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虚構の戴冠  作者: 長野智
第3章

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「ユセフ殿下? どうしました?」


 離宮から戻ったユセフを出迎えたのは、リドニスだった。


 先に応接室に居たリドニスはユセフを認めると、すぐさまそばにやってくる。


 ユセフは何かを考えるように目を伏せていた。


「表情が固いような……」


「あ、うん。離宮に行っていたんだ。毒の一件で、カインくんのことが心配で……」


「何かありましたか?」


 本当は「動くなと言ったじゃないですか」と注意をしたいところだが、今はユセフの様子がおかしいために、一旦リドニスは注意を後回しにすることにした。


 リドニスはユセフの表情をひとつも見落とさないようにと、じっと窺うように見る。


 ユセフはどこか不安そうな顔をしていた。


「……精霊が、笑っていた」


「いつも笑っているのではないのですか」


「いつもと違った」


 ユセフは思い出すように瞳を揺らす。


「精霊は気まぐれで人が嫌いだけど……あんな、嘲るような笑い方はしたことがない。何かが起きている。今日、カインくんは窓を開けなかった。何かを隠していたのかも。それこそ、精霊が嘲るような何かを」


 リドニスから見て、カインは何か大それたことを起こせるような青年には見えない。ティーパーティーでもずっとうつむいていたし、怯えている様子だった。声も小さい。度胸があるようには思えないというのが正直な感想だ。


「……カイン・シュナイゼルが、離宮で何かをした可能性があると」


「分からない。カインくんが何かをするようには思えないけれど……もしかしたら……」


「ユセフ殿下」


 応接室の扉の外から、焦ったような声が聞こえた。


 ルーズベルトの秘書の男である。ユセフは聖布を探したが、ちょうど使用人が取り替えているのか部屋にはなかった。しかしユセフは慌てることなく、扉を開けないまま「何があったの」と言葉を返す。


「ルーズベルト・アントン閣下が、何者かに殺されておりました」


 ユセフとリドニスは、同時に息をのむ。


 先に口を開いたのはリドニスだった。


「状況を報告してください。アントン閣下は、どこで……」


「はい。つい先ほど、閣下の書斎で何者かに胸を刺されて亡くなっておりました。胸にはナイフが刺さっていたので、死因はそれかと。しかし、誰もその時間帯に閣下の部屋に近づいていないとのことで、犯人の特定が遅れる可能性があります」


「いや……ルーズベルトは少し前まで離宮に行っていたはずだよ。私は今日ルーズベルトの書斎を訪れたんだ。そうしたらルーズベルトは居なかった。近くの衛兵がいつ戻るかを調べてくれたんだけど、そのときに『離宮に入るのを見た衛兵が居たからおそらく離宮に居るが、いつ戻るのかは分からない』と聞いた。……ルーズベルトが書斎で発見された時間帯に誰もルーズベルトの書斎に近づいていない、ということは、それからルーズベルトが戻ったのを見た者は居ないということかな?」


「え、あ……そうですね。すぐに調べます。失礼いたします」


 秘書は早足でその場から立ち去った。


 ユセフとリドニスは、物言わず視線を合わせる。考えていることは同じなのかもしれない。


「……あのときもしかして、ルーズベルトはカインくんの部屋に居たのかな。だけどそれなら、私の声が聞こえた時点で、ルーズベルトが反応するはず……そしてカインくんが窓を開けない理由もない。考えすぎか……?」


「いえ……実は、おれがここに居た理由ですが、離宮の近くでベルマン令嬢が叫んでいたとつい先ほど報告が上がったからです。おれはちょうど王宮に居たので聞こえなかったのですが……衛兵が言うには悲痛な叫び声だったと。しかしベルマン令嬢は侯爵家の娘ですから、よほどのことがない限り、そのような振る舞いはしないと思っておりまして」


 リドニスは難しい表情のまま続ける。


「衛兵が大丈夫かと様子を窺ったようなのですが、ウィッドニーが一緒に居て『ただ転んだだけだ』と言ったそうなんです。おそらく別件なのかとは思いますが……妙ですね」


「私が去ったあとに起きたことだね。なるほど……ルーズベルトが離宮に行った、カインくんは窓を開けなかった、そしてレイティア嬢が悲鳴を上げた……離宮で何が起きたんだろう」


「閣下がユセフ殿下の声に反応しないわけがありません。閣下なら、どうして離宮に居るのかと、どのような状況でも問い詰めるでしょう。もしも本当にカイン・シュナイゼルの部屋に居たとしたら、おそらく反応しなかったのではなく、反応できなかったのではないでしょうか」


「カインくんが殺したということ?」


「窓を開けなかったのは、見られたくないものがあったと、どうしても勘ぐってしますね。そして精霊の嘲笑。精霊は、閣下を好いていたのでしょうか?」


 ユセフは腕を組み、思い出すように目をそらす。


「いや……おそらく嫌っていた。精霊はルーズベルトのような人間が嫌いなんだ。小賢しくて狡猾で、そういった人間は汚いと思っている節がある」


「嫌いな人間が殺されていたから嘲笑を漏らす……どうですかね、すべてが仮説の域を超えません。それに、もしも本当にカイン・シュナイゼルの仕業だった場合、どうやって閣下を離宮から書斎に移したのか……ウィッドニーの件も同時に起きているので気になりますが、閣下の件に繋がっているのかどうか……」


 リドニスのその言葉に、ユセフは思わず重たい息を吐き出した。


「……少し、休まれてください。閣下の件は情報をまとめ次第報告いたします。ウィッドニーにも話を聞いてまいりますので」


「……ルーズベルトが死ぬなんて、少しも考えていなかった。候補者が殺されるものだとばかり思っていたんだ。どうしてルーズベルトが殺されないといけないんだ。どうしてルーズベルトは離宮に行ったんだ」


 ユセフはうつむき、震える声で言葉を紡ぐ。


「どうして、ルーズベルトなんだろう……」


 ぽつりと、ユセフの足元で水滴が弾けた。次から次へと落ちるそれは繰り返し弾けていたが、ユセフは拭うこともせず、リドニスも言葉をかけることができないまま、二人は呆然と立ち尽くしていた。




 ――事態が動く、少し前。


 ジルデオは、部屋のベッドでひとり震えていた。


 初めて人を殺した。心臓を一突きだ。肉を刺す感触がまだ手に残っている。


 本当はジルデオが殺すつもりはなかった。イズリコに殺させる算段だったからだ。しかしアベルの姿を見て、さらにひとりで居たものだから、衝動を抑えることが出来なかった。不意打ちを突かなければ、ジルデオは体格的にアベルには敵わなかったのだろうから仕方がない。


(殺した……僕は、人を……この手で……)


 ジルデオは王になると決めたのだ。


 この程度で怯えていてどうするのか。


(王になる……そして、僕を認めさせるんだ……)


 幼い頃から美しいイズリコと、醜いジルデオ。両親は当然、イズリコばかりを可愛がっていた。


 イズリコは頭も要領も悪い。それなのに顔だけでジルデオよりも優遇される、それがジルデオには許せなかった。


 だからイズリコを貶めるようになった。皿を割ったことも、授業をサボったことも、何かがあればすべてイズリコが悪いと両親に伝えた。すると両親もイズリコの見る目を変えた。今では両親はジルデオに期待して、イズリコの命などジルデオを守るためだけのものだと思っている。


 イズリコを殺してでも、ジルデオは王になる。


 そのために、ほかの候補者も殺さなければならない。あの、第二王子でさえ。


「イズリコ……イズリコにさせよう……全部あいつがやればいいんだ……最悪刺し違えても、あいつにやらせる……あいつの命なんて……」


 人を殺したという恐怖に震えながら、ジルデオは目を閉じていた。


 いくらほどそうしていたのだろうか。


 突然、外から空を裂くような叫び声が聞こえた。


 いきなりの声にジルデオはさらに縮こまる。女の声だった。時折「痛い」という言葉も聞こえる。誰かが殺されてでも居るのか。ジルデオはその声を聞いていたくないと、必死に耳を押さえて丸くなっていた。


 すると。


「に、兄さん……」


 控えめなノックの後、イズリコがおずおずと部屋にやってきた。


「お、おまえ! イズリコ! おまえが殺すんだよ、僕の邪魔になりそうな候補者を全員! おまえは死んでも僕を守れ!」


 入って早々に怒鳴られ、イズリコはびくりと肩を揺らした。


 イズリコも女の悲鳴を聞いて不安になってやってきたのだが、これでは不安が募るばかりである。


「兄さん、あの……」


「うるさい! 早く殺してこい! 僕はやらないからな!」


 それからもジルデオは散々イズリコに罵声を浴びせると、「早く出て行け!」とシーツにくるまってしまった。


 少しばかり立ちすくんでいたイズリコだったが、ジルデオが動かないのを見て、仕方なく部屋を出る。


「……部屋に一人は怖い……」


 けれどイズリコに知り合いは居ない。候補者たちは縋れるような間柄でもない。イズリコは渋々部屋の前まで戻ったが、一人になるのが嫌で、少しばかり動きを止めていた。


 やがて、ちらりと隣の部屋がある方向に目を移す。


 隣は確か、「一度死んだ」というアベルの部屋だったか。


(でも、話したことないし……)


 大きくて怖い印象もある。はっきり物を言う感じで、まさにイズリコの苦手なタイプだ。


 けれどティーパーティーでジルデオの椅子を蹴ったとき、イズリコの目の前は一気に晴れたような気がした。


 イズリコの狭い世界ごと蹴り飛ばしてくれたように思えたのだ。


 それに彼は間違えていない。どうしてかイズリコにはそう思えた。アベルはアベルの信念にのっとってあの態度を貫いている。きっとアベルには貴族や平民など関係がなく、興味もないのだろう。


 イズリコはじっとそちらを見ていたが、ほんの少し考えて、ゆっくりと足を踏み出した。

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