僕なんかやっちゃいました?
良い天気の日。雲は少し空に浮かんでいるが、それがたまに日差しを遮ってくれて、単純な快晴の日よりも僕は好きな天気だ。おまけに涼しい風が、温まりすぎる体を適度に冷まし、まさに適温に保ってくれている。
こんな日はやはり中庭で昼寝に限―――りたかった。
「やあ、驚かせてしまってすまない、オリオ君。少し俺に付き合ってくれるかな?」
短い、金色の髪と碧眼。美麗な顔立ちをしている彼はやはりバースだった。彼の後ろを見れば、依然と同じようにフレッチャーとニーマンの従者二人組が控えていた。
「え、リンチ?」
「そんな物騒なことしないよ!?いや少し、交流も兼ねて共にトレーニング場で汗を流さないかと誘いに来たんだ。昨日はあのままになってしまったが…」
彼は少し気まずそうに言った。僕はというと、その後の出来事が濃密すぎて彼と何を話していたのかを忘れかけていたのだ。そのため、必死に頭の中を探ってどんな会話をしたのかを思い出した。
「あー、平平凡凡のボンボン…あれはグレイが言ったことだから気にしないでよ。大丈夫、僕はそんなこと思ってない。うん、思ってないよ。」
全く思ってないと言ったら嘘になる。しかし僕はなるべく嘘は吐きたくないと思っている。嘘を吐くことは決して正しいことではないからだ。だからこそ少し、ほんのり匂わせる程度の発言にしておいた。きっと気づくはずがないだろう。
「うーん…それは思っているような発言だね。」
「え!?そうなんですかバース様!でもあいつ、思ってないって言ってましたよ!?」
馬鹿此処に極まれり。言葉をそのままの意味で受け取る奴がいるか。きっと世界に彼一人だろう。誰かがつい昨日、女子二人の言葉を鵜呑みにして一人で時計塔に登っていたわけだが、それは一旦置いておくとしよう。
でしゃばるニーマンをフレッチャーは微笑みながら制止した。その表情には、怒りという物が透いて見え、少しだけ怖かった。
「まぁ、それはもう構わないよ。俺も偉大な統治者になろうと日々研鑽を積んでいるつもりだけど、その実全く成長を実感できないからね。君が僕のことをそう思っていても仕方ない。仕方ないことさ。」
ではこれで、と言ってそのままバースは振り返って帰ろうと歩き出した。それに合わせて彼の従者も振り返った。僕はそんな従者の一人を見て少しだけ考えた。
「鍛錬のお誘いだったらいいよ。」
僕は彼らの背中に向けて言葉を投げた。すると、その言葉は僕が投げた何倍もの速度で返ってきた。僕が言葉を投げた速度が四十キロメートル毎時だとしたら、バースのそれへの返答の速度は二百キロメートル毎時くらいだろうか。思いがけない勢いに、僕は思わず転びかけた。
「え!?い、いいのかい?いやー助かるよ、本当に!ありがとう、オリオ君!はぁ…やっとこの学院生活初の友人が…!」
と、余計なことを漏らしそうになったためか、バースはフレッチャーに口を押さえられた。もうほとんど聞こえていたのだけど。
性格が良く(初対面での僕に対する態度は置いておくとして)容姿も整っており、ついでに王族のバースには、意外と友人がいなかったらしい。
それこそ、同じクラスの貴族家出身の人となかよくすればいいのに…と思ったが、貴族と王族ではまた身分の差があり、特に貴族は平民よりもそれを気にするらしいので、結果的にクラスメイトが全員、彼のことを敬遠しているのだとか。
とすると、そんな彼と仲良くなろうとしている僕はきっと、貴族達からは良く思われないだろう。
四人で話しながら廊下を歩いていると、やがて目的地の『勇の塔』、校舎の北東にある塔に到着した。その塔も他の塔と同じように、一階は螺旋階段があるだけだが、二階からは様々な鍛錬施設が所狭しと詰め込まれていた。
「ここが一番広い第一鍛錬部屋なんだけど…」
バースと僕は横並びで部屋の中を見た。
「お前!それでもやる気あるのか!?」
人でごった返す鍛錬部屋に、聞き覚えがある声が聞こえてくる。僕は少しだけ鳥肌が立った。
「おい、泣いてんじゃねぇ!図体だけはでかいくせに気は小さいんだな!」
声の方を見ると、一人の屈強な男が肩を震わせていて、その対面で灰色の髪をした女性が、木刀片手に眉間にしわを寄せていた。
その姿を見た僕は、即座に部屋の入り口に身を隠した。バース達三人は、そんな僕の行動に眉をひそめた。
「……え、どうしたんだい?」
「………いや、なんか…別の鍛錬部屋行かない?すごい取り込み中らしいしさ…」
入口から少しだけ頭を出して中を見た。泣いている男は、脇腹を抑えながら片膝をついている。グレイの方は、そんな男の脛や腕などを木刀で叩いていた。
「う、うぅ…すいません…我には…もう…できません……」
「はぁ!?聞こえねぇよ!ほら立て!サンダス・ヤーゴ!こんな事、あそこにいるオリオはこなしていたぞ!」
言われて振り返ったサンダス・ヤーゴの目と、僕の目が合った。彼の瞳は光をうつさない真っ暗なもので、そんな彼の瞳と知り合いの瞳が重なった。思わず僕は顔をひっこめた。
僕はこの時、頭が驚くほど働いた。グレイに見つかった時点で、僕の昼休みは休めないものになってしまったのだけど、なるべくなら面倒ごとは避けたい。最善手は果たしてこのまま鍛錬部屋を使う事なのか、それとも早々に逃げる事が…というかどうして彼女はサンダス・ヤーゴをいじめているのだろうか…
考えていても仕方ないことが浮かんできてしまったので、僕はとりあえず僕の中での最善手を取った。
「ちょ、ほら、早く別の所行こうって!」
僕はバースの腕を掴んで引っ張ったが、びくともしない。大木でも引っ張っているかのように感じた。これは僕の力が無さすぎるのか、それとも彼の体幹が強すぎるのか…おそらくどちらもだけど。
そうこうしているうちにも、グレイの注意はこちらに向いてしまいかねない。僕はバースを見捨てて、逃げるための一歩を踏み出した―――しかしその動きを、バースは見逃してもフレッチャーは見逃さなかった。
「どこへ行くつもりで?バース様と鍛錬をするのでしょう?それとも、もしかして嫌になってしまったのですか?」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
引き留められた瞬間、僕が進もうとしていた廊下の壁が大きな音を立てて突き破られた。僕はそれによって起こった粉塵が、目に入らないように腕で防いだ。バースの方を見ると、フレッチャーが傘でそれを防いでいた。
目の前の崩れた廊下で、巨体がゆっくりと起き上がり、こちらを向いた。先程まで泣いていた彼だが、今は何故か眉が吊り上がり、顔は赤くなり、眉間にしわを寄せて怒っているようだった。
「我が名は……サンダス・ヤーゴ……オリオ…ベルベティオだな……貴様に…決闘を申し込む……」
どうしてこうなったのだろう。僕は何をしたのだろう。ひたすらに考えるだけ無駄な思考が頭をよぎる。
「……あの、僕、なんかやっちゃいましたか?」