1
ルーズベルトの静かな書斎には、コン、コン、と、指が机を打つ音が断続的に続いていた。
ユセフの部屋の前での爆破事件、エヴァリーチェ大聖堂の一件、そして先日のティーパーティーの毒――明らかに、候補者を集めてから立て続けに事件が起きすぎている。もちろん何かが起きるであろうという予想はしていた。しかしあまりに早い段階で仕掛けられており、そして犯人も分かっていない。
(……妃殿下においては相変わらず引きこもり、陛下もご不安になられている……)
早くどうにかしたいものだが……。
ルーズベルトは、壁に掛けている肖像画に目を移す。妻と娘が描かれていた。
「……早く妃殿下の憂いを取り除かなければ……」
そのために、これまで尽くしてきたのだから。
ルーズベルトはふっと笑みをこぼすと、すぐに考えるように椅子に深くもたれかけた。
調べた毒の成分から、使用された毒はベルマン家で栽培されている毒草から作られたものであると分かった。わざわざほかの使用人から仕事を奪ったという背景から考えても、茶器に毒を仕込んだ犯人はレイティアで間違いはないだろう。
(しかしあの日の彼女の様子と、サクリス・ウィッドニーの様子を見ても、どうにも繋がっているようには思えない……)
ルーズベルトはすべて見ていた。準備から、開始まで。しかしレイティアの様子は変わらなかったし、サクリスの様子もいつも通りだった。
やや緊張感があっても良いものだが……二人からは、まったくそのような緊張感は感じられなかった記憶がある。
「ベルマン令嬢が嘘をついているか……あるいは、サクリス・ウィッドニーが人を殺すことにまったく抵抗のない人間というだけか……」
それはルーズベルトがいくら考えようとも分からない領域である。
(それに、ベルマン令嬢は最近、裏口から隠れるように離宮に出入りしていると聞いた。候補者と繋がっている可能性は高い……サクリス・ウィッドニーに会いに行っているのかと思ったが、どうやら事件直後、ベルマン令嬢が離宮に行った時間帯はサクリス・ウィッドニーは離宮には居なかった。ベルマン令嬢の目的はほかにあったということだ)
一人ずつ可能性を考えていくが、誰も確信に迫るものはない。特に、カインとアベル。あの二人は特別浮いているから、レイティアが積極的に関わろうとする可能性が思い浮かばない。
ルーズベルトは書斎を出ると、まっすぐに離宮に向かう。
書斎で考えていても分からない。何かヒントが得られないかと、通気口をたどってみることにした。
ユセフの部屋の前が爆破されたあの日、通気口におそらく犯人が居た。犯人ではないかもしれないが、怪しい動きをしていた人物であるために、ルーズベルトは犯人であると仮定している。
脚立を持って離宮にやってくると、ルーズベルトはさっそく、裏口近くの天井にあった通気口に入った。衛兵は心配そうにしていたが、ルーズベルトは大丈夫だからと脚立を片付けるよう指示を出す。
動くには余裕がある。ルーズベルトは確認をしながら進んだ。
(行動をたどることで、何かヒントが得られないかと思ったが……)
何かを落としているようなこともない。何が目的であったのかも分からない。しかしヒントを見落としたくないルーズベルトは、隅から隅まで通気口を進む。
リドニスの部屋の前の通気口――紙が落ちた場所と思しきところも通ったが、やはりここを抜けてどうしようとしていたのかが分からなかった。
そのまま進むと、少し離れたアベルの部屋の近くに出る。ちょうど、アベルとイズリコの部屋の間である。その通気口は少し下り、天井ではなく、壁に網目がついていた。
「よくもあのとき、僕を侮辱したな……!」
聞こえたのは、ジルデオの声だった。
ルーズベルトは、いったい何かと耳を凝らす。
「王になるのはこの僕だ。おまえが第一王子だろうと関係ない! 卑しい亡霊め! おまえが一番に死ぬんだ!」
バタバタと騒がしい足音が遠ざかっていく。ルーズベルトが「第一王子」という言葉に慌てて網目から覗くと、通路にはアベルが倒れていた。アベルの胸からはナイフが生えている。
ジルデオがアベルを殺したのか。
まさか直接手を下すなど思ってもみなかったが、ジルデオはプライドが高いため、ティーパーティーで全員の前で辱められたことが余程許せなかったのかもしれない。
ルーズベルトはすぐに通気口から出た。慎重に着地し、網目を戻す。
そばで倒れているアベルは動かない。一瞬動きを止めたルーズベルトだったが、倒れたアベルのそばに膝をつくと、そっと脈を確認した。
死んでいる。間違いない。
しかしどうだろう。ルーズベルトは、あの日も同じように確認した。野犬に食われた二人。絶対に死んでいたはずなのだが。
(アベル殿下は、今度こそ死んだのだろうか……)
ルーズベルトがゆっくりと手を引っ込めようとすると、
「よぉ、ルーズベルト」
ぐるりと、アベルの首がルーズベルトに向いた。
「ア……アベル殿下……!」
生きている。どうして。
ルーズベルトは思わず腰を抜かす。
アベルはそんなルーズベルトを尻目に、まるで朝を迎えたかのように軽快に起き上がると、胸に刺さったナイフを抜いた。
少々痛そうに、不快そうに顔を歪めているが、それだけである。目の前で起きた事象があまりに信じられず、ルーズベルトはただアベルを見上げることしかできない。
「ちょうどよかった、ルーズベルト。俺もおまえに用があったんだ」
今はもういつもの表情だ。先ほどまで刺されていたことなど、まるで夢だったかのようである。
「二つ、正直に答えてほしい」
ルーズベルトは震えながらも、壁を伝い、なんとか立ち上がった。
会話どころではない。確実に死んでいたはずだ。心臓は止まっていた。どうしてアベルが生きているのかが分からない。
驚愕と恐怖が混ざった瞳を向けられているアベルだが、気にすることなくルーズベルトをまっすぐに見る。
「十五年前のあの日、野犬を放ったのはおまえだな」
アベルは血に濡れたナイフの刃に、何も持っていないもう一方の手で触れた。
「王宮には野犬が居る。軍用に制圧訓練をさせるために用意されている犬だ。そいつらは肉を食わされ、肉を見れば襲うように仕込まれている。だからあの日、俺たちを食わせるために、腹を空かした野犬を放った」
「あなたがなぜ生きているのか……その情報と引き換えにしましょう」
「いいや、おまえは答えなければならない。答えないと、殺されるからだ」
ルーズベルトの目が、自然とイズリコの部屋の方向へ向けられた。
ここからイズリコの部屋はやや遠い。ほかの候補者がアベルとカインを殺しやすいようにと、離れた部屋にしたのが凶と出たか。
「……なぜ、野犬を飼っているなどと……私には心当たりがありませんが」
「俺が、オルドさんから何も聞いていないとでも?」
その名前に、ルーズベルトが眉を寄せる。
「オルドさんは王家直属の近衛だった。位も高かったから、それなりに情報も多く持っていた。オルドさんはいつも俺に言っていたよ。『もしもスカーフをつけていない犬を見かけたら、狂暴だから絶対に逃げなさい』とな。当時は意味が分からなかったが……最近書庫に出入りしているんだ。スカーフをつけていない犬の正体がようやく分かったよ」
アベルの手の上で、真っ赤なナイフが光っている。ルーズベルトはアベルの動きに注視しながら、慎重に口を開く。
「さあ、私にはやはりアベル殿下の言っている意味が分かりません」
「……野犬の檻の鍵を持っている者は限られる。誰が持っているのかは知らないが、少なくともおまえは持っていたな。多重解除式の引き出しの中に、いくつか鍵が入っていた。ここまで言えば分かるか」
一歩、アベルがルーズベルトに近づいた。ルーズベルトは足を引こうとするが、背後が壁であるために離れることはできない。
「おまえがオルドさんを殺したんだな」
「いいえ、違います。私ではありません。あの日、野犬の訓練をしていたのでしょう」
「珍しいな、慌てているのか。俺達が襲われたのは深夜だ。そんな時間に訓練をするわけがないと、子どもでも分かるぞ」
もう一歩、静かに近づく。
「最後の質問だ」
アベルはひとつ間を置いて、アベルの動きを注視するルーズベルトに挑むような強い目を向けた。
アベルの目は燃えていた。復讐の目だ。ルーズベルトの想像をはるかに超えて、アベルはオルドの死を許していない。
血に濡れたナイフが、手のひらから浮いた。持ち代えられて、刃先がルーズベルトに向けられる。
「……オルド・フィリップは、俺の父親だな」
音が消えたような、この空間だけ時間を忘れてしまったかのような、そんな感覚だった。
ルーズベルトは音もなく口を開き、そして閉じる。まさかそんなことを言われるとは思わなかったのか、言葉が出なかったのかもしれない。
「……おかしいと思っていたんだ。幽閉されていた俺に唯一、オルドさんだけが会いにきてくれた。そして、自分の立場を顧みず、あの日、俺を連れて逃げようとした。ただ俺に同情をしただけの人間の動きじゃない。少なくとも俺なら、そいつに関わると命が狙われるというリスクが分かっている状態で、そいつにそんな感情は抱けない」
ルーズベルトが、ゆるやかに首を横に振る。
「あなたの妄想です。あなたの父親は、国王陛下です」
「俺は王妃の不義の子だ。オルドさんは王妃の近衛だった」
「違います」
「王妃が俺に過剰に怯えていたのも、呪いをかけられたからという理由だけじゃない。国王にオルドさんとの関係がバレるのが怖かったからだ。俺がオルドさんに似ていたらと考えると、そりゃ隠したくもなる。だが偶然にも良いタイミングで呪いをかけられて、生まれてきた俺の髪の色が東洋人と同じだったから、国王には運良く『呪いに怯えているのだ』と受け取られた」
「……いいえ、あなたの話は推測の域を出ません」
「不思議だったんだ。おまえがなぜ、そこまで王妃を気遣うのか。今回俺が正体を明かせと言ったときも、おまえは『噂を流した』だけだった。そう対応したのは、王妃に俺が『生きている』のだと確信させないためだろう。確信させてしまえば、都合の悪いことがあったからだ」
ルーズベルトが訝し気に眉を寄せる。
「北のレイスライン伯爵領に妻子が居るそうだな」
「……なぜそれを」
「多重解除式の引き出しの中にあったものは、なにも王宮の設計図や野犬の檻の鍵だけじゃない。おまえはあの引き出しを信用して、肌身離さず持っていたいものも入れていた。娘の診断書とかな」
様子を見るように間を置いて、アベルは続ける。
「レイスライン伯爵領は医療が最も発展した地域で、療養には最適だ。そして、レイスライン伯爵といえば、王妃の親戚筋にあたる。……おまえはある日、オルドさんと王妃の不義を知った。王妃は口止めに、おまえの家族を最先端の治療で生かしてやると持ち掛けたんだろう。書斎に肖像画を置くほど家族を思っているおまえのことだ、二つ返事でそれに乗った。そしてそれ以来、王妃の機嫌を窺っている。治療を止められると困るからだ」
ルーズベルトは物言わず首を振る。
アベルが、ナイフを持つ腕を持ち上げた。
「おまえは、自分の家族と俺の家族を天秤にかけて、オルドさんを殺した」
「違います……!」
ドス、と。ナイフは肉の抵抗を受けながら、ルーズベルトの胸を貫いた。
ルーズベルトは驚いたように、自身から伸びるナイフの柄を見下ろす。
「……そこは目立ちますよ」
アベルの背後から声がした。アベルが半身で振り返ると、ルーズベルトからも声の主がよく見える。
ルーズベルトの視線の先では、カインが自身の部屋の扉の隙間から、二人を覗いていた。
しかし様子が違う。ルーズベルトが知るカインとはまるで別人である。
「聞いてたのか」
「聞こえたんです。むしろ、聞かせたのでは?」
「おまえは聞いてもいいんだよ、手を組んだからな」
アベルはルーズベルトの胸倉を掴むと、引きずるようにカインの部屋へと押し込んだ。
カインの部屋に入ってすぐ、アベルはルーズベルトの胸に刺さったナイフを引き抜く。するとふらりとルーズベルトの体が揺れて、力なく倒れ込んだ。
「……どうして僕の部屋に。血で汚れては住みにくいのですが」
「いいじゃないか、どうせ長居しない場所だ」
自分の部屋を汚したくなかっただけのくせにと、カインはアベルを軽く睨むが、アベルはどこ吹く風である。
「どうして今、殺すことにしたんですか? もう少し早い段階でも出来たと思うんですが……たとえば、あの紙を持って来たときとか」
「答え合わせがしたかった。調査結果から推測した答えが合っているのか。死んでは答えられないからな」
「なるほど……先ほどの件を調べ終えるまで泳がせていたということですか。そして答えを得た今、用無しになったから殺したと」
カインはいつものようにベッドに座り、つまらなそうにルーズベルトを見下ろす。
ルーズベルトはぼんやりとした目で二人を見ていた。
「あなた、たちは……何をしようと……カイン・シュナイゼル……やはり、あなたが……爆発は、二人……」
コンコンと、窓が軽く叩かれる。
その小さな音は静かな室内にはあまりに大きく、カインとアベルは同時に窓に目を向けた。
「カインくん、居るかな」
ユセフの声が聞こえた。予想外の訪問者に、ルーズベルトの目が見開かれる。
声を出そうとしたルーズベルトだったが、近くに居たアベルに口をふさがれた。
「あ、すみません……今、着替えていて……」
「そうか、ごめんね、いきなり来てしまって。……その、変わったことはないかな? 毒の件、聞いたよ。君が心配で」
「だ、大丈夫、です……ありがとうございます」
会話が繰り返される。それを聞きながら、ルーズベルトはただどうしてここにユセフが居るのかと、そればかりが気になっていた。
「知らなかったか、ルーズベルト。お優しいユセフは、この離宮で誰も殺したくないらしい。だからわざわざ偽名を使って候補者に接触し、俺やこいつを気に掛けている。俺たちが何をしようとしているのかも知らないでな」
ただでさえ呼吸もままならない中で口を塞がれ、ますます酸素が奪われていく。ルーズベルトの視界がかすむ。その先で、アベルが不敵に笑った。
「オルドさんに伝えてくれ。……俺は地獄に落ちる。だから二度と会えないが……叶うなら、次の生でもあんたの息子で居たい」
まあ全員が地獄に居るなら、俺が伝えるさ。そう続いた言葉を最後に、ルーズベルトは息を止めた。




