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同じ頃。

警察署の一室で、(りく)(りつ)の”交友関係”を洗い直していた。


「陸さん、やはり佐藤律に目立った非行歴はありません。ただ一点だけ。中学二年の冬に、一週間ほど無断欠席をしています。

理由は”風邪”となっていますが、その時期、彼は近所の内科ではなく、かなり離れた街の病院に通っていた形跡があります」

「……離れた病院?」


陸は資料を指でなぞる。


それは些細な違和感だった。体調不良なら、わざわざ遠くの病院へ行く必要はない。

だが、陸の思考はすぐに、彼自身の”常識”という壁に突き当たる。


(セカンドオピニオンか。父親が名医を頼ったのだろう。……本当に、息子を大切にしていたんだ)


陸は、自分の推測に納得し、資料を閉じた。

陸の目には、律の行動はすべて”愛されたゆえの甘え”や”歪んだ反抗”として映ってしまう。

その”正しいフィルター”が、真実から彼を遠ざけていた。


深夜。

ミナは、ぐったりと横たわる律を資材の陰に隠し、

一人で街の喧騒へと踏み出した。


向かうのは、ネオンが消えかかった雑居ビルの地下。

”そこ”には、法も、正義も、そして家族という名の支配も届かない場所があることを、彼女は知っていた。


(ごめんね、律くん。……わたしを、恨んでもいいから)


ミナは走り出した。

彼女が踏み込もうとしているのは、陸のような”光”の人間には決して見えない、ドブネズミたちの聖域。


律の逃亡は、もう彼一人のものではなくなっていた。


視界が真っ赤に燃えていた。

律は、資材置き場の冷たいコンクリートの上で、現実と悪夢の境界を彷徨っていた。

左腕の拍動は、もはや自分の心臓の音よりも大きく響いている。

熱に浮かされた脳裏に、あいつの、あの穏やかで慈愛に満ちた──吐き気のする笑顔が浮かんで消える。


(……死なせない。死なせて、たまるか)


誰の言葉だったか。自分自身の声か、それとも自分を縛る呪いか。

律は震える右手で、近くにあった錆びた鉄パイプを握りしめた。


一方、街の地下。

ミナは、カビ臭い廊下の突き当たりにある重い鉄の扉を叩いていた。

現れたのは、白衣の上から汚れたジャンパーを羽織った男だ。


「……何の用だ、ミナ。お前の”オーナー”が必死に探してるぞ」

「助けて。友達が死にそうなの。お金なら、いつか必ず返すから……」


ミナの必死の訴えを、男は冷笑で一蹴した。


「ここが慈善病院だとでも思ってるのか? その”友達”をここに連れてくるってことは、お前の居場所を教えるってことだ。……ほら、もう来たぞ」


ミナが振り返るより早く、背後の階段から複数の足音が響いた。

あのコインランドリーの男。そして、それ以上に冷徹な目をした、黒服の集団。

ミナを”商品”としてしか見ていない、本物の略奪者たちだ。


「よくやってくれたよ、ミナ。勝手に逃げ出したお仕置きは、後でたっぷりな」


男がミナの髪を掴み、床に叩きつける。

だが、その瞬間。

地下室の換気口から、一発の閃光弾が投げ込まれた。



──凄まじい爆音と光。


「警察だ! 全員動くな!」


突入してきたのは、陸を先頭にした捜査チームだった。


陸は、ミナの足取りを執念深く追っていた。

彼女が向かった先が”闇のクリニック”だと知った時、彼の脳裏には一つの仮説が浮かんでいた。


律が怪我を負っている。

そしてミナがそこへ助けを求めた。

なら、律もここに──。


「陸さん、律の姿はありません! 逃げたのは少女一人だけだったようです!」

「なんだと……?」


陸は、男たちに押さえつけられていたミナを助け起こした。

彼女は泣き叫びながら、陸の胸を叩いた。


「どうして……どうして来たの!

あの人はあそこで死んじゃう! 警察なんかが来たら、あの人は、律くんは……!」


ミナの悲痛な叫びに、陸は言葉を失った。

自分が追いかけてきた”人殺しの青年”。

その青年が死にかけている。そして、この少女は警察よりも、自分たちを襲う犯罪者よりも、

陸という”正義”がそこへ行くことを恐れている。


(……なぜだ。なぜ、僕たちはこれほどまでに拒絶されている?)


その時。

陸の無線に、資材置き場を監視していた部下から悲鳴のような報告が入った。


「陸さん、至急応援を! 資材置き場に、ミナの追っ手の別動隊が……。……あ、あああああ! 待て、やめろ! 佐藤律が、律が──!!」


無線は激しい打撃音と、獣のような咆哮を最後に途切れた。


陸はミナを署員に預け、パトカーへと飛び乗った。

サイレンを鳴らし、雨の夜を切り裂いて走る。

陸の心臓は、これまでにない不安で波打っていた。


彼が知る“律”という青年は、もうどこにもいないのかもしれない。

正義が届かない場所で、あの青年は別の何かになりつつある──そんな気がした。

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