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【一般】現代恋愛短編集

ぼっちの部活動を堪能していたらクラスの美少女ギャルが入り浸りに来た

作者: マノイ

「お、トイレか? 俺も俺も」


 どうして世の中には連れションを好む野郎がいるのだろうか。

 こっちは一人で気楽に用を足したいのだが、近くに人がいると思うとなんとなく気分が優れない。

 もしかしたらアレな気があるのかと尻が恐怖で慄いた時もあるが、俺のブツには全くの無関心なのだからそうではないのだろう。


「ふぃ~スッキリした」


 今日もまた、連れション野郎こと俺の友人の寒川(さむかわ)はわざわざ口にしなくても良い感想を漏らしながら先にトイレから出た俺の隣に並び歩こうとする。


「なぁ篠宮(しのみや)、さっきのマジびっくりしたよな」

「さっきのって何だ」


 主語をはっきりしろ主語を。

 俺達は高二で出会ったばかりで付き合いが短く、まだ省略オンリーの会話が通じる仲じゃないだろうが。


「だ~か~ら! 岡田さんの話だよ。お前も聞いてただろ?」

「ああ」


 今日の昼休み、というか今も昼休みなので少し前のことだ。


 俺達のクラスには岡田(おかだ)愛海(まなみ)という話題性抜群の女子が居る。

 ギャル風で可愛くて男子からも女子からも人気なアレである。

 読モなんかもやっているらしく、センスがあるのはブレザーの制服の着こなしやギリギリ咎められない攻めたメイクを見れば男の俺からでも良く分かる。

 インスタフォロワーも万単位でいるらしく、クラスメイト的にはプチ有名人みたいな感覚だ。


 ちなみにオタクとか関係なく男に特別優しくはない普通のギャルだ。


 その岡田さんだが、友達と驚くべき話をしていた。


『え~、愛海(まなみ)ったら海堂(かいどう)君を振っちゃったの!?』

『好きって言ってたのに!』

『信じられない!』


 驚くべき点は三つ。


 一つは岡田さんに好きな人が居たという話。

 彼女はこれまで多くの彼氏と付き合って来たらしいが今はフリーだと言われていた。

 彼女のことを狙っている男子は多く、彼らに絶望を与えた事だろう。


 一つは岡田さんが好きな人から告白されたのに断った話。

 岡田さんがその理由を説明する前に彼女達が教室から出てしまったので理由は分からない。

 ただ、絶望してた男子にとっては朗報か。


 そして最後に振られたとかってセンシティブな話を堂々としていたところだ。

 ギャルって遠慮ないのね。怖ぁ。


「つまり、岡田さんは今フリーってことだろ。俺告白してみよっかな」


 寒川は気に入った女子を見つけるとすぐに告白して玉砕するタイプだ。

 相手に彼氏がいるかどうかも調べずに特攻するからトラブルになることもあるなんて笑いながら言ってたが、いつか通報されても知らんぞ。逮捕されたら『いつかやると思ってました』ってコメントしてやる。


「止めた方が良いと思うぞ」

「なんでだよ。篠宮だって気になってるだろ?」

「そりゃまぁ可愛いからな。でも今はダメだって」

「だからなんで?」


 俺は別に草食系ではないから、あんなに可愛くてセンスのある女子と付き合えるのならば素直に嬉しい。でもだからといって玉砕確実な告白なんてするつもりはないし、そもそも『今』は時期じゃないと思っている。


「なんとなくだが、岡田さんって最近少し悲しそうな雰囲気があるからな。何かあったんだろ。今はそっとしておくのが吉さ」


 もしかしたら好きな人から告白されて振ってしまったのもそれが原因かもしれない。

 そこまでメンタルにダメージを負っているのに告白なんて負担をかけるのは忍びない。


「ええ~そうかぁ? いつも通りに見えるぜ。篠宮の気のせいだろ。そういうのに敏感そうな女子友も普通に接してるじゃん」

「そうかもな」


 だからなんとなくって言っただろ。


「はは~ん、分かったぞ。どうせ告白したって振られるからって言い訳してるんだろ。なっさけね~」

「うっせ、余計なお世話だ」

「玉砕してこそ男の生き様!」

「ほんと迷惑な奴だな。女子が可哀想すぎる。ほどほどにしろよ」


 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとは言うが、こいつの場合は命中する未来が全く見えない。

 とはいえ撃たなきゃ当たらないというのは間違いないと俺だって分かっている。


 分かってはいるが、やっぱり今の岡田さん相手にその手の気持ちを抱く気にはなれなかった。


――――――――


 放課後になっても岡田さんの恋愛話に学校中が盛り上がっている中、俺は一人書道部の部室へと向かっていた。


 うちの高校には文化部棟と呼ばれる建物がある。

 まだ子供が多くお金が沢山あった時代に当時の校長が文化部に力を入れたいと考え建てられ、小さいながらも茶道部や華道部のための和室すらあるという豪華な建物だ。

 だが時代の流れと学校の方針転換によるものか、文化部の部員は年々減少傾向にあり、全く使われていない部室が増えて来た。立派な華道部の部室など、開かずの扉と化している。


 俺が所属する書道部も細々と続いてはいたものの、再来年には消滅するだろう。

 何故なら部員が二年生の俺一人なのだから。

 去年までは先輩が所属していて活動していたのだけれど、卒業してからは俺と幽霊部員だけ。


 俺自身、書道をやりたいだなんて思っている訳でも無く遊び半分の半幽霊部員なので、すでに消滅していると言っても過言ではないかもしれない。


「さて、今日は何をしようかなっと」


 部室には畳の床もあるけれど、書きにくいからあまり使ったことが無い。

 もっぱら机の上での毛筆が主だ。


 適当に準備をしたらとりあえず目を瞑る。

 運動部の掛け声や吹奏楽部の練習音など、放課後の学校は何かと煩い。

 でもこうして誰も居ない部室で瞑想じみたことをしていると、煩いはずの音がBGMとして違和感なく胸に染み込んでくる。


 この独特の感覚が好きで、俺は書道部に一人通っているんだ。


 この後はひたすら考え事に耽っても良いし、寝てしまっても良いし、適当に文字を書いても良い。


 誰にも邪魔されない自由な時間。

 俺だけの世界。


 ガラッ。


 しかしこの日、その世界に闖入者がやってきた。


 俺しか部員のいない書道部への来客は顧問の先生しかありえない。

 でもやる気が無い上に忙しい先生は極々稀に息抜きと称してここに来ることはあるけれど、それは月に一度あるかないか。

 先日ここに来たばかりなのにまた来るなんて珍しい。

 

 また延々と愚痴を聞かされるのだろうかと嫌な気持ちで一杯だが、悠々自適な部活タイムを認めてくれている先生を追い出すなんてことは出来る訳もなく、嫌な気持ちをしっかりと心のタンスにしまって開いた扉を確認した。


「おっ、一人じゃん」

「え?」


 これはどういうことか。

 入って来たのは先生では無くて今話題の岡田さんだった。


「おじゃま~」

「ちょっ!」


 しかも岡田さんは俺がいるって認識した上で遠慮なく入って来た。

 もちろん彼女が書道部の幽霊部員だなんてオチは無い。


「あ~、あっしのことは気にしないで」


 岡田さんはそれだけ言うと隅に置かれていた机と椅子をガタガタと移動させて、俺から離れたところに設置した。


 何がどうなってんだ。


「あの、岡田さん?」

「…………」


 椅子に座ってネイル弄り出した。


「ここって書道部なんですけど」

「…………」


 今度はスマホ弄り出した。


「何か用があるんですか?」

「うっさい。黙ってて」


 何の説明もなく勝手に入って来て勝手にくつろぎ始めて俺を無視して黙れですか。

 岡田さんが元から男子に塩対応気味なのは知ってたけれど、いざされてみるとイラっとするな。


「勝手に入って来てそれはないでしょう」


 だが俺はもう高二だ。

 声を荒げて追い出すようなみっともない真似はしない。


 やんわりとたしなめて余裕を見せつけてやる。


「あ~もううっさい。つーかあんた誰?」

「は?」


 おいおい、そりゃあないだろ。

 クラスメイトの顔が分からないのかよ。


「同じクラスの篠宮ですよ。そして書道部員の篠宮。そしてここは書道部。分かる?」


 ちょっと馬鹿にした感じになっちゃったかもしれん。

 イライラが隠せなかったのかな。

 俺もまだまだ子供だったという事か。


「な~んだ。なら問題ないっしょ。あたししばらくここにいるから。気にしなくて良いよ」

「えぇ……」


 問題ありまくりなんだが。

 俺の聖域から出て行ってくれないか。


 つーか書道部にも俺にも用が無いってんなら、何しに来たんだよ。

 今ごろ友達がお前の事探してるんじゃねーのか?


 いや、待てよ。


 こいつまさか逃げて来たのか?

 例の話で追及されるのが面倒くさくて人が居ないところを探していたのかもしれん。

 だがこの学校では使われていない部屋には必ず鍵がかかっている。

 逆に言うと鍵が開いている部屋には必ず人がいるってことだ。


 その中で自分が入っても騒ぎにならず黙らせられる相手と言えば、ギャル女子に頭があがらない陰キャ男子。その陰キャ男子がいそうな文化部棟の中で、陰キャ一人だけの部活を探して見事に俺がヒットしたというわけだ。俺は陰キャじゃねーっつーの。


 あまりにも俺を馬鹿にした話だ。

 と思わなくも無いが、学校中で噂されているこいつも精神的に辛いに違いない。

 多少の暴走くらいは見逃してやるってのが男ってもんだろう。


 それに本当にこいつは静かに自分の世界に入っているみたいだし、俺の邪魔をしないのなら今日くらいは居させてやっても良い。見た目は可愛いんだ、黙って座っていてくれるなら場代は鑑賞代で差し引きゼロにしてやるよ。


 とはいえ、同室に可愛い女子がいるというのは集中しようにも気になるものだ。

 目を閉じて瞑想していても彼女の存在を考えてしまう。


 雑念が入る時は手を動かすのが良い。

 これまでも集中できない時などには文字を書いていたものだ。


 筆を取り、先端を墨につけ、パッと思いついた単語を紙に書く。


『蜜柑』

 

 蜜の字の密集具合が難しくて蜜だけでかくなってしまった。

 まぁお遊びで書いているのだから別に良いか。


「ぷっ……ぷぷっ……」


 書き終えて一息ついていたら背後から笑い声のようなものが聞こえて来た。

 岡田さんがスマホで漫画でも読んでいるかと思って振り返ったら、彼女は俺の方を見ていた。


「あはははは! なにそれ、超下手じゃん! 書道部なのに下手すぎ!」

「なっ……!」

「しかも蜜柑って! 冬でも無いのに! 意味分かんない!」


 こ、こいつ腹抱えて爆笑してやがる。


「うるさいな。岡田さんには関係ないだろ」


 割とマジでイラっとしたのでついに丁寧な対応ではなくなってしまったが、彼女は全く気にしていないようだった。


「も~このくらいで怒んないでよ。それより撮って良い? 良いよね」

「待て待て待て待て。撮るな何に使う気だ」

「んなのまなのインスタにあげるに決まってるっしょ。書道部なのにこんなに下手だなんて絶対バズるし」

「止めろ!」


 そしてそろそろ一人称を統一しろ。

 つかみどころが無くて話し辛いんだよ。


「え~別に良いじゃん。人気者だよ?」

「ネットのオモチャの間違いだろうが!」

「キャハハ、そかもね。んじゃ撮るよ~」

「だからダメだって言ってんだろ!」


 こいつ無理矢理俺をどかして撮ろうとしてきやがる。

 めっちゃ接近して来て良い香りがするのに堪能する余裕が無いぞチクショウ。

 このままだとマジでネットのオモチャにされちまう。


 そうだ、良い事思いついた。


「せめて完成させてからにしろって!」

「完成? まだ書き終わってないの?」

「そうそう。ちょっと待ってろ」


 俺は細い筆を手に取り、半紙の左に最後のピースを付け足した。


『岡田愛海』


 署名は必要だよね。


「あ~ひっど~い!」

「ほらよ。これで撮って良いぜ」


 これならインスタにアップしても自分の字だと紹介せざるを得ないだろう。

 果たしてそんな屈辱的なことが出来るかな?


「まぁいっか」

「え?」


 あ、あれ。

 こいつ何も気にせず撮りやがった。


 どういうことだ。


「篠宮クン、世の中には加工って技術があるのですよ」

「ぬおおおお! マジで止めろよ! 本当に止めろよ!」

「名前を消すだけじゃなくてちゃんと書き換えてあげるからね」

「俺が悪かったので止めて下さいお願いします」


 なんて屈辱だ。

 いつも通りに文字を書いただけなのに辱められるだなんて。


「ふっふ~ん。どうしよっかな~」

「くっ……土下座でもしろって言うのか……」

「それも面白そうだけど~」


 まさか貢げとか言うんじゃないだろうな。

 高い化粧品とか強請られるのか。

 マジで勘弁してくれ!


「それじゃこれからもあの席用意しといてね」

「は?」


 明日からも?

 あの席?


「んじゃそろそろ帰るから。バイバイ、明日からもよろしくね。し・の・み・や・くん」


 そう言うと岡田さんはフリーズする俺を放置してさっさと部屋から出て行った。


「はああああああああ!?」


 あいつまた明日も来るのかよ!

 それどころか明日から(・・)って言ってたから入り浸る気か!?


 まさか例の噂が下火になるまでここに避難してようってつもりじゃないだろうな。


「俺の……聖域が……」


 どうしてこうなった。

 あまりの悲劇に膝が崩れ落ちそうになる。


 だがそれは俺が本心から目を背けるための誤魔化しだったのかもしれない。

 だってあれほどに酷い扱いをされたのにこう思ってしまったから。


 なんだよ、可愛いじゃないか。


 悲しそうな雰囲気なんてどこに行ったのか。

 俺を揶揄って笑う岡田さんの笑顔は間違いなく心からのもので、不覚にもドキドキさせられてしまったのだ。


 そしてその岡田さんと明日からも二人っきりの時間があると思うとワクワクする気持ちも確かにあったのだ。


――――――――


「んでさ~きょっぴ~ったら酷いんだよ」


 岡田さんの来襲から一か月。

 『岡田さん好きな人を振った事件』の噂はすでに鳴りを潜め、語られることがほとんど無くなった。元々岡田さんは恋愛対象が移ろいやすくて誰かと付き合ってもすぐに別れてしまうことで有名だったので、今回もその類だと思われているのだろう。


 もう身を隠す必要など無い。


 にもかかわらず彼女は放課後になるとかなりの確率で書道部に顔を出していた。


「あたしがジュピターのネイルセット欲しいって知ってるくせに見せびらかして来るんだよ。酷いと思わない?」


 メイクをしながら質問を投げかけて来るけれど、決して俺の答えが欲しい訳では無い。

 仮に答えたとしてもスルーされるのがオチなので、ただの独り言だとでも思っておくのが精神的に吉である。


(さかき)さんも用意してくれるって言ってたのに忘れてるんだよ。ほんっと信じらんない」


 なお、きょっぴーとは岡田さんの友達のことで、榊さんとは読モの雑誌の編集者さんらしい。

 散々独り言を聞かされ続けたから覚えてしまった。


 煩い。

 めちゃくちゃ煩い。


 気にするなと言っているくせに存在をアピールするの止めてもらえませんか。

 和気藹々と可愛い女の子と会話が出来るならまだしも、人形扱いされるのは虚しすぎる。


 かといって完全に無視するかと言われるとそうでもないのがまた厄介なんだ。


「ねぇ篠宮くん。今日は書かないの?」


 どうやら彼女が『篠宮くん』と俺の名字を呼んで話しかけた時は、回答を求めている時らしい。その時にスルーすると盛大に罵倒される。


 そして話かけてくる時は大抵決まっている。

 俺が手を動かさずに人形役に徹していると、文字を書けと急かして来るんだ。


「書かない」

「え~書こうよ」

「どうせまた撮るんだろ」

「もち、へたっぴ書道部シリーズ大人気なんだよ。あたしのフォロワーさんのためにもネタぷりーず」

「だから書きたくないんだよ!」


 結局こいつは俺が書いた奴をインスタにアップしたらしい。

 恥ずかしいから反応見たくなくて俺は確認してないが、大人気っつったってどうせ馬鹿にされてるだけだろう。


「んじゃリクエスト『薔薇』」

「だから書かないって言ってるだろ! つーか難しい字を選択するんじゃねえ!」

「え~書けないの?」

「書けねーよ! むしろ書ける奴の方が少ないだろ!」

「キャハハ、そだね~」


 ぐっ……こいつ何故か書道の話になると距離を縮めてきやがる。

 俺が赤くなる反応見て絶対分かってて揶揄ってるだろ。


「ぬふふ。観念して書いちゃいなよ。『好き』とかさ」

「誰が書くか!」


 俺は話しかけられただけで好きになっちゃうようなチョロい男子じゃないんだ。

 岡田さんのことを可愛いとは思っているが、それよりも出て行って欲しい気持ちの方が上なんだよ。


「あれあれ? 意識してるのかな~?」

「ほんっとうぜぇ。書くからどっかいってくれ」


 結局こうして書いてしまう俺は甘いのだろうか。

 それとも書くまで離れてくれないのが恥ずかしいだなんてヘタレなのだろうか。


 思いついた文字をさっと書いて岡田さんに渡した。


「あんがと。これなんて読むの?」

「マジか。小学生で習う漢字だぞ」

「むっ。度忘れしただけだし、あたし馬鹿じゃないし」


 確かに赤点で補習なんて姿は見たこと無いな。

 かといって上位でも無さそうだが。


「さっさと教えてよ」

「心が太いでそのまま『しんた』だ。精神的に強い人のことを指す」

「あ~そうだったそうだった。『しんた』だったね」


 くっくっくっ。

 岡田さんもインスタで恥をかくが良い。


 普段辱められている仕返しだ。


「そだ。せっかくだから篠宮君も写ろうよ」

「ちょっ、何してんの!?」

「何って自撮り?」


 いきなり岡田さんに肩を引き寄せられたかと思ったらスマホで強制自撮りさせられそうになった。

 顔が……顔が近い!

 ギャルって男相手にこんなこと平気で出来んの!?


「はい撮るよ~」

「え、あ、ちょっ」


 カシャっ


 動揺している間に撮られてしまった。


「ぷっ……なにこの顔!」

「って待て待て待て待て! まさかこれもインスタに載せる気じゃないだろうな!」

「そだよ」

「ばっっっっっかじゃねーの! それやったらマジで怒るからな!」

「え~良いじゃん。有名になろうよ~」

「なりたくない! 絶対に止めろ!」


 顔写真載せるとか洒落にならない。


「な~んて冗談。流石にそれは犯罪っしょ」

「ビビらせんなよ……」


 あれ、じゃあなんでこいつ俺とツーショット写真なんか撮ったんだ?


「篠宮くんがOKしてくれればアップしたんだけどな~」

「はぁ!?」

「それなら問題ないっしょ」


 OKするわけが無いだろうが。

 マジで何を考えてるんだよ。


「そもそも人気読モが男の写真なんかアップして良いのかよ。写真どころか匂わせだって炎上するんじゃねーのか?」

「キャハハ、ないない。あたし別にアイドル路線じゃないし。彼氏ネタたくさん投稿してるし女子達に人気なんだよ」

「マジか……」


 そんな世界もあるのか。

 でも思えば読モなんて女性に人気がある仕事なんだから、そういうキャラの人がいても不思議じゃないか。むしろ共感されるという意味で人気がありそう。


「だからかれぴの写真アップしたら喜ぶと思うんだよね~」

「は?彼氏?」

「そそ」

「誰の事だ?」

「きみ」

「……はああああああああ!?」


 俺が岡田さんの彼氏!?

 いつの間にそんなことになってたんだ!?


 まさかだから毎日ここに通ってたのか!?

 でもだったらなんで教室では話しかけてこないんだ!?


 え?え?


「キャハハ! その顔マジ笑える! インスタの中での話だって」

「……?」

「だ~か~ら~。あたしがへたっぴ書道部の写真をアップするじゃない。男かって聞かれるじゃない。面白いからそうだよって答えるじゃない。そうするとあら不思議、いつの間にかかれぴになってました、と」

「おいいいいいいいい!」


 完全に作り話じゃねーか!

 面白いからじゃねーよ、何やってんだよ!


「だいじょ~ぶ。誰も真偽なんて気にしないって。女子なんてとにかく恋愛に結び付けられればそれで満足なんだから」

「だ、だが俺の写真なんか載せたら」

「あ……確定になっちゃうか」

「ダメじゃねーか!」


 こいつのインスタなんてこの学校の奴らも見てるんだろ。

 俺とのツーショット写真なんか載った日には大騒ぎどころじゃねーよ!


 あれ、でもそれなら書道部の誰かと一緒にいるってもう学校中にバレてるはずだよな。

 どうして誰も俺に何も言って来ないのだろうか。


「う~ん、今回は止めとく。せっかく書いてもらった『しんた』が隠れちゃって全然見えてないしね。キャハ、マジ意味な~い」

「お、おう」

「てなわけで、今日はもう帰るね。ばいば~い」

「お、おう」


 俺はふって湧いた疑問が気になり岡田さんの様子をしっかりと確認出来なかったが、最後にチラっと見えた横顔がほんのり赤かったような気がするのは気のせいだったのだろうか。


 まさかね。


――――――――


 岡田さんとの謎の放課後交流が始まってから二か月が経過しようかという時。


 それは突然やって来た。


「はぁ~だるい~撮影めんどい~」


 岡田さんは日に日にだらけるようになり、センスあふれるギャルからやる気の無い雑ギャルへと退化し始めていた。

 制服を大きく着崩すのは目の毒だから止めてもらいたい。インナーを着ているからブラが見えないとはいえシャツのボタンを多く外すのはありがとうございます、ではなく本当に困る。

 俺に気を許してくれている、と考えるのは自惚れだろうか。


 だとしても時々だけれど先生が来るの知ってるよな。

 あの時は先生が盛大に誤解して、この状況を納得してもらうのが大変だった。


 外ではイけてる女子でありたいなら、ここでも油断してはダメだろう。

 油断している時に限って予想外のことが起こるものだから。


 ガラッ。


 ほらな。


「あ~いたいた!」

「いっつも放課後になるとどこかに消えると思ったら、こんなところにいたんだ」

「愛海書道部に入ったの?」


 クラスの女子友が突然来訪して来たのだ。


「え、え」


 慌てて一秒で身だしなみを整えたのは見事としか言いようが無いが、どうしてそんなに焦ってるんだ。まさか友達に何も言わずにここに来てたのか。


「あれ、男子?」

「篠宮くんじゃん」

「え、二人っきり? まさか!」

「ち、違う違う! そういうんじゃないんだって!」


 めっちゃ全力で否定されました。

 割と仲良くなってきたかなと思っていたのに悲しい。


「ふ~ん、そっか~」

「愛海と篠宮くんがね~」

「お邪魔だったかな?」

「だ~か~ら~、違うんだって! 避難所に利用させてもらってるだけなの」


 その設定まだ生きてたんだ。

 女子達は信じてないようでニマニマしているが、敢えて追求しない方針にしたらしい。


「んじゃあたしたちも少し駄弁ってこうか」

「さんせ~い」

「机持って来よ」

「え?」


 マジかよ。

 ただでさえ岡田さんだけでも煩かったのに、三人も増えたらさらに酷いことになるぞ。

 女三人で姦しいと書くなら四人になったら災害になるのではないだろうか。


「でさー……」

「マジぃ……」

「きも……」

「そだね……」


 あれ、案外平気だぞ。

 教室で話をしているのと同じような感じだし、四人で会話が完結しているから気にならないのかもしれない。


 煩いには変わりないけれど、運動部の掛け声と同じBGMだとでも思えば気にならな……


 ガコッ。


「ちょっと邪魔」


 訂正。

 やっぱりうぜぇ。


 部屋が狭いから三人も増えると俺との距離が近くて椅子が当たってしまう。

 当然男に厳しいギャル達は自分達が部外者であっても俺が悪いと主張して来る。


 仕方ない、あっちに行くか。


 書道部の部屋には畳になっている場所が一部あって、書初めのように床に座って書く時に使う。

 そこなら机を移動できないから広々と使えるし文句を言われることも無いだろう。


 そう思っていたのに。


「ちょっ、下手すぎでしょ!」

「ちょび?」


 彼女達から見えないように背を向けて書いていたのに、岡田さんの友達の一人、ちょびさんがわざわざ覗き込んで来てディスって来やがった。


「え、これでマジで書道部なん? ありえないっしょ!」

「余計なお世話だ」


 最初の頃の岡田さんみたいなこと言いやがって。

 いや、岡田さんは今でもディスって来るか。


「何々どったの?」

「そいつがどしたん?」

「見てよこれ。超下手でマジウケルんだけど」

「うっわ。ほんとだ」

「下手すぎてきもい」


 ガチでディスるの止めてもらえませんか。

 分かってても凹むからさ。


「これなら私の方が遥かに上手いし」

「え?」


 ちょびさんが俺より字が上手いだと。

 どうせギャル文字ってオチだろ。


「何その目、疑ってんの?」


 ちょびさんはそう言うと靴を脱いで畳に上がって来た。

 そしてしゃがむと置いてあった筆を手に取った。


「そもそもあんた持ち方が変なのよ。正しくはこう持つの」

「そういやちょびって書道やってたんだっけ」

「中学までだけどね」


 経験者でしたか。

 そりゃあ勝てないわ。


「ブランクあるから下手にはなってるけど、これには負けないね」

「ぐっ……」


 そう堂々と言われると悔しい。

 悔しいが、今の俺はそれどころではなかった。


 俺の近くまで来てしゃがんだちょびさんの胸部装甲が凄まじく、特に筆を取る時に前かがみになって激しく揺れてしまった。そのたゆんたゆんが脳裏から離れず正気ではいられなかったのだ。


「なんならあたしが少し教えてあげようか?」

「え?」

「え?」


 疑問の声をあげたのは俺と……もう一人は誰だろう。

 動揺してて良く分からなかった。


「それとも篠宮君は、別のことを教えてもらいたいのかな?」


 はい、バレてま~す。

 視線をそっちにやらないように気を付けていたのに!


 さては筆を取ろうとした時点で俺を揶揄うためにわざとやりやがったな。

 ありがとうございます。


「篠宮くんが興味あるなら少しくらいならいいよ」

「え?」

「私、君みたいな初心な子を味見するのが好きなんだ」

「またちょびの悪い癖が出た」

「悪女の顔してる」


 友達の反応的にマジなヤツですかこれ。

 俺、味見されちゃうんですか。


 そう言われると見まいとしていた胸にまた視線が吸い寄せられてごくりと生唾を飲んでしまう。


「そ、そうだ! 榊さんから限定コスメの試供品をくれるって連絡来たんだけど皆も欲しい?」

「欲しい!」

「もち」

「むしろくれなかったら呪う」


 突然岡田さんが叫び出したことで、妙な空気が霧散した。

 ちょびさんもさっきまでの小悪魔的な雰囲気は消えて、俺から離れてしまった。


「お店に行けばくれるんだって。今からなら間に合うから行こうよ!」

「行く行く」

「もち」

「むしろ行かない理由がない」


 そして彼女達はあっさりと部屋を出て一人取り残されてしまう。


 まるで嵐のような出来事に呆然としながらも、俺はさっきまでのドキドキが治まらず揺れる胸が脳裏から消えてくれなかった。


 ガラッ


 などと悶々としていたら、開くはずの無い扉がまた開いた。

 誰かが戻ってきたのかなと思いそちらを見ると、岡田さんが鬼のような形相をした顔だけを覗かせた。


「篠宮君のエロ大魔人!」

「え?」


 彼女はそれだけを叫ぶと今度こそ帰った。


「なんだよエロ大魔人って……」


 変なディスり方だなと苦笑していたら、不思議と先程までのエロエロな気持ちは解消されていた。

 でもその代わりに少し胸が痛いのは何故だろうか。


――――――――


 『岡田さんの友達にムラムラした事件』の影響で、岡田さんは俺に愛想をつかしもう書道部の部室に来ることは無くなった。


 なんてことはなく、翌日からも普通にやってきた。


 来るなら来るで彼女の友達も一緒かと思ったがそんなこともなく、かといって彼女の様子がいつもと違うなんてことも無かった。


 元通りならそれはそれで良いのだけれど、しっくりこなくて奇妙な感じだ。


「でさー、読モ友達が変な男に付きまとわれてるらしくってさ、ホントアイドル売りしなくて良かったよ」


 今日も今日とてスマホを弄りながら愚痴を漏らす岡田さんを背に、俺はもやもやとした気持ちを振り払うかのように筆を手に取った。


「篠宮くん、せっかくだからあっちで書きなって」

「は?」


 いつもは書かない俺を急かすか書き終わった俺をディスるかの二択だったのに、今日に限っては書こうとした直前に声をかけて来た。後ろを振り返ると岡田さんは畳の間の方を指差していた。


 床で書けということなのだろうか。

 昨日のことを思い出すから敢えてそっちは見ないようにしていたのに。


「それともエロ大魔神はちょびの胸を思い出して書けないかな?」

「そんなんじゃねーし」


 昨日の事はスルーするんじゃなかったのかよ。

 もしかしたら弄るタイミングを見計らっていたのかもしれない。


 このまま言われ続けるのも癪なので、挑発に乗って書いてやることにした。


 机の上の書道用具を片付け、畳の上に一式をセットする。


 さて、何を書こうか。

 セットした紙は書初めと同じサイズのものなので普段半紙に書いているものよりも文字数が多い。


 『愛してる』などと書けば動揺させられるかもとも思ったが恥ずかしいし逆に弄られる未来しか見えないので止めておこう。

 かといって『焼肉定食』などと微妙なボケをしたら素でドン引きされそうだ。


 ここは適当な四文字熟語でお茶を濁すとしよう。


 『才色兼備』


 岡田さんとは無縁の言葉だ。

 特に才のところが。


「ぷっ……やっぱり下手すぎ」

「うっせ」

「これならあたしの方が上手いって」

「はぁ?」


 なんだこいつ。

 これまでそんなこと言って来なかったのに。


 つーか『そんなに侮辱するならお前も書いてみろよ』くらいの反論はしたことあるが『あたし書道部じゃないし』って躱されてた。


 てっきり字が下手だから挑発に乗らなかったのかと思っていたが、違ったのか。


「あたしって『才色兼備』だから字だって綺麗なの」

「はっ」

「ちょっとなにそれ。ムカつくんですけど」


 ありえないことを主張するもんだから、思わず鼻で笑ってしまったぜ。


「分かった。あたしの実力を見せてあげる。ちょっとどいて」

「え?」


 岡田さんは靴を脱いで畳の間にあがってきて、俺を追い出して新たな紙をセットした。

 マジで書くつもりなのか。


「位置は……このくらいかな。う~んこっちかな」


 おいおいおいおい。

 まてまてまてまて。


 勘違いしてはならない。

 俺は書道に対して決してやましい気持ちなんて抱いたことは無い。

 まだ先輩がいたころ、女性の先輩がいて畳の間で書いている姿を見たことはあるけれど、その姿に何かを感じたことは無いと断じて誓おう。


 しかし岡田さんは書くポジションを調整すると言いながら膝立ちで前かがみになりながら体を左右に揺らしている。


 つまりだ。

 ボタンを外して解放された胸と尻が揺れているんだ。


 これ絶対わざとだよな。

 俺を揶揄ってるんだよな。


 真面目に書道やってる人に謝れ!


 岡田さんってちょびさん程じゃないが中々の胸部装甲だな……ごくり。


「あっ」


 気付いたら岡田さんが俺の方をジト目で見ていた。

 ありがとうございます。


「やっぱりエロ大魔神じゃん」

「嵌められた!」

「嵌めるとかやっぱりエロすぎ」

「こいつ……」


 やっぱりわざとだったのか。

 揶揄うにしてもやり方が酷い。


 というか男と二人っきりの部屋でこういう揶揄い方して危険だと思わないのだろうか。

 俺が手を出せないと思ってるのだろうが、俺はれっきとした肉食系だってことを証明してやろうか(できない)。


「んじゃエロ大魔神にこれ以上エロエロなことされる前に書いちゃお~っと」

「何もしてねーし!」


 見せつけてきたやつを見ただけで俺は何も悪くない。

 というか書くには書くのね。


 あれ、岡田さんの耳が少し赤いような……


「出来た!」


 とても大事なことに気が付きそうな瞬間、岡田さんが書き終えた。

 岡田さんの『才色兼備』は、なんというか、独特だった。


「ほら、あたしの方が上手いっしょ」

「いや俺の方が上手いだろ。何だよその丸文字」

「こっちの方が可愛いじゃん。だからあたしの方が上手いの」

「俺の方がお手本に近いだろうが」

「ぷっ……どこが?」

「てめぇ!」


 はいはいそーですよ。

 俺の字は汚すぎてお手本に近くなんてないですよ。


 チクショウ!


「じゃあ罰ゲームね」

「はぁ!? そんな話聞いてないぞ!」

「今言ったもん。罰ゲームはやっぱりこれっしょ」

「ば、馬鹿! 止めろ!」

「ちょっ、動かないで。書けないでしょ」

「だから止めろって言ってるだろ!」


 筆で頬に墨汁をつけようとするな。

 正月の羽根つきじゃねーんだぞ。


 そんなの漫画でしか見た事ねーけどな!


「ほらほら観念しなさ~い」

「く、来るなって」


 悪戯笑いをする岡田さんの顔と体が迫って来てドキドキするから本当にやめてくれ。

 それに墨汁をつけた筆を手に移動なんかしたら……あ!


「動かないで!」

「え?」


 恐れていたことが起きてしまった。

 俺は慌てて岡田さんに近寄ると、手に握った筆を優しくかつ素早く回収した。


「ひゃっ、何!?何々!?」

「ちょっとそこで待ってろ!」


 慌てて部室備え付けのティッシュを何枚か取り、岡田さんに差し出した。


「ほらこれ」

「だからなんなの!?」

「シャツに墨汁が垂れちゃってるんだって」

「え?」


 筆を振り回したりなんかするから、垂れた墨が岡田さんのシャツについてしまったんだ。


「墨汁のシミは落ちにくいから、応急処置をして早く家で染み抜きをしなきゃダメなんだって。ほら早くこのティッシュで上から抑えつけて。ゴシゴシすると広がるからダメだぞ。あくまでも水分を吸い取る感じで押さえつけるんだ」

「う、うん」


 う、うん、じゃないよ。

 分かったなら早くやってくれ。


 対応は早ければ早い程良いんだからさ。

 本当は慣れてる俺がやるのが良いのだろうが、女子のシャツに触れるなんて許されるわけが無い


 ましてや、お山の登頂部付近だなんて見るだけでも咎められる場所だ。


 岡田さんは俺の突然の行動に驚いていたが、ようやく瞳に理解の色が浮かんだ。

 これで言う通りにやってくれるだろうから、俺は後ろを向いていよう。


 そう思っていたら岡田さんが爆弾発言をしやがった。


「篠宮くんがやってくれないかな」

「はぁ!? 出来る訳ないだろ!」

「でもでも、応急処置に慣れてる篠宮くんにやってもらった方が良いし~」

「ぐっ……お前なぁ!」


 俺を弄ってなんかいないでさっさと応急処置をしろよ。

 そう叫びたかったのだが、とてつもないことに気がついてフリーズしてしまった。




 岡田さんの顔が真っ赤になっていたのだ。




 どういうことだ。

 その反応は、まるで俺の事を異性として意識しているみたいではないか。


「…………」

「…………」


 しかも追撃の弄りが来ないし、気まずくてどうしたら良いか分からない。

 岡田さんと二人っきりの部室は妙な沈黙に支配され、俺達は座ったままお互いを見つめたり目を逸らしたりする。


 野球部の威勢の良い掛け声がどこか遠くに消え、世界に俺と岡田さんの二人しかいないのではと思える程の静寂を感じ始めたその時。


 プオオオオオオオオオ!


 吹奏楽部の爆音が響いて来て、俺と岡田さんは正気に戻った。


「あ、その、抑えつければ良いんだっけ?」

「お、おう。絶対こするなよ」


 岡田さんはティッシュを受け取り、慌てて墨汁が垂れた場所を抑えだした。

 そこを見ている訳にもいかないので後ろを振り返ろうとしたのだが。


「待って」

「え?」

「み、見て良いから」

「はぁ!?」

「だ、だってあたし正しいやり方か分からないし。間違ってたら指摘してよ」

「……いいのか?」

「いいって言ってるでしょ! このエロ大魔神!」

「その呼び方は止めろって」

「さっきから発情しまくりの猿が何言ってんの」

「こいつ……」


 どうやらいつも通りの俺達に戻ったようで、ほっとしたような残念なような。

 もしもさっき吹奏楽部のインターセプトが無かったら俺達はどうなっていたのだろうか。


「じゃああたし、さっさと帰って染み抜きすっから」


 いつものように写真を撮る事すら忘れ、慌てて逃げるように部室を出た岡田さんの後ろ姿を見ながら俺は思う。


 俺って岡田さんのことを……

 そして勘違いで無ければ岡田さんも……


 何かが変わる日は近い。

 なんとなくだけれど、そう思った。


――――――――


 岡田さんは毎日部室にやってくるわけではなく、読モの仕事が入っている時には来ない。

 今日はその日なので、俺は部室に一人きり。


「はぁ……」


 念願の一人の時間。

 それなのにどうしてか寂しく感じる。

 岡田さんの独り言が無いとつまらない。


 下手だ下手だと笑顔で罵倒されて、それに怒って、さらに弄られて。

 その日常が俺の中でいつの間にか大切なものになっていたようだ。


「告白、すべきだよな」


 どうして岡田さんが俺なんかを意識してくれているのかは分からない。

 でもそれは距離を縮めない理由にはならないし、何よりももっと岡田さんのことを知りたいと思っている自分がいる。


「問題はするとして、どうやるかだよな」


 ギャルはどんな告白を喜ぶ生き物なのだろうか。


 ロマンティックなシチュエーションなのか、それとも自然な流れでさりげなくなのか、あるいは強引に迫ってキスしてしまうなんてのもありなのか。

 なんとなくだが、ウジウジと後ろ向きに悩んではっきりしないことだけはNGな気がする。


「よし、思い立ったら吉日だ。近いうちにやろう」


 明日、と言えないところがヘタレかもしれないと思わなくも無いが、心の準備くらいさせてくれ。

 でも具体的な日付を決めないとズルズル先延ばしにしてしまいそうだからそこは決めてしまおう。

 だとするといつが良いだろうか、そもそも場所は……


 ガラッ


 などと楽しくてドキドキする思考を満喫していたら、部室の扉が開かれた。


 どうしてこの部室に入って来る人は誰もノックしないのだろうか。


 扉から入って来たのは、顧問の先生でもなく、岡田さんでもなく、岡田さんの友達でも無く、見ず知らずの男子生徒だった。


「何か御用ですか?」


 同じ男として嫉妬するくらいイケメンだなと思ったけれど、それだけで高圧的に対応するのは器が小さすぎるので、普通に対応した。


「失礼。ここが書道部で間違いないかな?」

「はい」


 入り口にそう書いてあったでしょ。


「となると、君が書道部で唯一活動している男子生徒で間違いないだろうか」

「はぁ、そうですけど」


 俺に用事があるのか。

 まさか書道部への依頼じゃないよな。


 岡田さんに散々言われているように、俺の字は壊滅的に下手だから何かを書いてと言われても困るのだが。


「君に一つ聞きたい。岡田愛海がここに毎日来て君とコミュニケーションを取っているというのは本当かい?」

「…………」

「どうやらその反応は本当のようだね」


 爽やかイケメンの目の奥が怪しく光ったのを俺は見逃さなかった。

 こいつの狙いは俺じゃなくて岡田さんか。


「あの、何言ってるのか良く分からないのですが。勘違いじゃないですか。用が無いなら帰って下さい」


 嫌な予感がしたので、しらばっくれてまともに対応しないことにした。

 しかしその男は諦めてはくれなかった。


「ああ帰るとも、君がお願いを聞いてくれたなら今すぐにもね」

「はぁ?」


 岡田さんに会いに来たわけじゃなくてやっぱり俺に用があったのか。

 でもそれならどうして岡田さんの名前を出したんだ。

 意味が分からない。


「岡田愛海に近づかないでもらおうか」


 ああ、そういうことか。


 こいつは岡田さんを狙っているんだ。

 そして何処からか岡田さんがここに来ていることを知り、俺との関係を邪推して牽制しに来たと。


「だからそう言われても意味が分からないんですって」


 こういうのはとぼけたもん勝ちだ。

 徹底して知らん振りをしてしまえ。


「そうとぼけたい気持ちも分からなくはないが、これは彼女のためでもあるんだよ」

「はぁ……」


 そう言えば俺が反応するとでも思ったのか。

 残念ながらその企みには乗ってやらない。


「君のせいで彼女が幸せになれないんだ。そこのところ分かってるのか?」

「っ!」


 しかし流石にこうまで言われて黙っているわけにはいかなかった。


 俺のせいで岡田さんが幸せになれないだと。

 お前に何が分かるって言うんだ。

 少なくとも俺の前では彼女は笑顔を見せてくれている。


 見当違いにも程がある。


「そうそう、自己紹介がまだだったね。俺は海堂(かいどう) 拓哉(たくや)だ」


 この流れで突然自己紹介だと。

 何を考えてやがる。


 いやまて。

 海堂だと。


 どこかで聞いたことがあるような……


『え~、愛海(まなみ)ったら海堂(かいどう)君を振っちゃったの!?』

『好きって言ってたのに!』

『信じられない!』


 そうだ。

 岡田さんが好きだった男の名前。


 それが海堂。

 それがこいつなのか。


「どうやら俺の事を知ってくれているらしいね。それなら話が早い」


 くそ、勝手にこっちの心を読むんじゃねぇ。


「岡田愛海は俺のことが好きなんだ。俺と付き合う事こそが彼女の幸せ。それを横から入って来たお前が邪魔している。そのことを分かっているのか?」


 意義あり!

 俺が横から入って来たどころか、岡田さんの方から体当たりして来たんだぞ。

 

 そんなことを言ってもこいつは信じないだろうから、もう一つの事実を突きつけてやる。


「何のことかさっぱりです。でもそういえばクラスの女子が噂してましたよ。岡田さんが海堂って人を振ったとかなんとか。それってもしかしてあなたのことじゃないですか。だとすると彼女があなたを好きってのも勘違いでしょう」


 どうだ。

 全く反論の余地のない完璧な理屈だろう。


 だが海堂は全く動揺しなかった。


「君は何も分かってないね」


 それどころか露骨に侮辱する顔になり見下してきやがった。


「女性の気持ちというのは複雑なんだよ。好きな男性から告白されたとしても、どれくらい好きなのかを知りたくてつい振ってしまう。諦めずに何度も告白して来るくらいに好きであって欲しいと願ってしまう。岡田愛海は俺の事が好きすぎるがゆえに一度振ったのさ」


 え、なにこいつ、きもい。

 何でも都合良く受け取る悪質なファンじゃねえか。

 将来間違いなくストーカーになるぞ。


「ふむ、どうやら納得いかないとの表情だな。それならこれでどうかな」


 もうさっさと帰ってくれませんか。

 こいつと話をしていると頭が痛くなってきそうだ。




「こんなところで一人寂しく自分を慰めているような男が、彼女に相応しいと本気で思っているのかい?」

「!」




 それは俺が心のどこかで思っていた不安だった。


 陽の光の下で輝く彼女と、陰キャでは無いなどと思いながら小さな部屋で寂しく一人の時間を堪能している男。性格も性質も全く異なる俺達がこうして一緒にいることがすでに奇跡なのだ。


 彼女が心から楽しく高校生活を共に過ごせる相手に、俺はなれるのだろうか。


 この男は唐突に俺の心の弱さをついてきやがった。

 なんてムカつく野郎だ。


「彼女の些細な戯れに本気になるのは、君のような弱者には仕方ない事かも知れないが、現実をしっかりと受け止めるべきだ。それで本当に彼女が幸せになるのかをね」


 些細な戯れだと。

 あの笑顔は俺にだけ見せる特別な物ではなく、揶揄いであり暇つぶしであるとでも言うのか。


 というかそもそも初対面の相手を弱者とか言うんじゃねーよクソが。


「ということで、今後は岡田愛海に近づかないように。なぁに安心しろ。俺がちゃんと幸せにしてやるからさ」


 俺が苦々しい顔をしているのを『効いた』とでも思ったのか、海堂は勝ち誇った顔でようやく去った。


 くっくっくっ。


 悪いが演技だよ。


 確かに海堂に言われた『俺が岡田さんに相応しいか問題』は俺の心に少なからずダメージを与えた。俺が今後岡田さんに遠慮して距離を取ろうとしてしまい、それに気付いた岡田さんが怒って仲が悪くなる、的なテンプレ展開を海堂は狙っていたのかもしれない。


 だが俺はそうはならない。


 何故ならば岡田さん的に『ウジウジと後ろ向きに悩んではっきりしないことだけはNG』だろうと考えていたところだからだ。


 自信が無かろうが、相応しくなかろうが、彼女が嫌がるのならばやらない。


 だって俺は岡田さんのことが好きだから。


 好きな人が嫌がることはやりたくない。


 それに、だ。

 百歩譲って俺が岡田さんに相応しくない相手だとしても、海堂は俺なんかよりも遥かに相応しくない。いや、世の中全ての女性に相応しくないわ。

 そんな相手の言う事なんか聞くわけが無いだろう。


 俺は絶対に後ろ向きにはならない。

 その決意の証として、すでに聞こえないところまで移動してしまったであろう海堂の背中に向けて宣言する。


「フルネームで呼ぶのがキモイんだよ。クソが」


――――――――


「お、トイレか? 俺も俺も」


 相変らず俺と一緒に連れションしたがる寒川について最近気づいたことがある。

 学校だと絶対一人でトイレにいかず、自分が行きたくても誰かが行くのを待ってやがるんだ。


 こいつの連れションへの情熱はなんなんだ。

 まさか高校生にもなって一人で行くのが怖いわけじゃなかろうな。


「ふぃ~スッキリした」


 今日もまた、わざわざ口にしなくても良い感想を漏らしながら先にトイレから出た俺の隣に並び歩こうとする。こいつ我慢してたのかいつも長いんだよな。 


「そういや寒川。海堂って奴知ってるか?」

「はぁ?」

「その反応は知らないのか」

「いやいやそうじゃねえって。むしろお前が当たり前のこと聞いて来たから変に思ったんだよ」


 つまりそれだけ有名人で知っているのが当たり前ってことか。


「四組のイケメン野郎だろ。そいつがどうかしたか?」

「いや、前に岡田さんに振られたとかって話があっただろ。あれってどうなったのかなって突然思い出しただけだ」

「あ~そんなこともあったな」


 完全に忘れ去られてるじゃねーか。

 案外あいつ、岡田さんからも忘れ去られてて焦ってたのかもな。


「岡田さんはもう忘れてると思うぞ」

「そうなのか?」

「完全に興味無さそうだったからな」

「ん? なんでそんなことが分かるんだ?」


 女子達がそんな話をしてたのだろうか。


「なんでってインスタに書いてあっただろ」

「お前、岡田さんのインスタ見てるのかよ」

「当たり前だろ!? というか逆にお前見てないのか!?」

「ここしばらく見てなかった」


 嘘です、最初から見てませんでした。

 興味抱いた時にはへたっぴ書道部員のせいで見たくなくなってたし。


「変な奴。じゃあ例の振った話の時も読んでなかったのか」

「ああ」

「あの時に海堂らしき相手についてコメントしてたんだよ。改めて思い返すと好きじゃなかった。ナルシストみたいで気持ち悪い。むしろ今は別に気になる人がいるってな」


 完全に嫌われてるじゃねーか!

 いや、あの自分勝手野郎の事だから、別人のことだと思い込んでそうだな。


「つーかそれって大丈夫なのか? 特定の男子をインスタで批難したら炎上しそうなものだが」


 例えそれが匿名だったとしても、うちの学校の生徒ならタイミング的に誰のことか分かってしまうわけだし。


「あの界隈ならそのくらい平気平気。男女逆だったら燃えるけどな」

「マジか」

「それにどうやらわざと書いてるって噂もある」

「わざと?」

「岡田さんに言い寄って来る男子の中には香ばしい奴らもいてな。そいつらが妙なことをしないように、公開することで女子連中に守って貰おうってつもりらしい」

「ほ~なるほどねぇ」


 海堂、お前危険人物扱いされてるぞ。


 もし岡田さんがあの日いつも通りの気分だったら告白を受け入れて酷い目にあっていたのだろうか。案外、危機一髪だったのかもしれん。 


「でも逆上しそうな奴もいそうだな」

「だから必ず誰かと一緒に行動するようにしてるらしいぜ」

「へぇ、ちゃんと考えてるんだ」


 あれ、今の何か変じゃないか?


「ところが最近、岡田さんが一人で行動しているって噂が流れてるんだ」

「……ほう」


 違和感の正体はこれだ。

 岡田さんは書道部に来るときは一人で帰る時も一人。


 まさか結構危ない事をしてたのではないだろうか。


「インスタで書いてた気になる人とイチャイチャしてるらしいけれど、誰なんだろうな」

「イチャイチャって、どこ情報よそれ」

「だからインスタだって。恋してる様子がめっちゃ書かれてすげぇ可愛いから絶対見た方が良いぞ。相手の男には嫉妬で殺意しかないけどな!」

「…………」


 そういえば以前、インスタにへたっぴ書道部員のネタをアップしているのにどうして俺の事が学校で話題になってないのかって疑問を抱いたのを思い出した。


「な、なぁ。へたっぴ書道部員って知ってるか?」

「は? なんだよ突然。岡田さんの話か?」

「……いや、何でもない」


 岡田さんはインスタに俺の文字を投稿していなかった。

 投稿していると嘘をついていた。


 それならどうして写真をあんなに撮っていたんだ。

 どうして嘘をついていたんだ。


 そしてインスタに書いてある『イチャイチャ』。


「わりぃ寒川。ちょっと腹痛くなってきたからトイレ戻るわ」

「は!? 大丈夫か!? ついていくわ!」

「馬鹿来んな。それより先生に説明しておいてくれ」

「いやいや、一緒に行くって」

「キモいんだよ!」


 連れションはともかく連れウンはガチでキモイから止めろ。


 寒川に特定されないように敢えて遠くのトイレに駆け込んだ俺は、個室に入るとスマホを取り出した。確認するのはもちろん岡田さんのインスタだ。


「…………なんてこった」


 そこにはへたっぴ書道部員のことなど全く書かれていなかった。

 そして寒川が言う通り、気になる人とのイチャイチャの様子が書かれていた。


 気になる人に声をかけてドキドキしたこと。

 失礼なことを言ってしまい凹んだこと。

 写真が欲しかったけれど恥ずかしくて『文字』しか撮れなかったこと。

 勢いでツーショット写真を撮れた時はあまりにも嬉しくて眠れなかったこと。

 気になる人が自分の友達に興味があるようで焦ったこと。

 ちょっとしたトラブルが起きて良い雰囲気になったこと。


 いずれも身に覚えのある出来事が赤裸々に語られていた。

 好きな気持ちを全く隠すことなく気になる人を相手に一喜一憂する内面が描かれていた。


「はは、俺だってバレないようにめっちゃ気を使ってやんの」


 俺の事を特定出来ないように、かなり気を使って表現しているのが分かった。

 俺に迷惑をかけたくない気持ちが溢れている。


 岡田さんが愛おしい。

 今すぐ会いたい。

 好きだって叫びたい。


 彼女の笑顔が頭から離れない。

 俺が彼女に相応しいとかそんなことはもうどうでも良い。


 この荒れ狂うような情熱を、想いを、伝えたい。


「あれ、これって」


 熱に浮かされるように岡田さんのことで頭が一杯だった俺は、視界が定まらずぼぉっと岡田さんのインスタを眺めていた。そして偶然にもあることに気が付いたのだ。

 

「これだ!」


 この気持ちを伝えるにはこれしかない。


 幸いにも今日は岡田さんが仕事で部室に来ない日だ。

 学校帰りにアレを探しに行こう。


――――――――


 俺がとある決意をした日から一週間。


 狙いのブツが全然見つからず、放課後は部室に向かわず街中を探し続けた。

 それでも見つからなかったので土日にかなりの遠出をして日が暮れるまで探し回ってようやくゲットした。

 ここまでのレアアイテムだとは思わなかったが、どうにか期日までに手に入れることが出来て一安心。


 ただ一つ不安なことがある。

 教室で岡田さんが不機嫌そうにこっちを見ている時があること。

 俺がその視線に気付いて岡田さんの方を見ると目を逸らして素知らぬ顔をされる。


 これまで教室では俺の存在なんか全く気にしていない風だったのにどうして。

 しかも不機嫌そうだというのが気になって仕方がない。


 もしかして気付かないうちに岡田さんを怒らせてしまっていたのか。

 せっかくアレを用意できたのに、岡田さんの気持ちはすでに切れてしまっているのか。

 そんなはずはないと思いたい気持ちと、現実を受け入れろと思う気持ちがせめぎ合う。


 あまりの不安にインスタを確認してみたけれど、毎日更新を続けていた彼女がここ数日の間更新を止めていて、ファンの人達が心配している。


 気が重い。

 浮かれた気分が消えてしまった。


 果たして岡田さんは部室に来てくれるのだろうか。

 彼女の今の雰囲気から察するに、その可能性は低いかもしれない。


 こんな意味不明な展開で彼女との逢瀬が終わってしまうなんて耐えられない。


 告白する気満々だったのに。


 だからといって教室で話しかけるのはNGだ。

 これまで彼女は部室以外で俺に全く関わろうとしてこなかったので、俺との関係を公にしたくなかったのだろう。俺から話しかけるということはそれを壊す行いになってしまうからだ。


 つまり俺に出来ることはあの部室で彼女が来てくれることを祈るだけ。


「はぁ……」


 放課後、深く重い溜息をつきながら職員室へ向かい部室の鍵を受け取りに行く。


「あれ、無い?」


 しかし部室の鍵がかけられている場所は空になっていた。

 顧問の先生に聞いてみる。


「先生、部室の鍵が無いんですけど」

「いつも通り岡田さんが持って行ったぞ」

「は?」


 岡田さんがカギを持って行った?

 書道部じゃないのにどうして。


「お前が彼女に言ったんだろ。自分が遅くなる時は鍵を取りに行けって」

「……あ、あ~、そうですね。今日は俺の方が早いと思ってたけれどもう来たんだ」

「仲良くするのは良いが程々にな」

「は~い」


 とっさに状況を把握してなんとか誤魔化すことが出来た。


 恐らくは岡田さんが嘘を言って書道部の鍵を借りに来たのだろう。

 先週俺が居なかった時に彼女が部室に来て、鍵が閉まっていたから鍵を借りて中に入った。


 どうして。

 俺が来るのを待っていた?


 いやいや、そんなまさか。

 普通は鍵が閉まっていたら流石に帰るだろう。

 恐らくは俺みたいに一人になれる場所が欲しくてこんなことをしたに違いない。

 先生と面識があって部室に入り浸っているのを知られているし、俺と一緒でもいかがわしい事をしているわけではないからと緩く許可されてたしな。


 なんて鈍感に逃げるなんてもってのほか。


 彼女は俺が来なくても待ってくれていたんだ。

 俺に頼まれただなんて嘘をついてまでして、俺達の場所で待ってくれていた。


 その意味が分からない程、俺は愚かじゃない。


 だとすると彼女が不機嫌なのは、俺が来なくなったからだろうか。

 でも俺にだって用事はある。しばらく留守にする旨を書置きして入り口に張って置いた。

 仕事で来ない日がある彼女だからこそ、来れない日があることくらい彼女にも分かるはずだ。


 それなのにどうして不機嫌になるのだろうか。


 釈然とはしないが、部室に行けば明らかになるのだろう。

 そこで彼女が待っているのだから。


「ふぅ……」


 部室の前まで到着したが妙な緊張感がある。


 そういえば俺はいつも部室で誰かが来るのを迎える側だったけれど、誰かがいる部室に入るのは部員一人になってからは初めての事で不思議な感覚がする。


 ノックは……しなくて良いか。


 ガラッ


 部室の中に置かれた一組の机と椅子。

 その椅子に座った岡田さんは不機嫌そうにスマホを弄っていた。


 入って来た俺の方を見る気配すら無い。

 足音で俺が来たのを察していたから驚いていないのかな。


 話しかけてこないということは、どうやら彼女はいつも通り(・・・・・)俺を人形扱いしたいらしい。


 それならばと俺もいつも通りに机と椅子をセッティングして毛筆の準備をする。


 さてどうしようか。


 露骨な不機嫌オーラを放つ岡田さんにこちらから声をかけるべきか。

 絶対に無視されるのは分かっているが、女子というのはそれでも構って欲しいと思うものではないか。

 それともいつも通りの空気をご所望でこのままが良いのだろうか。


 女子の扱いというものは本当に分からない。


 いっそのこと何かを書き始めようか。

 もしかしたら岡田さんは話しかけるきっかけが無くて困っているだけかもしれない。

 俺が書き始めればいつも通りに揶揄いやすくなるだろうし。


 いやいや、それにしてもいきなり書くのは早すぎるのではないだろうか。

 いつもはもっと時間が経ってから書き始める。

 早すぎると話しかけろと露骨に誘っているようなもので気色悪がられるかも。


 などとうんうん唸っていたら、先に口を開いたのはいつも通り岡田さんだった。


「うっわ、こいつちょームカつく」


 どうやらスマホを見ていたら不快な何かを目にしたという体らしい。


「女子を放って逃げ出すとか最低」


 これは……俺のことを言っているのか?


 スマホを見て独り言をしているようで、本当は俺に話しかけている。

 そういうテンプレ演技なのだと思う。


 だがムカついているのは態度から分かるが、放って逃げ出すとはどういうことだ。


「何が用事よ。チキンなだけじゃない」


 良く分からないが、どうやら彼女の中では俺が何かから逃げるために用事があると嘘をついてここに来なくなったことになっているらしい。


 え、マジで意味が分からないんだけど。


「ちょっと他の男に言われたからって諦めるとか、それでも男かっての」


 他の男子に言われた?

 それってまさか海堂のことか?


「あんな奴の話を真に受けるだなんて信じらんない!」


 ああ、そういうことか。


 岡田さんはどこかで海堂が俺に忠告をしに来た話を聞いたんだ。

 そして俺が部室に来なくなったから、海堂の言うことを聞いて岡田さんに相応しくないと思い、距離を取ろうとしていると勘違いしたのだろう。


 それで滅茶苦茶拗ねてるのか。

 可愛すぎないか?


 幸いにも誤解を解くためのモノが丁度手元にある。

 これを単に渡せば解決となるだろうが、折角だから目の前のこれも使ってみよう。


 俺は筆を手に取り、毛先に墨汁をつけた。


 岡田さんの言葉が止まり、じっとこっちを見ている視線が感じられる。


 今日ばかりは丁寧に書こう。

 いつもみたいに雑では無く、想いを篭めてゆっくりしっかり丁寧に書こう。


 それでもどうせ下手なことに違いは無いけれど、大切なのはきっと気持ちだから。

 どうせ馬鹿にされるだろうけれど、今の俺にはそれすらもご褒美みたいなものだ。


『誕生日』


 背後でハッと息を呑む雰囲気があった。


 俺は足元に置いた袋から可愛くラッピングされた小袋を取り出した。

 そしてそれを岡田さんの机の上にそっとおいた。


「誕生日おめでとう」


 インスタで岡田さんの誕生日を知った俺は、それがすぐ近くだということに気付いてその日に告白しようって思ったんだ。

 だから誕生日プレゼントを探すためにここしばらく部室に来れなかった。

 決してあのいけすかない男に影響されて逃げた訳では無い。


「…………」


 岡田さんはフリーズしている。

 俺が誕プレを用意したのがそんなに驚きだったのか。


「開けて良いぞ」


 俺の言葉に反射的に体が動いたのか、岡田さんは小袋を手に取りゆっくりと封を開けた。


「…………!」


 中を確認した岡田さんは目を見開いて驚き、またしてもフリーズしてしまった。

 ここまで驚いてくれると頑張って探したかいがあったな。


「どう……して……」


 半分くらい起動した岡田さんがポツリと疑問を漏らした。


 疑問の具体的な内容がこれだけだと分からないけれど、とりあえず答えてみよう。


「前に欲しいって言ってたからさ」


 ジュピターのネイルセット。

 欲しいけれど手に入らなくて、手に入れた友達が自慢していて悔しがっていた。


 どうやら中高生に人気のお手頃価格のネイルセットで、あまりの人気で品薄状態だったんだと。

 まさか隣の県まで探しに行かないと見つからないとは思わなかったわ。


「覚えて……」

「もちろん。岡田さんが話してたことは全部覚えてる」


 聞いてるに決まってるじゃないか。

 覚えているに決まってるじゃないか。


 なんだかんだ言って俺も男だ。

 揶揄われてイラッとしていた時もあったけれど、可愛い女子と二人っきりの部屋で、その子が話をしていた内容なんて気になるに決まっているじゃないか。


「気持ち悪い!」

「はぁ!?」


 そこは覚えていてくれて嬉しいって喜ぶところじゃないのかよ!


「あたしの独り言を覚えてるとかマジキモいんですけど!」

「岡田さんが勝手に話をするから頭に入っちゃうんだよ!」


 岡田さんはガタンと勢いよく立ち上がり、俺と真正面から睨み合った。

 その様子にいくらなんでもここで喧嘩腰は無いだろうと思い、つい俺も興奮して強い口調で答えてしまった。


「別にあんたになんか話してないんですけど!」

「どう考えても独り言の声量じゃなかっただろうが!」

「別にあたしがどんだけ大きな声で独り言しても勝手でしょ!」

「聞かれたくないなら俺が居る場所でするなよ!」

「誰も聞かれたくないなんて言ってないでしょ!」


 お互いにヒートアップした言い合いは、相手を叩きのめそうとしていたはずなのに、徐々に方向が変わって行く。


「なら普通に話しかけろよ!」

「そんなの恥ずかしくて出来る訳ないでしょ!」

「そのくらいやれよ! ギャルなんだろ!」

「ギャルだからって羞恥心が無いわけないでしょ!」

「めっちゃ近づいて写真撮って来たくせに何言ってやがる!」

「勇気を出したに決まってるじゃない!」

「知ってるよ! インスタに書いてあった!」

「なっ……! エロ大魔神! 何勝手に人のインスタ見てるのよ!」

「見られたくなかったらインスタやるなよ!」

「別に見られたくないだなんて言ってないじゃない!」

「というかへたっぴ書道部員のコーナーは何処だよ!」

「勝手に好きな人(・・・・)の写真を載せる訳ないじゃない!」

「じゃあなんで毎回写真撮ってたんだよ!」

「篠宮くんの写真を撮るなんて恥ずかしかったからに決まってるじゃない! インスタ読んだなら知ってるくせに何言わせようとしてるのよ!」

「そんなの好きな人(・・・・)の口から直接聞きたいからに決まってるだろ!」


 言い合いは止まらない。

 お互いにもう告白していることすら気付かずに、感情に任せて言葉が出てしまう。


「私にばっかり言わせようとしないでよ!」

「俺はどうせこれから言うんだから別に構わないだろ!」

「逃げた癖に今更何を言おうとしてんのよ!」

「逃げてねーよ!」

「分かってるわよ! こんな嬉しいのをくれたらあたしが勘違いしてたって分かるに決まってるじゃない!」

「嬉しかったのかよ!」

「泣く程嬉しいわよ! あたしのために探してくれて嬉しすぎてどうにかなっちゃいそうよ!」

「そうかよそれは良かったな!」


 最早言い合いになどなってなくて、ただの痴話げんかだ。

 聞いている人がいたら赤面してしまいそうな程に甘くなりそうな気配が漂っている。


 そしてついにその時が来た。


「良かったわよ! だからさっさと言いなさいよ!」

「好きだ!」


 どうしてこうなった。

 本当は甘い雰囲気の中でしっかりと告白しようと思ったのに、場の雰囲気に流されて勢いだけで口にしてしまった。


 でも今更止められない。

 そして止められないのは岡田さんも一緒だった。


「知ってた!」

「知ってたのかよ!」

「当たり前じゃない! あたしも篠宮くんが好きだもん! 好きな人のことくらい分かるに決まってるでしょ!」

「確かに!」

「何が確かによ! あたしの気持ちをインスタ読むまで気付かなかったくせに!」

「読む前から気付いてたに決まってるだろ!」

「でもあたしが最初にここに来た時にはもう好きだったって知らないでしょ!」

「それは知らなかったよ! 普通に何事かと思ってたよ!」


 インスタを読んでも感覚的にもいつから好かれていたのかが分からなかったが、まさか最初からだったなんて。

 だから初日から積極的に揶揄いに来たのか。

 知らない人扱いしてたのも演技だったんだな。


「あんなにアピールしてたのにどうして気付かないのよ!」

「岡田さんみたいな可愛い人に好かれてるだなんて自信満々に言える男なんて居ねーよ!」

「だから分かりやすくインスタにあたしの気持ちを書いてあげたんじゃない!」

「だったら俺の字をアップするなんて言わなきゃ良かっただろ! ディスられるのが怖くて見れねーよ!」

「だってやっぱり読まれるの恥ずかしかったんだもん! そう言えば見なくなると思ったんだもん!」

「気付いて欲しいのか欲しくないのかどっちだよ!」

「どっちもよ! 分かれ!」

「分かってるよ!」


 好きの気持ちが溢れて止まらない。

 自然と俺達は近づき始めていた。


「ううん分かってない! あたしがどれだけ篠宮くんのことを好きか分かってない!」

「分かってるよ!」

「だって篠宮くんってあたしがいるのにちょびに興奮してたじゃない! このエロ大魔神!」

「そのエロ大魔神っての止めろって! 確かにあの時はちょびさんにドキドキさせられたけれど、直ぐに気付いたんだよ!」

「何を!」

「岡田さんが良いって! 岡田さんと一緒の方が遥かにドキドキするって! 岡田さんが好きだって自分の気持ちを確信したんだよ!」

「遅すぎるよ!」

「悪かったよ! でも今は大好きだから許せよ!」


 言い合えば言い合うほど、気持ちをぶつければぶつけるほど、俺達の距離はさらにジリジリと近づいて行く。


「だったらあたしが好きだって証明してよ!」

「どうしろって言うんだよ!」

「そんなの自分で考えてよ!」

「そんなこと言われたら好きすぎて傷つけてしまいそうで怖いんだよ!」

「傷つかないよ! むしろ滅茶苦茶にするくらい男を見せてよ!」


 いつの間にか相手の吐息を感じられる程の距離まで近づいていた。


「本当に良いのかよ! マジで岡田さんのことすげぇ好きだぞ!」

「私の方が好きだもん! この気持ちだけは絶対に負けないもん!」

「俺だって負ける気は無い!」

「だからそれを証明してって言ってるでしょ!」

「岡田さん好きだ!」

「篠宮くん大好き!」

「好きだ!」

「好き!」

「大好きだ!」

「大好き!」


 そして距離はゼロになる。


『んっ……ちゅっ……ちゅくっ……』


 ファーストキスはレモンのような甘酸っぱい味では無く、情熱的で甘美(フレンチ)な味がした。


――――――――


 ファーストキスにしては長く熱が入りすぎたソレを終えた俺達は、立ったまま抱き合い続けた。顔は離れ、岡田さんは顔を俺の胸に埋めている。


 言い合いとキスがどちらも長かったこともあり、心と体を休めるための時間である。


 先程までの騒がしさとは一転、お互いの乱れた息だけが部室内の唯一の音となっていた。


 空気を吸って少し冷静になれたのか、恒例の運動部と吹奏楽部のBGMが流れていることに今更ながら気が付いた。


 そうしてしばらくの間優しく抱き合っていたら、先に口を開いたのはまたしても岡田さんだった。


「ごめんなさい……」


 それは愛を語らう甘い言葉などでは無く、謝罪の言葉だった。


 告白をお断りします、という意味かと一瞬ドキリとしたが、あれほどまでに好きだと言い合いながらそれはないだろうと気持ちを落ち着かせた。


「あたし篠宮くんに酷い事ばかり言ったよね」


 それは懺悔だった。


「罵倒したし、無視したし、字が汚いなんて馬鹿にした。本当にごめんなさい」


 これまでの岡田さんの様子とは全く違うしおらしい雰囲気に、不覚にもさらにドキドキしてしまった。これもまた彼女の一面なのだろう。あるいは、こっちの方が彼女の素に近いなんてこともあるのかもしれない。


「でもそれは照れ隠しだったんだろ」


 そうインスタには書かれていた。


「それでも言っちゃいけないことを沢山言っちゃった。字を馬鹿にするなんてことも、絶対にやっちゃいけないことだった。恥ずかしくてどうやって接したら良いか分からなくて、でもだからってあんなことを言って良いわけが無いもん。本当に……本当にごめんなさい……」


 泣きそうな声色に、思わず背中を優しくぽんぽんしてしまう。

 まさか俺が女性にぽんぽんをする日が来るとはな。


「それも含めて楽しかったから気にするな」

「篠宮くんってドМなの?」

「ひでーな。岡田さんだからだよ」

「……ありがと」


 興味が無い人にやられたら普通にイラっとし続けて、ガチで怒っていただろう。

 そう考えると確かに彼女は相手を怒らせる酷い行いをしたのだろう。


 俺が許しているから問題無いなどとは思えずシュンとしたままなのは、彼女が心優しい人の証に違いない。


 そうだ、この際だから一番気になっていたことを聞いてみよう。

 今の流れなら聞き出せるかもしれない。


「最初からそこまで動揺するくらいに俺を想ってくれてたのは嬉しいけれど、一体どこで俺の事を好きになったんだ? 俺達って接点無かったよな」


 同じクラスになってからも、もちろんその前も話をしたことすらない。

 俺からしたらあまりにも唐突過ぎて違和感が半端ないんだ。


 もし彼女がこうして回りくどい事をしないでいきなり告白してきたら、嘘告だと疑ってしまいそうなくらいには急な話だった。


「…………」


 俺の問いに彼女は答えない。

 答えたくないのか、答え方を考えているのか。

 時間はまだまだたっぷりあるので、俺はそのままゆっくりと待った。


 そして一分程度経った頃、彼女は答えをくれた。


「あたし、おばあちゃんっ子だったの」


 しかしそれは答えになっていないものだった。

 とはいえそれを指摘する程、俺は野暮ではない。


 話の先に答えが待っているのだと思い、俺は静かに彼女の言葉に耳を傾けた。

 一方的に話しかけられるのは慣れてるからな。

 なんて冗談っぽく言ったらまた申し訳なさそうにさせてしまうだろうか。


「おばあちゃんはセンスが良くて格好良くて私の自慢だった。大好きだった」


 岡田さんがそう言うならよっぽどセンスがあるんだろうな。

 一度見てみたい気がする。


「おばあちゃんはとても優しくて色々なことを教えてくれた」


 仲がとても良かったんだな。


『愛海、恋をして遊びなさい。女は沢山の恋を経験して美しくなるのよ』


「それがおばあちゃんが教えてくれたことだった。だからあたしは沢山恋をした。恋をして女を磨いたの」


 岡田さんがこれまで多くの男子と付き合って来たのはそれが理由だったんだ。

 たくさんの恋をして、自分を磨いて、今の可愛い岡田さんが作られたんだ。


 一部の心無い女子からビッチだなんて揶揄されていても『多くの恋』を求め歩いたのは、おばあちゃんの教えを守るため。それが自分磨きとして正しいと心から信じていたから。


 俺もまたその『多くの恋』の一つなのだろうか。

 すぐに新しい恋に目移りされてしまうのだろうか。


 胸がチクリと痛んだ。

 だがそんな俺の感傷など、次の彼女の言葉で吹き飛んだ。


「そのおばあちゃんが、最近亡くなったの」


 大好きなおばあちゃんの死。

 俺があの頃、彼女に感じていた悲し気な雰囲気はそれが原因だったのかもしれない。

 海堂を振ったのも、大切な人を亡くして恋をする気分で無かったからなのだろう。


「とても悲しかった。でもおばあちゃんは最後には笑って逝ったから、悲しまないようにしようって決めてた。流石に恋をする気にはなれなかったけどね」


 だからこそ彼女は悲しみを見せずに普段通りに振舞っていた。


「あたしは悲しんでいるから察して配慮して欲しい、だなんて面倒な女じゃないんだよ。本当に普段通りで良かった。でもそれはあたしがそう思い込んでいただけだったのかもしれなかったの。本当は悲しくてそっとしておいてほしいって思っていたのを必死に誤魔化していただけだったかもしれない。そう気づかせてくれた人がいたの」


 大切な人が亡くなったんだ。

 そりゃあ色々と思う所はあるだろう。


 岡田さんの気持ちが面倒だとは全く思えず、色々と考えてしまうのはむしろ普通の事でないかと俺は思う。


「廊下を歩いていたらある男子がトイレから出て来た。そして彼はあたしについて話をしていた」


 それは恐らく、彼女が初めて部室にやってきたあの日の昼休みのこと。


「彼は言った。あたしが悲しそうだからそっとしておくべきだって。他の誰もが気付かなかったのに、自分自身ですら気付かないふりをしていたのに、彼は気付いてくれていた」


 まさかあの時の話を聞かれていただなんて全く気付かなかった。

 たとえ陰口で無いにしても後ろに本人がいるのに噂話をするだなんて迂闊にもほどがあるだろう。


「おばあちゃんはあたしにもう一つ大切なことを教えてくれた」


 そこで話はまたおばあちゃんに戻った。


『本当のあなたを見てくれる人に出会えたら、そしてその人のことを好ましく思えたのなら、遊びは止めて全てを捧げてでも捕まえなさい。その人はあなたを間違いなく幸せにしてくれるわ』


 あの、岡田さんのおばあちゃん、怖いんですけど。

 俺ってレアモンスター扱いされてませんか?


 なんてボケて現実逃避するのは滅茶苦茶恥ずかしいから。


 だって岡田さんの話の内容からすると、俺はこれまで付き合ってきた彼氏達とは違って『全てを捧げる価値のある男』と思われているってことだから。


「見つけたって思った。ドキドキが止まらなかった。悲しかった気持ちが消えて、篠宮くんのことばかり考えるようになった。教室で篠宮くんの方を見るだけで胸が張り裂けそうになって、どうして良いか分からなくなった。気持ちを落ち着かせるためにぎゅっと目を瞑った。そうしたら笑顔のおばあちゃんが瞼の裏に出て来て、こう言ってくれたような気がしたの」


『情けないこと言ってるんじゃないわよ。ここが勝負所でしょうが』


 もしかして岡田さんのおばあちゃんって割とスパルタだったりしますかね。


「おばあちゃんはあたしが恋の話をするといつも喜んで聞いてくれた。恋人が出来ると一緒に喜んでくれて、失恋すると次の恋を見つけなさいって応援してくれた。悲しませないようにしてくれたし、悲しんでいる姿なんて望んでなかった。そのことを改めて思い出した。おばあちゃんがあたしの背を押してくれた。だからあたしは篠宮くんに会いにここに来た。本当のあたしを見てくれる大好きな人に会いたくて」


 それが岡田さんが俺に惚れた理由。

 まさかあの時の何気ない会話が理由だったなんて、流石に予想外だった。


「そうだったのか……」


 俺はまだ岡田さんのことを全然知らなかったんだな。

 過大評価されている気がしなくはないが、彼女をがっかりさせないように頑張らないとな。


「篠宮くん」

「なんだ?」


 改めて彼女は俺に何かを問いかけようとしている。


「あたしで良いの?」

「え?」


 そう問いかける口調はとても不安げだった。


「あたし面倒な女だよ」

「さっきは面倒じゃないって言ってただろ」

「恋愛に関してはそうなの」


 確かに俺への分かりにくいアピールを考えるとそうかもしれん。


「それに凄い嫉妬するよ」

「ちょびさんの時みたいにか?」

「うん。あの時は本当に地獄に落ちたかのように絶望したもん」

「ごめん」

「謝らないで。あたしがちゃんと告白しなかったのが悪いんだから」


 凄い素直になってるんですけど。

 てっきりまた『エロ大魔神!』なんて言われるのかと思った。


「あと、凄い重いよ」

「重い?」

「うん。ずっと一緒に居たいし、あたしのことをずっと見ていて欲しいって思うし、あたし以外の女性と話したら不機嫌になるかも」


 なるほど、束縛するし、愛を強く求めるし、激しく嫉妬もすると。

 確かにそれは重いな。


「重くて嫉妬深くて面倒な女なんて嫌だよね」


 少しくらいなら愛されていると思って喜ぶ男がいるだろうが、重症レベルとなると嫌がる男が多いだろう。


 俺も嫌だと思う。


 でも問題はない。


「ふふっ」

「どうして笑うの?」

「だって岡田さんって全然そんな感じしないからさ」

「それは我慢して隠してるだけだよ」


 いざ付き合うとなれば本性を発揮して重くなるってか。

 無い無い。


「運命の男を見つけたら絶対に確保! みたいなことを言っているのに、照れてまともなアピール出来ない女の子が?」

「う……」


 本当に重くて俺を強引にでも縛り付けて心を奪い取ろうとする女の子の態度じゃないよ。

 多分、岡田さんはそういうことが出来ない女の子なんだ。

 面倒臭いってところだけは正しいかもしれないけれど、この程度可愛いものだ。


「手段を選ばないなら、既成事実を作っちゃえば良かったのに。二人きりなんだからさ」

「そんなの恥ずかしくて出来る訳ないでしょ! あたしまだしょ……!!!!」


 なん……だと……


 彼氏が何人もいたって話だからもうそういうのは済ませているかと思ったのに、まさかの以下省略。

 ますます普通の女の子に見えて来た。


「それにさ、岡田さんにはおばあちゃんがいるから大丈夫だよ」

「え?」

「だって岡田さんは大好きなおばあちゃんに鍛えられた美しい心の持ち主だから」

「!!」


 沢山恋をして遊びなさいっていうのは、恋のやり方を練習しなさいって意味があったのかもしれない。来たるべき本命に出会った時に失敗しないようにと。


 そのおばあちゃんの教えをしっかり守っていた岡田さんが、相手を困らせて逃げられてしまうような重さのある女性であるわけがない。


「俺は岡田さんと素敵で幸せな恋が出来ると信じている」


 だからそんな風に不安に思わないで欲しい。


 俺の想いが伝わったのか、岡田さんは少しだけ震えると俺を掴んだ手にきゅっと力を入れた。


「……篠宮くん」

「なに?」


 そしてようやくまた顔を上げて、俺を見てくれた。

 その瞳には涙が滲んでいたけれど、見惚れてしまうほど素敵な笑顔だった。


「案外キザなんだね」

「そうだったらしい」


 自分でも意外だよ。

 こんな甘い台詞を言えるような人間じゃないと思ってたんだけどな。


「篠宮くんが好きすぎてどうにかなってしまいそう」

「どうにかなっちゃおうぜ。俺だってもうくらくらだ」

「うん、そうだね」


 でもそうなる前に、大切なことをもう一度しっかりと伝え合おう。


「大好き」

「俺も大好きだ」


 そして今度こそ、想いをじっくりと伝え合うような優しいキスをした。


――――――――


 朝、教室がとてつもなくざわついている。


「おっす。おはよう」

「お、お、お、お前!?!?!?!?」

「どうした寒川。連れション行きたいのか?」

「ちげーよ馬鹿! 何がどうなってるんだよ!」


 自分の席に荷物を降ろすと寒川が話しかけて来たけれど、どうにも混乱しているようだ。


「どうもこうも、見た通りだぞ。な、愛海(・・)

「うん!」


 先に鞄を自席に置いて俺に駆け寄り腕をとった愛海が良い感じの笑顔で返事をした。

 その指先は例のネイルセットによる化粧が施されていてとても可愛い。


 告白の日に何があったのか。

 何故いきなり名前呼びになるほど親密さがアップしているのか。

 その辺りについてはノーコメントだ。


「そんな馬鹿な……」


 白目剥いてしまった。

 軽薄無意味告白童貞男には衝撃が強かったかな。

 中二病っぽいルビが振れそうな漢字の羅列だ。


「やっほー」

「朝から見せつけてくれるわね」

「学校中を驚かせた気分は?」


 今度は愛海の友達がやってきた。

 どうやら愛海の彼氏ポジになったことで、俺を空気として扱わずに普通に接してくれるようになったっぽいな。話しかける相手が愛海だけじゃなくて俺も対象になっていた。


「最高の気分だ」

「へぇ言うねえ」

「篠宮くんってそういうタイプだったんだ」

「実は男らしい? それとも自信がついたパターンかな? う~ん、良い感じ。本気で狙うべきだったかも」

「ダメ!」


 あらら、愛海が間に入ってガードしちゃった。

 ちなみに最後の台詞はちょびさんだ。

 前科があるからより警戒しているのだろう。


「うっわぁ。愛海って堕ちるとこうなるんだ」

「ガチじゃん」

「あ~あ、私もつまみ食いばかりしてないで本気の相手を見つけるかな」


 堕ちるって言うな。

 それとちょびさん、あなたどれだけ遊んでるんですか。寒川とかいかが?


「おめでとう。愛海が幸せそうで良かった」

「もし少しでも不穏な感じだったら処すところだった」

「何もしないからそんな目で見ないで~」


 ちょびさんは自業自得として、俺処されるかもしれなかったんですか。

 すれ違いとかで泣かせようものなら学生生活終わってたかもしれん。怖ぁ。


「そういや友達は知ってたんだな」

「う、うん。あの日にバレちゃった……」

「あの日って……あ!」


 そうだ。

 どうして気付かなかったのだろうか。


 愛海の友達は愛海のインスタを読んでいるから好きな人がいるのを知っていたはずだ。

 そしてたとえ愛海が好きな相手を友達に秘密にしていたとしても、部室で俺と会っているのを知った時に全てを察したはずだ。


 それなのに教室ではその話題を一切出さずに気を使ってくれていた。

 妙なお節介とか揶揄いをせずに、愛海の恋を温かく見守ってくれてたんだ。


「めっちゃ良い友達じゃん……」

「でしょ~」

「惚れるなよ」

「わんちゃんあり?」

「ダメ!」


 ただ、これからしばらくはこうやって揶揄われそうだな。

 贅沢税だと思って甘んじて受けようとは思うが、愛海を嫉妬させ過ぎないように気をつけないと。


「そうそう、愛海達に朗報があるの」


 どうやらただ朝の挨拶がてら揶揄いに来ただけでは無さそうだ。


「海堂が退学したんだって」

「え?」

「は?」


 不愉快な名前が出て来たなと思ったらまさかのニュースだった。


「あいつ顔は良いけどキモいくらい自己中の女好きで、世界中の女は自分が好きだみたいなキモい思い込みしてんだよね」


 キモいを二回も言ったぞ。

 相当嫌いなんだな。


 以前は女子の憧れの相手みたいな雰囲気だったのにこの変わりよう。

 ここしばらくで化けの皮が剥がれたってところか。


「んで愛海以外にも沢山手を出してたんだけどさ。その中に手を出しちゃいけない相手がいたらしくて」

「あ~、ヤとか半とかって奴か?」

「そそ、それでトラブルになってさようなら。もう愛海に執着する余裕なんて無いだろうから安心して良いよ」

「そ、そっか……」


 愛海は苦笑いしている。

 ほっとしているようだけれど、ここで大喜びしないところ、やっぱり心優しい女の子だ。


 しかしまさか俺が手を下す前に自滅するとは。


 俺が愛海と付き合うことになってから、真っ先に一つお願いしたことがある。

 それはもう二度と無茶をしないで欲しい、ということだ。


 俺と会うために俺が来なくても彼女は部室を訪れていたが、それは一人で人気(ひとけ)の無い部屋にいるということだ。アリバイ作りをしていたから大丈夫と愛海は言っていたが、それが失敗してもし海堂とかが来ていたらと思うと洒落にならない。実際、海堂は俺に会いに部室に来たことがあるわけだからな。

 これからは彼氏なんだから頼ってくれなんて格好つけたことを言ったら大いに喜んでくれたから大丈夫だとは思うが、肝が冷えた思いだったよ。


 愛海の自衛についてはそれで良いとして、それとは別に海堂対策はする予定だった。

 俺と愛海が付き合いだしたと分かったらあいつが何かしでかしそうだったから。

 でも結果的に俺らが逆恨みされずに自滅してくれたので一安心だ。仮に俺が何かをしてあいつが逮捕されるようなことになったとしても、未成年だから重い罪にはならないだろうし解放されてから復讐されるかもしれなかったからな。

 

「ということで邪魔が無くなったから正々堂々とイチャイチャしてな」

「でも他の人に嫉妬で刺されないように注意ね」

「避妊はするんだぞ~」


 最後にとんでもないことを言って彼女達は解散した。

 敢えてより嫉妬されそうなことを言わないでくれ。


 寒川なんて灰になって消えそうだぞ。


「お~い、連れション行くか?」

「行く!」


 あ、復活した。

 どんだけ連れションにかけてんだよ。


「んじゃ愛海、トイレ行ってくるな」

「は~い、いってらっしゃい。ちゅっ」


 仲良くしろだなんて言われた直後に別行動して申し訳ないが、生理現象は仕方ない。

 愛海も教室を出て行ったしトイレに向かうのかも、と想像するのはデリカシーが無さすぎるので止めておこう。


「しかもバカップル……だと……詳しく説明しろよ!」

「はいはい」


 あの日、こいつが愛海の話題を振ってくれたおかげで愛海が俺を見つけてくれたのだから、恩があるとは言えなくもない。


 案外連れションも悪くないのかもな。


 だから話くらいはしてやろうか。


 俺と愛海の愛の物語を。


 だが聞くからには覚悟しろよ。


 これからも連れションのたびに惚気話を沢山聞かせてやるからな。




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[一言] いつの間にか良いハナシになってた!
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