こうして、僕の学院生活の安寧は、とうとう終わりを告げたのであった。
知っていたと言っても、きっと嘘にはならない。だけれど、確実に知っていたかと言われるとそうではない。ただなんとなく、彼女だけが、僕の所に来るのだろうと思っていた。
「やあ、グレイ。」
灰色の長髪、灰色の板の様な剣、こちらを見つめる青い瞳。彼女は口角をピクリとも動かさないので、まるで人形のように感じた。
「待ってたよ。助けに来てくれるのを。」
僕は優しく言葉を掛ける。意味があるのか分からないけれど、でもなんだかそんな気分だった。僕は椅子から立ち上がって、グレイの事を見下ろした。
「でも僕は、責任を果たさないといけない。実は、魔王なんだ、僕は。それも、この世を平和にする魔王…って言っても、信じられないかもしれないけどさ。」
記憶の話だけれど、これまでの僕、魔王は世界をより良くするために動いていた。たとえ記憶が無くなっていても、僕がかつてそうしていたのだということに違いは無い。
「どうやらこの世界は、均衡を保たないといけないらしいんだ。だからさ、いつか、僕がグレイに命令してもいいって権利があったよね。」
均衡を保つ。記憶の中の僕は、その方法を知っていた。そしてなんとなく、それを望んでいた。だから僕も、それを望む。
「グレイ、お願い。僕の事を、殺し―――」
「うるせぇんだよ、そんな事!」
と、僕の台詞を断ち切って、グレイは声を震わせる。
「おいオリオ、お前はオリオだろ!?」
なんて怒号に、思わず顔を背けてしまう。やましいことも無いのに、どうして僕は彼女に大きな声を出されたというだけで、こうも委縮してしまうのだろう。自らを奮い立たせるために、わざと大きな声を出す。
「……違う、僕は、元々魔王で…」
「元々魔王なら、今は違うだろ!少なくとも私が見てきたお前は、剣も上手く扱えない、クソ野郎で、出来損ないのオリオ・ベルベティオだ!」
いやそれは言い過ぎだろ。なんて思う事は無かった。
「でも、この世界のために―――」
「勘違いすんじゃねぇよ!お前一人がどんな選択を取ろうが、お前とその周りしか変わらねぇんだよ!世界なんて、そう簡単に変わってたまるもんか!」
怒号に、思わず足が後ろに出る。彼女は僕に向かって、ずんずんと歩いて距離を詰めてくる。その顔は怒りと哀しみに満ちている様に感じた。
「良いか…?私が教えてやれるのは、私が経験してきたことくらいだ。だから、私がずっと、大事にしてることを教えてやる。よく聞け。」
彼女は僕の正面に立ち、両肩をがっしり掴んだ。そして、僕の顔を彼女の顔に引き寄せて、間近で目を合わせてきた。すこしだけ、胸がどきりとした。
「自分の気持ちに、正直に“生きる”んだ!まだまだ人生は続いていく。お前も、未来が気になるお年頃だろ?……私は……私はなぁ………」
グレイはいつになく声を震わせて、感情的に、体を振って、僕の事をまっすぐ見た。
「お前の未来が、先が見たいんだ!!!」
どくん、と胸が波打つ音が聞こえた。グレイの、僕の肩を掴む力が、とっても強いのだけれど、そんなことは全く気にならなかった。
「一緒に行こう、オリオ!私と一緒に、未来を歩もう。」
真っ直ぐ、伝えられて、しかし僕はひねくれてる奴なので、思わず目を逸らしてしまった。
「………でも…僕は……魔王で……均衡を……」
「考えてみろよ。魔王がいなくなったって、そう言われて三十年、この世界に何か異常が発生したか?今の世は平和じゃないのか?見てきただろ?むしろお前がいない方がダメなんじゃないか?」
僕の言葉は、簡単にへし折られる。きっと意思が弱いから。本当にそう、思っていないから。相手に心からの思いをぶつけてこられたら、負けてしまう。
「魔王としてじゃない。オリオ、お前が本当にしたいことは何なんだよ!!」
やっと、分かった。グレイのこれは怒鳴ってるんじゃない。心に訴えかけているんだ。彼女の声は、心に直接伝わってくる。だからついに、正直になった。
僕は口元を震わせながら、たどたどしく、言葉を紡ぎ始めた。
「……僕は……魔法を…いや、魔術を学びたい。剣術学院からとっとと逃げて、魔術学院に編入したい。でも………でも……」
なんだか目尻が熱い。いろいろとこみあげてくる。体の奥底、無いはずの内臓から、何かが煮える様な感覚がする。
「バースとか……グレイとか……七波とかさぁ……僕は…そいつらとも一緒に居たいって、そう思うようになっちゃったんだ…」
声を枯らして、瞼の縁から熱い液体を零しながら、言う僕は、きっととんでもない不細工だった。グレイは、そんな不細工な僕を、その強かな腕でぎゅっと抱いた。
「よく言えたな。じゃあ、帰るぞ。」
「―――でもさ。」
と、グレイの言葉を遮る。僕は自らの手のひらを見た。すると、指の側面から、黒い靄の様なものが発生していた。
「でもさ、僕、もう限界なんだ。魔力が、体の至る所から噴き出しそうで、噴き出してて、このヒトガタじゃあもう、抑えきれない…」
記憶で見た黒い靄が、少しづつ体から漏れ出していた。指の先とか、腕の側面とか、顔の側面から。きっとあの晨曦が言っていた、結界から離れてしまったから、こんなことになっているのだと思う。今更剣術学院まで戻って、結界内に避難しても遅い。この体が自らの魔力で破裂するのが先だ。
グレイは、もう別れの覚悟を決める僕を、また強く抱きしめた。
「安心しろ。私が全て、抑え込んでやる。きっと私は……」
そこから先は聞こえなかった。ただ、灰色の霧の様なものが視界に映ったのは、はっきりと記憶している。
灰色の聖石の霧は、二人を包み込み、やがて全てが溶ける様に消えた。僕の髪はこれまでのグレイと同じ灰色になって、グレイの髪は灰色というより、なんだか白っぽく変色した。
板剣は、その名称が似合わない、あの棒のような剣に戻った。
☆☆☆
剣術学院は、元の灰色を取り戻した。魔研の面々も、バースやサンダスも、誰一人欠けることなく帰ることが出来たので、リズベル教頭はすっかり驚いていた。紅藕は呆れて、
「いや、あんたが考えた編成だろ。」
と言っていたのだとか。僕はその辺りの事情を全く知らないので、そんな死にかける様な事があったんだ、とただただ驚いていた。
バースはこの一件で、かなり自信がついたようで、なんと魔研の一員になった。サンダスはというと、しばらく学院を休むのだとか。魔研のメンバーで見かけないのは、リーベル唯一人である。
そう言えば、あれから変わったことがいくつかある。それは、僕とグレイの髪色が変わったことと、グレイが僕の隣をついて歩くようになったことだ。
「結界内とはいえ、一人にしたらまたどうなるか分からないだろ?」
「大丈夫だって、まったく。」
そうは言っても、グレイは僕の魔力を抑えるために、常に聖石のコントロールをしなければならないそうで、確かに近くにいた方が良い様には思える。
だけれどそんな、必要不可欠で一緒にいるだけなのに、周囲の人間は、僕達が付き合っているとか、変な噂を流していた。僕もグレイも、周囲に流されない人間だから、大して気にしていないけれど。でもちょっと距離は保ってほしいなと思う。
ある日の昼、グレイと一緒に昼食を食べていると、彼女が僕の二浪系ラーメンの山の向こう側から声を掛けた。
「ところでなんだが、私には一つ気になることがあるんだ。」
「え?なに?」
彼女は食べかけのトーストを皿に置いて、僕の事を指差した。
「そのヒトガタ、私のおか……晨曦が作ったものだろ?」
「うん、そうだね。」
ヒトガタ、僕の体。イマイチ自分の体が作られたものだという実感が無いけれど、それは普通に生きている人も同じだろう。原理を知っていても、本当にこんな方式で体が作られるの?と思ってしまうのが大半である。
グレイは僕の返事に、四十五度、首を傾けた。
「だったら、三十年程度で壊れるのはおかしいと思う。だって魔王は、何年も生きてきた。三十年程度で壊れてしまったら、その後はどうする?おか……晨曦が、自分が死んでしまった後の事を考えないとは思えない。」
もうお母さんと呼んでしまえばいいのに。
「……そう言われると、確かに。」
もしかしたら、外部からの衝撃で、どこかに傷が生じたのかもしれない。そう思い至ると、一つ、可能性が見えてきた。
側頭部をそっと、指で撫でてみた。すると、なんだか凸凹している部分があった。そこは、もう痛くないけれど、いつか、剣術演習の授業中に、グレイによって傷害された部位だった。
後から教頭に聞かされたことだけど、僕には両親がいなかったらしい。小さい頃の記憶は確かにぼんやりしていて、はっきりと分かりはしないけれど、つい最近まで、何者かによって記憶を操作、調整されていたらしい。
確かに、いつかフレッチャーと会話をした時に、不自然な記憶の欠落があった。僕は何を言ったのか、結局分からないけれど、僕はそんなことが出来そうな奴を、一人しか知らない。
僕はこれまで通り、授業が終わった後は直ぐ寮に帰っていた。魔研の活動はまあまだ一旦サボっている。
寮の部屋の扉を開けて、中を見渡す。机は大きいのが一つだけあり、それのすぐそばに二脚の椅子が置かれている。一脚はほとんど使われることが無かったけれど。
壁沿いに設置された二段ベッドの、今まであいつが居た上段を覗いてみた。ガラクタでごちゃごちゃしていた以前と比べると、すっきりしているけれど、物寂しい。
どうして七波七波がいなくなったのか、なんとなくだけれど分かる。きっと、気恥ずかしいんだろう。僕に会うのが。
「ソンナワケネーヨ。」
なんて、言って出てきてくればいいのに。
そうして、僕は一人、大切なルームメイトを失って、今後も一人、寂しくこの部屋で過ごすのであった――――はずが。
大きな音を立てて、部屋の扉が勢いよく開かれた。彼女は、白くなってしまった長髪を揺らしながら、この部屋に、大量の雑貨を豪快にぶちまけてきた。まるで我楽多の扇状地だ。
「オリオ、これからこの部屋でよろしくな。」
グレイはそう言って、にやりと笑った。こいつはどうして、気持ちのいい、爽やかな笑みが出来ないんだろう。何か企んでいるのかと思ってしまう。
彼女は、いなくなったルームメイトの穴埋めだったり、なるべく僕達が近くで過ごした方が良いという諸々の事情から、晴れて、僕と同室で暮らすことになった。
こうして、僕の学院生活の安寧は、とうとう終わりを告げたのであった。
この話で物語は完結となります!
いろいろ回収できなかったところがあったり、この先の展開も考えていたので、後々後日譚として別枠で連載させていただきます!
ここまで読んでいただいた方へ、心より最大の感謝を申し上げます。
めっちゃありがとうございましたやで~ ⌒∇⌒




