やかな女物の衣装を何枚も重ね着している大男、涼雅は、急勾配の坂を息切れもせずにのぼりきった。

 朱色の格式高い山門を越えると、そこは、赤の瓦屋根と白の対比が美しい「南総院(なんそういん)」だ。

 山門付近で掃除をしている彩凌の一番弟子・朱伊(しゅい)は、涼雅を見た途端、心底不機嫌なそうな顔をした。だが、追い返すことはしない。涼雅が彩凌とどういう間柄にあるのかを重々承知しているからだ。

 涼雅は堂々と、本堂のとなりの庫院を目指した。睨んだ通り、部屋の扉は開け放たれている。経典に埋もれた小さな部屋で、彩凌は小柄な老人の話に、静かに耳を傾けていた。


(……また、真面目くさっちゃって)


「久しぶり。大法胤さま!」


 涼雅は、猫撫で声で手を振った。が、見事に無視される。


「ちっ」


 舌打ちすると、むしろ、彩凌に話しかけていた老人の方が恐縮してしまった。


「お客人が……」

「ああ……。アレは良いんです。それよりも、私は貴方のお孫さんがそのあとどうなったのかという方に興味があります」

「彩凌~」


 涼雅は出来るだけ可愛いく膨れ面を作った。

 振り返った老人は、目を丸くして直ぐに視線を横に逸らす。


「ちょっと……」


(酷いじゃないっ)


 涼雅が突っかかろうとした途端、それを察した彩凌がげっそりとした顔で、老人に頭を下げた。


「申し訳ないでのすが、このままアレを野放しにすることは危険なので、またの機会に続きを話して頂けますか?」


「そりゃ、もう。もちろんですよ」


 老人はその言葉を待っていたかのように、彩凌に一礼して、慌しく部屋を出て行った。


「まったく……」


 彩凌は老人が遠くに避難したのを見届けてから、両手で部屋の扉を閉める。


「それで、今日は一体何の用件でしょうか? 涼雅」

「あら、ひどい。用がなければ来ちゃいけないの? たまに、あんたの顔が見たくなることがあったっていいじゃない。あんただって私がいないと寂しいでしょ?」


(ばく)!」

「ひっ!」


 即座に、見えない鎖が体に巻きつき、涼雅の自由を奪う。キツく締め上げてくるので、息も出来ない。


(窒息する!)


 彩凌は穏やかな顔で目を閉じ、真紅の数珠を額に当てていた。


「ひどいっ! 法力で縛るなんて!!」


 涼雅が何とか声を張り上げて、体をばたつかせると、彩凌はようやく数珠を着物の袂にしまってくれた。……やっと、呼吸が出来るようになった。


「申し訳ありません。貴方の低い声で、女性の言葉を話されると、毎回目眩がしてしまって。……つい」


 つい……で、何度こんな目に遭ってきたことだろうか。

 喉を押さえて、呼吸を整えながら、涼雅は彩凌を叱りつけた。


「この最低坊主! 大法胤のくせに、修行がなってないわよ!」

「しかし、涼雅。頼もしく思っていた兄弟子がいきなりそのように変化してしまったのです。なかなか平生ではいられませんよ」


 そんなふうに、毒のある微笑を投げかけてくる彩凌は実に人間臭い。

 古馴染みの涼雅を相手にしているせいか、昔の小坊主だった頃のような表情を見せる。


(これが、三師(さんし)最強の「大法胤」ねえ……)


 しかし、性格はともかく、涼雅は彩凌の腕がその名を冠するだけの力を持っていることを、よく知っていた。……だからこそ、涼雅は僧侶にはならずに野に下り、自分の心のままに生きることを誓ったのだ。


「あんたねえ、こうして定期的に私が来て、いろんな情報売ってあげて、少しは役に立ってるでしょ。その私に何て態度なのよ」


「貴方の仕事ぶりは評価しますけど、何故か、会うたびに、貴方の話し方がおかしくなって、格好も派手になっていっしまっているので、私は落ち着かないのです」


 話し方はともかく、格好は、確かに華美ではある。狐の衣を首に巻き、大きな宝石のついた首飾りや、耳飾り、指輪まで身につけている。

 涼雅は、町から町へ薬を売り歩く行商をしている。地味な仕事と思われがちなのだが、最近はこの格好のせいで、むしろ客に顔を覚えられているようだった。売り上げも上がって、楽しい毎日を謳歌していた。


「何を言ってるのよ。やっぱり、男も女も生まれたからには着飾らないと駄目なのよ。あんたはもう諦めたけど、問題は透花ちゃんよ。このままお洒落の何たるかも知らずに、年取っちゃうのは、もったいないわ。透花ちゃんは何処? 私が直々に美の探究心を叩き込んであげるわ」

「涼雅。再三言っていますが、その名前であの子を呼ばないで下さい」


 やっと、扉から離れた彩凌は、とっくに座布団の上で寛いでいる涼雅の前を回って、自分の座椅子に腰を落ち着かせた。


「誰もいないわよ」

「あの子の素性は教徒の中でも一部の人間しか知りません。それに女の子であることも秘密にしているんです」


 涼雅は腕を組んだ。

 ……何で?

 という疑問すら禁忌であった。王女を教院で預かることは国の機密事項である。「王女は十六歳になるまで公の場に一切姿を現さない」ということは、掟として国民は理解しているのだが、まさか教院の小坊主として育てられているとは普通は考えもしないだろう。

 だいたい、天来教自体、元修行僧だった涼雅にすら全容が分からない謎の宗教なのだ。考えるだけ時間の無駄だ。


(しかし、あの可愛らしい透花ちゃんを男扱いするにも、さすがにもう無理があるわよね)


 もっとも、透花が十三を過ぎた頃から彩凌はほとんど透花を外に出すこともしなくなってしまったのだが……。


「涼雅、何度も言っていますが、彼女のことは……」

「分かってるわよ。祥仕(しょうし)でしょう」


 祥仕(しょうし)とは教院に弟子入りしてきた新しい小坊主のことを言う。

 ちなみに朱伊は順調に出世しているので、大法胤の次の次に権力のある法主(ほうしゅ)の位にいる。本来なら、祥仕・隆 透花というのが正式な肩書きなのだろうが、彩凌は透花を名前で呼ぶことはないので、役職名の「祥仕」が透花の名前として活用されてしまっているのだ。


「せっかく可愛らしい名前なのに、勿体無いわ」

「あと少しすれば、否が応でも名前で呼ばれるようになりますよ」

「……彩凌」


 涼雅が視線を向けると、彩凌は少しだけ感情の込もった微苦笑を浮かべていた。


「そろそろ、あの子も十六歳。王宮に戻る時が来たんです」

「あら、嫌だ。もうそんな?」

「確か、私が紅涯師(こうがいし)を継いだのと同時に、あの子を引き取ったんでしたね。もう十年になりますか。……早いものです。先日、陛下の使者がいらっしゃらなければ、祥仕の年のことなど、忘れていたかもしれませんね」


 彩凌は淡々と話すものの、少年だった彩凌が悪戦苦闘しながら、透花を育てて来たのかを知っている。感慨もひとしおだった。


「……涼雅。貴方はそれを知っていて、ここに来たのではないのですか?」

「えっ」


 気付かれていたらしい。それも涼雅がここを訪れた理由の一つではあった。

 彩凌は笑い混じりの声で言った。


「それは……、私だってまだまだ未熟な人間です。単純に悲しいですよ。修行と子育てを両立させながら、あの子をあそこまで育てたんですから」

「……何だか、所帯染みたセリフね」


 腕を組み、ぼんやり宙を見つめている彩凌は、感傷に浸っているのだろう。

 何と言って、励ませば良いのか?

 無駄口を叩くのが趣味のような涼雅だが、今日は珍しく言葉に詰まる。

 ――だが。


「ああ……、本当に、柔らかいほっぺに、愛らしい大きな銀色の瞳、手触りの良いさらさらの細い髪ともお別れだと思うと、本当に悲しいし、悔しいですね。父親というのは、こういう心境を味わうものなのでしょうか?」


(――それは、違う)


 涼雅は腕を組んで唸った。


「あ、あのさ、ずっと前から思ってたんだけど、透花ちゃんのことを話している時の貴方って、本当変態よね」

「はっ? そうなんですか? 私、何か不適切な言動をしましたか?」


(――コイツ……)


 涼雅は深く息を吐いた。

 着崩すことも知らない、仰々しい最正装。ずっと、教院で暮らしているのは、彩凌も同じだ。世間知らずの度合いなら、透花に負けてはいない。


(さて、どうしよう)


 話すか、話さないか、涼雅がここに来るまで迷っていた情報。

 透花との貴重な時間を割くのは、忍びない。

 だが、今思い至った。


(むしろ良い機会なんじゃないかしら……?)


 所詮、大法胤である彩凌と、王女である透花が共にいることは許されない。

 彩凌が自分の気持ちに気づいていない今なら、うまく離れられるかもしれない。

 早めに断ち切ったほうが両者のためになるのではないだろうか?


「彩凌、これは貴方に判断して貰おうと思って、持ってきた情報なんだけど……」

「何ですか?」


 彩凌は涼やかな声音で、涼雅を促した。


「……東方がきな臭いわよ」

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