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カインが息をのむ。
両親はカインの目の前で死ななかった。
だから「死」というものを分かっていなかったのかもしれない。
アベルは目を開けない。カインはしばらく、アベルの安らかな表情を静かに見下ろしていた。
「……は、はは……ようやく死んだ……! 兄さん、やっと!」
その声に引っ張られるように、カインが振り返る。
ユセフは笑っていた。笑いながら、泣いていた。
「……ずっと、ずっと苦しかった。兄さんが、私を馬鹿にしたあの日から……どうして生きていたんだよ……生きていなかったら、殺さなくて良かったのに……」
カインが立ち上がっても、ユセフは震えていた。それが歓喜によるものなのか、悲しみによるものなのかは分からない。
カインはただそんなユセフを表情無く見つめながら、指を複雑に組んでいく。
『それを使えば、復讐はすぐに終わるんじゃないのか? なぜやろうとしない』
そういえば、かつてアベルにそんなことを言われた。
地獄の顕現は、カインにとっては簡単なことだ。しかし一瞬で終わってしまうから、カインはあまり好きではない。
「六道逆流・修羅道顕現、呪術・『蠱毒』」
いくつか指を組んだかと思えば、それはピタリと止まった。
瞬間、カインの足元に呪術陣が広がると、陣からズルリと巨大なムカデのような何かが現れた。人よりも何倍も大きく、目も鼻もない。ただ大きな口だけを開けたその生き物は、首を揺らしながら獲物を探している。
こんな怪物に一瞬で終わらせられるのはカインも避けたかったのだが。
どうしてだろうか。今は一瞬で、すべてを終わらせてやりたい気分だった。
突如現れた生き物に、ユセフは腰を抜かしていた。息を殺し、恐怖に顔を歪めながら震えている。精霊がユセフの危機に気付いたのか、現れたそれに攻撃を仕掛けているようだった。
しかしそれは鎧のような外骨格に守られており、精霊の攻撃は通用しない。
ユセフはそれを見上げたまま動かなかった。ただなぜこんなものが居るのかと、疑問ばかりが瞳に浮かんでいた。
「……怒れる修羅よ、魂を喰らい尽くせ」
カインの声を皮切りに、それがさらに呪術陣から這い出てくる。
――カインの真名を呼んでいれば、アベルは助かっていた。
清十郎がそう禁術に刻んだからだ。だから清十郎は警戒して、誰にも真名を教えるなとカインに何度も伝えていた。
カインの真名を呼べばその呪いは解放され、カインが死に、アベルが息を吹き返す。おそらくアベルも、基本的に解呪の際にはキーワードが設定されていると言う情報は握っていたのだろう。そしてあのタイミングでカインが真名を告げ、呼べと言ったことでキーワードに気がついた。
(それでも……あの人は、呼ばなかった……)
王宮の書庫に出入りしていたから、禁術を調べていたときに何かヒントを得ていたのかもしれない。
それをカインに伝えなかったのは、おそらく信用していないからではないのだろう。
(生きるのも悪くないと、思ったのに……)
復讐は終わった。カインはこれからアベルと東洋に行き、アベルの解呪をのんびりと進めるつもりだった。
(……僕の、願いを遂げる……)
アベルの最後の言葉を思い出しながら、カインは興味もなさそうにユセフを見ていた。
巨大なムカデが、ユセフを喰っている。精霊でもどうにもできないらしい。
ユセフの頭が引き裂かれ、体を部分的に喰われてなお、精霊は抗っている。
血が噴いていた。ユセフの痛々しい叫び声はすでに聞こえない。カインは返り血を浴びながら、その様をぼんやりと眺めていた。
精霊が怒っている。カインには見えないが、地が揺れ、風が強く吹いているから、きっとカインへ怒りの矛先を移したのだろう。
そんなことを考えながら、カインは再び指を組む。
「六道還元・顕現の理を閉ざす。――鎮まり給え」
呪術陣が光る。すると引っ張られるように巨大なムカデがその中に引きずり込まれ、やがて姿を消した。
精霊も静まり返る。先ほどのムカデのようなものをカインが使役していることが恐ろしかったのかもしれない。今まで精霊が出会った人間の中でも、見たことのない種類だったのだろう。
「……僕は、精霊が恐ろしくない」
カインが、静まり返った空間に語りかける。
「一番恐ろしいのは、父だと知っている。父は悪魔だ。僕にこの未来を選ばせた。禁術すらヒントとして与えて……だから僕は、君たちが今怒っているとしても、仮に襲ってきたとしても、怖くない」
風が吹く。精霊の気配が少し遠のいた。
「……無駄な争いは嫌いなんだ。助かるよ」
カインは目を閉じるアベルを一度見下ろして、静かにその場を立ち去った。
*
国王が死んだ。
そして、国王となるはずだった、精霊に愛されたユセフも死んだ。
大聖堂の爆破に始まり、国王が国民の前で殺されたこともあって、ここまでおかしなことが続くと、国民は呪われているのだと騒ぎ始めた。
そして、新たに国王となる者がリドニス・ベルグであると伝えられた国民は、一気に王宮に集まった。どうして国王を殺した者がと、そこかしこから非難は殺到する。王宮から伝えられたのは「例の件は嵌められたのだ」という通達だけだった。それで納得できるはずもない。しかし実際に黒幕と言われる者が現れ、公開処刑されると、一部の国民は批判をやめたようだった。
「とはいえ、おおよその国民は納得していません。事態の収束のために黒幕をあつらえたのだと、真実を理解している者がほとんどです。しかしあなたは王とならなければなりません。この国で、王宮内でどれほど指をさされようとも、どれほど罵倒されようとも、この国が滅びないために、あなたが王となるしかないのです」
バドルはそう言いながら、独房の鍵を開ける。
「……ユセフ殿下は死にました。アベル殿下も……ただ一人、カイン・シュナイゼルの遺体は見つかりませんでしたが、恐れをなしてどこかに逃げたのでしょう」
少し前にユセフの死を伝えられたリドニスは、牢が開けられてなお動かなかった。
体から力を抜き、ぐったりと石造りの壁にもたれかかって座っている。瞳に感情は浮かばない。まるで人形のようである。
――万が一私が死んでも、絶対に後は追うな。私は、自分の死のせいで君が死んでしまったら、死んでなお自分を許せなくなる。
リドニスはぼんやりと、かつてのユセフの言葉を思い出す。
リドニスは死ねない。死んではいけない。死んでしまえば、ユセフを一生縛り付けてしまうかもしれない。
リドニスの目から一筋、涙が落ちた。しかしそれを拭うことはなく、リドニスはなんとか立ち上がる。
「あなたは国王……いえ、王族を殺してその座についたのだと史実に書かれるでしょう。史上最悪の国王として名を連ねることになります。死してなお、あなたは批判される。それでもあなたは、王であらなければならない」
リドニスがようやく牢から出てくると、バドルはさっそく踏み出した。
「さあ、我が王。行きましょう。あなたの地獄へ」
*
とある夜、カインは自身の身をすっぽりと包み隠すほどの大きなマントを身に着けて、王宮に来ていた。フードを深くかぶり、周囲を注意深く観察する。
衛兵は居ない。確認し、カインはさっそく壁の穴から中に侵入した。大人が一人、少し窮屈ながらに通れる穴だ。カインは身をかがめてなんとかそこを通り抜けると、周囲を警戒しながら早足に進む。
深夜であるため、あたりは静まり返っていた。
カインが芝生を踏む音さえも大きく聞こえるほどである。
カインは忍び足で、王宮から離れた場所へ向かう。やがて見えたのは石造りの棟だった。
棟の前には衛兵は居なかった。おそらく王妃が手を回したからなのだが、カインは気にすることなく扉を開ける。
重たい扉だ。古びた音が響いた。
「誰だ!」
大人の男の声が聞こえた。暗闇から現れたカインを見て警戒している。
男はやけにアベルに似ていた。けれどカインにとっては知らない顔だ。名前は知っているが、それだけである。石造りの階段を数段降りて、カインは被っていたフードを外す。
「……逃げましょう。僕はあなたたちを救うことが出来ます」
男は警戒して、背後に子どもを隠す。
しかし子どもは、男の背後からひょこりと顔を出した。
闇色の髪に、赤い瞳の子どもだった。
「……誰? 俺たちを殺しに来たの?」
「アベル、静かに。下がっていなさい」
こちらの動きを警戒しているくせにどこか不遜な表情のその子どもを見て、カインはつい笑ってしまう。
そんなカインに、男も子どもも目を丸くする。カインの態度があまりに緊張感がなく、拍子抜けしたのだろう。
「はじめまして、僕はカイン。このあと、あなたたちが殺される未来を変えにきた者です。そして僕は、彼の呪いを解くことが出来る」
最後は子どもに向けて伝えた。カインの言葉に二人は目を見合わせると、さらに訝しげに顔を歪めた。
「それを信じろと?」
「ひとまず今は、急いで外に出ますよ。アントン閣下が気付いています。今のままでは、あなたたちは殺される。僕についてきてください。一緒に逃げましょう」
カインの言葉は一理ある。ここで争っている時間はない。カインの正体は外に出てから聞いても良いだろう。
悩んでいる暇はない。男は子どもを抱きかかえると、カインの後ろに続いて幽閉棟を出た。




