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天妖の姫君  作者: 森戸玲有
第四章 真実と疑念
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第四章 伍


 透花が王宮に戻って来てから、二十日が経過した。


 王都、白叡(はくえい)の半分を占めているのが、「白叡宮(はくえいきゅう)」と呼ばれる、この王宮だ。

 白と金で統一された華やかな宮殿を馬車の中から仰ぎ見た時は、信じられなくて、透花は何度も目を擦ったものだった。

 ここに六歳まで住んでいたのが信じられなかったのだ。


 今、透花は妖異で、化け物の自分が味わって良いのかと思うほどの贅沢を与えられていた。

 華やかな彩りの花簪(はなかんざし)を頭につけて、緋色の袴に何枚もの赤系統の着物を重ね着していた。

 宝石だって、耳にも、手にも、胸元にも、鬱陶しいくらい身につけている。

 勿論、本物だ。


 左手の念石は、飾り立てられた透花の手の中で、小さくなっていた。

 あまり、嬉しくはなかった。むしろ、後ろめたい気持ちで一杯だったし、着物が重くて動けない分、部屋にこもりがちになっていた。


 ……教院の飾り気ない家具と、白檀(びゃくだん)の香りが懐かしかった。


 正直、南総院の裏山で別れる時の彩凌に抱いた何とも言えない気持ちは、透花自身、理解ができないものだったが、透花にとって彩凌がかけがえのない人だということには変わりない。

 そう簡単に忘れられるものではなかった。


 透花は慣れない暮らしに疲弊していたが、ようやく帰ってきた娘に両親は優しかった。


「まだ慣れてないようだな。これは当分、成人の儀はお預けだな。透花」


 暇を見つけては、透花のもとに会いに来る父・(りゅう) 宋寧(そうねい)は、いつものように、髭で隠れた唇に笑みを浮かべていた。


 彩凌より少し小柄の宋寧は緑の生地に、金色の刺繍を施された上質の袍を、びしっと着込んでいた。疑いようもない国王の姿だった。


 教院には、時々訪ねに来てくれた両親だったが、常に庶民の姿に変装をしていたので、透花は、本当に彼らが国王とその妻だとは、信じていなかったのだ。


「あ、ええ。すいません」


 ついつい、他人行儀に謝ってしまう。それもまずかったかと、口元を手で押さえた透花に、宋寧は声を出して笑った。


「いや、良い。王宮の中にいては、息が詰まるだろう。一緒に少し外に出るか?」


(……外?) 


 思いがけない言葉に、透花は目を丸くする。

 宋寧は答えを待たずに、広大な私室の外に透花を連れ出した。


(丁度良い機会……だよね)


 透花は、一度、父ときちんと話をしたかったのだ。

 

 侍女の手を借りながら、廊下を進んでいると、外の空気が流れこんできた。中庭から運ばれて来る花の香りと、麗らかな昼下がりの日差しに、ここ最近、睡眠不足の透花は意識が飛びそうになっていた。


「透花はまだ始王の(びょう)に行っていないだろう。(わし)もやっと時間が取れたので、親子水入らずだ」

「……廟ですか?」

「祖先の霊を祀っている場所だよ。儂は毎朝行くのがしきたりとなっているが、家族には強制しておらん。ちょっと離れた場所にあるんでな」 


 とうとう来たか……と、眠気も吹き飛んで透花は身を固くした。


 その廟で、透花が「妖異」であることを知らされるのではないだろうか。


 回廊を抜けて、薄暗い建物の内部に入った宋寧は、従者に待機を命じ、部屋の扉を開けた。透花を中に招き入れる。漆黒の闇の中、宋寧は慣れた手つきで石を打ち、蝋燭に火をつけた。


 薄明かりに、ぼうっと浮かび上がる二対の彫像。


 宋寧と同じように、黒地に金色の位袍を着た細面の男像と、赤の着物と金色の耳飾りをしたふっくらとした女像。透花の身長の半分はありそうな大きさだった。

 両者は、共に微笑んでいて、両目は、透花に向けられているようだった。赤い 敷物の周囲には、宋寧が供えたのだろうか、可憐な花が一杯だった。


「この女性像が志妃(しひ)という。始王・翔禅(しょうぜん)の妻だよ。知っているかい?」

「…………名前は、聞きましたが」

「そうか。彩凌殿から聞いたのか」


 宋寧の声は笑っている。


(良い人だな……)


 まだ父とは思えないが、心の底から透花はそう思っていた。


「志妃は、翔禅に怒って、王宮を去って行ったっと、僧侶の神話では……」

「そこまで聞いたのか?」


 わずかに眉根を寄せた宋寧に、いけないと、透花は慌てて言葉を繕った。


「いえ。これは私が無理やり、お師匠様に聞いたもので」

「儂は怒っているわけじゃない。楽になさい、透花」


 はいと、透花が恐縮しながら、返事をすると、宋寧は円らな黒い目を細めて話し出した。


「実は、そういう話を儂も幼少時に伝え聞いたんだ。だが、儂はいつもこの像を見ているせいか、とてもそういうふうには思えんのだよ。仲の良い夫婦だったと信じているんだ」


 ふと、透花も宋寧が見つめているだろう、二対の彫像に視線を向けた。


(……そうかもしれない)


 安らいだ尊顔はとても決裂した夫婦には見えなかった。


志妃(しひ)という女性は、とても謎に満ちた方だったそうだが、どうも捻くれた人のようでね。自分を良く言われるのが照れくさかったのではないかと……。僧侶の口伝神話とは別に儂は、そう思っているんだよ」


 透花は振り返った。父が細めている鳶色の瞳に、長久の年月を感じた。宋寧はずっとそう思いながら、毎朝この廟を訪れているのだろう。

 大きく一礼した宋寧を追って、透花も深々と頭を下げる。複雑な気持ちだったのは間違いない。

 始王はともかく、この妃のせいで、透花も、「天来教(てんらいきょう)」も振り回されているのだ。

 だが、この像の慈愛に満ちた眼差しを向けられていると、透花はすべての感情を忘れ去ってしまうことが出来た。


 神話の中には語られていない、始王と志妃の壮絶な人生は実際にあったはずなのだ。


「さて、少しは気分転換になったかな。たまに一人になれる場所を持っていると良いぞ。透花。始終人の目を気にしていると、頭がおかしくなる」


 鷹揚に告げられた一言に、透花は驚いていた。

 それだけなのだろうか。てっきり、出生の秘密について聞かされるのだろうと覚悟していた透花は、肩透かしをあったような気分だった。


「どうしたのかね?」


 きょとんとした表情の宋寧は、益々童顔に見える。言葉使いは老人のようなのに、言動と見かけが伴っていない。


「いえ……。何でもなくて」


 答えつつも、透花は動揺する。


(このまま何も知らないふりをして、私は王宮で過ごして良いの?)


 国王でもある父が、透花が妖異だと知らないはずはないではないか?


 ーーー指輪が外れなければ大丈夫だと、年を取れば妖異には変化しないと……。

 

 彩凌は教えてくれたし、別れる時も懸命にそれだけは主張していた。しかし、そんな保証は何処にもないのだ。


「透花……」


 蝋燭の温かく、仄かな明かりが透花の小さな顔に暗い影を作り出す。


「何でも話しなさい。掟によって離れて暮らしていたが、お前は儂の一人娘なのだから」


 頭の上に、宋寧の大きな手がぎこちなく置かれた。

 迷った挙句に、透花は顔を上げ、左手の念石を掲げた。感情がわっと溢れ出した。



◆◆◆

                     

 話を聞き終えた宋寧は髭を撫でながら、優しく微笑んだ。


「まさか、お前が聞いていたとは知らなかった。元々この国では、第一王女が成人し、結婚するまでは、秘密にするのが暗黙の了解となっているんだよ」

「どうして……?」

「どうしてというわけではないが、危険なうちに、すべてを知るより、安全になってから打ち明けられた方がよいだろう。昔、成人する前に知ってしまった姫は自刃してしまったという話を聞いたことがある。お前にも、儂は嫁いでから昔話のように語ってやろうと決めていた」


 狭い空間。長い線香の煙が密閉された空間にくぐもってた。


「お前は、今やましい気持ちを持っているかもしれん。だがな、透花。これが脈々と続いたこの国の歴史なんだよ。今更、どうして第一王女が。どうして透花が……と、問うたところで、今の時代に志妃(しひ)始王(しおう)もいない。答えなど出ないのだ」


 宋寧が言う事はもっともだった。


「矛盾だらけで、嫌気が差すかもしれんがな。しかし、今まで、お前と同じ境遇を歩いてきた姫君は大勢いる。現に儂の妹も、成人するまで教院に預けられていたんだよ」

「そうなんですか」


 透花は銀色の瞳を何度も瞬かせた。妖異の血筋。国民には知られてはならない最大の禁忌であるが、王宮の中では、限りなく身近な問題なのだ。……でも。


(……母様はどうなんだろう?)


 透花の母は、貴族出身とはいえ、部外者だったはずだ。


「と、父様」


 戸惑いながら、透花は初めて宋寧を父と呼んだ。透花の目線に腰を落として、眉尻を下げた父がいた。


「あの……。もしかして、母様は、このことを?」


 尋ねた瞬間、見計らったように激しい音を立てて、扉が開いた。


「ずるいわ!!」


 両面に扉を全開させたおかげで、室内に圧倒的な光が取りこまれた。

 逆光に眩しい人影は、見た目だけなら、若い女性。


 ……透花の母、芳花(ほうか)だった。


「母様」


 芳花は、透花と変わらない重たい衣装を悠然と着こなしていた。

 寒色で仕立てられた着物は、教院で透花が愛着していた着物と色彩だけは似ている。だが、生地はまるで違っていて、光沢を放つ上品なものであった。

 長い黒髪を簪で一つに結っている。化粧もしているはずなのに、華美に見えない。教院で会っていた母とは別人にも見えた。

 美しい母は、透花が王宮に来てからの憧れだった。


「まったく、酷いわ。宋玲(そうれい)のもとに行っている時を見計らって、二人になるなんて、私も混ぜて下さいよ」

「廟に行くのに、親子で行くのも不自然な話しだと思ったんだが、まあいいか」


 宋寧は、子供のような芳花の主張に呑気に応じた。「宋玲(そうれい)」というのは、透花の弟だ。

 昔はともかく、現在天陽国では、男子が国王を世襲するようになっているので、この王子が跡継ぎということになる。

 ずかずかと中に侵入してきた芳花は、廟の二対の彫像に向かって、乱暴にお辞儀をすると、深刻な面持ちでいる透花の顔を間近で覗き込み、怒鳴った。


「貴方。まさか透花に何かしたんですか!?」

「何もしておらんよ」


 宋寧はうろたえている。必死になって今の会話を、隠そうとしているとのだから、芳花は透花が妖異であることなど、知らないのだ。

 疑わしい目を、宋寧に向ける芳花に、透花が場を取り繕うように明るく言い放った。


「お師匠様の話をしていたんですよ」

「大法胤の?」


 目を丸くした芳花(ほうか)は、更に若返って見えた。


「そうだ。彩凌殿のことだよ。若いのに素晴らしい御仁だと透花と話していてな。透花がこんなに立派に育ったのも、彩凌殿のおかげではないかと」


 その場で、咄嗟に言葉を並べたたけだと、透花は分かっていたが、彩凌のことを褒められると、自分を褒められるより、嬉しかった。


「……それでだ。芳花。お前にも話したと思うが、今度、彩凌殿に、蒼涯師(そうがいし)も兼務して貰おうという話を、透花にしておったんだ」


(……えっ?)


 そんなこと、初耳だった。


「ああ、その話ですか。今まで透花がお世話になったんだし、良いお話だと、私は思いますが」


 いとも簡単に、夫婦の世間話として処理されてしまいそうな雰囲気で、透花は狼狽した。


「……ちょっと、待って下さい。それは、本当ですか?」

「ええ。そうよ」


 芳花は何度も首を縦に振りながら、透花の乱れた髪を直してくれる。


「以前、北の法胤(ほういん)……、延凌殿には、お話ししたのよね。貴方?」

「ああ、彩凌殿にいきなり打診したら、延凌殿に遠慮されて、辞退するだろうと思ってな。先に延凌殿に告げておいた。まずは身内固めといったところだな」

「でも、三師は経典に選ばれないと、就くことは出来ないんだって、涼雅さんが言ってました。お師匠様は紅涯師で、蒼涯経典には……」

「蒼涯師は例外なんだよ。透花」


 扉の先から、いい加減に、出て来るよう頭を下げている従者を無視して、宋寧は言った。


「蒼涯師だけは元々王族のために、設けられた地位なんだ。代々、王族に連なる人間が国王と大法胤の相談により、任命される。しかし、今は、教院に王家の血筋はいないし、引き継いでくれそうな実力のある者も、蒼本院(そうほんいん)の中には、おらんようでな。このまま空位でも良いかと思ったんだが、蒼郡で妖異が出没しているというじゃないか。三師というのは、元々、統率地域を三つに分けて、権力が一点に集まらないようにしたのだと言われているが、彩凌殿なら、権力を手にしたところで、僧侶の分別を超えることはないだろう?」

「確かに、お師匠様は、権力などに固執するような人ではないけど……」


 しかし、透花は頭が痛む。恐ろしい真実に迫っていくような恐怖感を抱いていた。


「どうしたの。透花?」


 端正な面貌に、憂いを忍ばせて、芳花がそっと透花の頬を撫でた。

 その仕草がなんとなく景蘭を想起させて、透花は目を伏せる。


(お師匠さまは一体どうしているのだろう?)


 まさか、景蘭と戦っているのではないだろうか?

 透花が思いを馳せていると、刹那、靴音が激しく大理石の床を蹴って、問答無用で、廟の扉を開けた。


「失礼します!」


 今更だった。


「どうした?」


 浅黄色の法衣に、黒い袈裟を身に付けている。おそらく王宮を守護している僧侶だろう。

 僧侶は形式だけの拱手をすると、恭しく頭を上げて宋寧に近づいた。透花と芳花の存在に困惑しているようだったが、宋寧は手を払って、先を促す。


「――では、申し上げます」


 僧侶の額から汗が滴っているのを、透花は見逃さなかった。

 

 ーー緊急事態だろうか? 


 我知らず、透花の鼓動は、早まった。


「蒼郡で妖異による、大規模な火災が発生したと、黒涯師から報告が入りました」


 ――蒼郡……。


 瞬間、透花は目眩を起こして倒れそうになった。


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