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宵の巫女  作者: シュリ
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第七話 取引成立

「なんて……言ったの……?」

「わからない? レオをちょうだいって言ったの」

 予想もしなかった条件に、リリーは「どうして……」と食い下がる。

「気に入ったの。素敵な従者(エキュワイア)ねえ。一度魅了された相手に死ぬまで尽くしますって感じが全身から滲み出てて、隠そうともしない……」


 少女の白んだ瞳が、テーブルの向こうに広がる惨状を眺める。だだっ広い大広間は荒れに荒れていた。壁の装飾は焦げて剥がれ落ち、絨毯もあちこちが無残に裂かれ煙を上げている。その天井に巨大な黒蜘蛛が張り付き、下で火を噴く馬の出方をうかがっていた。


「今もあなたの命令に忠実に従って、イグニスを傷つけまいと必死」頬に手を当て、うっとりとため息をつく。「素敵だわ。ほんとうに……」

「魅了、だなんて。そんなのじゃない……」リリーは下唇を噛む。「ただ、彼もわたしも、一緒に苦悩して、手を取り合って、乗り越えた……それだけよ」

「え? じゃあまだ契約していないの?」


 少女はまたしても驚いたように目を丸くした。


「ふうん……それなのにあんな……まあ、それならますます都合がいいわね。もし私が魅了できれば即座に契約して、晴れて彼は私の従者。これで正式に守られるわよ。あなたも彼も」


 少女の言わんとすることがよくわからず、リリーは何度も目をしばたたかせる。その反応を楽しむように、少女はにっこりと目を細めた。


「ああかわいそう。なんにもわかってない顔ね。ふふ……あのねリリー、郷が赦さないのは禁忌の存在だけじゃないのよ。それに付き従う従者も同様に処分するの。仮に巫女の方は同胞のよしみで生かされたとしても、力の証である従者は確実に殺されるわね。そうして完全に、悪さできないように封じ込めてしまうのよ。あなたを」


 そこで言葉を切り、リリーの心の内にショックがじわじわと広がりゆく様をつくづくと眺めた。


「まあ、いくら〝宵の巫女〟の力が弱っているといっても、いつかはあなたも見つかってしまうでしょうね。そうなれば彼もいっしょに捕まって、その場で確実に抹殺される。そうなるのは嫌でしょう?」


 表情という表情をなくしたように、リリーは呆然と広間の中央を見つめていた。

 鋭い角を振りかざして襲いかかる獰猛な獣を相手に、レオは器用に躱し続けている。リリーの願いを忠実に守って。この少女の言うような命令・・などしたつもりはなかった。ただ――「お願い」をしていた。いつだって……思えば五年前からずっと……屋敷を出る前も……

 彼は決まって自分を犠牲にしようとする。それを止められたためしがなかった。だが、もし――自分が「お願い」すれば……


「どうするの? リリー。私との取引。こんなに破格の代価はないわよ。かくまって、生活を保証して……その代わり、契約もしていない、ただ飼い慣らしている蜘蛛一匹を私に預ければいいの。万一ここが見つかったとき、彼は私の従者だとはっきり言ってあげる。そうすれば、彼は確実に救われるわよ」

「その話は……本当、なのね?」

「信じるも信じないも、あなたに任せるわ。ただ、私は面倒くさいものや醜いもののために時間を割くのは嫌い。気に入ったもののためならどんな手間だって惜しまないわ。たとえ、千里眼にさらされる危険があったとしても、ね」


 ――目の前の少女の言うことがすべて事実なら。いずれレオの命が危険にさらされるのだとしたら。

 ――処分されるのは、わたしだけがいい。


 薄い瞼がすっと閉じられる。深く息を吸って、ゆっくりと吐く。

 そうして、静かに目を開けた。



「はい止まって! もう戦いはおしまいよ! じゅうぶん見させてもらったわ」


 まさに一触即発――互いの力が交錯する寸前で、馬も蜘蛛も、ぴたりと動きを止めた。


「きいてちょうだい。私、リリーと取引したの。リリーは私のお客様としてこのお城にいてもらうわ。命を狙う脅威からかくまってあげる」


 天井から黒蜘蛛がじりじりと降り立つ。未だ警戒するように身構える彼の姿をうっとりと眺め、少女はぴたりと指先を向けた。


「その変わり、レオ、あなたをいただくわ。今日からあなたは私の従者よ。これからははリリーでなく、私に付き従いなさい」


 レオは初め、かけられた言葉の意味が理解できなかった。聴毛が機能しなくなったのかと疑うほどに。

 ――ばかな。何をふざけたことを。

 少女の後方から、遅れてリリーがやってくる。落ち込んだように、呆けたように、思い詰めたように……足下に目を落としたまま。


「ああリリー、すっかり忘れてたわ。私はカイネというの。従者たちにはクイーンと呼ばせているけれど、あなたはカイネと呼んでね。つまりレオ、あなたは私をクイーンと呼ぶのよ」


 今、人間に擬態していれば、肩をすくめて無視していたことだろう。従者、というものはよくわからないが、自分がそれになった覚えはない。

 自分が付き従うのは、後にも先にもリリーだけだ。


「ああでも、よく考えれば従者が一人もいないのって、かわいそうよね。寂しいものね。でも、私だってレオを譲れないわ。こまったわねえ……」


 少女――カイネは細い指先を顎に当て、うーんと短く唸ると、ぱっと顔を輝かせた。


「イシュケ!」


 後方でテーブルの片付けをしていた少年を呼びつける。イグニスそっくりの少年は朗らかな笑みを浮かべて「はい」と駆けつけてきた。


「リリー、イシュケをあげるわ」


 たちまち少年の顔が凍りついた。リリーも、イグニスも、誰もかれもが、ぎょっとしたようにカイネの笑顔を凝視している。


「ああもちろん、期限つきよ? 遠慮しないで、ひとりじゃ寂しいものね。力は感じられなくたって魂は巫女……傍に誰かを求めてしまうものよ」

「そんな」リリーは急いで首を振る。「やめて、そんなこと……だって、わたしが万一、見つかったら」

「問題ないわ。契約もしていないただの世話役を処すほど、郷も暇じゃないでしょう。イシュケ、行ってくれるわよね? リリーは私の大切なお客さまよ。今日からお世話をしてあげてちょうだい」


 この場に漂う凍りついた空気に、気づいているのかいないのか。無邪気な少女の声に、イシュケは青白い顔をしたまま、「……はい、クイーン」と呟いた。

「そう。いい子ね。いい子って好きよ」

 笑みを貼り付けたイシュケの顎を、白い手でそっとなぞる。それからぱっと正面を向き、花開くような笑みを浮かべた。


「じゃあ、今日はこれで解散ね。私は部屋でゆっくり休むわ。リリー、お腹が空いたらイシュケに何か言いつけて。お湯を浴びたいときも、着替えたいときも、全部言えばいいわ。イシュケ、リリーの寝室は……そうね、別棟の一番綺麗な部屋をあげてちょうだい」


 カイネはまくしたてるように告げて話を進めてしまう。レオは「待て」と言おうとして、自分が今、蜘蛛の姿であることに気づく。


「待て!」

 黄金の光を纏い、人間の姿に擬態する途中で声をあげる。

「待て、勝手に話を――」

「まあ!」


 レオの訴えはカイネの甲高い声に遮られた。


「素敵! なあにその身体! 人型になることもできるのね! ああ、その方がずっと素敵よ。私、そっちの方が好き」

「リリー」


 カイネの声など無視して、彼女の後方で俯いているリリーへ向かって呼びかける。


「どういうことだ、取引など……何を勝手に……」

 うつむけられた白い顔が、焦れったいほど時間をかけて、ゆっくりとこちらに向けられる。

「レオ。……カイネを、守ってね」


 そこには、今まで見たこともないほど明るい表情が浮かんでいた。綺麗に口角を上げ、目もにっこりと細められている……瞳の奥を置いてけぼりにして。


「さあふたりとも、もうお休みの時間よ? 夜更かしはお肌の大敵だわ。イグニス、レオにいろいろ教えてあげてちょうだいね」


 カイネは鼻歌を歌いながら、レオの腕を取る。レオは反射的にその腕を払った。

 その途端、寡黙だったイグニスが再び牙を剥いた。

「貴様、クイーンに!」

「ああレオ、ごめんなさいね、あなたにお洋服を用意しなくてはいけなかったわね」


 カイネはイグニスの肩からマントを剥がし、背伸びしてレオの体に被せてやった。少年の殺意に満ちた眼差しが痛いほど突き刺さる。


「私の前ではできるだけその姿でいてもらいたいもの。素敵な服をあつらえてあげる。ああ、どうしようかしら……雄々しいヴァイキングも……美しい貴公子も……神秘的な吟遊詩人も……いろいろ取りそろえているのよ」

 夢見るような口調だが、話の通じなさに背筋が凍る思いだった。

「それじゃあ、おやすみなさい、リリー」

 振り向きざま、カイネは優雅に手を振った。

「明日から、いろいろお話ししましょうね。とっても楽しみで……きっと眠れないわ!」


 しっかりと、レオの腕に腕を絡めたまま。


 リリーは最後まで、まともに目を合わせようとしなかった。その隣には、張りつめた表情の少年がひとり、呆然と立ち尽くしている。

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