5
カインは、特別に設置された処刑場に連れられていた。
バルコニーの下、噴水の前に、少しばかり段差を作ったステージがある。
衛兵に乱暴に引きずられ、カインはそのステージに放り出された。
集まった国民はみな、カインを見て顔を歪める。
カインの母、リリディアナはかつて、国を捨てて東洋の男と駆け落ちした。国民はたった数十年前のその罪を忘れていないし、憎しみもある。カインの登場を皮切りに、国民のささやきが広がる。内容は様々だが、みなリリディアナを罵倒していた。
その光景を、バルコニーから悠々と国王が見下ろしていた。
距離にして数十メートル。その先に居る国王を、カインも鋭く見上げる。
カインはそのとき初めて、両親を殺した相手と対面した。
「……ああ、あいつが」
自然とこぼれたその言葉はざわめく中では目立つことなく、誰にも気付かれないうちに消えた。
――カインの最初の記憶は、両親の笑顔だった。
カインの両親はよく笑う。とにかく肯定的で、カインが何をしても怒らず、いつも応援してくれていた。
母は綺麗で穏やかで優しい人だった。父は時折おかしなことを言うし姿を消すこともあったが、それでも母のように優しくカインを大切にしてくれていた。
逃げるように生活で常に住む場所は定まらなかったけれど、そんな生活の中でも両親はいつも笑っていた。
「リヒト。あなたの名前は、こう書くの。理人。正しい人」
「……カインは?」
「カインはこちらの国での名前。理人は、お父さんの国での名前よ」
「僕、名前が二つあるの?」
まだ五歳だったカインには分からなかったから素直に聞き返したのだが、両親は困ったように笑う。
応えたのは、清十郎だった。
「そうだよ。カインは、普段使う名前だ。真名は理人。だけどこれは知られてはいけない。これを知られると、理人が死んでしまうかもしれないからね」
「パパとママにも二つ名前がある?」
カインの純粋な疑問に、リリディアナは笑いながら首を振る。
「ママにはないの。だけど、パパと理人にはある」
「……どうして?」
「パパと理人は、不思議な力が使えるから。それを使うために、真名が必要なんだ」
そのときの清十郎の言葉の意味は分からなかったが、カインは「そうなんだ」と無邪気に喜んだだけだった。
カインが両親とした約束は二つだった。
ひとつ目は、真名を誰にも言わないこと。
もうひとつは、力のことを誰にも言わないこと。
「家族だけのときは理人って呼ぶけれど、お外ではカインって呼ぶからね。分かった?」
「分かった。……パパとママは、本当の名前で呼んでいいの?」
「いいのよ。だってパパとママは、理人に酷いことをしないから」
リリディアナはカインを優しく抱きしめながら、「どんな大人になるんだろうね」とカインの成長を毎日楽しみにしていた。
けれどカインが七歳の頃、リリディアナは買い物に行ったきり、帰ってこなくなった。
カインは時計ばかりを見ていた。普段ならリリディアナが居る時間である。外は暗い。何かあったのではないかと、カインはずっとそわそわしていた。
「……パパ、ママおそいね。お迎え行こう」
カインがそう言うと、頭を抱えていた清十郎が顔を上げる。今にも泣きそうな顔をしていた。
「理人。ママは帰ってこない」
震える声で紡がれた言葉が分からず、カインは首をかしげる。
「どうして? 迷子かな」
「違うよ。……ごめん、理人。僕には分かっていたのに……彼女が、辛い思いをしていなければいいが」
そんなことはきっと願うだけ無駄なんだろう。誰に聞かせるつもりもないのか、清十郎はほとんど掠れた声でつぶやく。
カインが眠ったあと、清十郎は一人で泣いていた。何度も謝り、どうか辛い思いはしないでくれと願っていた。
カインには何が起きたか分からなかったが、きっと母には二度と会えないのだろうと、そんなことだけは漠然と分かってしまって、その日はカインも一人で丸くなって泣きながら眠った。
その数日後のことだった。
清十郎がまた、カインが眠ったあとに一人で泣いていた。
今度は紙を見ているようだった。震える手で紙を握りしめ、しわくちゃになった紙は清十郎の涙でふやけている。清十郎の広い背中が、そのときだけはなんだか小さく思えた。
しかし翌日には清十郎は笑っていた。どうして泣いていたの、とはなんとなく聞けなくて、カインはいつも通り接したけれど、どうしても気になってゴミ箱を漁った。見つけたのは、小さく丸められた一枚の紙。それを広げて見えた内容に、カインの思考は真っ白に変わる。
それは号外記事だった。書かれているのは「リリディアナが処刑された」という内容である。添えられていた絵は、リリディアナの首だけが描かれていた。顔にはいくつもアザがある。どのような経緯でこの結果となったのか、察せないはずもない。
史上最悪の王妃の処刑に、国民大歓喜。そんなタイトルが大きく書かれていた。
母が殺された。カインが理解した瞬間だった。
清十郎にはその記事を見たことは言わなかった。余計な心配をかけたくなかったからだ。代わりにカインは、清十郎に力の使い方を教えてくれと頼み、その日から修業を始めた。
絶対に復讐をすると誓い、力を伸ばすことを怠った日はない。
そしてカインが九歳になると、清十郎が「もう教えることはなさそうだね」と手を離した。
「ここからは、理人がしたいようにしなさい。どんな術を使うか。依代に何を込めるか。理人は僕以上に才能があるから、この先を僕が教えることで、理人の才能を狭めたくないんだ」
これまで清十郎の言葉に従って間違ったことはなかった。だからカインも素直に「そうすべきだ」と思えて、それをすぐに受け入れた。
カインが自由に術の幅を広げていくのを、清十郎はいつも楽しそうに見守っていた。
その一年後。
夕食を終えたタイミングで、清十郎は一枚の紙をカインに渡した。
「僕に何かがあったとき、ここに行きなさい。この場所には小屋がある。身を隠すには良い場所だ。ここに生きるすべを残した。だからきっと、理人が一人になっても生きていける」
「……お父さんもどこかに行くの?」
「……行きたくないよ。僕は、リリィとの宝物である理人を残して行きたくない。だけど、リリィに会いたくなったのかもしれない」
理人、聞いてほしい。やけに重たくつぶやいて、清十郎はカインの隣に腰かけた。
「リリィは、僕と結婚する前はこの国の王妃様だったんだ。ほら、リリィは綺麗だっただろ? だから国王も一目惚れをしたんだって。国王はどうしてもリリィと一緒になりたくて、その立場を利用してリリィと無理矢理結婚した」
「お母さんが可哀想だね。好きでもない人と無理矢理結婚させられて」
カインの言葉に、清十郎は深くうなずく。
「僕がリリィを見つたときは酷かったよ。人生を諦めていた。毎日が楽しくないと、まったく笑わなかった。出会ったのも偶然だったんだ。リリィは息抜きによく王宮からお忍びで抜け出したらしい。そのときに偶然、僕とリリィが出会った」
「二人で逃げたの?」
「そう。リリィがあまりに可哀想で、逃がしてあげたくなった。僕たちはたぶん、似ていたんだ。僕も自分の国から逃げてきた。陰陽師という運命が煩わしくて、家が嫌いで、自由に生きたかったから。だから彼女にも自由に生きてほしくなった」
清十郎はじっとカインを見つめると、壊さないようにと優しく抱きしめる。
「いいか、理人。これからおまえの人生も険しいものに変わっていく。国王がおまえを見つけるだろう。おまえを見つけて、殺そうとする。だけど僕はそのとき、理人に死んでほしくないから、今のうちに手を打ちたいと思ってる」
「うん? 僕は大丈夫だよ。絶対に負けない。だってお父さんの子どもだから」
「はは、そうだな。それは心強い」
ぎゅうと、カインを抱きしめている清十郎の手に力が入る。
「……理人。これからおまえは苦労をするけれど、大切な出会いもある。おまえは、おまえのしたいように生きなさい。そして、おまえを残して逝く僕を許してほしい」
「どこかに行くの?」
「……理人の、未来のために」
清十郎は、それ以上は何も言わなかった。
その翌日、清十郎はカインの前から姿を消した。
街では号外が配られている。それは、東洋人を処刑したという内容だった。
清十郎は、禁術を使ったのかもしれない。カインはその内容で、真っ先にそんなことを思った。
「禁術は絶対に使ってはいけないよ。あれは、自分の命を代償にするからね」
清十郎は日頃、カインにそう教えていた。
そして清十郎は強い。その清十郎が、普通の人間に殺されるはずがない。だからこそ、禁術を使って死んだとしか思えなかった。
どうして二人は、死ななければならなかったのだろうか。
両親はよく笑っていた。逃げるような日々の中で、それでも小さな幸せを大切に抱きしめて、毎日を素朴に、贅沢もせず、文句も言わずに生きていただけだ。
果たして、殺されなければならなかったのだろうか。
無理矢理結婚させられ、反発するのはいけないことなのか。愛する人と手を取り、結ばれたいと思うことは罪なのか。二人は、幸せになってはいけなかったのだろうか。
「それが処刑の理由になるなら、僕にだって殺す権利がある」
カインは、清十郎に渡された住所の場所へと向かった。
そこには確かに小屋があった。本も大量に置かれていた。カインの知らない知識があふれ、そして畑も用意されていた。カインが一人で暮らせる準備が、すべて整えられていた。
――全員、殺してしまおう。
カインは小屋で一人、漠然とそんなことを思う。
国王も王妃も、国が大切にしている精霊に愛された王子も、もしも今幸せにいきているのなら、カインが殺しても良いということだ。
「そうしよう。この国を、終わらせよう」
カインの口角が吊り上がる。
カインが見上げた先。バルコニーに立つ国王の胸から、剣が貫いていた。
集まっていた国民も、ステージの周囲を固めていた衛兵も、そちらを見上げて動かない。事態の理解が追い付いていないのだろう。
やがてぐらりと国王の体が傾き、バルコニーから落下した。
その、国王が立っていた背後。
そこに居たのは、剣を持ったリドニスだった。




