私はそういう文化圏の人間じゃない。
フレッチャーは口を手で塞ぎ、呟いた。
「魔術研究サークル…ですか。あまり良い噂は耳にしませんね…」
「魔術研究とは名ばかりのお飾りサークルって聞いたことあるな。名前で惹かれたんだったらやめときな。」
従者二人からはあまり良いように思われていないようだ。それもそうだろう。冷静に考えたら「入りたいです。」の“は”も言ってないような人間を引っ張って部室に連れ込むような奴が在籍しているサークルなのだ。悪い噂が立って当然だろう。ついでに若年性の禿げもいる。
「た、確かにそうかもですね…一旦考え直そうかな…」
「ほう、お前はやはり逃げることの判断は早いようだな。オリオ・ベルベティオ。」
僕はこの時、死を覚悟した。後ろを振り返ることもできなかった。ただなんとなく、心に宿る気まずさに耐え切れず、今すぐ舌をかみ切って自害してしまいたくなるような感覚に襲われた。
「おやおや、グレイドールさんではありませんか。相変わらずお美しい。」
フレッチャーはそう言い、あいさつ代わりにグレイの手にキスをした。そんなフレッチャーに、グレイは顔を顰めた。
「そういうのは富裕層の中だけで楽しんでくれ。私はそういう文化圏の人間じゃない。」
と言い放った。たとえ従者といっても貴族と密接な関りのある者に対してその態度はどうだろう。豪胆というか世間知らずというか、彼女は怖い物なんて存在しない、いわゆる無敵の人という奴なのだろうか。
僕が心中で様々な心配をしている一方で、グレイは澄ました顔でこちらを向いた。
「別にお前を今すぐ拘束して逃げれないように部室に監禁してもいいんだ。私達としては魔法が使えるお前を逃がしたくないからな。それをしないのは、部長がなるべく本人の意思を優先させようとしているからなんだ。」
そんなことを言われても、と思った。今目の前にいるこいつ―――グレイン・グレイドールとかいう奴には、残念ながら常識という物が備わっていない。だから僕としては、一緒のサークルに入るなんてのは論外だった。だがしかし、今自分が居る位置を考えてみると、クラスではグレイに魔法を使った件で軽蔑に近い感情を向けられているはずで、サークルに入らなければおそらく残りの二年弱を一人で過ごすことになりそうだ。
では一方、サークルに入った場合どうなるか考えてみると、まずグレイと行動を共にすることになりそうだから、クラスで一人になることが無くなるだろう。加えて、あのサークルには僕が教えを乞うことが出来る先輩がいる。知り合いの先輩がいるというのはこの学園では大きなアドバンテージとなり、テストでいい点を取りやすくなるのだ。サークルに入らなかった場合は一人で勉強するしかないので、テストの点数は取りにくいだろう。
さて、ここで最悪の場合を考えてみよう。ここでいう最悪の場合は二年でこの学校を去れなかった場合だ。サークルに入っていれば、もし成績上位者になれなくても残りの二年は一人ぼっちにならなくて済む。一方、入らなければ成績が上がりにくいのに加え、成績上位者になれなかった場合は二年間どころか四年間を一人ぼっちで過ごすことになる。最悪の最悪の場合、二留して六年間一人ぼっちだ。そうなったらもう絶望しかないだろう。
僕があまりにも長い時間思考をしているので、グレイは痺れを切らして言った。
「これは最終手段だから、使いたくなかったが………仕方ない。もしオリオ、お前が魔研に入ってくれるのであれば、私がなんでも一つ言う事を聞いてやろう。」
「え!?」
ただでさえ僕にとって良いことばかりなのに、追加でグレイがなんでも言う事を聞いてくれるという。なんという至れり尽くせりっぷりだろう。逆に怖い。
「お二人でお楽しみの所悪いけれど、君達は世間から魔術研究サークルがどう思われているのか知らないのかい?俺は知らなかったけど、俺の従者が言うにはあまり良い印象は抱かれていないようだよ?」
そのやり取りを見ていたバースが、唐突に口を挟んできた。彼の澄んだ金色の目を見るに、きっと善意で言ってくれているので、彼のその発言に嫌味なんかは微塵も感じられなかった。
「僕は別に…元からそこまでよく見られてないので、今更変わらないというか…まだ入ると決まったわけじゃないですし…自分のことは自分で決めたいので…」
「世間が常に正しいわけじゃない。私は自分が正しいと思ったことを正しいと思うから、誰かの意見に簡単に左右されることはない。一国の王子様はそういうわけにもいかないかもしれないけどな。」
僕とグレイのその発言に、バースは一瞬ハトが豆鉄砲を食らったような顔をして、にやりと口角を吊り上げた。
僕は先ほどのグレイの発言が気になって仕方ないのだけれど。
(今この人…王子って言ったよな…マジか…この人王子なのか!普通王子とかは王宮で勉強してるもんじゃ…なんでこんなところに居るんだよ…っていうか初対面の発言が王子らしくなさすぎなんだ…こんなのが王子の国の国民は苦労してそうだな。)
心の中で無礼な発言をしているが、流石に表に出すことはない。出したら絶対殺される。それにしても、グレイはバースが王子と知りながらあの態度なのだから、いよいよ世間知らずの一言では済まなくなってきた。
バースは俯きながら「ウフフフフ」と不気味に笑っており、僕は一刻も早くこの場から逃げたくなっていた。これ以上この人たちと一緒に居たら、僕の心が保たない。
「じゃ、僕はこの辺で…」
そう言って逃げようとしたら、グレイが手首を掴んできた。相変わらず彼女は力が強いので、僕はその場から一歩も動けなくなった。
「どこへ行く?全員同じクラスなのだから、一緒に行けばいいだろう。」
「……トイレだよトイレ。グレイは女子だし、バースさんは庶民の公共トイレなんて使わないでしょう?」
「使うよ?そういう差別的な発言は気に入らないな。」
そこまで差別的か?と思った。でも、もしかしたら彼はこれまで王子として扱われてきて、他人とは違うその扱いにうんざりしているのかもしれない。
「ごめんな、バース!」
「おいてめぇバース様にタメ口聞いてんじゃねぇぶち殺すぞ!」
思い切ったが駄目だった。思い切り過ぎた。ニーマンは顔を真っ赤にしながら鼻息を荒くし、血走った眼で僕を睨みつけてきた。そんなに怒ることでもないだろうが、僕の方が常識がないというのは自覚しているので、きっと僕が間違えたのだろう。
「砕けた態度の方が良いかもって思ったんですけど…ま、バースさん、また今度一緒に鍛錬しましょうね。では、僕はこの辺で…」
「トイレは反対方向だが?」
僕の手首をがっしりとつかんだグレイが言った。僕の首を一筋の汗が伝う。
「…女子トイレは、じゃない?正直もう漏れそうだから早く手を放してほしいんだけど。」
「女子トイレと男子トイレは隣り合っていますので、正反対にあることなんてありませんよ。オリオさん、もしかして嘘をついているんですか?」
今までずっと黙っていたくせに、急にフレッチャーが口を挟んできた。なんで僕が不利になるような発言をしてくれるのだろう。僕のことが嫌いなのか。
「観念しなよ、オリオ君。嘘をついてまで俺達と行動を共にしたくない…というのならまあ無理強いはしないがね。」
言葉の裏に張り付いた圧が強い。これ以上問答を続けても仕方がないので、僕は潔く諦めることにした。




