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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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【土星への扉】(現代的異訳)



 高温に熱せられたドロドロの物体が湯気を上げながら柄杓ひしゃくを離れ、真っ直ぐ真下に垂らされる。その細い糸が太腿に当たると密室の中に皮が焼ける臭いが充満し、痩せ衰え活力も抜け切った筈の身体ですら跳ね上がる。


 「……サラトガは何処だ?」


 ミリギは既に幾度も繰り返してきた言葉をまた繰り返すが、男は最後の拷問に堪え切れず息絶えていた。


 「ちっ、またか……こいつら、どうしてここまで強情なんだ」


 考えられるだけの全ての拷問を繰り尽くしても尚、魔導師サラトガの消息は依然として不明のまま。ミリギが苛立ちと共に男を運び出すよう指示を出すと、彼の忠実な配下の一人が頭を垂れる。


 「……申し訳ありません、なにぶんにも強情な連中でして……アスファルトを垂らしても、呻き声しか漏らしません」

 「……忌々しい奴等だ! サラトガ如き匿っても、身の破滅は免れぬと判らんのか!!」


 苛立たしげに叫ぶミリギだが、彼の心情は異端査問官としての立場でのみ乱されていたのではない。


 (……サラトガめ、どうやって魔導の知識を得たかは知らんが……独り占め出来ると思うなよ)


 ミリギはイホウンデー(旧き豊穣の女神)に仕えし神官の一人だったが、自分より若く才気に溢れる魔導師のサラトガを密かに妬んでいた。計略と足の引き合いを掻い潜りながら階段を登ってきた彼だが、サラトガはそんなミリギを全く意に介さず魔導の道を究め、今や市民の中には異端云々を問い質すより彼の実績を褒める声の方が多い程。嫉妬深いモルギは、そんなサラトガの後塵を浴びる度に怒り狂っていた。いや、正確には魔導の知識を占有され賞賛を集めている事を妬んでいた。


 だが、サラトガがそうして栄光の道を歩む内にミリギも着々と地道に歩を進め、彼が遂に念願の異端査問官になると、居並ぶ神官達に向かい高らかに宣言したのだ。



 「……我等が信奉せしイホウンデーを密かにおとしめ、無辜むこの民を邪神の生け贄にせし邪教徒を必ず……裁きの場に引き出しましょう!!」


 (……は? マジで言ってんのコイツ……)


 イホウンデーの神官達は、全く空気も読まず朗々と語り始めるミリギにドン引きした。そりゃそうである、異端査問官に任命されて軽めな挨拶の一言を振られた奴が、いきなり全力で演説すりゃあ誰だって尻が浮くだろう。


 「だってそうじゃないですか!? 美しくて慈悲深くてもっふもふな美しいイホウンデー様を、ですよ? なんか変にグロくてヒキガエルみたいなツァトゥグァっぽいの(ツァトゥグァそのものだが)とかを、崇高なイホウンデー様の代わりに奴等は崇拝してんですよ!! ねぇ聞いてます?」


 ミリギがガチめ興奮気味に瞳孔全開で絶叫する度に、聞き手側の選任神官は辟易とする。


 「あ、ああ聞いてるよミリギ君。誰だってイホウンデー様をないがしろにされては黙っていられんから……」

 「ですよね、ですよね!! 当然ですよもっふもふで美もふなイホウンデー様なんですから!!」


 (うわぁ、拗らせまくりな中年神官が査問官とか、マジで地獄絵図だぞ……)


 ケモ系ガチ崇拝(いや狂信)者なモルギを前に、選任神官は更にドン引きする。そして彼の心配はその後ヤバい方向に的中し、阿鼻叫喚の査問状況を耳にした彼等は、査問対象になるであろう者の不運と境遇を案じ、心の底から同情した。




 「……まだ見つからんか! ……全く煙のように姿を眩ませるとは小癪な奴め……」


 サラトガが逃げて数日後、ミリギは忌々しげに呟きながら爪を噛んだ。サラトガは弟子達に多少の研鑽結果を伝授してはいたが、肝心な居場所だけは何処にも漏らさず隠遁していた。そんな彼を追い続けていたミリギだったが、他の者が捜索を諦めて数日後。


 「待てよ……サラトガは何処を探しても見つからんが、もしや未だ根城の塔に身を潜めているのでは」


 一度は徹底的に捜索したサラトガの塔だったが、何か見落としがあったのかもしれない。そう思ったミリギは自らの落ち度になると怯え、供の者を連れずに塔に向かった。




 人気の無い荒涼とした禿げ野を進み、日頃の運動不足に喘ぎつつようやくサラトガの塔に到着したミリギは、腰に提げた鈍器メイスを手に塔の扉を開け放つ。弟子達を捕縛し無人になった内部はしんと静まり返り、ミリギを出迎える者は誰一人として居ない。


 (……抜け目無い奴の事だ、何処かに抜け道か何かがあったかもしれん)


 革巻きの柄を握り締めながらミリギは思慮し、床の踏み跡に違和感は無いかと目を凝らす。だが、地下室を示唆するような痕跡は一切見当たらず、彼は自分の行為が無駄骨では無いかと落胆し始める。だが、一階の捜索を諦めて二階に通じる階段に差し掛かった時、感じた事の無い違和感を覚えた。それは本来彼に備わる筈の無い、探索者の嗅覚に近かった。


 「……もし俺が追われる立場なら、わざわざ追っ手が立ち塞がる一階に逃げ道を作るか? いや、もしそうなったら安全な場所に逃げる手段を自分の書斎辺りに設ける筈だ……」


 ミリギはそう悟り、階段を駆け上がるとサラトガが研究成果や書籍を蓄えていた書斎に飛び込んだ。だが、そこもやはり捜索の痕跡で本棚から書籍が落下し雑然と散らかるのみ。本棚の裏に隠された抜け道や階段の類いは無く、身を隠せるような小部屋すら見当たらなかった。


 「……くそ、くそ……サラトガめ、何処に消えたのだ……」


 忌々しげに呟きながらミリギが書斎の壁を睨みつけると、見慣れない景色を描いた風景画が目に入った。その絵は暗闇の中に寒々しい山脈が広がる陰鬱な景色が描かれ、決して優美な代物ではなかった。だが、それが逆にミリギの注意を引いた。


 「……サラトガも気が狂ったのか、こんな絵なんぞ飾りおって……」


 所詮異端者のする事と普段なら気にもしないミリギだが、その時は何故かその絵から目が離せなくなる。すると、絵の中に描かれている小さな何かが僅かに動いたように見え、彼の動悸が少しづつ高まっていく。


 (……何だこれは、今確かに動いた気がするが)


 絵の違和感に取り憑かれたミリギが更に注視すると、その何かが小さく描かれた人物だと理解出来る。いや、それよりも絵全体が少しづつ波打ち視界の端から次第に広がっていくような気がしてくるのだ。


 (……まさか、まさかこれが……サラトガの隠れ家だというのか!?)


 不意にそう気付いたミリギが無意識に手を伸ばすと、あろうことか肘の辺りまで絵の中心に吸い込まれてしまった。驚愕の余り声にならぬ叫びを上げた瞬間、ミリギの身体は絵の中に吸い込まれスッと消えていった。




 遠退いていた意識が徐々に束ねられ、次第に覚醒し始めたミリギが気付いた時。


 「……んぐぉっ!? き、貴様は……サラトガ!!」


 眼前に居た黒い長髪を肩口で一つに束ねたその男こそ、彼が追い続けていたサラトガだった。だが、奇妙な風景画の【異界の門】を介し身体の微細化後に再構築されたミリギは叫びながら、


 「ぜっ、絶対に逃さんぞぉおろろろろぉ……」


 盛大に吐いた。


 「……あー、判るよ自分も初めての時はそうやって吐いたからねぇ」


 すると、そう言いながらサラトガはイケメン特有の余裕からか優しくミリギの背中を擦ってやるが、


 「ぼぇの、ぜながをざずるなぁろろろろぉ……」


 ミリギは抵抗しつつやっぱり吐いた。端から見れば荒涼とした大地の真ん中で、吐瀉するおっさんの背中をイケメン魔導師が擦っているのである。何だこりゃ。


 「……はぁ、はぁ、はぁ……サラトガっ!! 漸く見つけたぞ……大人しく査問の場に引っ立ててやる!!」


 だがしかし、使命感と嫉妬の炎に身を焦がしながらミリギがメイスを振り上げると、サラトガは困ったような口振りで告げる。


 「……査問、ねぇ……じゃあ、どうやって査問を受けさせるつもりなの?」

 「ど、どうやってだと!? ふざけるなサラトガ!! 俺が直々にお前を捕らえて……」

 「だから、元の場所への戻り方ですよ」

 「戻るだと!? そんな事は……いや、何だと?」


 サラトガの言葉に理解が進まないミリギだったが、出来の悪い生徒に諭すような口調で彼は説明する。


 「いいですか、ここはアトランティス大陸どころか、同じ場所ですら無いんです。ここは土星ですよ、土星」

 「苦し紛れの言い訳なら査問の際に聞いてやる!! ……土星ぃ!?」

 「そうですよ、あの土星です。夜空のあの辺に見えていた小さな点の、あの土星です」


 意味不明なサラトガの言葉にミリギが問い返すと、彼は空を指差しながらそう答えた。


 「……この、どうしようもない狂人め……俺まで気が狂うような事を平然と言うな!」

 「うんうん、自分も最初はそう思いましたがね、でも……あれを見てもまだそう言えます?」


 サラトガは再びそう言いながら、空の別の場所を指差す。その先に視線を向けたミリギは、ハッキリと見えるその存在を目の当たりにして絶句する。


 「……な、何なんだあれは……」

 「だから、あれが土星の輪ですよ」


 ミリギは空を斜めに横切る巨大な曲線状の輪を見て、そしてその輪とサラトガの顔を交互に見る。


 「……まさか、まさか……あの一瞬で俺は木星に飛ばされたのか?」

 「まあ、そんな感じでしょう。でも、自分も初めて【異界の門】を抜けてここに来た時は戻れるだろうって楽観してましたが、ねぇ……」


 サラトガは戸惑うミリギにそう言うと、自分は異端査問の追及に辟易して逃走したつもりだったが、その先が復路の無い一本道だとは思わなかったと正直に告白した。


 「いや待て待て!! だったらそもそもどんな経緯で絵の中を通り抜けたんだ俺達は!」

 「知りませんよ、そんな事。ただ、魔導の研究の末【異界の門】を開けられただけですよ。それに行き先が土星だなんて予想外でしたから」


 追い求めて来た筈のサラトガにそう言われ、ミリギはがっくりと肩を落とす。遥か彼方の土星に飛ばされた末、戻る手段も何も見つからないと言われれば誰でもそうなるだろう。


 「で、どうするんです?」

 「……どうする? ……何をだ」


 暫く経ってサラトガにそう問われ、ミリギは力無く項垂れたまま問い返す。


 「……このまま私を捕らえると鼻息を荒くして戦うか、現状を把握出来るまで行動を共にするかです。食料や水は持って居ないでしょう?」

 「……う、それは確かにそうだが……」


 勢いのまま飛び出してきた両方だけに、サラトガはともかくミリギも旅装は全く整えていない。水や食料を持たぬ上、荒れ地を渡れる知識や手段に乏しい二人がこの先生き延びられるかは明白だろう。唯一の希望といえばサラトガの森羅万象に渡る知識の豊富さと、ミリギの……




 「……おい、俺の顔を見ながら無表情になるな!!」

 「いや、そんな事ないですよ」

 「お前、今確かに俺の顔見て使えねー奴って思っただろ!?」


 そんな風に言い合いながら、結局ミリギとサラトガは暫く休戦する事にして、まずは人のいる場所を探そうと歩き始めた。最初はお前が先を歩けと命じるミリギだったが、見渡す限り続く荒野に逃げ込む先は無い。結局気付けば並んで歩いていた。



 目標になるような目印も無いまま、二人はひたすら荒野を歩いて行く。ただ、闇雲に歩いてもどうにもならないと思い、道か何かに辿り着ければよいかと目を凝らしながら進み続けたその時。


 「……何ですか、あれ」

 「……?」


 二人の眼前に蚊柱のようなキラキラと光る柱のような物が現れ、その中心に人に良く似た顔らしき凹凸が浮かび上がった。それが何なのかミリギには判らなかったが、サラトガはそれが現れた際のうなじが逆立つような緊張感に馴染みがあった。土星に転移するきっかけになったあの絵画は、絵ではなく異なる世界と空間を入れ換える窓のようなものだが、それを与えた存在が現れた際に似たような体験をしていたからである。


 【 矮小の人ながら健気に振る舞いし知識の使徒よ ことわりの境を越えて探求せしその真意を見せよ 】


 突如現れたその神格の存在がそう告げると、サラトガは知識の探求者らしくうやうやしげに頭を垂れ、答える。


 「……畏れながら申し上げます、我はサラトガ。宇宙の真意を探し求めその研究に生涯を費やす者で御座います」


 【 おお、我が庭にて一際輝く叡智を見せし矮小の者か ぬしの誉れは我が耳にも届いておるぞ 】


 何が始まったのか、とサラトガ程に道理を弁えていないミリギはそれでも口を差し挟まず状況を見守るが、隣のサラトガの鼻と耳から真っ赤な血が滴るのに気付き心臓が縮まる。相手がどう振る舞うにせよ、異なる次元の存在と接触する事が凡庸な人間にどれだけの負担を強いるのか思い知ったからだ。


 【 我は主等の立ち居振る舞いに注視するぞ 為ればこそ敢えて言祝ことほぎを授ける アララララシギ デルイデ イルヤダ 】


 複雑さに舌を噛みそうな発声と難解な音程にミリギは何だよそりゃと顔を歪めるが、


 「……アララララシギ、デルイデ……イルヤダ。この言葉を胸に真意の探求を深めましょうぞ」


 【 良い 良い なれど矮小な人に我が与えし■■は耐え難き故 身を隠そうぞ 】


 素知らぬ顔でサラトガは平伏したまま答え、彼の対応に満足したのか現れた何かはそのまま消え失せて去ってしまう。


 「……何なんだよ、あれは」

 「……雷が落ちる時に時たまあらわれる、火の玉みたいなものです。何かの力の顕現なんでしょうが、異質過ぎてこちらの意図は余り汲み取れない」


 光の蚊柱が消えるとミリギは脂汗を拭いながら呟き、サラトガは鼻と耳から垂れた血を拭ってから答える。彼の落ち着いた対応で自らの命運が保たれたと不遜なミリギにも理解出来たが、彼は見栄を保つ為にフンと鼻息を吐いて感謝の言葉を打ち消した。




 「……おいサラトガ」

 「水は持ってませんよ」

 「……知ってるよそんな事……」

 「じゃあ何ですか」

 「……喉が渇いた」


 そんな風に二人は話しながら荒れ地を進んでいく。いや、実際はのろのろと歩いては休み、休んだ分ぐだぐだと愚痴りながらまたのろのろと歩いているだけである。


 二人が転移された土星は大気が存在し(我々が知るそれと名は同じでも多次元宇宙の異なる惑星と考えるべきである)、暗いながらも視界は保てるだけの明るさで歩行に問題は無い。だが、とにかく水が欲しい二人は少しでも早く水場に辿り着きたかった。


 「……おい、サラトガ……何だあれは」


 不意にミリギが声を上げ、物思いに耽っていたサラトガは現実に引き戻される。何の事かとミリギの方を見ると、彼は腰に提げていたメイスの柄に手を伸ばしながら呟いた。


 「あれは……羊か何かに見えやせんか」

 「……うーん、羊かどうかは判りませんが首輪を着けているように見えますね」


 二人の言葉通り、彼等の視界の先に見えるそれは動物らしく群れを形成し荒野の表面を前脚で掘り返していた。その行動は山羊や羊が草原の草をはむ姿にそっくりだったが、良く見ると表皮の大半が鱗に覆われた奇怪な生き物である。だが、鱗の生えていないその柔和な顔は大人しそうに見えた。牙は生えていたが。


 「……食えるかコイツ」

 「試してみます?」

 「よし、潔く譲ろう」

 「いえ遠慮しときます」


 思慮深く譲り合ううち、その生き物は群れを成したままトコトコと進み始め、二人も何となく後ろを付いていく。こうして不思議な生き物とサラトガ達は共に歩くうち、遠くの空がぼんやり霞んで見えてくる。それが人家から昇る煙による物だと知った二人は、互いに言葉を交わさぬまま歩みの速度を早めた。


 「やったぞサラトガ!!」

 「ええ、どうやら野垂れ死にせず済みますね」


 二人は奇妙な生き物の後ろで抱き合い助かった事に歓喜するが、だがしかしその町の入り口に奇怪な生物の大きな頭蓋骨が彫像のように飾られているのを見つけ、


 「……どうするサラトガ……」

 「……ええぇ、どうすると言われましても……」


 思わず二の足を踏んで中に入るのを躊躇った。そんな彼等を尻目に例の生き物の群れはずんずん町の中に入っていくので、まさか取って食われはせんだろうと意を決して踏み込んだ。



 その町は二足歩行の知的な生き物の住む場所だったが、サラトガが話し掛けると古いアトランティス語で律儀に話し、ミリギは意思疎通が出来る相手に安堵した。但し、その見た目は毛の無いネズミとクマを足したような奇怪な見た目で、おまけに男女の区別が付かない醜さだった。


 「……ケモノの飼い主達が、御二方に感謝しとります。逃げ出した連中を連れ戻してくれたんですから……これもアララララシギ様のお導きですかな」


 だが、町で一番大きな三角屋根(それ以外は平たい石葺き屋根)の館に招かれ水と木の実を与えられながら代表らしき者にそう告げられると、ミリギは妙に気が大きくなり、


 「そうであろう! 何せ我々はアララララシギ様から直接お言葉を頂いたからな!」


 得意気にそう語ると居合わせた十人程が急にざわつき、神託の使いだの神のお導きだのと口々に騒ぎ始めたが、サラトガは慎重な面持ちでミリギに耳打ちする。


 「……余り誇張して、生贄にされても知りませんよ。どんな神を祀っているか判らないですし」


 だが、ミリギは崇められて気を良くしたのか動じない。


 「無駄な心配は無用だろう! 何せ俺達は神の使いだからな!」


 だが、そう言いながらミリギはいくら待っても酒の類いが出されない事に気付き、


 「……しかし、酒が無いような所に長居してもつまらんな」


 と、俗な事を言って顔を曇らせた。



 水と食料を得て一安心の二人だったが、一晩経った明くる日。


 「御二方、御二方……今朝はとても良い日で御座います」


 町の代表が二人が寝ていた客間を訪ね、そう言いながら外を指差す。何の事かと窓の外を見ると、何が良いのか判らぬ昨日と同じ曇天である。


 「……済まんが、何が良いのかとんと判らんが」

 「おお、これは失敬……気がいて肝心な事を失念しておりました」


 恭しく言いながら代表は頭を下げ、何故そこまで興奮しているのか口調を早めながら話し始める。


 「今日は【アララララシギの末娘】との契りの儀の日で御座います! 我が神、アララララシギ様から賜った御神体と町の代表が交わり、血脈を絶やさぬよう男達が発奮する日です! ……そんなめでたい日の前日に、アララララシギ様と縁深い方が現れるとは……」


 代表がそこまでまくし立てたその時、窓の向こう側の丘の上に、複数の触腕と全身に奇妙な吸盤を生やした得体の知れない何かがむくりと起き上がり、ラシシ……ラシシシ……と耳慣れない軋みのような声を上げた。それは丘とほぼ同じ大きさで、どう見ても女の類いから程遠い代物だった。


 「……うん、サラトガ逃げよう」


 不意にミリギはそう言って立ち上がり、町の代表が伸ばす手を振り払いながら全力疾走した。



 「案外、速く走れるんですね」

 「当たり前だろう! あのまま居て……あんなもんと交われとか正気の沙汰じゃない!!」


 町から十分離れてサラトガがミリギにそう言うと、ぶるりと身体を震わせて恐ろしげに呟く。彼等の背後では獲物を探す食肉植物のように触腕を振り回しながら、ラシシラシシシと繰り返して何かが動いていた。


 「でも、これで進む道がはっきりしましたね」

 「ああ……後戻りしたら、あいつと交わらなきゃならん」


 サラトガの言葉にミリギは頷き、来た方と反対に向けて歩を進めた。




 「そりゃあ難儀でしたなぁ。でもまぁ、あの連中は現人神あらひとがみだと言って人外と平気で交わりますから……」


 また水と食料を求めて荒野を彷徨った二人だが、今度は川と呼ぶにはやや泥色の流れを見つけて遡るうち、前の種族より多少は人に近い獣人と巡り会った。手足の長さや体毛といった特徴は獣そのものだが、


 「それにしても……ミリギ様でしたっけ? ここまでの道程は如何でしたか?」

 「ずるいぃ〜姉様!! 私が先に聞きたかったのにぃ〜!!」


 畑を耕す土地持ちらしき父親の後ろから興味津々といった様子で、二人の娘が長い和毛にこげに覆われた耳を揺らしながら聞いてくる。そう、前の種族と違い今度の種族は男女の差が一目瞭然だった。


 「……ミリギ、鼻の下伸びてますよ?」

 「うっ、うるさい!! しかし、いいだろう別に……」

 「誰も悪いとは言ってませんよ、但し気をつけてくださいね。また同じ過ちを繰り返さんように」


 サラトガに釘を差され、ミリギは判っとると言い返しながら両側に回った娘達の身体を抱き寄せた。



 「いやはや、こうも違うとは……まさに雲泥の差だな!」


 二つ目の町でミリギはそう言って杯を掲げ、中に注がれた酒を飲み干す。あのネズミクマじみた種族の町では、食物は木の実と地下茎だけ。ではあの牧畜らしき動物はといえば、例の化け物を養う為にのみ飼われていた。客人である二人にも肉一つ出さなかった事をみると、もし出されても生肉で食わされていたかもしれないが。


 「それには概ね同意ですね。まあ、食べ物はこちらの方が断然良いかと思います」


 流石に禁欲的な印象のサラトガだったが、齧歯類じゃあるまいし木の実だけで身が保てる訳では無い。こちらの町は農業による耕作物で家畜まで養い、丸々と太ったケモノの肉やパンに似た焼き物まで揃っている。更に穀類を醸して酒まで作っているだけに、その文化と教養は遥かに高いものといえる。


 「いやはや、美味し酒に食い物まで揃うとは……だが、あの川の水を飲水に使っているのか?」

 「やだぁ、そんな訳ないじゃないですか! あの川の水は溜め池に引いて畑に撒くだけで井戸は他にありますよ〜!」

 「だーっはっはっはっ! そりゃそうか!!」


 何が楽しいか判らないが、ミリギは彼の事を気に入った娘達に囲まれて笑いが止まらない。まあ、それも仕方ないだろう……ここだけの話、この町の住人はイホウンデーの眷属と縁深い血脈を繋いでいるせいか、特に女達はあれもこれもウホホのホで、ケモ娘好きにはパーフェクトな天国である。


 「……ところで、この町にお出でになった経緯は伺いましたが……その、何か御告げとかは……」


 と、能天気なミリギを尻目に、地位の高そうな獣人が着衣を正しながら(ネズミクマ達は服すら着ていなかった)サラトガにそう尋ねる。彼等は遥かに高い教養と知識を備えていたが、肝心な信仰の対象を持っていなかった。それが過去の事象に依るものか、或いは伝承の途切れで失ったかまでは、サラトガにも判らなかった。


 「……私達は、神格に相応しき存在と会いました。それは私達に【アララララシギ】と告げまして……」


 サラトガは事の経緯を簡潔に告げると、獣人の長はふむ、と伸ばした髭を撫でながら溜めていた息を吐き、


 「……旧き神々の中に全知の象徴であるアララララシギは在ります、だが……我々にはかの悟りを享受する知識が欠けておりました。さすれば御二方の来訪はきっと……」


 と、彼なりの解釈を述べたその時。


 「父上!! 遠方の蛮族共が大挙して山を越え押し寄せて来ます!!」


 そう言いながら若い女獣人が長の元に駆け寄り、未曾有の事態に身を震わせる。遠方の蛮族とは、サラトガ達が最初に出会ったネズミクマ共の事であるが、双方の居住地が離れていた事もあり過去に衝突は起きていなかった。だが、ミリギとサラトガがやって来た末に交合の儀をすっぽかされた結果……彼等は遂に種の垣根を越えよと決断したのだ。


 「……もし、あいつらがここに来てしまったら……親子の見境も無く繋がる畜生道に降ってしまうだろう……」

 「あ、あの連中がそんな事を!?」


 思わずそう呟く長の言葉にミリギは顔色を変え、もしそうなってしまったら今この場に居る長の子らしき若い獣人娘が……筆舌に尽くせぬあんな事やこんな目に遭わされてしまうのかと、一瞬で理解した。見た目醜くむさ苦しいネズミクマ共が、良い具合に発育したこの獣人娘が本能のままに蹂躙されてしまう? ……そんな状況は絶対にけしからん!! と、ミリギは悟ったのだ。


 「逃げましょう、お父さん!!」

 「……お、お父さん?」


 一瞬で思考を切り替えたミリギはそう告げると二人の手を掴み、


 「サラトガ!! この純真無垢なる種族の純潔は我々が守らなければならん!!」


 何故かそう宣言しながら周囲の住人に向かって早く逃げるよう説いて回り始め、彼の慌て振りに何事かと当初はいぶかしむ獣人達だったが、次第に押し寄せる地響きに似た蛮人共の足音に事態を察し町の裏門へと避難した。



 「……家財は捨てていけ! 奴等が来てしまったら逃げられなくなるぞ!!」


 入り組んだ町の各所で叫びながらミリギが諭し、命を保つ最低限の物だけ集めた住人達が裏門から脱出していく。だが、既に町の直ぐそこまでネズミクマ共は押し寄せ、傍観していれば真水に泥水が混ざるように住人達は彼等に捕まってしまうだろう。


 「サラトガ!! 何か策は無いか!!」

 「……いや、急に言われましてもねぇ」


 急に正義に目覚めたようなミリギの言葉にサラトガは頬を掻くが、彼とて世話になった親切な獣人達が酷い目に遭うのは見過ごせない。


 「まあ、やるだけやってみますか……」


 サラトガは彼が探究してきた魔導の術式から、今の状況を救える術を選び指先で虚空に方陣を描き始める。その複雑な指運びにミリギは思わず感嘆しそうになるが、いや魔導士など賤しい輩なのだぞと自分に言い聞かせる。


 「……春に芽吹き、夏に繁り秋に木の葉を散らす森の萌え樹よ、その下に隠れし情欲の渦を垣間見せ給え……!!」


 そう唱えながらサラトガが何も無い空間をまさぐるように指先を動かし続けると、そこから白い糸のような光が地面を這い、まるでヒビが広がるように町を抜け蛮人が迫る外縁部で津波のように舞い上がっていく。


 「……おおっ、これは……で、この先どうなるんだ?」

 「……ん? ああ、興味があるなら見ていれば判るが……余りお勧めはしない」

 「はあ? 何だって……うおっ、奴等が来たぞ!!」


 町の境界線で砕け散った光が薄らぐ中、ネズミクマ達が雄叫びを上げながら押し寄せて来る。その狂乱じみた姿はミリギに嫌悪感を抱かせ、こんな奴等がやって来たらあの可憐な獣人娘達は地獄絵図になるぞと怒りを覚えたのだが……


 「……おい、何だあいつら? ……急にもじもじし始めたぞ」


 だがしかし、さっきまで猛り狂いながら走っていたネズミクマ共が、境界線を越えながら光の飛沫を浴びて数瞬経つと突如周りを見回しながら停まってしまう。そして不意に隣に居る者同士が見詰め合ったかと思うと……


 「……うおっ、マジかよ……こんな所であいつらさかり始めたぞ!?」


 ミリギの呻き声通りネズミクマ達は突如、内股になりながら互いを見たと思うや否や、がばと身を抱き始めたのだ。だがしかし、ミリギの視線の先ではもっと見るに堪えない光景が繰り広げられていた。


 「おえぇ、あいつら男同士じゃないか!!」


 そう、睦み合う者は全て男だった。つまり何故かは判らぬがネズミクマ達は互いが男だろうと構わず、自身の情欲の赴くまま耽っていたのだ。


 「……サラトガ、お前何したんだ!?」

 「いや、ただ単に隣に居る奴が女に見える呪いを掛けただけだが」

 「そりゃあ……地獄絵図だなぁ……」


 聞けば効果はすぐに消えると聞き、ミリギは直に阿鼻叫喚だなと頭を振りつつサラトガと共に町を抜け逃げて行った。




 ……時を経て、件の襲撃から逃げおおせた獣人達は平穏な日々を過ごしていた。すわ種族存亡の危機かと覚悟を決めながら逃走の道を選んだ彼等だったが、サラトガとミリギに導かれ辛くも蛮人達の追尾を絶ち今に至る。


 と、言ってみたものの、サラトガを追って未知の遠路を辿りながらミリギはこの地にやって来たのだが、


 「いやぁ〜、それにしてもここは天国そのものだなぁ!! なあ、サラトガ!!」


 最早、強情無慈悲な異端査問官の顔はどこへ行ったか。ミリギは今日も、若くてぷりっぷりな豊満ケモ娘達に囲まれてご満悦である。


 「……あなたって単純なヒトですね、ホントに……」


 と言いながら、サラトガも特に今の状況が嫌な訳では無い。自分達を救国の信徒だと持ち上げる獣人に日々もてなされ、魔導を極めし何たらという肩書きは既にどーでも良くなっていた。いや、そもそもサラトガ自身はやれ体制だの主義主張だのといった堅っ苦しい世間の風潮に嫌気が差して遁走したのだ。


 「んんぅ? 第八夫人候補になりたいと〜? よいよい! 押しべてみんな合格! わはははははぁ〜♪」


 今日もバカ笑いしながら酒池肉林に溺れるミリギを眺めつつ、サラトガはそんな乱痴気騒ぎに興じる彼が後にした環境が地母神から見放されて荒廃の一途を辿っている事を、まあ黙っておこうと心に秘めたのである。






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