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「……殿下……?」
「良かった、リド……毒を盛られたんだ。記憶はある?」
「……毒……」
そうだ、リドニスはティーパーティーに出ていた。そこでジルデオとサクリスが話していて……それから、どうなったんだったか。
「……すみません、直前の記憶が」
「いや、いい。……やはり出席させるべきではなかったね。リドを危険に晒しただけだった」
「いえ、おれは、候補者を知りたかったので出られて良かったです」
「死にかけたんだぞ! 候補者を知りたいって……!」
「はい。ユセフ殿下の害となりそうな者を確認するのは当然です」
何かを言いかけたユセフは口を開いたが、言葉を発することなく閉じる。
「……ごめん、私のせいか」
「いいえ、違います。おれはおれのために出席しました」
リドニスはそう言ったものの、ユセフには聞こえていないのかぎゅうと手を握りしめていた。
「毒を盛ったのは使用人だった。茶器に塗られていたんだ。だけど使用人は『やっていない』と独房で泣き叫んでいる。犯人ができるような演技ではなかった」
「……殿下はお優しいから、調べられたんですね」
ユセフはひとつ頷くと、言葉を続ける。
「茶器を用意するときに、レイティア・ベルマンがおかしな動きを見せたそうだ。サクリス・ウィッドニーに命ぜられていると言って、ほかの使用人がおこなっていた仕事を奪ったらしい」
「……なるほど。そういえば会場でも、ウィッドニーとベルマン令嬢は親しげでした。ウィッドニーとは同じ伯爵家で懇意にしていたつもりでしたが……精霊はなにも?」
「うん。精霊は、人の悪意を楽しんでいる。リドが危険な目に遭ったのに笑ってるんだ。精霊は残酷だよ」
リドニスは数度頷くと、うつむき拳を握りしめるユセフを見て眉を下げる。
「おれは大丈夫です。絶対に死なないと約束をしたじゃないですか。あなたがおれに『生きろ』と言ってくれたのだから、意地でも死にません」
「馬鹿なことばかりを……とにかく、無茶はあまりしないでほしい」
「もちろんです」
サクリスの声は、少しばかり上機嫌に跳ねていた。
「おれはこれから、ウィッドニーの監視をします。ジルデオ・サイエンは賢いタイプではなく、カイン・シュナイゼルも終始怯えていたので何かを仕掛けることはないでしょう。一番抑えるべきはウィッドニーだと思います」
「……兄さんは、どうだった?」
少し固いユセフの声。リドニスは思い出すようにユセフから目を逸らす。
「アベル殿下は……そうですね。何を考えているのかが分からないお方でした。口では他者を煽るのですが、どこか本音も混じっているような……なんというか、奇妙な雰囲気で」
確実に言えることは、ユセフが気にかけるほど、おそらく弱い人間ではないということだ。
しかしユセフはどう思ったのか、考えるように目を伏せる。
「ルーズベルトが、やけに兄さんを気にしてる。つい先日、絶対に近づくなと釘を刺された。たぶん何かがあったんだと思う」
「アントン閣下はおれたちよりも数枚上手です。その閣下にそう言わしめるとは……アベル殿下は警戒すべきですね。ユセフ殿下は特に、部屋の前で爆発が起きて、さらに大聖堂も爆破されて、明らかにおかしなことが続いていますから、閣下の言うとおりにされたほうが良いかと」
「……うん。ルーズベルトはいつも、何があっても飄々としているんだ。自分が賢いことを正しく理解しているから、基本的に誰のことも気にかけないんだと思う。だけど兄さんは違った。何が起きてるんだろう……まさか、この間の爆発も……」
「否定はしきれません。一旦、おれが動きますので、ユセフ殿下は報告を待ってください」
「……分かった」
ユセフはどこか腑に落ちない顔をしていた。こういうとき、必ずユセフは言うことを聞かない。付き合いの長いリドニスだからこそ分かるのだが、ここで何を言おうとも響かないことも分かっているため、リドニスは軽く息を吐くに留めた。
*
レイティアは、衛兵に見つからないよう裏口から離宮に入った。
ティーパーティー同日の夕刻。毒騒ぎで王宮も騒がしくしていたのだが、ようやく落ち着いて現在である。
レイティアは何のアポイントも入れないまま、カインの部屋の扉を開けた。
「ごきげんよう。どうだったかしら、わたくしのパフォーマンス」
入って早々、ベッドに座るカインを見下ろしながら、レイティアは得意げにふんと鼻を鳴らす。
カインはうつむき気味にレイティアを見上げた。実は先ほどまで呑気に寝ていたのだが、レイティアの足音がして慌てて起きたばかりである。
「……どう……怖かったです」
「…………あら、そう。あなた、意外と頭が回るのかしら」
演技上最適の回答をしたはずだが、どうしてそう言われたのかが分からなかったカインは、相変わらず怯えたような目をレイティアに向けている。
「だってあなた、わたくしが毒を盛ったという事実に、少しも驚いていないんですもの」
「それは、前に、言っていたから……」
「どうかしら。わたくしは『毒を盛る』とは言っておりませんわよ。わたくしならあの場に居たほかの候補者も疑いますけれど。それに『怖かった』ですって。まるで、茶器に毒を塗ったことが分かっていて、それが自分のところに回ってきていた可能性があることに怯えているみたい」
だって茶器に毒を塗るなんて、誰がどこに置くか分かりませんものね。レイティアはクスクスと笑い、普段アベルが良く座る椅子に上品に腰かける。
ティーパーティーで茶器をテーブルに置いていた使用人はレイティアではなかったから、レイティアはカインが思考の先回りをしたと思ったのだろう。しかしカインは相変わらず「そうじゃなく……」と細い声を出す。
「まあ良いのよ。やり方は分かったでしょう? 今度はあなたの番。あなたがサクリス・ウィッドニーを殺すの」
レイティアの表情はあまりに固い。息をのむほど鬼気迫り、その顔でカインにナイフを渡す。
「このナイフで刺しなさい。大丈夫、絶対に死ぬわ。刃に毒を塗っているの。絶対にひと刺しで死ぬ」
「……毒、って……どこから……」
「決まっているじゃない、我が家からよ。ご存じない? ベルマン侯爵家の庭園にはよく医薬局の方が出入りしているの。それは庭園で毒草を栽培しているからよ。あれは毒草だけれど、調合によっては妙薬になり得る。ベルマン侯爵家がある土地は水分が多く、空気もあまり含まれていないから、その毒草が育ちやすいのですって。もちろん悪用はしないと伝えておりますわ」
レイティアは語り終えると、音もなく立ち上がる。
「せいぜい、刃を触らないようにお気をつけくださいませね。それでは失礼、良い報せをお待ちしておりますわ」
「あ、あの……!」
立ち去ろうとしたレイティアを、カインがとっさに引き留める。レイティアは不思議そうに振り向いた。
「これ……」
「……なんですの? ゴミは要りませんわよ」
カインが差し出したのは、一枚の紙である。書いてある文字はレイティアには分からない。
一旦受け取ったはいいが、レイティアは訝し気に眉を顰めた。
「……これは、お守りです。その……大変そうなので」
「……あなたごときが、わたくしの心配でもしているつもりかしら? あなたはわたくしの指示通り、サクリス・ウィッドニーを殺せば良いの。余計な気は回さないことね」
レイティアはその紙をエプロンのポケットに差し込むと、つんと顔を背けて今度こそ出て行った。
足音が遠ざかる。カインはナイフの角度を変えながら、じっくりと刃を確認していた。
「ベルマン家の毒か……なんにせよ、僕がこれを使ったら、今日の騒ぎの首謀者に仕立て上げられるな」
それが狙いか、自分の手を汚さないにしても、あまりにもタチが悪い。
「頭が悪いんだろうけど……まあ、貴族なんてそんなものか」
「よお。……それ、レイティア嬢からもらったのか?」
レイティアが出て行って数分。次に入ってきたのはアベルである。
しかし扉から来るなど珍しい。隠し通路から来るものかと思ったのだが。
「初めてそこから来ましたね」
「ちょっと王宮に行っていたから、そのまま来ただけだ。あと……さっき裏口付近でサクリス・ウィッドニーを見かけた。おそらくレイティア嬢を追いかけてきたんだろうな。おまえ、レイティア嬢がここに通っているとバレると、殺されるんじゃないか?」
「面倒ですね。殺される前に殺してもいいですが……」
「そのナイフで?」
刃渡り二十センチのナイフが、カインの手先でギラリと光る。
「いえ、これにはベルマン家の毒が塗られているそうです。今日使用された毒と同一であると分かれば僕が犯人にされてしまいますから、これは使えませんね」
「……今日使われたのがベルマン家の毒であるとどうして分かるんだよ」
腑に落ちないような顔をするアベルに、カインは「簡単です」と口を開く。
「数日前にレイティア・ベルマンがティーパーティーで何かを仕掛けると言っていたこと、そして今日、リドニス・ベルグが紅茶を飲んで倒れたという状況を考えれば推測できます。リドニス・ベルグは誰かが害したわけでもなく、紅茶に口をつけてから倒れました。方法は限られます。レイティア・ベルマンの発言から単純に『ベルマン家の毒を使った』という想像ができただけです」
「ふーん……このナイフ、使わないなら俺がもらっていいか」
「……いいですが、何に使うんですか?」
アベルはカインからナイフを奪うと、いつもの椅子に腰かける。
「今日のリドニス・ベルグの反応を見たか。毒を摂取して倒れるまで数秒だ。王宮内部の噂によると毒は『茶器に塗った』らしく、それならほんの少量のはずだが、想定される毒の量と効果が出る時間を考えると、リドニス・ベルグは痙攣を起こさなければならなかった。だが痙攣は起きなかった。つまりこの毒は即効性が高いくせに、静かに人間を殺せる」
「……あなたの目的は解呪では?」
「知りたいか、俺の目的が」
聞きたいのかと言わんばかりのワクワクとした顔に、カインはうんざりと目をそらす。
「いえ、知りたくないです」
「王宮の書庫に行ったんだ。そこで、興味深い本を読んだ」
結局勝手に話すのかと、カインは呆れたようにため息を吐いた。
「おそらくおまえの父親の一件があってから揃えられた本なんだろう。書庫の隅っこに東洋の本が並んでいた。そのほとんどが呪いについてのものだったな。こればっかりは、オカアサマの怯え方に感謝だよ。そのおかけで、俺にヒントが回ってきたんだ」
「もったいぶりますね、余程面白い情報だったようで」
「ああ。……俺にかけられた呪術は禁忌の術で、前例もないらしい。だから情報が少なく、俺もこれまで見つけられなかったが、さすがに王宮の書庫にはあった。……俺の心臓は誰かの中に移されたんだ。だから俺の心臓を持つ者を殺せば、俺も死ぬ。このナイフはそいつを殺すために持っておこう」
「……なるほど、心臓を移す……ですが、あなたの心臓を持つ人間が誰か、どうやったら分かるんですか?」
「胸にアザがあるらしい。どんなアザかは知らないが……術者によるのか、かけられた俺によるのか……そこまでは前例がないからか、詳しくは書かれていなかったな」
アベルはそう言うが、言葉の割にはなかなか楽しそうな声である。
「話はここからだ。俺は今日、遅れて第三庭園に来ただろ」
「ああ、どうせ書庫に行っていたんでしょう。あなたが来た方向は、離宮の方向とは違っていましたね」
「そう。そんで、クソガキの椅子を後ろから蹴ったときに見えたんだよ。あいつの鎖骨の下あたりに、アザが」
アベルがその位置を示すように、自信の胸元に指先を置く。カインは何を考えているのか、アベルの胸元を見てゆっくりとうなずいた。
「ですが、あなたの心臓をジルデオ・サイエンに移した意図が分かりません。父はそんな意味のないことをしませんよ」
「そこだけが謎なんだよ。そもそも、集められた候補者の中に偶然俺の心臓を持つ人間が居たとは思えない。それこそ、おまえに俺の心臓があるって言われたほうが納得できる」
何気なく言ったような言葉だったが、アベルはピタリと動きを止めた。何かを考えるような間だ。やがてカインを見ると、椅子にゆったりと座っていたアベルは、前のめりに身を乗り出す。
「脱いでくれないか」
「嫌です」
「ちょっとはだけるだけでいい」
「絶対に嫌です」
アベルの目つきが鋭く変わる。しかしカインは引かず、むしろ挑むように睨み返していた。
「そもそも、僕の胸にアザなんかありません。僕が一番知っています」
「おまえの目的は復讐だ。それを達成するまで、俺に殺されたくなくて嘘をついている可能性がある。おまえは嘘が得意だからな」
「手を組んだつもりだと、言っていたと思うのですが?」
二人はじっと睨み合う。
しばらくの後、折れたのはアベルだった。
「まあいい。胸にアザがあるのがおまえだとしても、俺は絶対に対象者を殺す。とりあえずジルデオ・サイエンは俺に任せて、おまえはレイティア嬢と手を組んでサクリス・ウィッドニーと遊んでろ」
アベルはナイフを持つと、帰るときには隠し通路からカインの部屋へと戻って行った。




