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虚構の戴冠  作者: 長野智
第5章

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    *




 リーズバング王国の王妃、シンシアは、気力のない顔でぼんやりと天井を見上げていた。


 王妃の部屋は随分静かだ。国王の配慮で、喧騒からは遠い場所に部屋が用意されている。


 外の状況も分からないが、シンシアがそれに苦言を呈したことはない。


 王妃専属の使用人が一人、部屋にやってきた。シンシアは視線もそちらに向けず、人形のように動かない。


 サイドテーブルには、シンシアが暴れたときのための薬と水が置いてある。やってきた使用人はサイドテーブルの薬を確認すると、少し気まずげにシンシアを見下ろした。


「シンシア様、陛下が……」


 陛下、と聞いて、シンシアの目がゆるやかに使用人に向けられた。


「どうしたの……?」


「……陛下が、リドニス・ベルグ様に、刺されて……」


 リドニス・ベルグとは、確かユセフの友人ではなかったか。


 シンシアはそれを思い出し、ピクリと指先を揺らす。


「……どうして……」


「分かりません。リドニス・ベルグ様は独房で『やっていない』と主張していますが……多くの国民も、衛兵も、リドニス・ベルグ様が国王を刺したところを目撃しています」


「……あの人は、死んだの?」


 シンシアの震える問いかけに、使用人は唇を嚙みしめた。


 その反応で充分だった。シンシアは使用人から目を離すと、ぼんやりと天井を見上げていた。


 シンシアから見て、シリウス・ユースタント・リーズバングという男は、あまりにも愚かな男であった。


 リリディアナという女に囚われ続け、シンシアに罪悪感を抱き続けた、どうしようもない男だ。プライドが邪魔をして一度も素直になれなかったようだが、リリディアナを処刑した夜、シリウスが泣いていたのをシンシアは知っている。


 たった一人心底愛した女に逃げられ、ようやく見つけて取り戻したかと思えば愛されることもなく。思い通りにいかないリリディアナに痺れを切らし、まるで子どもの癇癪のように勢いで殺してしまった。


「……そう、死んだのね」


 シンシアがゆっくり起き上がると、使用人がとっさに支える。


「少し、外の空気を吸ってもいいかしら。薔薇園に行きたいわ。思い出の場所なの」


 使用人は数度うなずき、素早くシンシアの身支度を整えた。本来であれば王妃付きの使用人は多いはずなのだが、シンシアの希望により一人となっている。シンシアはアベルを産んでから心を壊して以来、人と関わることを拒絶するようになったからだ。


 身支度が終わると、二人で部屋を出た。


 薔薇園と呼ばれる第二庭園は、季節で一般公開もされる場所である。少し入り組んだ区画にあり、品種によってはビニールハウスでも栽培されている。シンシアはこの薔薇園がお気に入りで、ことあるごとに「思い出の場所だから」と言ってはいつも訪れていた。


「それではシンシア様、私は控えておりますので」


「ええ、ありがとう」


 シンシアは薔薇園に来ると、いつもゆっくりと時間をかけて薔薇の中を歩く。


 使用人はいつも、その姿を離れたところから見ていた。


 今日もいつもと変わらない背中だ。シンシアは静かに、何かを思い出すように薔薇を見ている。


「……大丈夫でしょうか」


「大丈夫だ。俺がこれから、オカアサマを救ってやる」


 背後から聞こえた声に、使用人が反射的に振り向いた。


 その瞬間、使用人の首に腕が回り、数秒で意識が落ちる。


「……通気口の散歩はして正解だったな。二本目の煙突にあるダンパーを使えば、こうして王妃の生活圏にも侵入が出来る」


 使用人が、アベルの足元に力なく倒れた。


 薔薇の中を歩く背中。アベルはニヤリと笑い、そちらに足を向ける。


「もう少し時間をかけても良かったが……サクリス・ウィッドニーと国王が死に、リドニス・ベルグが捕まって、続々と起きる事件に王宮は大混乱だ。残念ながら、あいつの言う通り畳みかけるしかない」


 コツ、と音がした。アベルの足音だ。背後から聞こえたその音に反応したシンシアは歩みを止めると、緩慢な仕草で振り返る。


 真っ黒な髪と、真っ赤な瞳。そして、その大きな体。シンシアはアベルと目が合うと、ゆるやかに目を見開いていく。


「……オルド……?」


 震える声で呼んだのは、アベルではなかった。


「……オルドさんは死んだ。あんたも知ってるだろ。ルーズベルトに殺された」


「うそ……オルド、あなた生きていたの……今までどこに居たの……!」


 泣きそうな顔で駆け寄ると、シンシアはアベルの頬を両手で包み込む。アベルはその勢いに動くことも出来なかった。


「オルド、ああオルド、どうしてあのとき見つかってしまったの! あの子を連れて逃げなさいと言ったじゃない! 王宮の壁に穴を空けておいたの! 何度も教えたでしょう! どうしてここに居るの……あの子を、あの子を今度こそ連れて行ってくれるの?」


 シンシアの言葉は、アベルには理解が出来なかった。


 目の前の女は、いったい何を言っているのだろうか。


 自分の意思で子どもを捨てたはずだ。生まれたての赤ん坊を投げ捨て、気持ちが悪いと幽閉した。


 誰に聞いてもその情報は食い違っていない。だからこそ、アベルには理解が出来ない。


「いいわ、あの子を連れ出してくれるなら、またあなたを幽閉棟に出入りさせてあげる。大丈夫よ、幽閉棟の衛兵は買収してあるの。あなただけは、また堂々と会いに行けるように手配する。外に家も用意させるわ、私が言えばすぐに動けるから。だけど近くはダメ、どんなに時間がかかっても、また遠くに家を建てるの。今度は海の向こうに」


「……何を言ってるんだよ。あんたが俺を捨てたんだろ」


 アベルは震える手で、シンシアの手を退ける。


「あんたが、生まれたばっかりの俺を気持ちが悪いと捨てたんだろうが……!」


 燃える瞳が怒りに染まる。


 シンシアはじっとその瞳を見上げていたが、ようやく気付いたのか、深く息を吸い込んだ。


「……アベル……?」


「ああ、あんたの呪われた息子だよ。あんたが気持ち悪いと言って幽閉した、なかったことにされた第一王子だ」


 シンシアは足を一歩引き、アベルの頭のてっぺんから足までを一度見ると、再びその目に視線を戻す。


「……アベル……生きていたのね……」


 誰に聞かせるようでもないその小さな言葉と共に、シンシアの見開かれた目からは、大粒の涙があふれた。


「オルドによく似てる……まるで生き写しだわ。そう、あなたは、生きていたのね……オルドは死んでしまったのよ……小賢しいルーズベルトが、オルドの動きに気付いていたの。あいつは残酷にオルドを殺した……」


「……あんたが何を言っているのかが分からない。あんたはルーズベルトと手を組んでいた。オルドさんとの関係がルーズベルトにバレて、口止めにルーズベルトの家族を治療してやったんだろう。だからルーズベルトはいつもあんたの機嫌を窺っていた」


 シンシアは涙を流しながら、緩やかに首を振る。


「違うわ。……脅してきたのはルーズベルト。あいつは私とオルドの関係を知って、自分の家族を最優先に救えと私に命令した。もちろん頷いたわ。だってお腹にはあなたが居たから。オルドと、絶対に産むって約束をしていたの」


 震える言葉は一度途切れ、少し間を置いたのち、揺れながら続けられる。


「だけどあいつは、味を占めて次々要求してきた。だからある日釘を刺したのよ。私の機嫌一つで家族の命を奪えることを伝えた。するとあいつは私とオルドのことをバラすと言ったわ。その頃よ、東洋人が来た。おかしな男だったわ。とっても気味が悪かった。その男が、お腹に居たあなたに呪いをかけた。気が狂いそうだったわ。だって、どうして私が呪われなければならないの……私とオルドの可愛い子が……どうしてシリウスと忘れられない女のことに巻き込まれないといけないの……?」


 アベルはぎゅっと険しい表情を浮かべる。そして今度はアベルがシンシアから一歩、距離を置いた。


「……そしてあなたが生まれる前、どうしてこの子がこんな目に遭わないといけないのかと泣いていたときに気付いたの。気が狂ったフリをすればいい。そうすれば、ルーズベルトも私の機嫌を損ねようとしないわ。だって、気が狂った人間に家族の命が握られているのよ。いつ殺されてもおかしくない状況になるの。そしてその予想は当たったわ。それ以上の要求も、シリウスにオルドとのことをバラそうともしなくなった」


 まるで目に焼き付けるようにアベルを凝視していたシンシアが、そこで初めて目を伏せた。涙がまつげを伝い、ぽとりと落ちる。


「……ごめんなさい。あなたをここから逃がすために、あなたを一人にする必要があった。シリウスにもルーズベルトにも悟らせないように……私があなたを切り捨てたと思わせるしかなかったの」


「……信じられるわけがない」


「信じる必要はないわ。母親だと思う必要もない。だけど、あなたが生きていて良かった。……オルドが死んだと聞いて、シリウスの前でも泣いてはいけなくて、今までに何度も何度も思い出したのに、あの人夢にも出てきてくれなくて……あなたがどうなったのか、私は何も知らなかったから……あなたが『生きている』と噂を聞いたとき、すごく嬉しかった。オルドのことも思い出してね、それこそ毎日泣いていたわ。だから引きこもるしかなくて、会いに行きたかったけど、動けなかった。皮肉なものね。あなたを逃がしたくてついた嘘のせいで、あなたに気軽に会いに行けなくなっていた」


 シンシアの伏せられていた目が、再びアベルを映す。


「アベル、もう二十五歳になったのよね。あの人に似て、すっかり大きく逞しくなって……大変なことも多かったでしょう」


 ぐっと、アベルの表情が歪む。拳を握りしめて、短く息を吸い込んだ。


「……俺は、あんたを殺しに来たんだ。許しに来たわけじゃない」


「ええ、そうよね……あなたは私を恨んで当然だわ」


 殺しに来たと言われた割には、シンシアはやけに落ち着いていた。


 それどころか、一度ゆっくりと目を閉じると、満足そうな、幸せそうな笑みを浮かべる。


「どうして笑ってるんだよ……」


「ふふ、ごめんなさい。つい昨日だったかしら。治療を止めてね、ルーズベルトの家族を殺したのよ。ちょうど私の恨みも終えた。そうしたら、あなたと会えた。そしてあなたが殺してくれるなら、これからオルドにも会えるのね」


 強がりを言っているようにはどうにも思えない。シンシアのその様子に、アベルは何を言うべきかと言葉を詰まらせた。


 先ほどから続くシンシアの話が、アベルにはうまく理解できなかった。


 しかし不思議にも思っていたのだ。


 どうしてオルドは幽閉棟に頻繁に出入り出来ていたのか。


 どうやって、遠くに家を建てることが出来たのか。


 そしてなぜ、王宮に抜け道なんてものがあったのか。


「この薔薇園を、オルドと歩くのが好きだったの。あの人ね、アベルくらい大きな人だったのに、私と一緒にゆっくり歩くのよ。その時間が大好きだった。静かで、まるで世界に二人きりになったみたいで……自分の立場も、しがらみも、全部忘れられた。今はこの思い出の場所に、アベルと居るのね」


 噛みしめるような言葉に、アベルは思わず目をそらす。


「……オルドが死んで、あなたも居なくなって……ずっと、死んだみたいに生きていたの。生きる意味なんかなかったけれど、私は王妃だからと死なせてもらえなかった。だけどこうしてまたあなたに会えたから、空虚な中でも生きてきて良かったわ」


「妃殿下!」


「貴様、妃殿下から離れろ!」


 けたたましい足音と共に、アベルの背後に衛兵が集まる。みなアベルを見て剣を抜いていた。


 アベルはとっさにその場から離れようとしたが、アベルが動くより早く、シンシアがうつむき気味に、アベルを背後に隠すようにふらりと一歩前に出る。


「いきなさい」


 アベルにだけ聞こえるようにそう言うと、シンシアは苦しそうに胸を押さえた。


「……早く、早くこの男をどうにかしてちょうだい! 気味が悪いのよ! 目ざわりだわ! きっと私を殺すつもりなの! 呪いをかけにきたんだわ! ……なによ、あんたたち、私に剣を向けているの……?」


「ち、違います、妃殿下、これは後ろの男に……」


「誰に向かってそんな態度をとっているのよ!」


 衛兵の意識がシンシアに向いている隙に、アベルは薔薇園の奥に逃げる。


「待て貴様!」


「待ちなさい! あんた、私に刃を向けていたわね!」


 アベルを追おうとした衛兵を、シンシアが捕まえる。シンシアが騒ぎ始めたため、衛兵もシンシアを放ってアベルを追うことが出来ず、結局そのままアベルを追えた者は居なかった。

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