『オリオ君はどうしてこの学院に来たんでしょうか?』
「鍛錬室の壁は教頭先生が治してくれると思うから心配しないでね。」
目の前には、茶髪で三つ編みの、容姿が平均よりも少し上くらいに整った女性が座っていた。僕の隣にはニーマンとグレイが座っており、その後ろには紅藕が立っている。
「…いや、ここどこだよ。俺を監禁しようってのか?そんなの無駄だぜ?」
「ここは魔研の部室だよ。突然の事で混乱しているだろうが、話が終わればすぐ帰すから安心してくれ。」
後ろにいる紅藕が答えた。彼のその口調からは、いつもの軽い態度は伺えなかった。
「まず、早く帰してあげたいからニーマン君から。ニーマン君、君は一国を背負う方の家来であるという自覚を持った方がいいわ。それはフレッチャーさんから言われているでしょう?」
そんなことを言われたが、当のニーマンは椅子にふんぞり返って座り、頬をポリポリ掻いて大きな欠伸をした。
「…てか、お前誰?急に出てきて偉そうに。その髪、貴族でも何でもないんだろ?年上だろうが何だろうが、俺が命令聞くのはバース様だけだ。」
彼女は微笑んで、僕とグレイを流し見た。それになんの意味があったのか、僕は分からない。
「…そういえば、オリオ君とも初対面だったね?あたしはリーベリオット・フォン・ベルゼラント。魔研の製作担当よ。ただ、それだけ言っておくわ。」
「…で?だから何だ?俺に関係あるか?」
ニーマンはなんともないように、先程までの態度を取り続けた。この後日、なぜかは分からないが、リーベリオット宛てに菓子折りが届いたらしい。
「無駄です、リーベリオット先輩。この世には話の通じない輩なんてごまんといますから。」
お前が言うな。というか、僕はグレイが敬語を使う人を始めて見た。ひょっとしたら、このリーベリオットという人は本当にすごい人なのかもしれない。
「…ま、グレイちゃんは後でね。とりあえず、ニーマン君、今日はもう帰っていいから、これをバース君に渡しておいて。」
リーベルは封筒を差し出すと、ニーマンは奪い取るように受け取り、懐にしまった。
「俺をパシらせやがって…覚えておけよ!あと、俺は一人じゃ帰れねぇからな!」
吐き捨てるように言って、ニーマンは部室から勢いよく出て行った。一人で帰れないならどうして出て行ったのだろうか。
リーベリオットはそんな彼の出て行った扉を眺めた後、僕に視点を合わせた。どうやら僕の番らしい。
「オリオ君は後でいいや。グレイちゃん、次はあなたよ。」
僕じゃないのかい。どういう目配せなんだ。
僕がこの時間で彼女の目配せの意図を読み取ろうと決心している時、グレイは背筋を伸ばして姿勢を整えた。
「なんでしょう?私は何も悪いことはしていないと思うのですが。」
この期に及んでそんなことを言うグレイに、リーベリオットは頭を抱えた。なんとなくだが、この人の気持ちが分かる気がする。僕もグレイに振り回された一人だからだろう。
そんな苦労人のリーベリオットはため息を吐きながら立ち上がった。
「紅藕、予定変更よ。あたしはちょっと、この非常識娘の性根を叩き直してくるから、貴方からオリオ君に話をしといて。」
そう言って彼女はグレイの手を掴み、部室から姿を消した。姿を消したというのは、ドアから出るとか、窓から飛び降りるとか、そう言った動作を無しに、突如として目の前から消えたという事だ。僕はそれが初見の出来事だったが、そういうものなのだと理解して、仰々しい反応はしなかった。
「普通、目の前から人が消えたら驚くものじゃないか?オリオ君。」
紅藕は僕の後ろから、長い机を回り、目の前の椅子に腰かけた。どうして彼の頭は剥げているのだろう。気になったが、今聞くのは非常識だろう。
「いや、全然びっくりしましたよ。でも別に、そういうものだと思ったから目に見えて驚かなかっただけです。」
紅藕は、僕が言葉を並べているのを、じっと見ていた。少しだけ僕はその姿に威圧されたけど、何とか最後まで言い切ることが出来た。そして、そんな僕の姿を見た紅藕は、少し考える素振りを見せてから溜息を吐いた。
「……よし、ではオリオ君、本題へと行こうか。」
彼は懐から、茶色で四角い何かを取り出して、それの天辺についている凸を押した。
「これからの会話は記録しておくから、あまり過激な発言は避けるようにした方が良いよ。」
なんて物騒な物言いに少し背筋が伸びる。そんな僕の様子を見ながら、彼は口角を吊り上げた。
「では、まず一つ目の質問。PN《ペンネーム》.『金髪で目立っててすみません』さんからのお便り。『オリオ君はどうしてこの学院に来たんでしょうか?』はい、ありがとうございます。この質問はかなり多く寄せられていたからね、みんな気になってるらしいよ。実際の所どうだい?何か目的があって来たとか?」
…これは果たして真面目な話なのだろうか。ちゃんと答えた方が良い気はするが、質問の意図が読み取れない。まず「PN」とか「お便り」とか「みんな」とか、僕に何の説明もなしにぶっこんで来たな、この紅藕とやら。
もしかすると、その無茶ぶりに対してどういう態度をとるかを見られているのかもしれない。だとするならば、ここは適応していくしかない。
「はい、そうですね。僕としてはボディンチックル魔術学院に入学するつもりでいたんですが、両親が入学願書とか諸々を剣術学院の物に変えてしまっていて、ついでに僕は世間知らずだったので、入試が始まるまでそこが剣術学院だったことに気付かなかったんです。」
「なるほど、そうみたいです。道程で気付きそうなものですけど、不幸な行き違いがあったのでしょう。」
なんだかテキトーな受け流しをして、彼は紙を一枚めくった。
「では、次は別の「どうてい」からのお便りです。PN.『ディアン…』本名書くなよ………えー『気苦労ご苦労早漏眼鏡』さんからのお便り。『オリオ君、こんにちは。この間は邪魔をしてすまなかった。』えーっとですね、個人が特定されるようなお便りはなるべく避けてくださいね。」
紅藕は眉間の辺りをつまんだ。
僕は、最近の出来事を思い返したが、僕が誰かの邪魔をすることがあっても、誰かが僕の邪魔をすることは、グレイを除いて無かった。
「で?えーっと、『そこでなんだが、今度そのお詫びのために何か作って持っていきたいんだが、何か嫌いなものはあったりするだろうか?もしあったら教えてほしい。』ですね。最初から嫌いなものは何ですか?って聞けばいいのにね。回りくどい男だね。出すときは直ぐで早いですが。」
彼が何を言っているのかよく分からないが、とりあえず「そうですね~」と同意しておいた。彼が噴き出したのを見て、僕は多分何かおかしなことを言ったんだろうと思った。
そんな事より、この急に始まった紅藕との会話の方がおかしいだろう。しかしこの場に、それを言及する者は残念ながらいなかった。
「はい、『早漏眼鏡』さんありがとうございます。そうですね、僕は元々ここから少し西に行って、大きな谷を越えた先にある平原に父と母と三人で暮らしていたんですけど、そこって巨大蛙魔が良く出るんですよ。僕達家族はそいつらに何回か家を壊されてるので、普通の蛙でも嫌いになったんですよね。味もあまり良くないし。」
そう答えた瞬間、紅藕は口や目を大きく開けて上を向いた。驚いているように見えるが、同時に笑いをこらえているようにも見える。
「え、た、食べるの?巨大蛙魔を?」