きちんと焼いてますか?
ソファーでうとうとしていると、マンションの廊下が何やら騒がしいことに気づき目が醒めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝る男性の声が聞こえる。
声には聞き覚えがあり、どうやら隣人の山田さんっぽい。
一体何があったのだろう。もしや借金取りに脅されているとか?
しかし普段から山田さんを見知っているが、しっかりした人で借金を抱えているようには全く見えないのだが。
私は恐る恐る玄関のドアを開けて、隙間から様子を伺った。そして、目に入ってくる異様な光景に言葉を失った。
山田さんが土下座をしており、その周りを鮭が囲んでいる。
いや、突拍子がなさすぎて言葉にされてもよくわからないかもしれない。
でも確かに山田さんを囲んでいるのは、人間のように手足が生えた鮭なのだ。
あまりにもシュールな光景に、私はなんだか頭を打たれたようにクラクラした。
一匹の鮭が前に進み出て山田さんに話しかける。
「お前の罪を答えろ」
人間の言葉を喋れるようだ。イントネーションも完璧。それに見た目にそぐわない渋くてダンディーな声。
「いえ、わかりません」山田さんの表情は青ざめ、声は震えている。
「罪の意識もないのか。人間というのは所詮知能が高いだけのどうしようもない生き物なのだな」
鮭の言葉には静かな苛立ちがこもっている。
「夕食に鮭を焼いたな?」
「はい」
(山田さんの夕食は焼き鮭だったんだ。……まさか、鮭を食べたから怒ってるの?)
「ちゃんと焼けたか?」
「……焦がしてしまいました」
(焦がしちゃったんだ。私もよく焦がしちゃうことあるな。でも、香ばしいのも美味しいけどね)
鮭は大きく息を吸い込むと、
「命を侮辱するな!」大きな声が廊下に響いた。
「人間が我々を食べることに対してとかく言うつもりはない。しかし、命を摘んで自分が生きていく糧とする以上、頂く命には誠意を持って向き合うべきではないのか」
まったくのど正論だ。人間が鮭に道徳を説かれるなんて。
「鮭を焦がしてしまうこと、それは死体蹴りと同じで最低のマナー違反ではないのか」
山田さんははっと顔を上げた。自分がしてしまった罪の大きさに気付かされ、鎮痛な面持ちだ。
山田さんの目を鮭はじっと見つめる。
「散っていく仲間のために代表して言わせてもらう。せめて最後は美味しくきれいに食べてやってほしい」
鮭は頭を下げた。ぐっと溢れる気持ちを堪えているのだろう。強く握られた拳は震えている。
周囲の鮭からも啜り泣きが聞こえる。私もついもらい泣きしてしまった。ごめんよ、鮭。
「私が愚かでした。もう鮭を焦がしたりしません。本当に申し訳ございませんでした」
改めて地面に額をつけ、深々と土下座した。
「……わかってくれたらいいんだ」鮭は涙を堪えるかのように上を向いて、大きなため息を吐いた。
「私たちはいつも見ている。気を付けることだ。次はないぞ」
そう言って鮭達はさっと撤収して行った。
後には静寂と土下座する山田さんとそれをドアの隙間から覗く私だけが残った。
一時はどうなることかと思ったが、一件落着。めでたしめでたし。
ほっとして立ちあがろうとすると、視界が急にぐにゃぐにゃとなり意識が遠のいていった。
気づくと私はソファーで横になっていて、翌朝を迎えていた。
まだ頭はぼんやりしている。いつもの寝起きのスッキリといった感じはない。
夢……だったのだろうか。夢にしてはやけに生々しく覚えている。
私は確かめるために、隣の部屋のインターホンを鳴らした。
はーい、と声がしてすぐに山田さんがドアを開けた。
「山田さん、おはようございます」
「おはようございます。どうしたんですか、こんな朝から」
山田さんはいつもと変わらない様子だ。
「すみません、確認したいことがあって。昨日の夜のことなんですけど……」
「昨日の夜? 何かありました?」
本当に何も思い当たっていないようだ。どうやらあれは私の夢だったにちがいない。どんだけシュールなイメージを持っているんだ私。
「いえ、ごめんなさい。何でもないです」
そう言って退散しようとした時、焼いた魚の匂いが鼻をくすぐった。
「朝食は焼き鮭ですか?」
「ええ。昨日スーパーで安かったものでたくさん買ってしまいました」
「きちんと焼けました?」
「はい。昨日の夜は焦がしてしまったんですけど、今日の朝はばっちりです」
山田さんは得意げだった。
数週間後、仕事帰りにスーパーに寄ったら鮭が安売りだったので買って帰った。
家に着き、夕食の準備を始める。とはいえ今日は鮭を焼くだけなので簡単だ。軽く塩を振ってグリルにセット。あとは待つだけ。
ちょうど、サッカーの日本代表戦が始まる時刻だった。私はテレビをつけ、焼き上がる待ち時間、ソファーに座ってテレビを見ることにした。
ハーフタイムまでCMを挟まないのでつい夢中になってしまい、料理中であることを少しの間忘れていた。
キッチンからふわっと焦げた匂いが漂ってきた。
あっと気付いてキッチンに急ぐ。グリルを開けると、鮭の表面は黒く焦げてしまっていた。
まあ、誰に振る舞うわけでもない。多少焦げてるくらい全然気にならない。
私は鼻歌まじりに鮭を盛り付け、ご飯をよそい、インスタントのお味噌汁を作ってテーブルに並べた。
「あーお腹すいた。いただきます」手を合わせて、箸を持ったその時。
「ピンポーン」インターホンが鳴った。
誰だろうこんな時間に。隣の山田さんかな?




