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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

随筆集

私たちは果たして何を学んだのか

作者: 福野 良夜

ちょっと言葉強めで思想も強いかもしれません。

まあ反戦を訴えてるのがちょっと行き過ぎ、みたいな感じなので、

教育的影響はないと思いますけども()

ぜひ一つの意見として、捉えてください。

それではどうぞ。

 たった今、何処かで人が死んでいると、考えたことはあるだろうか。


 一つ断っておきたいことが、私は大層にそれについて語るつもりもないし、これを読む人に説教をするつもりもない、ということだ。


 戦争の悲劇、というものについて、考えたことはあるだろうか。


 一部の人々は今の「生きる」という行為に嫌気が差していることもある。それも人生だと私は思う。だが、あくまで持論だが、自ら命を断つのはやめたほうがいい。私はその選択をしなかったことで、まだ幸せに生きているからである。


 目の前で人が死んでいく気持ち、というものについて、考えたことはあるだろうか。


 食べるものに困らず、殆どの人は「明日生きている保証」を受けて今日を生きている。日本国内ではなおそうだ。だが、その殆どに含まれない人々は、どう生きているのか。私たちはそれを詳しく知る術を持っていない。


 自語りをさせてもらうと、私は東京に生まれたただの子供だ。これを書いている私は14歳である。もちろん、戦争というものは体験したことがない。だが、平和に対する思いを忘れたことはない。


 時は80年前に遡る。私の曽祖父がまだ若かった頃だ。彼は戦場へ赴き、上官から「部下の教育のためにお前は生きろ」と命令を受け、生きたそうだ。今はもういない曽祖父からは、いろいろな話を耳にしたことを覚えている。


 私がまだ幼稚園生だった頃だろうか。曽祖父が私の両親に向けて戦争の話をしていた。もう10年近く前の話であるから、覚えはかなり曖昧だが、「近くに爆弾が落ちてな、ドカーンと音がして」という一節は、音声としてはっきり脳に記憶されている。横目、ではなく横耳で聞いていただけであるから、細かい内容は当時も記憶していなかっただろう。


 曽祖父は強い人間だった。90を超えてからも孫である私の顔をはっきりと覚えており、家に顔を出すと直ぐに名前が出てくるのだ。もちろん合っている。こう言われるのは嫌かもしれないが、戦争を体験した人たちは芯から強い。若い頃、もう繰り返すべきではない苦労を強制的に買わされて生きてきた人たちの底力を、私は感じた。


 実を言うと、直接曽祖父から話を聞いたことはない。本格的に、私が過去に起きた「戦争」という悲劇を知りたいと思うようになった頃には、曽祖父はもうこの世にいなかった。だが、私が記憶している曽祖父の言葉は少ないながらも、今の私の「平和主義」という考え方に大きな影響を与えている。おそらく、私が戦争や平和について考えるようになったのは、曽祖父という存在がいたからだと思う。


 そしてもう一つ、私の考え方に多大な影響を与えたものがある。それが「はだしのゲン」だ。


 何をきっかけに読み始めたのかは、正直覚えていない。いつ頃から読んでいたのかもはっきりとは記憶していない。おそらく小学校2年生頃からだと思うが、正確にはわからない。どちらにせよ、もう7年以上は読んでいるのではないだろうか。一時期はセリフも一言一句違わず全部言えた。それだけ読み込んだ。


 「はだしのゲン」の読者は、それに登場する、作品の主人公である「ゲン」の強さを、知ることになる。そして同時に、ゲンでなければ生き永らえることのできなかった当時の、酷であり痛ましく悲惨な現状を知ることになる。


 原子爆弾、というものが、まあ何と言うか、はだしのゲンの一つ重要な要素になってくるわけだが、その痛々しさは目を背けたくなるほどだった。人を「人ではない何か」へ一瞬にして変化させ、奇跡的に生き延びた人も苦しみに付きまとわれる。あの閃光を目にした人々は、あの忌々しいきのこ雲の下で、何を思って「生」を望んだか。いや、「水」を望んだか。何度も繰り返し読むうちに、その表現のおどろおどろしさは少なく感じるようになっていったが、反戦への、そして平和への気持ちは、初めて読んだときと全く変わっていない。


 彼らは、戦争を体験した人々は、今の武力的には平和といえるこの日本に対して、何を思っているのだろうか。敵だと、人ですらないと言われてきた人種と、今は日本に何万人といる。話をし、笑って、握手をする。かの「敵」と。


 私だったらまず「いい加減にしてくれよ」と思う。何が軍国主義だ。何が国のために死ねだ。平和は願う。しかし、私たちが今まで学んできたことは何だったのか。そんな説明すらもなしに、仲良くお手々繋いで生きることができるはずがない。すぐに手が出る。


 だが、私たちにできることは限られている。そんな過去を知ろうと、戻ることはできないし、体験することもできない。というか、体験などしたくはない。戦争をしている国に乗り込んで反戦を叫んだところで、体がバラバラになって死ぬだけだ。それじゃ意味がない。死ぬことは、自らの進歩を打ち切ることに等しいのだ。


 では、何ができるか。それは、伝えることだと、私は思う。人間はなぜ賢いとされるか。それは、後世へと思いや技術を伝える能力が優れているからである。人の死を無駄にすることなく、語り継ぎ、伝え、それを生かし、新たな世界を作ることができるのだ。私たちも、一旦、その人間の「賢さ」の原点に戻ってはどうだろうか。


 まず、知り、そして、伝える。こんなに簡単で複雑なことはない。しかし、泣き言を言っている時間はない。というか、「興味がない」などと言う権利はない。タイムリミットは、迫っているのだ。戦争を体験した人々が、だんだん、死を迎えてきている。


 戦争を体験している世代がこの世界からいなくなること。これは、人の死という概念が非常に悲しいことを除いては、素晴らしいことだ。要約すると、それだけ平和が続いているという証明になるから素晴らしい、ということだ。


 今の世界はまさにその時代へ突入しようとしている。残念ながら、本当に悲しいが、今も戦争は続いているため、前述のような「戦争を体験している人がいない」世界はまだ遠い。が、日本ではそれがどんどんと近づいてきている。そこに問題がある。


 もうわかっているだろう。ちゃんと伝えられていないと、ちゃんと学んでいないと、ちゃんと受け取っていないと、またそれが繰り返されてしまうのだ。戦争という、もう二度と現れてはいけない苦しみが、私たちのすぐそこに、いや上に、降り掛かってしまう。そんな未来は、絶対にあってはならない。


 世界を見てみよう。まだ戦争が続いているどこかの国。それを悲しみ、平和を求めるどこかの国。平和を謳いながら平和教育を薄れさせているどこかの国。唯一の被爆国としての役割を完全には果たせていないどこかの国。戦争を厭わない国のほぼ下僕として国際情勢に関わっているどこかの国。その現実から目を背け、平和を叫ぶだけのどこかの国。


 日本という国は、いや人間という生物には、役割がある。それは、もう二度と、戦争を起こさないことだ。そして、核兵器という非情な武力を、どころか兵器という武力自体を、排除することだ。これは、「やったほうがいい」などという生易しいものではないと、私は思っている。これは義務であり、務めであり、絶対に諦めてはいけない未来だと思っている。


 武力に、やむを得ない事情はつけないでほしい。世界から、平和を取り上げないでほしい。


 程度は違えど、声高に平和を叫ぶ人は、私以外にも大勢いるだろう。


 あなたは、そして私たちは、何をしている?


 死んでから後悔する、そんな未来を望んでいるのだろうか?


 私たちは、この80年、何を受け継いできたのか。


 私たちは、果たして何を学んだのか。


 私も例外ではなく、人類全員が考え直すべきだと、思う。


 いや、考え直そう。これは、願いではない。権利でもない。


 義務だ。

読んでくれてありがとうございました。

ぜひ、平和に対して、また考えてみてください。

私もこれ書いてて色々思いました。

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