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虚構の戴冠  作者: 長野智
最終章

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28/29



     *




 国王が殺され、バルコニーから落下したことで国民は大混乱となった。


 そんな混乱の中でカインを構っていられなかったのか、誰もカインのことなど眼中になく、衛兵も使用人もみな国王の容態の確認や国民の案内に手いっぱいである。カインはそんな混乱に紛れて、そっと離宮へと足を向けた。


 アベルと落ち合う場所は特に決めていない。刺された国王の背後に立っていたのがリドニスだったから作戦は成功したのだろうが、このあとどこで合流し、次の一手をどうするかなどはまだ話し合えていなかった。


 だからカインは離宮に戻った。アベルが戻っているのではないかと思ったからだ。


 裏口から戻り、隠し通路ではなく、扉からまっすぐにアベルの部屋へとやってくる。しかしアベルは戻っておらず、部屋は静まり返っていた。


「……少し待つか」


 カインはひとまず部屋に入り、ベッドに腰かける。


 くつろぐカインがふと机を見ると、一冊の本が置かれていた。


 それは、アベルと出会ったときに見せられた、東洋の本である。そういえばあの本は何なのか。カインが見たのは『カインとアベル』という章タイトルのみであり、どんな本であるかなどは知らない。


 カインは、本を手に取った。


「……呪われた王子へ……」


 古びた表紙の文字を読む。


 アベルに見せられたときにも思っていたが、やはり間違いない。


「……父さんの字だ」


 カインはすぐに、本を横に向けた。


 どうやら無線綴じの本であり、ページのサイズはバラバラだった。表紙のわりに紙が新しく、年代もちぐはぐに感じられる。


 カインは少し考えると、本を慎重に開く。


 第一章、東洋の呪いについて。第二章、禁術。第三章、カインとアベル。目次は丁寧な手書きで、カインにはやはり見覚えがあった。


 本の中身は別の本の抜粋なのか、きちんと印字されている。第一章は「呪い」と「まじない」ということから丁寧に書かれてあるようだ。


 カインはパラパラとページをめくりながら、第二章の途中で手を止めた。


「解呪方法……」


 禁術とは何か、どのようなものがあるのか、そんな内容が続く中、手書きで書かれたあるそれを見つけて、カインはじっと文字を追う。


「……片割れが在り処を呼ぶとき、偽りの幕が裂ける」


 在り処。小さくつぶやき、カインは考えるように口を閉じた。


「……なるほど、そういうことか。どうして父さんはこれを彼に……こんな書き方で分かるわけもない。だから彼は僕に呪いについて何度も聞いていた。もしかして、僕が彼と出会うことも、僕がこの本を読むことも計算していたのかな……」


 清十郎は読めない男だった。時折驚くほど鋭いことを言うが、反してボケたようなことを言うときもある。たとえば「昨日大臣が捕まったね。この国も物騒だ」と言ったりするが、実際にそんな事件はそのときには起きていなかった。数か月後にその大臣が捕まるのだが、驚いたカインが問いただせば「時差かな?」と意味の分からないことを言って笑うだけだった。


 何かに思い当たったカインは、ピタリを動きを止める。


「……父さんが禁術を使ったのは十年前のはず。だけど彼は二十五歳だ。彼は生まれる前に呪われたと言っていた。禁術を使えば術者は死ぬという法則に則れば、時間軸がおかしい……」


 カインは第二章の初めに戻る。


「……禁術は術者を殺す。術の展開には自身の命を代償とする」


 認識はあっている。カインは今度、第一章に戻った。


 呪いとまじないについて。そこを読んでいる中で、カインの目がピタリと止まった。


 まじない:祈り。人を守る呪い。まじないの禁術には猶予があり、術式には“限度”が刻まれている。それを超えた瞬間、因果は反転し、術者の命が清算される。


「……祈りの禁術……」


 カインはまた第二章に戻った。ひと際サイズの違うそのページ部分のフォントはほかとは異なっており、無理矢理差し込んだのだと分かる。


 まじないにおける禁術。小項目に目を止めて、先を読む。


「……『時渡り』……これだ。父さんはたぶん、時間を行き来してたんだ。だから僕に『いつか国王が僕を見つける』って教えられた。そしてこの術を伸ばせと、幼い頃から練習させていた……だけど回数制限があった。もしかしたら、僕に最後の挨拶をしたあのあと、時を渡って王妃を呪ったのか……そういえば、東洋人が死んだという号外には、母さんのときみたいに絵はなかった。『東洋人』とあったから父さんだと思ったけれど……父さんが仕込んだ何かだとしたら、僕は思いこまされていた……?」


 そして死ぬ前に本のタイトルを『呪われた王子へ』と変え、古書店に預けた。アベルが来るという未来を知っていたのだろう。


 十年前。カインたちが身を潜めていたのはマクィア国である。


 そして清十郎はきっと、カインが王宮に呼ばれることも、アベルが解呪を望むことも知っていた。二人が出会うことも、共闘することも、そしてカインがこの本を読みすべてを理解することも分かっていたのか。


 カインは次に、第三章を開く。カインとアベル。そこには神話に基づいた話がつづられていた。


 カインがアベルを殺した。カインは深く反省し、神の元から去る決意をする。神はカインに生きて反省させるため、周囲がカインに復讐することを牽制した。


 カインを殺す者に、七倍の復讐を与えると。


『その命は、彼の影に溶かした』


 手書きで追加されたその一文。カインはじっくりと指でなぞり、自身の胸に手を置く。


 襟を引っ張ると、自身の胸元が見えた。心臓の上には五芒星のアザがある。いつからか浮かび上がっていたそれ。以前にアベルが「胸にアザがあるらしい」と言ったときにすぐに思い当たった。


「……なるほど。この表現では彼には伝わらない。初めから僕が読むことを想定していたのか……」


 アベルの知りたかった答えはすべてこの本に載っていた。けれどアベルには東洋の表現が分からなかった。


 カインは自身の胸元をぎゅうと握りしめると、本を机に戻す。


「時渡りの禁術……」


 カインは何かを考えるように腕を組む。


 やがて何かを思いついたように、カインは部屋から出た。


 しかし離宮を出たところで足を止める。


 血の海だった。


 うつ伏せに倒れて動かないジルデオと、その近くで仰向けになって虚ろな目をしたイズリコ。二人が死んでいることは明らかで、だからこそ茫然とした様子でそばに立つユセフの姿が異質だった。


「……カインくん」


 ぼんやりとした声で、ユセフが振り向いた。


 返り血で服が染まっている。カインが動かない二人をちらりと見ると、ユセフは緩く首を振る。


「私じゃない……」


「……何があって……こんな……」


「私はイズリコくんを止めたかったんだ。イズリコくんが、ジルデオくんを殺していたから……だから……」


「でも、イズリコ・サイエンも死んでいます……」


 カインに言われ、ユセフは一度イズリコへ視線を落とす。イズリコは首から血を流して死んでいた。


「……ちがう、死んでいないよ……驚かせて悪かったね、私も混乱しているんだ。……少し、おかしな感覚だ」


 冷静になりたいのか、ユセフはふぅ、と息を吐く。しかしその表情はどうにも晴れない。あえて見ないようにしているのか、イズリコやジルデオだけは視界には入れていなかった。


 ユセフは震える自身の手を見下ろしていた。今もまだ、人を刺した感触が残っている。


「……カインくんは、無事でよかった。最近おかしなことが続いてるだろ……? ほら、宰相をはじめ、サクリスくんや、レイティア嬢、少し前に国王も殺された……リド、リドはやっていないのに、犯人にさせられて……おかしいんだ。兄さんが来てから、おかしなことばかり」


 様子を窺っていたカインの眉が揺れた。訝しげな表情だ。しかしカインを見ていないユセフは気付かず、震える手で自身の顔を覆い隠す。


「兄さんが来てからおかしい。兄さんが来てからだ、よく人が死ぬ。兄さんが殺してるんだ、きっとまだ、私のことを馬鹿にして、私を殺そうと……兄さんが……」


「……あの人は、誰も馬鹿にはしていませんよ」


 ユセフの震える言葉が止まり、覆い隠された指の隙間から困惑する目がカインへと向けられる。


「あの人は、ただ主観で話しているだけです。だから相手が優秀な人であっても、自分にとって都合が良い相手でなければ簡単に切り捨てます」


「……カインくんまで、そんなことを言うの……?」


「殿下は劣等感があるんですよね。知っていますよ。衛兵は喋りませんでしたが、使用人の話は聞こえていました。使用人からも、大臣からも、誰からも期待されていなかった。リドニス・ベルグが国を動かす役割になるというのは暗黙の了解です。そんな情けない現実から逃げたかったんですよね。だから、候補者の中から王を選びたかった」


 ユセフの手がだらりと垂れた。しかし視線はカインから外れない。


「リドニス・ベルグはあなたの盲目な信者でした。彼が唯一、誰からも期待されないあなたに期待していた。だからこそあなたも彼をそばに置いていた。だけど彼は優秀だったから、劣等感と友情のバランスを保つことも難しかったでしょう。幼い頃から会わなくなった兄にすら強い劣等感を抱いているあなたです。それこそ、殺したくなることもあったんじゃないですか?」


「カインくんも、私のことを無能だって……」


「リドニス・ベルグが国王を殺したと聞いて、王が居なくなる不安と同時に、どこかで安心したんじゃないですか。これで自分を脅かす存在が居なくなったと」


「カインくんまで……!」


 ユセフが、イズリコのそばに落ちていたナイフを拾い上げる。不安定な動きだ。ゆらゆらと揺れて、まるで操り人形のようである。


「うるさいんだ、ずっと、精霊が……頭の中に響いてる、殺せって、ずっと、私はそんなことをしたくないのに」


「……精霊は自然と同義です。精霊は人間が嫌いで、そして基本的に気に入ることはありません。精霊はきっと、分かっていたんですよ」


 ふらりと振り向いたユセフの目はカインを映しているが、あまりに虚ろで見えているのかは分からない。


「殿下の危うさと、その危うさゆえにこうして人を殺すようになること。そしてあなたはその立場から、軍を動かすことも出来る。いざとなれば、精霊の嫌いな人間を大幅に減らすことが出来るんです。だから精霊は殺させます。あなたが壊れかけている今、畳みかけるように」


「……そんなことしない……精霊は、私のことを、純粋に気に入ってくれて……だから、精霊だけは……」


「残念ながら、精霊もあなたを利用しています」


「違う……!」


 ユセフがナイフを振り上げたとき、背後からその手を掴まれた。


 ユセフは反射的に振り返る。立っていたのはアベルだった。


「おまえ、とうとう人を殺すようになったのか」


 アベルの目がジルデオ、イズリコをたどる。するとユセフはアベルの手を振り払い、アベルを睨みつけた。


「兄さんが殺したんだろう! 兄さんが来てから人が死んでる! サクリスくんも、レイティア嬢も、ルーズベルトもお父様だって! リドだって嵌められた! 兄さんの仕業なんだろう!」


「はあ? 言いがかりをつけるなよ。少なくとも今はおまえの話で、おまえは今そいつを殺そうとしていただろ。見てたんだ、言い訳はできない。まあいいじゃないか。おまえだって綺麗事だけで生きていけるわけじゃないと分かったんだろ?」


「違う! 私は殺してない! 兄さんが全部やったんだ! 昔からそうだった、兄さんは私を馬鹿にしていた! 兄さんは死んだはずだったのに、なんで生きてるんだよ! 死んだくせに、どうして……どうしてまた、私の前に……!」


 握りしめられたナイフが震えている。ユセフの目が怪しく光ったとき、カインは直感的に走り出していた。


 ユセフの腕が振り上げられる。カインがアベルを押し退けるようにアベルの前にやってくると、アベルはカインの行動に驚いたように目を見開く。


 その、カインの背中に。

 ドスリと、ユセフのナイフが深く突き刺さった。


 驚いたのはカインだった。ゆっくりと瞠目し、アベルを見る。


 アベルの口から、血が一筋流れた。


「……アベル……さん……」


 アベルの体が揺らいだ。力が抜けたかと思えば、そのまま仰向けに倒れる。


 ユセフはとっさに、カインからナイフを引き抜いた。


「アベルさん!」


 カインが近くに膝をつく。


 アベルが空気を吐くと、同時に血も飛び散った。


「……やっぱり、おまえが持ってたか……俺の心臓……」


「迂闊でした。すみません。あなたに伝えたいことが……実は父は時渡の禁術を使って……」


 カインの言葉を止めるように、アベルの手がカインとの間にふらりと立つ。


「……ようやく死ねる……ようやくだ……十歳の頃に、死に損なって……ずっと、待ち望んでいた……」


 そう言って、アベルは自嘲気味に笑う。


 浅く呼吸を繰り返しながら、呼吸の隙間に「そう、思っていたんだが」と言葉を続けた。


「皮肉なもんだ……この世界も悪くないと……生きるのも、いいかもしれないと、そんなことを、思った矢先に……」


 赤い瞳が揺れながら、見下ろすカインにゆらりと向けられる。カインが思っていたよりも情けない顔をしていたから、アベルは笑ってしまいそうだった。


「……僕の名前は、理人と言います。真名です。呼んでください」


 何を言いだすのかと思えば。アベルは少し考えて、ハッと乾いた息を漏らす。


「そういうことか……おまえが、死ぬんだろ……それなら、呼ばない……」


 カインが依代を取り出す。『癒』と書いているが、アベルに当てても変化はない。そもそも外傷はなく内部のみが損傷しているために、治癒も難しい。


「そこまで知っていたんですか……! どうしてあなたはいつも大事な情報を吐かず……いいから呼んでください! 僕だってもういいんです! 国王は死んだ! 復讐は終わりました! それならあなたが生きてもいいでしょう!」


「……いい名前だ……大事にしろ……」


 カインは強くアベルの体を揺さぶる。しかし、アベルの目は閉じていく。


「おまえが……思いを遂げることを……願ってる……」


 そう言い終える頃にはアベルは目を閉じ、微笑んだまま動かなくなった。

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