第2話 記録されない声
翌日の記録委員会室は、前日よりも少しだけ空気が重かった。
理由ははっきりしない。気温のせいかもしれないし、未処理件数が多いわけでもない。ただ、端末を起動した瞬間、画面の白がやけに冷たく見えた。
未処理ログは十九件。
数としては多くない。
私は中央の席に座り、指で画面を滑らせる。
一覧には、昨日と同じ形式の記録が並んでいた。
――行動記録:授業中、三度の離席。
――理由申告:体調不良。
――保健室利用:なし。
離席回数は基準値を超えていない。
だが、理由が申告されている以上、形式上は処理が必要になる。
私は過去ログを呼び出す。
同じ生徒の記録が、数日前にも残っていた。
――移動記録:授業間、移動遅延。
――申告補足:忘れ物を取りに戻った。
どれも、単体では問題にならない。
組み合わせても、例外条件には届かない。
私は一度だけ深く息を吸い、処理欄を開く。
選択肢は、いつもと同じ三つだった。
指が止まる。
理由を付けることは出来る。
だが、理由を付けた瞬間、それは判断になる。
私は「保留」を選択した。
端末が短く振動する。
その音は、肯定でも否定でもなかった。
隣の席の同級生が、ちらりとこちらを見た。
何か言いたそうだったが、結局何も言わず、また自分の画面に戻る。
委員会室では、会話は必要最低限に抑えられている。
制度上の規則というより、自然とそうなった。
言葉を使わない方が、判断を遅らせられるからだ。
次のログを開く。
――接触記録:放課後、同学年女子二名。
――接触時間:二十二分。
――申告補足:委員会の相談。
相談内容は書かれていない。
書く義務もない。
私は記録を閉じ、処理欄を確認する。
ここでも、問題は見当たらなかった。
それでも、確定には至らない。
保留。
そうしているうちに、委員会室のドアが静かに開いた。
顧問ではない。
入ってきたのは、別の委員だった。
「これ、確認してほしい」
差し出された端末には、赤い枠で囲まれたログが表示されている。
例外判定寸前の記録だ。
――移動記録:構内測位断続的遮断。
――遮断回数:五回。
――申告補足:特になし。
私は画面を見つめる。
遮断回数は多いが、継続時間は短い。
意図的かどうかは、分からない。
「どう思う?」
その問いは、判断を求めていた。
だが、私は答えを持っていない。
「……今は、保留で」
声は小さかったが、はっきり届いた。
相手は一瞬だけ迷うような表情を見せ、それから頷いた。
「分かった」
それ以上の言葉は交わされない。
端末は戻され、ドアは静かに閉まる。
私は、自分の画面に戻る。
記録は、声を持たない。
声を持たないからこそ、制度は安定する。
だが、声を持たないまま残るものが、確かに存在していた。
夕方、処理が一段落した頃。
私はふと、未処理ではないはずのログに目が留まった。
保留一覧。
そこには、昨日と今日の記録が並んでいる。
名前を見ても、特別な感情は湧かない。
顔を思い出すこともしない。
それでも、数だけは確実に増えている。
判断されなかった記録。
確定されなかった事実。
それらは、誰にも見られないまま、制度の内側に溜まっていく。
私は端末を閉じ、椅子から立ち上がる。
委員会室を出ると、廊下にはもう人影がなかった。
声を上げる必要はない。
何も起きていないのだから。
ただ、今日もまた、
記録されなかった声が、
記録の中に残っただけだ。
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