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第9話 誘発


 朝の校門前は、いつもと変わらない。

 登校時間も、動線も、基準値の範囲内だ。


 だが、立ち止まる生徒が増えている。


 私は少し離れた場所から、その様子を見る。

 互いに距離を取り、無言で時間を調整している。


――滞留時間:基準値以内

――接触:なし


 記録上は問題ない。

 だが、動きが揃いすぎている。


 委員会室で一覧を開くと、

 似たような数値が並んでいた。


 誰かが制度を守っているわけではない。

 掲示板で読んだ言葉が、

 それぞれの判断に影を落としている。


「昨日の、見た?」


 小声での確認。

 掲示板のことだと、すぐに分かる。


「やりすぎると危ないって」


「何もしない方が安全らしい」


 言葉は、断定を避けている。

 だが、行動は変わる。


 午前中、ひとつのログが目に留まった。


――移動記録:教室→保健室前

――滞留時間:基準値以内

――進入:なし

――申告:なし


 保健室前で止まり、入らずに引き返している。

 理由は記録されない。


 以前なら、自己申告が付いていたかもしれない。

 だが、今は沈黙が選ばれている。


 私は、問題なしを押す。


 昼休み、校内放送が流れた。

 内容は、掲示板とは無関係だ。


 それでも、生徒たちの動きが一瞬止まる。

 視線が交差し、すぐに逸らされる。


 午後、委員会室に、珍しく問い合わせが来た。


「これって、申告した方がいい?」


 直接聞かれるのは久しぶりだ。


 内容は、基準値ぎりぎりの接触だった。

 制度上、申告義務はない。


「義務はない」


 私は、それだけを伝える。


「じゃあ……やめとく」


 それで会話は終わった。


 掲示板の影響だと、誰も口にしない。

 だが、判断基準が、制度から少しずれている。


 夕方、校舎裏で小さな騒ぎがあった。

 誰かが転び、周囲が一瞬集まった。


 すぐに散る。

 助け起こす距離も、基準値以内だ。


 記録は自動取得される。

 自己申告はない。


――接触:一件

――負傷:軽微

――申告:なし


 事故ではあるが、事件ではない。

 処理は、通常通りだ。


 だが、掲示板にはすぐに書き込みが増えた。


「転んだらしい」

「申告しなかったって」

「問題になってない」


 事実と推測が混ざっている。

 それでも、結論めいた空気が生まれる。


 申告しなくても、何も起きない。


 私は、その言葉を記録しない。

 出来ない。


 委員会室で一日の処理を終えた後、

 一覧を見返す。


 問題なし。

 保留なし。

 例外なし。


 制度は、正しく機能している。


 だが、行動は少しだけ前に出た。

 沈黙が、選択として使われ始めている。


 誘発されたのは、事件ではない。

 判断だ。


 その判断は、記録されないまま、

 次の日へ持ち越される。


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