鍵を開ける音
翌日。
約束したわけでもないのに、気づけば氷雨は研究室の前に立っていた。
(……ほんとうに、いいのかな……)
胸の奥がじんわり重い。
昨日の“また明日、待ってるね”という声が
何度も頭に響いて、そのたびに足が研究室に向かってしまった。
けど——
(開ける勇気が……ない……)
ドアノブに触れるたびに手が引っ込む。
研究室の前を行ったり来たりしている自分が情けなくて、でも一歩が踏み出せなかった。
そんなとき。
「氷雨さん」
背後から静かであたたかい声が落ちてきた。
「……っ!」
驚いて振り返ると、そこには優しく微笑む雪村がいた。
「来てくれて、ありがとう」
その一言だけで、胸がぎゅうっと痛いほど熱くなる。
雪村は氷雨の横を通り、研究室のドアを開けた。
「どうぞ?」
促すように、柔らかく手を差し出す。
逃げ道を塞ぐような圧はまったくないのに、断れない温度がそこにあった。
「し、失礼します……」
深くお辞儀して、中へ入る。
昨日と同じ、整った空間。
整然と並ぶ本棚。温かみのある静けさ。
(……やっぱり、綺麗……)
「座っていいよ」
指さされたソファにそっと腰を下ろすと、雪村は昨日と同じ、慣れた手つきでコーヒーを淹れ始めた。
ガリ……ガリ……と豆を挽く音。
静かな湯気。
しばらくして、温かいカップがテーブルに置かれる。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
一口飲む。
昨日と同じ、深い苦味とほのかな甘さ。
ブラックなのに優しい味。
(……やっぱり美味しい……)
雪村も自分の分を淹れて、氷雨の真正面のソファに座った。
「今日のは、どう?」
「えっと……今日も、美味しい、です」
思わず素直に答えてしまう。
すると雪村は、ふうっと肩の力を抜いたように笑った。
「そっか、よかった」
その表情がなんだか嬉しそうで、胸が少しだけあたたかくなる。
ふと、昨日とは違う疑問が浮かんだ。
(そういえば……)
迷ったけど、勇気を出して聞いてみる。
「あの……雪村先生も、ブラック派なんですか?」
雪村は小さく「あぁ」と頷いて、柔らかく微笑んだ。
「うん。氷雨さんと同じだよ。昔からブラック派なんだ。
砂糖入りも好きだけど……僕はブラックの方がコーヒーの本来の味が分かるから好きかな」
「あ……それ、分かります。
私も同じです」
自分でも驚くほど自然に言葉が出て、気づけば少しだけ、口元がほころんでいた。
その瞬間——
「ふふ」
雪村が小さく笑った。
「初めて笑ってくれた」
「……え……?」
言われて初めて、自分が笑っていたことに気づいた。
そんなつもりはなかったのに。
久しぶりに顔の筋肉が緩んだような感覚に、胸が少しだけ掴まれる。
「ご、ごめんなさい……」
なぜか反射的に謝ってしまう。
でも雪村はすぐに首を横に振った。
「なんで謝るの?」
優しい声色で言う。
「氷雨さんが笑ってくれて……僕は嬉しいよ。
笑った顔、すごく可愛い」
「……っ」
一気に顔が熱くなる。
視線を逸らして、カップを持つ手が震えた。
こんなふうに言われるの、生まれて初めてだった。
胸の奥が、ぎゅっと痛いくらいあたたかくなる。
落ち着かない。呼吸も浅い。
そんな氷雨を、雪村はじっと見つめていた。
「……氷雨さんって、意外と分かりやすいね」
「……え?」
思わず顔を上げると、雪村はくすっと笑いながら言った。
「いや、顔が真っ赤だから……」
「……っ」
また俯いてしまう。
耳までじんじん熱い。
「ご、ごめんなさい……」
小さな声で謝ると、雪村は優しく肩をすくめた。
「ほら、また謝った。
全然謝ることじゃないよ?」
「で、でも……」
喉の奥がきゅっと痛くなる。
言いたくなかったことばかり溢れてくる。
「私なんかが……雪村先生みたいな優しい人の、優しい言葉に照れてるの……
その……勘違いも甚だしいっていうか……」
声が震えていく。
「ごめんなさい……でも……
私、人から優しくされるの、久しぶりで……慣れてなくて……」
それを聞いた瞬間だった。
雪村は立ち上がり、ゆっくりと氷雨の隣へ座った。
「え……」
驚いて固まる氷雨の頭に、雪村の手がそっと触れた。
指先が髪を優しく撫でる。
「氷雨さんは、優しくされるべき人だよ」
あたたかい声。
胸の奥まで染みこんでいく。
「だから……安心して、堂々と僕に優しくされて?」
(……どうして……こんなに……)
言葉が何も出ない。
雪村はさらに続けた。
「……それにね、勘違いなんかじゃないよ」
鼓動が跳ねる。
「僕は、誰にでも優しいわけじゃない」
「……え……?」
驚いて顔を向ける。
向けてしまう。
雪村は、まっすぐに氷雨の目を見つめて、
「初めてちゃんと顔見てくれたね」
と微笑んだ。
胸の奥がじん、と熱を帯びて、また謝りかけてしまう。
「ご、ごめんなさ——」
言い終わるより先に、雪村の手が氷雨の頬にそっと添えられた。
逃がさないように、優しく、確かに。
逸らそうとした顔をそっと戻される。
「……ゆ、雪村……先生……」
震える声が漏れた。
雪村はその震えごと包み込むように、真っ直ぐな目で言った。
「これから、僕の前では謝らないで」
(……そんなの……無理……)
そう思ったのに、雪村は続ける。
「氷雨さんは、謝らなくていいことに謝りすぎだ」
優しさで刺すような言葉。
「僕は、何があっても氷雨さんの味方だよ。
信じてほしい」
その瞬間——
世界の音が全部遠のいた。
時計の針も、外のざわめきも、研究室の静けささえも。
ただ、目の前の人の声だけが、真っ直ぐに胸に届いた。
時が止まったみたいだった。
心臓だけが、やけに強く響いている。
やがて雪村は、氷雨の頬に添えていた手をゆっくりと離した。
ぐいっと距離を詰めるわけでも、急に離れるわけでもなく、ただ優しく、安心させるように。
そして、静かに微笑んだ。
「わかった?」
ぽかんとしたまま、頭の整理が全然追いつかないのに、口だけが反射的に動いた。
「……は、はい……」
「うん、いい子だね」
その言葉と同時に、雪村の手が再び氷雨の頭をそっと撫でた。
指先が髪を滑るたび、心臓が何度も跳ねる。
息をするのを忘れそうになる。
(……どうして……こんなに優しいの……?
なんで……こんなに……)
処理できないまま、頭の中が真っ白になった。
すると雪村は、まるで今の出来事なんてたいしたことではないように、自然な動作で立ち上がった。
研究室の空気が、ゆっくりと元に戻っていく。
雪村は自分のカップを持ちながら、昨日と同じ正面のソファへ座り直した。
そして、テーブルに置いてあった本を静かに開く。
なにも起きなかったような顔で、ページをめくり始めた。
その様子を見て、氷雨も慌てて自分のカバンを漁り、開いていたはずの本を取り出して、震える指先でページを開いた。
……全然、読めない。
文字がただの黒い模様に見える。
(……どうしよう……
全然頭に入ってこない……)
胸がまだ熱い。
顔も熱い。
心臓も速い。
少しだけ視線を上げると、雪村が静かに本を読む姿が見えた。
昨日より近い距離で、昨日よりずっと特別に見えた。
(……雪村先生って、どんな人なんだろう……)
ふと、そんなことを思ってしまった。
気づいたときにはもう、心の中でその答えを知りたくてたまらなくなっていた。
——雪村先生という人のことを、
もっと、もっと知りたい。
そう思ってしまった自分に驚きながら、
氷雨はそっと本に視線を落とした。
---
雪村を観察して、分かったことがいくつかある。
観察、というとまるでストーカーのようだが……
あの日以来、校内で雪村を見かけるたびに、氷雨は視線がそっと吸い寄せられるように雪村を追っていた。
まず、雪村は驚くほどモテている。
図書館で会ったあの女の子のように、“好きな人にしか向けない目”をして雪村の周りに集まる学生は多い。
廊下で声をかけてくる子、資料室で雪村に近づこうとする子、授業後に質問を理由にして話しかけてくる子。
みんな、分かりやすく雪村に恋をしている。
(……まぁ、あの顔とあの性格なら、モテるのも当然だけど……)
そう思うたび、胸の奥に少しだけ苦いものが落ちる。
その感情に、名前はまだつけられなかった。
それから——
雪村は、驚くほど几帳面だ。
氷雨が講義棟の前を通りかかったとき、雪村が屋外の掲示板の前に立っていた。
学生たちが置いていったプリントが何枚も散乱し、風で飛ばされないようにと雑に押しピンだけ刺してある状態だった。
雪村は誰に頼まれたわけでもないのに、散らかったプリントを全部手にとり、端を揃え、折れ目を整え、丁寧に掲示板に貼り直していた。
まるで、“乱れたものを放っておけない”かのように。
そして貼り終えると、誰に見られているわけでもないのに、満足したように小さく頷いていた。
(……細かいところまで綺麗にしないと気がすまない人なんだ……)
研究室の整理整頓ぶりを思い出し、なんだか妙に納得する。
それだけではない。
講義では穏やかだが、説明は驚くほど論理的で無駄がないこと。
昼休みは誰かと話すより、本を読んで過ごしていること。
学生に向ける笑顔は優しいのに、どこか距離を置いていること。
(……雪村先生って……なんとなく分かってきた部分もあるけど……)
まだ分からないところが多すぎる。
どうしてあの日、自分に声をかけたのか。
どうして“味方だよ”なんて言ってくれたのか。
どうして……自分に優しくしてくれるのか。
その答えは、雪村の穏やかな笑顔の奥に隠れているような気がした。
——もっと知りたい。
気づけば、そんな気持ちが胸の中で静かに広がっていた。
---
研究室に通う日々にも、少しずつ慣れてきた頃。
とはいえ、雪村の前にいるだけで胸がそわそわして落ち着かなくなるのは相変わらずだった。
その日も氷雨は、雪村に入れてもらったコーヒーを両手でそっと包むように持ち、静かに一口飲んでいた。
(……今日も美味しい……)
苦味と香りがふわっと広がって、心が少し落ち着く。
そんな穏やかな空気の中で、雪村がふいに「あ……そういえば」と小さく声を漏らした。
顔を上げる前に、次の言葉が落ちてきた。
「氷雨さん、最近……僕のこと見てくれてるよね」
「っ……!」
驚きすぎて、持っていたカップが傾きかけた。
コーヒーが零れそうになり、氷雨は慌てて手を動かした——その瞬間。
「危ない!」
雪村が素早く手を伸ばし、氷雨の手を包むように支えた。
雪村の指先が触れ、コーヒーの揺れがぴたりと止まる。
「大丈夫?」
近い。
手も、声も、鼓動も。
「あ……ご、ごめんなさ……」
氷雨が反射的に謝ろうとした瞬間。
「氷雨さん」
名前を呼ばれた。
優しく、でも確かに制するように。
ハッとして口を噤むと、雪村はすぐに柔らかく微笑んだ。
「……いや、今のは僕が悪いね。
びっくりさせちゃって、ごめんね」
そして、少し照れくさそうに続けた。
「最近、やたらと氷雨さんから視線を感じるから……なんだか嬉しくて」
「えっ……あ、あの……えっと……」
(見られてた……?全部……?)
心臓がうるさすぎて壊れそう。
それでも氷雨は、嘘をつけない自分に気づいていた。
「わ、私……雪村先生のこと……全然知らないから……
観察してたら……何か分かるかなって、思って……」
真っ赤になりながら言い切ると、雪村は少しだけ目を見開いた。
本当に意外そうな顔。
「……僕のこと、知りたいと思ってくれてるの?」
「……っ」
言葉にはできず、小さく、でも確かに頷いた。
その瞬間——
雪村の表情が、ゆっくりと綻んだ。
「嬉しいな……氷雨さんがそんなこと思ってくれてるなんて」
その笑顔は、胸の奥がきゅうっと締めつけられるほど優しかった。
「観察してくれるのも嬉しいけど……
直接質問してくれるほうが、もっと嬉しいな。
なんでも聞いて?」
(なんでも……)
戸惑いながらも、心の奥がふわっと熱くなる。
「え、えっと……じゃあ……」
カップをぎゅっと持ち直し、氷雨はそっと雪村を見上げた。
小さな勇気を、ひとつだけ使って。
「……その……ひとつ、いいですか……?」
静かな研究室で、緊張と期待が静かに満ちていった。
胸の奥がどくどくと鳴る。
言うべきか迷った言葉が、喉の奥で震えている。
(……聞いていいの……?
こんなこと……聞いて……)
カップを持つ手が汗で少しだけ湿る。
でも——
ずっと気になっていた。
ずっと、胸に引っかかっていた。
勇気を、ひとつだけ。
「……どうして……」
声が震えていた。
「どうして私に……優しいんですか?」
その瞬間、空気がふわりと静かに揺れた。
雪村の表情が、一瞬だけ驚いたように動いた。
でもすぐに、その驚きはゆっくりと柔らかな微笑みに変わった。
「……そっか」
雪村はカップをそっとテーブルに置いた。
視線が、まっすぐに氷雨を捉える。
逃げられない。
でも、逃げたいわけじゃなかった。
「氷雨さんは、そういうところ……本当に真っ直ぐだね」
胸がきゅっとなった。
「どうして優しいか、か……」
雪村は少し考えるように目を伏せた。
そして——
ゆっくりと顔を上げる。
「理由は……ひとつじゃないよ」
喉が鳴るほど緊張する。
雪村は優しく続けた。
「でもね……氷雨さんと初めて話したとき、“この子は、自分のことを大切にしてもらった経験が少ないんだろうな”って思った」
「……っ」
心の奥が触れられたような痛み。
「それが分かったから……放っておけなかったんだと思う」
言葉が、静かに胸に落ちていく。
「それに……」
ほんの少しだけ頬を緩めて笑った。
「氷雨さんと話すと、僕の方が嬉しいんだ。
嬉しいから優しくしたくなる。
それじゃ……ダメかな?」
ダメなわけ……ない。
胸の奥がじんわりと熱くなった。
息が少しだけ震える。
返事をしようとしたけれど、言葉がどうしても出てこない。
そんな氷雨を見て、雪村はとても穏やかな、あたたかい声で言った。
「氷雨さんのことは……大切にしたいんだよ」
その言葉は、まるで心の奥に触れるように静かで優しかった。
氷雨はただ、その優しさの中で息をすることしかできなかった。
「あの……雪村先生、私ーー」
ようやく口を開けた。
ずっと胸にあった“言わなきゃいけないこと”。
でも怖くて言えなかった過去。
声が震えながらも、なんとか言葉を紡ごうとした、その瞬間。
――――ゴロゴロ、ドカーン……!
体がびくっと跳ねるほどの雷の音が、研究室に轟いた。
窓ガラスが震える。
空気までも震える。
「……っ!」
雪村も驚いたように窓の外を見る。
次の瞬間、ざあああ……と大粒の雨が降り始めた。
「嵐かな……氷雨さん、今日は雨が止むまで……」
言いかけて、雪村は氷雨の方へ顔を向けた。
「——氷雨さん?」
そこには、両手で耳を塞いで、小さく丸くなって震えている氷雨の姿があった。
唇が真っ青で、肩が細かく揺れている。
「ご、ごめんな、さい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
繰り返し謝る声は、泣き声にも似ていた。
氷雨がこんな反応をするなんて知らなかった雪村は、心の底から驚いた。
次の瞬間には、椅子を倒す勢いで氷雨のそばにかけ寄っていた。
「氷雨さん……!」
ためらいなんてなかった。
雪村は氷雨を強く、でも壊してしまわないように抱きしめた。
腕の中で震える身体を包み込むように。
「大丈夫、大丈夫だから……氷雨さん、落ち着いて」
背中をあたたかくさすり、優しく頭を撫でながら、何度も、何度も語りかける。
「僕がいるから、大丈夫だから……
怖くないよ。大丈夫、大丈夫……」
雷の音が響くたび、氷雨の体はびくっと震えた。
そのたびに雪村の腕の力は少しだけ強くなる。
……どれくらい時間が経っただろう。
やがて雷鳴が遠のき、雨の音も静かになっていく。
氷雨の震えも少しずつ小さくなり、呼吸がゆっくりと戻ってきた。
「氷雨さん、大丈夫?」
静かに耳元で問いかける。
「……は、い……」
か細い声が返ってきた。
まだ抱きしめられたまま、氷雨は小さく頷いていた。
雪村はそのまま優しく抱きしめ続けながら、穏やかに尋ねる。
「……雷、苦手?」
氷雨はしばらく黙っていた。
喉がつまっているようで、言葉を絞り出すのに時間が必要だった。
「……嫌なことが、あったんです」
涙がにじんだ声で、ゆっくり語り始める。
「昔……両親が事故にあった日も……
同じクラスの人に酷いことされた日も……
どっちも……大雨で、雷が鳴っていて……
それで……」
言葉の最後は震えてほどけていった。
雪村は遮らなかった。
泣き言を弱いと言わなかった。
励まそうともしなかった。
ただ、優しく受け止めた。
「…………そっか」
それだけ言い、氷雨の頭をもう一度、ゆっくり、優しく撫でた。
その撫で方は、“かわいそう”でも“慰め”でもなく、ただそっと寄り添うような温度だった。
氷雨はそのあたたかさに、ゆっくりと目を閉じた。
---
次に氷雨が目を開けたとき、まず見えたのは見慣れた寮の建物だった。
「……え……? あれ……? 私……」
背中から聞こえた氷雨の声に、雪村がほっとしたように振り返る。
「あ、よかった。ちょうど起きた!」
雪村は優しい笑みを浮かべ、そのまま氷雨を背負った姿勢で言った。
「氷雨さん、寝ちゃったから……家まで送り届けようと思って。
僕の家に連れて行ってもよかったけど、
さすがに女の子を男の部屋に入れるわけにはいかないからね」
言われて初めて、氷雨は自分がおんぶされていることを理解した。
「え! あ……ご、ごめんなさい!
私、重いですよね!? い、今降りますから!」
慌てる氷雨に、雪村は少し困ったように微笑んだ。
「気にしないで?……と言いたいところだけど……
氷雨さん、鍵あるかな?
ドアを開けたくて……」
「あ、あります! 今出しますね!」
氷雨は背中から降りると、
雪村が持っていてくれた自分のカバンを受け取り、必死に鍵を探して取り出した。
カチャリ、と鍵が開く音が静かに響く。
氷雨がドアを押し開けると、雪村は安心したように息を吐いた。
「よかった……。
それじゃあ、僕はこれで——」
雪村が帰ろうと背を向けたその瞬間だった。
「あ……あの!」
氷雨の声が、いつもより大きく響いた。
初めて聞く氷雨の大声に、雪村は驚いた振り返る。
氷雨は顔を真っ赤にしながら、俯き、でも必死に言葉を繋いだ。
「よかったら……その……上がっていきませんか……?」
雪村は、明らかに驚いていた。
「……氷雨さん、そんな簡単に男の人を部屋にあげちゃダメだよ」
その言葉に、氷雨はきゅっと唇を噛み、恥ずかしそうに視線を落とした。
「……雪村先生なら……私は、大丈夫です……」
その小さな声は、雷に怯えていた直後とは思えないほどまっすぐで、雪村の胸に静かに響いた。
慌てて氷雨は付け足す。
「あの、ほら……その……お礼がしたいので!」
雪村はそれを聞いて、ふっと優しく笑った。
「……じゃあ、少しだけお邪魔しようかな」
その笑顔に、氷雨の心臓はまた静かに高鳴った。




