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天妖の姫君  作者: 森戸玲有
第四章 真実と疑念
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第四章 壱

(……まさか、こんなことになるなんてね)


 涼雅は気落ちしながら、前方の黒々とした男に付き従っていた。

 前の自分と同じくらいの身長の男は、黒涯師・延凌(えんりょう)である。

 漆黒の髪と、同じ色の外套が風に揺らいでいた。黙々と進む後ろ姿に、軽く溜息をつくと、きつい顔に笑みを乗せて、延凌は振り返った。


「少し休むか?」


 気を遣われているらしい。


(……そういうことじゃないんだけど)


 しかし、それを、口には出せないもどかしさに耐えながら、涼雅は首を振った。

 体力には自信があるので、歩くことは苦にならない。最大の問題は精神面だった。

 涼雅には、悩みがあった。

 幼い頃から、誰にも話していないこの悩みは、もはや、秘密の類になっている。彩凌とて知らないし、こんなこと言えるはずがなかった。


 ………………涼雅は、延凌が苦手なのである。


 何がというわけではない。嫌いなわけではない。ただ苦手なのだ。

 延凌を、人間的に尊敬しているし、素晴らしい僧侶だと思っている。

 事実、延凌は涼雅に良くしてくれている。僧侶をやめ、女の格好をして、好き勝手に生きている涼雅を叱ることもしない。恥ずかしいから、近づくなと、拒絶を想像していた涼雅に、「面白い」と言ってくれたのは、後にも先にも延凌だけだろう。

 大法胤の彩凌と同じように扱ってくれることも、正直恐縮してしまうくらい、嬉しいことだった。硬派な彩凌と違い、話しが砕けていて、庶民的で気さくな人柄には好感さえ抱ける。  

 

 ……しかし、駄目なのだ。


 ここまで来ると、涼雅にとって根拠のない直感に等しかった。どうして駄目なのか、理由を求めるのが辛い。とにかく、そんな感情に振り回されている涼雅は、正直なところ、彩凌に延凌に同行するように言い渡された時には、困却してしまったものだった。

 嫌だと断ろうとも思った。大体、この旅に延凌がいるのなら、涼雅は彩凌に付き合う意味がなかったのだ。……でも。


(……私は何の役にも立っていない)


 透花が妖異に乗っ取られたという時だって、朝早くから薬の商いをしていて駆けつけるのが遅れたし、透花と彩凌の話し合いにだって、顔を出すことすら許されなかった。


(……失礼しちゃうわよ)


 口には出さないものの、心の底では複雑な不満がどろどろしている。だが、つい引き受けてしまったのは、親友の彩凌のためだった。


 ……覇気がない。


 そう感じた。

 いつも、無愛想と紙一重のような笑顔だけが浮いているような男だったが、それでも、大法胤としての威厳に満ちていたし、自信も漲っていた。それがどうしたことだろう。


  ……落ち込んでいるようだった。


 しかも、彩凌は悩みが大きくなればなるほど、口を噤んでしまうので厄介なのだ。彩凌が人間らしい面を垣間見せるのは、透花に関してのみだ。

 二人の仲がきくしゃくしていることには、延凌も危惧していたが、ここにきて決定的になった気がする。

 彩凌は教えてくれないだろうし、透花も取り付く島もなさそうだった。

 二人が自分を頼ってくれないのなら、涼雅は黙って彼らを支えるしかない。

 延凌と共に行動することで、彩凌の気が少しでも楽になるのなら、それもいいではないか。

 そう腹を括って、涼雅は延凌と蒼郡の都・蒼提(そうてい)の「蒼本院(そうほんいん)」を目指している。 


 百蓮を出発してから、十日以上経過していた。

 目印にしている東海山の向こうには、神海(しんかい)という外海が広がっているはずだ。涼雅は旅の薬売りをしているくせに、蒼本院にも、神海まで行ったことがない。しかし、紺色の髪をべたつかせる湿った潮風は、海が間近だということを確実に教えてくれた。


(ああ、自慢の髪が)


 ぱさぱさになってしまった髪を撫でながら、涼雅は早足で進む延凌の後にぴったりとついて行く。突如、急な石段が二人の目前に現れた。


「ほら、終わりが見えてきたぜ。良かったな。涼雅」

「そりゃ、今まで妖異に遭わなかったのは、幸運ですけど。でも……」


 延凌の傷を気遣おうとしているのに、涼雅の話を最後まで聞かずに、延凌は長い石段を上っていった。


「延凌様。ちょっと、待って下さいって」


 教院というのは、どうも山中が好きらしい。涼雅も蒼本院には初めて足を運ぶ。

 確実に深山に足を踏み入れているのに、体が感じるのは、海風というのが奇妙な感じだった。辺りは夜の静けさが漂いはじめていた。

 闇の中に薄っすらと浮かび上がる石灯籠の灯りに、涼雅は安堵した。延凌は闇に同化してしまった外套を颯爽と(ひるがえ)し、灯りの奥に足を踏み入れた。

 灯りに照らされた、ほのかに蒼い山門を潜ると、石造りの中門が見えてきた。

そのまま前進していると、案の定僧侶が寄ってきた。

 中門から先は、建物の中である。いわば、中門は教院の玄関のようなものだった。


「ああ、先日の旅の方ですね」


 人が五人くらいは座れそうな、大きな中門の板の間に、僧侶は膝をついて応対した。

 建物に使われている古い材木の香りが、別世界に誘うように、涼雅の身を引き締めてくれる。延凌は以前妖異を追って来た時も、旅人と称してここを宿泊先として使用していたのだろう。延凌の正体も知らない下位の僧侶は、すこぶる愛想が良かった。


(若いわね)


 涼雅は、派手な極彩色の外套を脱ぎながら、相手の若い坊主を値踏みしていた。僧侶は、修行用の灰色の道着に、眼鏡をかけていた。ひ弱な体形は、戦闘が多くなる天陽国の僧侶にとっては、貧弱な部類に入るだろう。眠そうに目を瞬かせている。


素良(そら)。相変わらず、一人なんだな」


 延凌は、なんともいえない嘆息を漏らした。


「はい。他の者は、妖異退治するために、街に出ています。残ったのは、相変わらず、私と数人だけですよ」


 延凌の問いかけに素直に応じているのは、素良(そら)という僧がまだ幼いことを証明していた。

 ここで素性も良く分からない延凌に、教院の中が手薄であることを白状してしまうのは、常に危機感を持っていなければならない僧侶としては失格だった。

もっとも、僧侶ではない涼雅にとっては、どうでも良いことなのだが。


「もしかして、あの女妖異が出現しているのかしらね?」


 延凌と涼雅は街に立ち寄ることなく、真っ直ぐ蒼本院に来てしまったので分からなかったが、景蘭が出現している可能性も否定できない。

 涼雅の独り言を聞きつけた素良は、即座に首を横に振った。


「私は噂だと思っているんです。確かに以前結界壁が破壊されたことがありましたが、その後は落ち着いていますから。犯人が挙がらないから、みんな躍起になっているのでしょう」


 そうかと、うなずく延凌は一瞬だけ鋭い瞳になったが、すぐに温和な笑顔に戻った。


「ずっと黙っていたんだが、俺は黒涯師(こくがいし)延凌(えんりょう)という。その妖異を、退治しに来たんだよ」

「えっ!」


 虫が潰れたような声を上げて、素良は瞬息、平伏した。


「も、申し訳ありません。まさか法胤さまがお一人でいらっしゃるとは思ってもいませんでした。分からなかったとはいえ、とんだ失礼を……」

「いいさ。証拠を見せろといわれると思ってたしな。むしろ、そうでなければいけないんだぜ、素良。無闇に人を信じるものじゃない」


 特に坊主はな……。そう延凌が付け加えたのを、涼雅は確かに聞いてしまった。

 空耳だったのかしら? 小首を傾げるが、答えは出ない。


「さて、素良。蒼本院に対して国王陛下からの勅命がでた」

「はっ」


 改まった声を発する素良だったが、涼雅は耳を疑った。


(勅命?)


 馬鹿な。そんな話は聞いていない。隠していたというのだろうか。

 延凌は、涼雅の疑問を蹴散らすように、高らかに言い渡した。


「蒼郡は凶悪な妖異の危険に晒されている。……蒼涯経典(そうがいきょうてん)を行使する」


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