第四章 肆
透花は夢を見た。
皇樹の花の盛り。大きな手に連れられて、裏山に行く夢だ。
上機嫌で鼻歌を口ずさむ、透花の灰色の髪を撫でるように、花弁は舞っていた。
『ねえ、何処に行くの? まだ遠い?』
次第に山道に疲れてきた透花に、優しかった手の持ち主は、ぴたりと止まって振り返った。
……顔はよく見えない。
ただ男の背景は、一面の皇樹の花だった。
『うわあ。綺麗ね』
透花は笑った。男も笑った。しかし、男は花を見ているのではなく、透花を眺めていた。嫌だなと、透花は思った。
もう帰ろうと、きびすを返した透花は、しかし小さな二の腕を、強く掴まれていた。
『よ……うい』
(何……?)
皇樹が散る。風の音で男の声はよく聞こえなかった。
「妖異……」
男はそう言った。今度はしっかり、そう聞こえた。
言葉の意味を幼い透花が考えているうちに、男は呪文を唱え始めた。
透花は、そのよくとおる音声が次第に自分の中で脈動していくことに気がついた。
体の奥底から、湧き上がってくる力に恐々しながら、歓喜に震えている。透花が風を呼べば、花を散らすこともできた。楽しかったのだ。
面白くて仕方がなかった。しかし、ただ愉悦に酔っていただけの透花に、痛みが走った。
……男の仕業だった。
男は何事かを叫びながら、次々と透花に攻撃を仕掛けてきた。
(……痛い)
怒った透花は、お返ししようとした。ありったけの力を持って来て、男を突風の中に沈めたのだ。男は消し飛んだと思った。これで邪魔者は去ったと、微笑する透花の前に、真紅の輝きがあった。
玲瓏な歌のように、流れてくる呪文が耳の中をくすぐる。
透花は、そこでふと目前に漂う花弁の存在に気がついた。何処かで、見たことがある老人が、目と鼻の先で、悠然と佇んでいた。
(……ああ)
透花の瞳に意識が戻った。白髪頭に、白髭の老僧は、それを見届けた矢先に、にっこりと笑った。
(何だったのだろう?)
熱病の後のような、倦怠感と眠気。
訳が分からなかった。深く考察しようと、意識の深層に手を伸ばした矢先、透花の足元に何かが落ちてきた。見れば、あの老僧だった。
『あなたも眠いの?』
よく分からないままに、そんな一言を発した。
何が起こったのか?
透花は旋回する花嵐の中、停止していく思考を止められずに、老僧の後を追った。崩れ落ちていく。
男の恐慌した足音だけが、大きく聞こえていた。