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ルーズベルトの死体を書斎に落としてきたアベルは、ベッドでまったりとくつろいでいた。
絶対に成し遂げたかったことの一つが終了し、少し心が疲弊したのかもしれない。あるいは、改めてオルドへの追悼として落ち着いた時間を取りたかったのか。とにかくアベルは目を閉じて、静かな時間を過ごしていた。
だからこそ、外から聞こえてきた大声の言い合いは内容まで理解が出来た。
サクリスとレイティアが痴話喧嘩を始めたようだ。アベルは念のため耳から入ってくる情報を処理していたが、途中からレイティアの様子が豹変する。
痛いと叫んだかと思えば、それは鋭い悲鳴に変わった。
外で何か不測の事態が起きている。アベルは慌てることなく、二人の会話に集中する。
会話は終始混乱していた。そこで、二人にとって意味の分からないことが起きているのだろうと察する。
「……またあいつがなんかやったか」
アベルはカインの部屋の方向に目を向けて、ため息交じりにつぶやいた。
やがて外が静まり返ると、ガコン! とアベルの部屋の隠し通路の床が開いた。
顔を出したのはカインである。
「……珍しいな。飛び降りたり這い上がったりは苦手なんじゃなかったか」
「ええ。隠し通路には慎重に飛び降りましたし、ここから上がるつもりもありません。あと二度と来ません」
「どうしたんだ。さっきのレイティア・ベルマンのことか」
「いえ、それはまあどうでもよくて」
あんなにも派手に仕掛けておいてどうでも良いのか。アベルには分からない感覚だが、ひとまずカインの言葉を待つ。
「思い出したんですが、少し前に第二王子が来ましたよね。アントン閣下が部屋で死にかけていたとき」
「ああ、来たな」
「……第二王子には精霊がついていますから、精霊が第二王子に余計な情報を与えている可能性があります。彼らには壁なんてあってないようなものなので」
「つまり、あのとき部屋で何があったのか、筒抜けだったかもしれないと」
「そうです。……畳みかけるなら早いほうが良いでしょうね」
それでさっきレイティアに何かをしたのかと、アベルはようやくカインが動いたタイミングに納得した。
何かを考えて、アベルはようやく起き上がる。
「それじゃあ、俺はジルデオ・サイエンでも殺しておくよ。俺の復讐は終わった。あとは俺が死ぬだけだ」
「……ジルデオ・サイエンを殺して、あなたが死ねなかったらどうするんですか?」
「心臓を探すしかないだろうな」
「心臓を探して殺すのと、呪いを解くの、どっちが早いでしょうね」
アベルがちらりとカインに目を向ける。カインはいつもの読めない表情で、アベルを見上げているだけである。
「何が言いたい」
アベルが問いかけると同時、アベルの部屋に、小さなノックの音が響いた。
アベルはすぐにカインに「静かにしておけ」と、鼻の前で人差し指を立てる。するとカインも承知したのかひとつ頷き、そっと隠し通路の床を閉めた。
「誰だ」
言葉を返して数秒後、遠慮がちにアベルの部屋の扉が開く。
「あ……あの……」
入ってきたのはイズリコだった。表情がひどく怯えている。まさか候補者が来るとは思ってもいなかったアベルは、想定外の来訪者に一瞬目を丸くした。
「……なんだ、何か用か」
「い、いえ。あの……悲鳴が聞こえて、怖くて……」
「…………はあ? 兄貴の部屋に行け」
「行きました! ですが、出て行けと言われてしまって……」
うつむいたイズリコは、悲しそうに眉を下げる。
(もしかしてこいつ……俺が兄貴の椅子を蹴ったから、俺に媚びればどうにかしてくれるとか思ってるのか……?)
何もできない人間は自分で動く知恵がないから、誰かに寄生して生きるようになる。小賢しい人間は分かりづらく出来るものだが、イズリコは頭が良いとは思えないから、分かりやすく媚びることにしたのかもしれない。
「で、俺に何を求めてる。俺は忙しいんだ、おまえに構っている暇はない」
「……ぼ、ぼく……その……求めるとか、なくて。ただ怖かったから……」
「おまえ、目の前のことだけを考えて生きているタイプか。今転んだから痛いとか、今罵られたから悲しいとか、そんな生き方しているからおまえは誰かに頼らないと生きていけないんだろ。もっと考えて生きろよ」
怯えていたイズリコは、さらにうつむき、縮こまっていく。
「今転んで痛くても、今罵られて悲しくても、そこで終わらなけりゃいいだけだ。思考をそこで止めるな。誰かに助けてもらおうなんざ考えるな。おまえとの会話は発展しないからつまらない。メリットもない」
「ど、どうすれば……ぼくだって、変わりたくて……このままじゃダメってことも、分かっていますし……」
「それも俺に考えろっていうのか? おまえ、自分が図々しいことを言っていると自覚してるか。俺はおまえの家族でも友達でもない」
アベルの厳しい言葉はすべて、イズリコの心を突き刺していく。
イズリコは目を泳がせながら、唇にきゅっと力を入れる。
「ただし、協力してやれることはある」
突然柔らかくなった声に驚いて、イズリコは反射的に視線を上げた。
「おまえ、兄貴を殺したいんだろ」
ゆっくりと瞠目していくイズリコの目を見ながら、アベルは楽しげに笑った。
「おまえの立場からが実は一番殺しやすい。人間は自分よりも下だと思っている奴に一番油断しているからな。正常性バイアスと同じ原理なんだろう。だからおまえは一番近くで兄貴を殺せるし、そうすることでおまえも解放される」
「か、解放……」
「嫌なんだろ? 毎日毎日罵倒されて、馬鹿にされて、どうして自分ばかりと考えたことはないか」
幼い頃、イズリコは両親に余るほど愛されていた。
それが失われたのはいつからだったのだろうか。
気がつけばイズリコは両親に冷たくされ、ジルデオからも無能だと言われていた。
「……か、考えます。ぼくは、誰のことも、何も言っていないのに……ぼくだって、馬鹿になんかされたくないです」
「それが正しい感覚だ。たとえば兄貴が死ねば、どういう未来が待っているんだ?」
「兄さんが、死ねば……」
両親にはどう思われるだろう。どうしてジルデオを守らなかったのかと責められるかもしれない。殴られるかもしれない。
アベルは立ち上がると、小刻みに震え始めたイズリコの肩に左腕を回し、気さくに肩を組んだ。
「おまえは伸びしろがある。もっと小賢しくなれ。嘘をつけ。人を騙せ。自分が可哀想だと酔いしれろ」
「……う、嘘……騙すなんて、ぼくには……」
「兄貴を殺したら、家族にはこう言えば良い。『兄さんがぼくをかばってくれた。自分の分まで生きろと言ってくれたんだ』泣きながらそう言うだけでいい。あとは、兄貴がどれほど自分を守っていたか、どれほど自分にとって指標となっていたかを語るだけだ。それだけで美談になる」
右側から聞こえるささやき。イズリコはじっくりとその内容を理解しながら、頭の中で天秤を揺らす。
「家でも孤立してるんだろ? 兄貴を殺して、ちょっと嘘をつくだけでおまえにとってすべてがうまくいく。今みたいに肩身の狭い思いをすることはなくなるんだ。これは悪いことなのか? いいや、自分の人生をより良くするために動くことが悪いわけがない。幸せになりたいのはみんな同じだ」
イズリコがゆっくりと一度、うなずいた。その目はどこか強い色を宿している。
「おまえは優しすぎるから、きっと嫌いな相手でも殺していいわけがないと罪悪感が湧くんだろう。だけど考えてもみろ、そいつはおまえに何をしてきた。何を言ってきた。死んでもいいとすら思われているんじゃないのか? どうしてそんな奴相手に、おまえが優しい気持ちを持たないといけない」
アベルは一度イズリコから離れると、机に置いていたナイフを持つ。
「これを使うといい。このナイフの刃には毒が塗られている。こいつで刺せば、確実に相手は死ぬ」
差し出されたナイフ。イズリコは少しばかり見ていたが、何も言わずにアベルから受け取った。
「おまえなら出来る。おまえが自分のために兄貴を殺したとき、おまえの願いを聞いてやろう。その頃には、おまえとの会話にメリットが生まれるだろうからな」
「……はい。あの……ぼく、自分の幸せを見ていなかったと思います。だから、まずは一歩、進んでみます」
ナイフを強く握りしめて、イズリコはいつになく強気な顔をしていた。アベルは満足そうにうなずくと、再びベッドに腰かける。
その頃にはもう、決意したイズリコは部屋には居なかった。
同時に、床からカインが顔を出す。
「悪い大人ですね。あんな無垢な子どもに家族を殺させるんですか」
「今は周りの警戒が高まる頃だ。特にユセフは、精霊から何らかのアクションがあったとしたら確実に俺たちを疑う。こんな場面で俺が直々に誰かを殺すなんてリスクを背負うと思うか?」
息をするように他人を利用するアベルに、カインはスッと目を細めた。しかしアベルを咎めることはない。
次には何かを思い出したのか、カインは「そうだ」と話題を切り替えた。
「通気口ですが、国王の部屋に通じる順路もあるんですか?」
「基本的にどこにでも通じてはいるが……国王が一人になる場所にはなかった気がするな。ただ、国王が訪れる可能性のある応接室なんかにはある。今度は何を考えてる」
「仕掛けられる前に仕掛けるだけです。畳みかけるんですよ。もしイズリコ・サイエンがすぐに動けば候補者が一人死ぬ。そうなると、僕たちが生きていることにそろそろ誰かがヤキモキする頃でしょう。ましてやルーズベルト・アントン閣下も殺されていますから」
それにしても、いきなり国王とは。カインもいよいよ面倒になってきたのかもしれない。もしくは、イズリコの様子を見て、放っておいても候補者同士で殺し合いをするだろうと踏んだのか。なんにせよ、国王を殺せば、カインにとっては最大の復讐になるだろう。
「作戦はあるのか」
「……通気口を使っているということはまだ誰にもバレていないんですよね?」
「ああ。唯一知っていたルーズベルトは殺したからな。よほど勘が鋭い奴でも居ない限りバレている可能性は低い」
何かを考えるように間を置くと、カインは「分かりました」と小さくつぶやく。
「国王のスケジュールを把握する必要がありますね。内部に知り合いでも居ればいいのですが……」
「逆に何かを起こして誘い出すというのもアリだ。たとえば国王は大聖堂が爆破されたとき、王宮に押しかけた国民への説明のためにバルコニーに出ている。あれは決められたアクションともいえる」
「なるほど……しかしあれ以来警戒されて、二度目の大聖堂爆破は不可能ですし……」
考えていたカインは少しして、思い当たったかのように眉を揺らした。
「いや、何も起きなくても引きずり出しましょう」
「……どういうことだ」
「公印を誰が持っているかご存じですか」
アベルは考えながら、ゆったりと腕を組む。
「……一応、印章管理者という役職はあったな。おそらくそいつが管理してるんだろう。入手には一日必要だ」
カインは一日という時間をさほど重要視していないのか、すぐに「いいですよ」と了承を返す。そしてすぐに隠し通路に戻ろうとしたのだが、何かを思い出したかのように「そういえば」と声をかけた。
「少し前に話した、あなたの呪いついて」
少し前の話と言われて、アベルはすぐには何の話か思い当たらなかった。しかしカインには関係ないのか、アベルの様子を見ていたカインは、思い出しそうにないアベルに呆れながらも言葉を続ける。
「心臓を探して殺すのと、呪いを解くの……もし、あなたの心臓がジルデオ・サイエンの中になかった場合、僕も解呪に協力してあげてもいいですよ」
言われてようやくアベルは話を思い出した。次にはその内容に表情を歪める。
「何が狙いだ。おまえが無償でそんなことを言うはずがない」
「実は、父の国に行ってみようと思っているんです。父はより複雑な呪いを知っていましたし、それこそ禁術すらかけられます。僕は復讐が終わったら、この力を伸ばしながら、父が生まれ育った国でゆっくり暮らそうと思っていまして。この髪の色も、あちらの国だと普通ですから。……あなたの呪いも、父の国ならすぐに解呪できるかもしれません」
いつもの調子で言ってのけたカインに、やはりアベルは疑わしい目を向ける。
「……おまえにとってはメリットもないただの誘いに聞こえるんだが……」
「僕にとってはメリットもないただの誘いですよ。……僕もあなたも、おそらくあちらの国のほうが生きやすい」
アベルはしばらく真意を探るようにカインを見ていたが、カインがいつもの調子となんら変わりなかったために読み取れなかった。
しかしふと考える。
たしかに、がむしゃらに心臓を探したところで見つかるわけもない。それなら、桐谷清十郎の生まれ育った国で、解呪方法を探したほうが早いのではないだろうか。死ぬのはどこでも出来るのだから。
「なるほどな。全部終わったら案内してくれ」
「ええ、いいですよ」
話がまとまり、カインはようやく隠し通路から部屋に戻ったようだった。




