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彼女


 彼女は、今日は雨だったけれど気にせずに出掛けた。むしろ雨は好ましい。声を打ち落としてくれる。へたくそな歌を誰にも聞かせずに済む。

 住宅街から少し離れた深夜の公園には誰もいない。だから彼女はひっそりと歌う。カラオケボックスに毎日通うにはお金が掛かる。そんな小さなストレス発散。

 彼女は黒ではない。時間に縛られた社会人や、楽しいことのない学生のような黒々としたストレスを溜め込んでいるわけではなかった。ただほんの少しの気晴らしだ。

 かといって白でもない。彼女には絶対的にお金が不足していた。借金があるわけではない。だけど高校を奨学金で通わせて貰っていて、その返済を親に任せていることがほんの少しの彼女の負担になっている。大学にはいかなかったが、就職もしなかった。ひっそりとバツイチ。だから気晴らしは必要だ。

「おーれーはジャイアーン、ガーキダイショー」

 歌はなんでもよかった。大声で歌うことだけでいい。うまく歌う必要もない。だから思うままに口を動かした。道行く人にたまに変な目で見られたら心無しか彼女の声は小さくなった。羞恥心は歌声の大敵だ。そういう時はめげずに数分掛けて元の大きさを取り戻す。何人も人が通った時は小さな声でしか歌えないまますごすごと家に引っ込む。そうした時は翌日のバイトでだいたい失敗する。そんな小心者の彼女の単独ライブに、滑り台の下からたった一人の観客があわられた。

「ありゃ。先客か。恥ずかしいところ見られたわね」

「こ、こんばんは」

「あんた、どこの子? こんなところで何してんの?」

「家無き子です」

「ああそう。わからん。お姉さん日本語苦手なの。とりあえず、ずぶ濡れね」

「お気になさらず」

「大人はそういう訳にはいかないの。うち来なさいな。サイズは合わないだろうけど服とシャワーくらい貸してあげるから」

「ほんとに構いません。それよりもっと聴かせてください」

「なんて恥ずかしいことを普通に言うんだ、この子は」

 少年は滑り台の下に戻る。照れながら、彼女は再び歌い始めた。声を世界に振りまく。彼女の周囲に灰色が満ちていく。白と黒の中間点。きっと白と透明の次に多い色。だがそれは少年にとって自分の色以外に世界で初めて見つけた色だった。

 彼女はしばらく歌っていた。いつもより声が小さいのは、雨のせいではない。少年を見ないようにしていたが、見ないようにするということはすなわち意識するということに他ならなくて、彼女は滑り台の下を覗き込んだ。

 少年が濡れた体で眠っていた。

「断ったんだから風邪引いたりしても自業自得だよねぇ」

 彼女は続きを歌う。歌おうとする。だけど。

「あぁ……、あたしってお人よし」

 彼女は一度傘を手放して、少年を背負った。

 傘を取り直す。少年に雨が当たらないように。



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