くそーーーーーー!!!!!!
時計塔のある周辺は中庭と呼ばれており、この灰色の校舎には珍しく芝が生えていたり低木が植わっていたりしていた。また、ベンチがいくつか置かれていて、昼休み等はここで過ごす学生が居たりする。今はもう放課後で誰も見当たらないが。
「よし、行くか!」
僕は時計塔の中に入り、階段を上り始めた。校舎と違って木造の階段は、足を踏み出すとギシギシという音がして、もし踏み抜いたらどうしようという不安が心に募った。
「そういえばさ、魔術研究サークルってどういう活動してるの?」
後ろにいるであろう二人に話しかけた。しかしそこには誰もいなかった。
僕は急いで階段を下りた。そして塔の前で立ち止まっている二人を見つけた。
「え、なんでついてこないの?」
「手助けはここまでという事だ。」
グレイは腕を組んで言った。
「え、えっと、入部試験の最後はひ、一人でって決まってるんですよ…」
金雀枝は前髪を押さえながら言った。
「ふーん、そうなんだ。よくわかんないけど分かったわ。」
きっと彼女らはどうやってもついてこないと思うので、僕はまた時計塔を上り始めた。
中庭に残った二人は、近くのベンチに腰かけた。同じ部であれど仲はあまり良いとは言えない二人なので、彼女たちの間には自然と少しだけ距離ができた。
そんな二人の間を、茶色の長髪を後ろで三つ編みにしてまとめた女性が埋めた。
彼女を見て、グレイは思わず声を出した。
「リ、リーベリオット先輩!」
「リーベルで良いって言ってんのに…ま、それもグレイちゃんの可愛いところね。」
リーベルはそう言ってにかっと笑った。その笑顔は、まるで太陽のような輝きを放っており、紅藕とは違った意味で眩しいものだった。
「ちなみに、なんで二人はオリオ君に着いて行かなかったの?理由はなんとなく分かるけど。」
「はい!塔の階段を上るのが面倒くさかったからです!」
「あ、み、右に同じで…」
二人の返答に、リーベルはため息を吐いて頭を抱えた。
「あのね、オリオ君は一人でよく知らない人たちのよく知らない集団のよく知らない入部試験を受けて、不安で心がいっぱいなの。あたしもここに来た時そうだったわぁ…」
リーベルは胸に手を当て、目を閉じて、その時の情景を頭の中に浮かべた。
「…本当に、そうだったわ……」
胸に当てていた手で口を押さえながら、彼女は重く呟いた。その顔からは疲れが見て取れ、しかし同時になんだか悲しそうだと、グレイは思った。
「偉大なる御先輩方が去ってしまった今、あたし達は早急に人員を確保しなければいけないの。だからここまでやって来たオリオ君を最後までサポートしてほしかったんだけどね…」
「…きっとあいつには、そんなサポートなんて必要ない。」
グレイは無意識に呟いた。そんな彼女を、リーベルと金雀枝は一様に驚いた顔で見た。しかし、二人はそれぞれ違った受け取り方をしていた。
一人は「え、あのグレイさんがそんなことを言うの!?明日は傘持ってこないと…」と思い、もう一人は「あのグレイを認めさせるとは…オリオ君には期待しても良さそうね。」と思った。
なので、一人は驚愕の顔のまま固まり、もう一人はにやりと微笑んだ。
「…なら見せてもらおうかな、オリオ君。君がどこまで行けるのかを…」
リーベルは懐から眼鏡を取り出した。もちろんそれは普通の眼鏡とは違う。こんな場面で普通の眼鏡を掛けるわけがない。
近くの見たいものを見る眼鏡。通称、魔眼鏡。自分の頭の中で見たいと思った物を、あらゆる障害物を無視して見ることが出来る魔道具である。
リーベルは、塔を透かしてオリオの居場所を探った。
そして彼女は見つけた。塔の中腹辺りで膝をついている少年の姿を。
「えあっ!?へ、へばってんじゃんかい!オリオ君!」
彼は肩で息をしながら、一歩ずつ階段を上っては休憩を挟んでいた。
「え、すごい!逆にすごい!そんなに体力ない事ある!?体育会系じゃないあたしでも往復余裕なのに、一年生だから!?一年生だからか!?グレイちゃんは規格外だから置いとくとして、でもそれでもすごいよ!?道端歩いてるおじいちゃんといい勝負じゃない!?」
「そ…そんなに言ってあげないで下さい…オ、オリオ君はあれでも頑張ってるんですから!」
金雀枝は、中庭に吹く風に抵抗するように前髪を抑えた。
☆☆☆
一方その頃、ほとんどへばりかけているオリオはというと、健気にもグレイや金雀枝がこの塔に登ろうとしなかった理由を考えようともせずに、ただ一生懸命に一歩を踏み込み続けていた。
「………はぁ…はぁ…」
息を切らしながら登っていると、塔の上の方から足音が聞こえてきた。
「…いや、よくこの程度で俺達を働かせられるな…リーベルには俺から謝っておくか…ん?」
塔の上からは、教師にも見えるくらい大人っぽい、学院指定の制服を着こなした男が下りてきた。どことなくルールに厳しそうな雰囲気を感じる彼が、塔の壁にもたれかかっている僕に声をかけた。
「え、君、大丈夫か?」
「…はぁ…ヒュー…はぁ…ヒュー…だ、大丈夫じゃ…はぁ…ヒュー…ない…ヒュー…です…。」
僕はそう言うだけ言って、階段に腰を下ろした。太ももの表とふくらはぎがひどく痛い。これまでこんなに筋肉痛になったことはなかった。呼吸も、これほど荒くなったことはない。心臓の鼓動が全身を打ち付けているような感じがして痛い。まるでこの体が僕の体じゃないように思えて仕方ない。
「き、君、この先に何か用があるなら送っていくが…?」
僕は一瞬だけ迷った。しかし回答は口を滑り落ちるように出た。
「お願い…します…」
送っていくと言われたので、僕はてっきり肩を貸してくれるとか何かかと思っていた。なので、僕はふらつきながら立ち上がったが、対する彼は僕に背を向けてしゃがんでいた。
「………え?」
「その様子だと、歩くのもままならないのだろう?背中を貸すから、ほら、早く。」
彼の背中は、なんだかとてつもなく広く、ベッドのように錯覚してしまった。
がしかし、この年にもなっておんぶは恥ずかしいだろう。抵抗感が確かに心にこびりついていたが、やはり僕の体は僕の言う事を聞かなかった。
目の前の青年の首に手を回した。続いて彼が、僕の太ももにしっかりと腕を回した。
「……すみません…少し王都まで…」
「俺は御者じゃない!寝る前に急ぐぞ!目的地は…テキトーに最上階まで行くぞ!」
「あ…はい。」
彼の背中で揺られていると、とても心が落ち着いて、本当に寝てしまいそうだった。しきりに彼が声を掛けてくれたので寝ずに済んだが。
こうして僕は、紅藕がいる時計塔の最上階までやって来たというわけだ。
「―――さて、オリオ君。このぐらいの問題は容易く解いておくれよ?」
紅藕は、一人で夕陽に向かって呟いていた。僕は彼の後ろから声を掛けた。
「容易くではないですけど、解けましたよ。紅藕部長。」
謎解きは割と簡単なものだった。容易くなかったのはそれ以外。グレイが僕に剣を向けてきたり、金雀枝とかいう奴が急に暴力を振るってきたり、時計塔の階段が長すぎたり。謎解きはちょうどいい難易度なのに、それ以外がひどすぎた。主に責任はこの目の前にいる男にあるだろう。
彼は僕の方を振り返った。彼の顔は笑っていた。
「合格だよ、オリオ君。晴れて魔術研究サークル、通称“魔研”の仲間入りだ。」
「……え?スタンプラリーは?」
僕は懐からあのカラフルな原色で『魔研スタンプラリー』と書かれた紙を取り出した。当初の予定では、この紙に部員全員分の判子を押すのが試験内容だと、グレイに伝えられていた。
「残念ながら、仕掛けに……試験官の私達は、別にスタンプラリーをしてねなんて一言も言ってないよ。グレイが勝手にそう思ってただけ。私達がグレイに渡したのは地図のみ。『魔研スタンプラリー』の紙はグレイの自作なんだよ。私達が用意しないからって勝手に作ってくれたんだ。つまり君は最初から最後まで彼女に振り回されていたというわけだ。」
「くそーーーーーー!!!!!!」
僕はスタンプラリーの紙を投げ、それに向かって手を伸ばした。するとたちまち、僕の手の先から火が放出され、その紙は瞬時に燃え尽きてしまった。
普通の生徒なら、僕が魔法を使ったことに対して怪訝な顔をして文句を言うだろう。しかし、紅藕は違った。
「ほう、魔法属性の中で最も魔力消費が激しい火魔法をこうも簡単に行使できるのか…すごいな!」
「………“魔術”って言わないんですね。」
そう一言だけ言うと、紅藕は再び口角を吊り上げた。その表情は、まるで「分かる奴が来たか」と言っているようだった。
「ふっふっふ…舐めてもらっては困るよ、オリオ君。私達が何のために魔術を研究するサークルに所属していると思っているのかな…?」
そんなの全く見当がつかないので、僕は普通に黙った。しかしたまたま、僕の疲労に歪んでいる表情が笑っているように見えたのか、紅藕はまた「お、こいつやっぱ分かってる奴だな」みたいな表情をした。
「ま、具体的な活動に関してはまた明日話そうか。今日は早く帰って体を休めると良い。」
そう言い残して、紅藕は塔を降りて行った。
(思ってたより達成感無いな。)
僕はそんなことを思いながら、これからどんな生活が待っているのか、期待に胸を膨らませた。
塔を下りたディアンは、ブーイングをしながらごみを投げてくるグレイとリーベリオット、その隣でちょこんと座っている金雀枝を見つけた。
「…おい、やめろ。なんだよ。俺が何かしたか?というかお前達、オリオはどうしたんだ?」
グレイは手を止めず、ごみを投げ続けた。
「ディアン、貴方がおんぶして運んだ少年、彼がオリオよ。」
そう言われた彼は、顔を覆った。
「……いや、まぁ……そうかもしれないとは思っていたが…てっきり学院長のご子息かと思ってしまってな……というか、俺が困っている人を見過ごせるとでも思っているのか?」
時計塔の最上階には、外に出るための出口と、この学院の学院長の部屋がある。彼は、この学院の生徒がまさかこの塔を登れないわけがないと考えており、では、生徒ではない学院の関係者か何かだと思ったようだ。
「これはちなみに…セーフ判定なのか?俺が手を加えてしまったが…」
「それを決めるのはもちろん私だがね。」
ディアンの後ろから声がした。夕陽に照らされた彼の頭は、激しく光を反射していた。
「えっとねぇ、その情報を先に聞いていたら話は違っていたんだけど、もうオリオ君に合格って言っちゃったから覆らないんだよねぇ。」
「え、なにしてんの?」
思わずリーベリオットの喉から素の声が出た。
「いやでもね?でもなんだけど、彼は魔法を使えるんだ。だから正直どっちみち、彼が入部することは元々決まってたっていうか…」
「不安因子を取り除くために一応でも試験をやってるんでしょう?なるべく介入は避けるべきなのに……まぁ、今回はあたしが陰で見てて、多分大丈夫だと思うから良いけど…」
リーベリオットは、今もなおごみを投げ続けているグレイを制止した。
「では、これで今回の入部試験は終了とする。各々、これから自分が何をすればいいか、もちろん分かっているよね?」
紅藕の問いかけに、ディアンとリーベリオットのみが頷いた。他の二名はぽかんとしている。その様子に、紅藕は頭を抱えた。
「ただでさえ学内の不満が高い魔研なんだ。これまでは私や君達…一般人より遥かに強い者らしかいなかったために、何とか廃部にしようとする奴らからの刺客を易々と打ち倒せていた…がしかし、オリオ君、彼はもう驚くほどに貧弱だ。であれば何をするか分かるね?グレイ?」
「鍛錬させる。」
紅藕は胸の前でバッテンを作った。
「はい、不正解。金雀枝?」
急に話を振られて、彼女の肩は飛び跳ねた。
「……わ、私達が…守る…?」
小さい声だったが聞き取れたらしく、紅藕は両腕で頭の上に大きな丸を作った。
「はい、正解。グレイはもっと頭を柔らかくした方が良いね。」
「お前ももっと頭を賑やかにした方がいいぞ。」
「ま、そんなわけだ。では各自、明日のために早く家とか寮とかに帰るように。解散!」
そう言って紅藕は手を叩いた。その拍子に金雀枝はそそくさと小走りで校門に向かい始め、リーベリオットはグレイと共に歩き出した。ディアンと紅藕はその場に残った。
「ディアン、責任取れよ?」
紅藕はそう微笑んで、ディアンの肩をポンと叩き、その場を後にした。ディアンは目を覆ってその場に立ち尽くした。