彼女
少年を見つけたのは、彼女が制服に着替え、レジに入ってから直ぐのことだった。帰り際に捕まえられたのはきっと運がよかった。
「困ったクンさ。昨日の夜どこにいたの? 漫画喫茶とかそっち?」
「公園で寝てましたよ」
「え、嘘? あたし昨日行ったけど、いなかっ……、」
客が入ってきたので彼女は視線を切り替える。営業スマイルを作る。
「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします。チーズバーガーのセットにジューシーマックチキンですね。535円になります。千円からお預かりします。465円のお釣りです。少々お待ちください」
お客が行ってから少年に戻る。
「いなかったと思うんだけど」
「なんかすごい転身……」
「これくらい普通だよ。現代人の常識」
表情をくるくる回すことを覚えたのは実は最近のことだ。人間関係にあまり苦労してこなかったんだなぁと彼女は思う。
「家に連絡したの? きっと心配してるよ」
「どうでしょう。その内ひょっこり帰って来ると思ってるんじゃないでしょうか」
「あれ? もしかして困ったクンさ。殺人事件のこと知らない?」
「殺人事件?」
「あのね、」
言いかけて彼女は自動ドアを潜り、お客が入ってくるのを見た。いらっしゃいませ、と言おうとした口が中途半端な形で止まる。もちろんそれはただのお客かもしれなかった。けれど彼女にはそうは思えなかった。
「……やあ。久しぶり」
男は真っ直ぐに彼女のほうに歩いてきた。レジなのだから当たり前だ。イラッシャイマセ、ゴチュウモンヲオウカガイシマス。あれほど流暢に話せていた言葉に詰まる。
「どうしてあんたがここにいるのさ?」
あっさりと仮面は剥がれて、脆い素顔が顕になる。
「君に会いにきたんだ」
積み重ねたはずの歳月は彼女を守ってくれなかった。
「義母さんに働いてる場所を教えてもらって……」
「人の親のことを“かあさん”っていうな!」
声が響く。客はみんな驚いて彼女を見る。小心者の彼女は顔を赤くして店の奥に引っ込んだ。
「ダメか……」
男は深く息を吐いた。落胆。諦念。吐息には様々な感情が交じる。
「えっと……?」
「君、由紀子の知り合いかい?」
「えと、違い、いや、そうなのかな?」
「じゃあ、ごめんって伝えておいて」
男は出て行く。背中は頼りない。だけど何かに吹っ切れたように足取りはしっかりとしている。少年はとりあえず伝言を伝えるために彼女を待つ。彼女は逆に足取りは少しふらついていて、だけど表情は穏やかで強い。
「えっと、仕事は……?」
「店長が今日は帰れって。それよか困ったクン。いまからちょっとあたしの部屋来てよ」
「え、いや、あの、」
「いいからさっさと来る」
強引に少年の手をとって彼女は出て行く。街の明かりも公園も目にも止めずに、どんどん進んでいく。アパートの鍵を開け、男が置いていった物を全部出した。
服、歯ブラシ、コップ、CD、本、ギター。
捨てられずにいた彼女の昔を構成していた物。
「あげる」
「え……」
「全部あげる。いらなかったら捨てちゃってもいいから」
それは引き摺っていた黒い彼女。幸せの残滓。もう必要なかったのに捨てられなかった物。手放さなければ始まらないと気づいた。実際には手放したところで何も変わらない。部屋が少し広くなるだけ。それでも捨てるのだ。彼女の心がそう言っている。
彼女は今日も公園に行く。
きっと明日も行くだろう。
心なしかその声は大きくなる。
いつか誰かに響くかもしれない。




