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4.滝川式の弟子

天文16年(1547年) 1月 紀伊国 十ヶ郷

  滝川 彦九郎(一益)


 この数か月、紀ノ川十ヶ郷の鈴木家に客将として滞在する俺は、この地で雑賀・根来式火縄銃と俺の銃床の長い滝川式火縄銃の技術交換を行っている。


 特に根来の鉄砲鍛冶職人・芝辻清右ヱ門は鉄砲鍛冶に造詣が深く、滝川式火縄銃に銃架という三脚のようなものを取り付けて寝そべって撃つ方法を模索中だ。鎧を着た集団戦には向かないが、忍び仕事の暗殺や要人狙撃などで使えるはずだ。


 ズダァァァッーーン!!


 「おぉっ!! 寝そべって撃つとはどういうことかと思いましたが、確かに安定して狙うことができますな」

 「さすが彦九郎の作った滝川式だ。寝そべると次弾装填に時間がかかるから連射には向かないが侍大将なんかを狙うにはいいかもな」


 俺の前で芝辻清右ヱ門と俺の作った後付け銃架での狙撃試射をしている若い男は、砲術披露の場にいた根来衆・津田監物(算長)の次男で津田照算と雑賀衆・鈴木孫六郎(重秀)だ。なんとこの2人、俺の弟子である。


 津田照算は、俺の狙撃の腕前に惚れ込んだ父親・監物殿が津田流砲術だけではなく、他流を使う者が一族にいれば技術発展があるとして俺に弟子入りさせてきた。ちなみに長男・算正は津田流跡継ぎとして実家で育てるとのことだ。


 津田照算のステータスはこれ。


 “ 津田照算 ステータス “

 統率:54  武力:80(+3)  知略:73  政治:70

“ 所持 “

 ・滝川式火縄銃: 武力+3

“ スキル “

 ・なし

 

 僧侶なだけあって知力、政治はそこそこ高いが、武力は俺や孫六郎ほどではないな。年齢もまだ16ほどだし、統率も期待はできないから軍を任せるのは不向きだな。


 そしてもう1人の弟子、鈴木孫六郎(重秀)。こちらは言わずもがな、後の雑賀孫一(雑賀衆棟梁・狙撃の名手が継承する名前)の異名をとる男だ。


 こちらはさすが天才、雑賀火縄も滝川式火縄もどちらも極めたいという欲張りな願いを叶えるべく弟子入りしてきた。更には鉄砲鍛冶についても今は学んでいる。


 まだまだ鍛冶修行は始めたばかりだが、自分の火縄の手入れくらいはできるだろう。


 そして、2人とも正式に弟子になったと言うことで、みんなには滝川式火縄銃(武力: +3)をそれぞれ授けた。


 これで孫六郎のステータスは武力:92(+5)だ。弟子として俺をよく守ってくれよな……。


 他にも幾人か弟子ができたのだが、おそらく俺がこの形の火縄銃は堺筒ではなく、俺の作った「滝川式」だと言ったせいで、津田流のように滝川式砲術なんて名前が付いて雑賀衆の変わり者の幾人かが弟子入りを望んでしまったのかもしれない……。


 尾張で仕官が叶ったら、家臣として誰か来てくれたらいいなぁくらいに思っていたがまさかの大物も弟子入りでびっくりしている。俺の政治:85というステータスバフのお陰かもしれない。どうか二人とも、信長が一向宗と対立することになっても俺の弟子で居てくれよな……。


 「父上(鈴木三太夫)もこの火縄があれば攻城戦で物見の侍を撃ち抜けたかもしれんのに、ちと間に合わなかったな。それにしても、田植えが終わってから今年はずっと戦続きだなぁ。細川はいつまで内紛してるんだ」

 「まあ、稲作に適した平野部の少ない我ら根来からすると、良い稼ぎ場になって助かりますけどね」

 「雑賀だって高野山の山奥や根来に比べれば、貿易や海賊の稼ぎはあるが傭兵働きがなきゃ困っちまうぜ」


 孫六郎が言う攻城戦とは、夏ころから堺、京都方面で細川京兆家の当主と将軍を巡って細川氏綱と晴元・足利義晴が行っている戦のことだ。


 そもそも、この細川家同士の内紛は、幕府の重鎮・管領を務める細川吉兆家の家督争いから始まり、将軍や幕府を巻き込んで十年以上続く泥沼の争いだ。


 そしてこの戦いに根来衆・雑賀衆共に紀伊国守護・畠山播磨守政国からの要請で、細川氏綱方で参戦中だ。雑賀棟梁:鈴木三太夫(雑賀孫一)と津田監物も今は畿内に赴いている。


 ちなみに両者からは、「愚息を頼む」との言伝(ことづて)をもらっている……。本当に俺が師匠でいいのか?


 おそらく今年の一連の(いくさ)で細川晴元は丹波国に逃げ、将軍:足利義晴は近江坂本で六角定頼のもとで義藤(義輝)に将軍職を譲る儀式を執り行うはずだ。


 ここから六角定頼が管領代に就任したり、晴元の部下だった三好長慶が畿内で台頭して天下人と呼ばれるなど。戦国時代、下剋上の世の幕開けといったところだ。俺もそろそろ熊野灘経由で志摩、伊勢、尾張と進まないとなぁ。


 「滝川殿は尾張に向かう前に志摩に寄ると言っておりましたがそれはどうしてですか? 」

 「前にも言ったが尾張で仕官するにあたって手ぶらでは行けぬからな。志摩には九鬼家という海賊衆がいるんだが、そのお家がどうやら志摩から抜けたいらしい。その海賊衆を尾張に仲介する算段だ」


 史実では、九鬼家は当主・九鬼定隆が亡くなると他の志摩土豪達に一気に目の敵にされる。もともと熊野方面の出自であった九鬼家は地元に根付く他の土豪から嫌われていたらしい。


 そして、跡を継いだ九鬼浄隆(きよたか)も病で亡くなると、幼い嫡男・澄隆(すみたか)を連れて浄隆の弟・九鬼嘉隆(よしたか)は、滝川一益の仲介で織田信長に仕えたらしい。


 はい、ここで問題発生だ。


 史実の俺は九鬼嘉隆の仲介役を務め、織田家に仕えさせることに成功しているが、この世界の俺は九鬼家に今のところ縁がない。つまりこれから縁を持たなければ九鬼を織田信長に仕えさせることができないってわけだ。


 というわけで……


 「ここに俺の部下、滝川忍びが集めた九鬼家襲撃を画策する志摩地頭たちの血判書を手に入れてある。流石の九鬼家もこれだけ周りの地頭から狙われていると知れば、稲作もできぬ海岸の領地など捨てて共に尾張に向かってくれるだろう」

 「おぉさすが彦九郎。用意が良いなっ!! 志摩でも騒乱の兆しありっ。これならすぐに火縄を実戦で試せそうだ。ハッハッハ」


 どうやら孫六郎はとにかく実践で滝川式を撃ちたくて仕方ないらしい……。こいつはトリガーハッピーなのか?

 

 「滝川殿は忍びの家臣も抱えているのですか。本当に多才なお方ですなぁ……」


 照算よ、感心してくれてありがとう。甲賀滝川家を出たとはいえ、優しい父上と跡を継いだ弟・吉益は俺に少数だが滝川忍び達を分けてくれた。


 彼らは下忍と呼ばれる者達で、今は俺の命で志摩と伊勢に散らばって情報収集をしてくれている。いずれ伊勢侵攻があった際にはこの情報が役に立つはずだ。


 何より伊勢は甲賀のある近江の隣。実家と連携しつつこの戦国を上手いこと生き抜いていかねばならない。



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