カラオケ的優越感のしらべ
大学のサークルで飲み会があり、その帰り、たまたま先輩と帰り道が同じだった田中雄二は、先輩の沖田隼也と共に、地元の駅前にあるカラオケルームに立ち寄った。
受付は、もともと二人とも行きつけだったこともあり、会員登録などの面倒なやり取りは省いてすんなりと部屋に入ることができた。部屋には長く折れ曲がった固いソファと、そのソファに沿うように配置された大きなテーブル、そして大きなモニターがあり、その前に消毒済みと書かれた包装に包まれたマイクが二本建てて置いてある。二人は両脇に座ると、カバンを置き、コートを脱ぐ。二人だけなので、個室は広々としているように感じた。薄暗い部屋で、スピーカーから大音量で広告が流れている。それを阻止するように、沖田隼也はタッチパネルを操作して、曲を入れる。
「俺から行くぞ」「はい」
曲の予約の完了を知らせる表示がモニターの上部に映り、画面が即座に切り替わる。曲名とアーティスト名が、大きく表示される。
「この曲知ってる?」「いや、わからないです、でも、サビ聴いたらわかるかもしれないです」「よし、多分、サビ知ってるよ、有名だもん」
沖田隼也は喉を調整するように何度か軽く咳払いをする。田中雄二は、曲が始まるまでの短い時間で、タッチパネルを素早く操作していた。しかし、予約する間もなく、曲が始まる。
「イントロがいいんだよなあ、この楽器、なんて言うんだろう」
「なんか、お洒落な感じですね、先輩らしくないというか」
「おい、なんてこと言うんだ」
しっとりとしたイントロを終えて、歌い出しが近づき、歌詞が表示される。白くて、堂々としたフォントの歌詞。沖田隼也は、ガタイのいい体の割には繊細な歌声を響かせた。しっとりとAメロを終えて、このまましっとりしたまま終わるのかと思いきや、サビで一気に盛り上がる。沖田隼也は得意の裏声で、歌うのが難しそうなサビを歌う。サビは、最近の曲にしてはやけに長かった。サビの中にもいくつか展開があって、飽きさせない工夫をした、いわゆる最近のJ-POPの流行をちゃんと汲み取りつつ、それでもってメロディはかなり複雑な作りになっていた。サビが終わり、また静かに間奏が始まる。間奏の間、田中雄二は目の前に置かれていたタッチパネルに触れ、自分の歌う曲の検索を再開した。しかし、検索候補にそのアーティストが表示される前に、二番のAメロが始まり、そしてその瞬間に地面が傾いた。いや、実際は、部屋に入った時点で部屋は傾き始めていて、今、それに気づいただけなのかもしれない。しかし、地面はあっという間に垂直になり、二人はテレビ側の壁に足をつける。そして次の瞬間、そのテレビ側の壁がストンと開き、二人は、そのまま真っ逆さまに落下した。
落下した先は真っ暗の空間だった。田中雄二は驚いて声も出ず、心臓のある部分を必死に抑えていた。沖田隼也は、マイクを握ったまま、片方の手で壁を触り、壁が妙な湿気に覆われていることに気づく。
「なんですか、これ」最初に声を出したのは田中雄二だった。
「わからん、怖いな、なんだ」沖田隼也はなぜか、握ったマイクを口元に持っていき、囁くように喋った。
「現実とは思えないんですけど、もしかして、手の込んだ、ドッキリとか?」
「こんな大して見栄えもない一般人を標的にして大掛かりなドッキリするかよ」
「いや、でも、物好きもいるんじゃ」
「ああ、あ……」
気づいたように沖田隼也は壁に近づく。
「この壁、小さな穴がめちゃくちゃ空いている、あれだ、あれ、音楽室の壁みたいな」
「防音的なことですかね」
「歌えってか」
二人でしばらくあたふたしながら小さな空間を一周して調べる。目覚めたランドルフは気がつくと広い平原に寝そべっていた。ラッパを吹く天使が草原を走り回っており、天使に付き添うように、一人の女性がいた。よく見ると、ランドルフと同じ色の服装をしていた。真っ白のワンピース。裸足ではしゃぐように歩いている。それを眺めていると、ランドルフはとても満たされた気持ちになり、手のひらに浮かんできた手榴弾を思いっきり天使に向かって投げつけた。すると、天使はいきなり赤い目玉を動かしこっちを睨んだ。ランドルフは避けるまもなく〈未知なる波動〉によって吹き飛ばされてしまった。あっという間に平原の景色が遠くになり、意識も遠くなっていく最中、不意に意識を取り戻したある男は、電車の中で意識を失っていたと言う事実に愕然とした。誰も助けてはくれなかったのだ。もう、最寄駅はとうに通り過ぎており、周りに座っていた乗客の肌は総じて青白かった。まるで幽霊が、天国の場所を見失ってどうすることもできなくなり、たまたま死に場所の近くを通った電車に乗り込んだようだった。皆一様に、不気味な笑顔を浮かべており、いてもたってもいられなくなった男は、車両を駆け抜けて別の車両に移った。そこには、ピエロの格好をした数人の集団が立ち尽くしていた。異様に身長が高く、ピエロたちの吐く息がそのまま鼻腔の中に入り込んでいった。車窓から見えるのは、焼け野原だけだった……。そして次の瞬間にミザリーは、爆弾に巻き込まれて半身不随となった。それを知ったのは三年後、病室で意識を取り戻した時だった。目が覚めた瞬間は、自分が誰かすらわからなかったが、親切な看護師と話を続けるうち、散らばった記憶のピースが自然と磁石のように引き寄せ合い、ピッタリと当てはまっていった。そして、ミザリーはいてもたってもいられなくなり、ベッドのすぐ隣にあった窓を蹴破り、外へ飛び出した。飛び出した先の地面には簡易プールが置かれており、冷たい水が飛沫となって世界に散っていった。ミザリーは何度か腕で顔を擦ると、目を見開き、窓から呼び止める看護師を振り向くこともせず、まっすぐ進んだ。少し進むと、そこには大きな本屋があった。秋本淳二は、そこでいくつかの参考書を買い、その足で近くの喫茶店へ足を運んだ。そして、簡単に注文を済ませると、早速、買ったばかりの参考書を開き、一ページ目の序文から頭に叩き込んでいく。こめかみをコンコンと人差し指で叩きながら目で字を追っていく。これがもはや秋本淳二のルーティンになっていた。これは、家庭教師の先生に、ルーティンを作っておけ、と言われて始めたことだったが、長く続けると頭がくらくらしてくるので今は少し後悔をしていた。テーブルに慣れた手つきで置かれたコーヒーに手を伸ばし、それを飲もうとした瞬間、地面が傾いた。いや、実際は、喫茶店に入った時点で部屋は傾き始めていて、今、それに気づいただけなのかもしれない。しかし、地面はあっという間に垂直になり、秋本淳二は、窓に足をつける姿勢になった。ここで気づいたが、自分以外に客は一人もいなかったし、ウェイターも姿を消していた。秋本淳二は、参考書を大事そうに胸に抱え、その場でじっとしていた。すると、気がついたときには、爆発で巻き込まれて、半身不随になった過去を思い出し、ミザリーは、頭をしっかり両手で支えながら、病室をゆっくりと動き回っていた。すると、次の瞬間に看護師が廊下から現れ、「大丈夫?」と声をかけてきたので、男は急いで車両を移った。すると、やはりその車両にはたくさんの幽霊が乗車しているではないか。息を整え、その車両を駆け抜け、運転手のいる方向へと向かおうとした瞬間、窓の奥から草原が広がり出し、そこで踊っていた天使に、沖田隼也は、握っていたマイクを向けると、天使は大きな声で〈偉大なる奇跡の呪文〉を呟き、その瞬間に、カラオケルームにありえない量のこけしが生えてきたという……。




